Every Body  Vol.2

カナダ留学記4   自由… 彼我の違い
カナダ留学記  カナダ留学記   カナダ留学記   原宿“日曜日”

自由…彼我の違い

北米と日本のビジネスの違い、物事を決めるとき日本では 検討に検討にを重ねいろんな場合を想定して最終決定をしますよね。
多分取引とかになると会議だの、重役の承認だのとそれはそれは長い 時間を要します、
最終的に出した答えとはいかなる場合にも対応できる パーフェクトな答え、それに対し北米のビジネスとは全てが即決、
スピードが 物を言う世界、即決ができない人は使えない人いわゆるダメ人間、 商談でもトントン拍子に話が成立と言うのが日常らしい。
即決することにより 一気に大金持ちになり、一気に破産と言う人もいるらしい。。。
私達の感覚では ついていけな〜いかな。
多分この手のビジネスマンは日本では ”おっちょこちょいで使い物にならない”と言われそうですよね。
北米人が日本人相手にビジネスをするとしたら良きパートナーになるまでには (日本のビジネスを理解するには)
10年はかかると言われているそうです。 上記の事は”日本で働く”と言うようなタイトルの本にのっていたことです。
(アメ リカかカナダの どちらかの国から出版されていました)

実際にあった例を一つ トロントでのこと。。。
ある日自転車にはヘルメット着用との法律ができたと 新聞、ニュースで報道された。着用していない人は罰金、
私の何人かの友達は (日本人)大変だ!ヘルメットがないと自転車に乗れないと思い、早速何十ドルもだして 購入し毎日着用した。
しかし義務と言いながら結構ノーヘルメットの人が目立つ。
報道から1週間も経たない内にその法律は無効になったとの報道???
一度定めたものの、反対者が多数いたため取り消しになった。。。。。。。信じられ ません。
こんな事になるなら最初からいろんな場合を考慮し決めるべきだ!
一度決めた法律がいとも簡単に変えられてしまうなんてなんか信用おけないって感じ しませんか?
でも一方ではそれだけ市民の声が政治に反映されていると言うことだと思います。
制定したルールでも施行してみて納得が行かない場合、市民の声によって変える事ができる。
そうなると選挙にしてもみんな真剣ですよね。それに比べ日本では誰に投票しても 変わらないと思っていいるからでしょうね、
さほど政治にも選挙にも関心がないのは? 我々市民の代表であるべき人達を決めるのに、50%〜60%と低い投票率、
こんなので 代表を選んでしまっていいのでしょうかね〜???? 私の中には法律は法律、変えるなんて無理、
決められていることは守らないとと言う 意識が 高いですが、カナダでは法律で決められていることも変える事は可能、
そして変えられる チャンスが誰にでも平等にある、一つの裁判についてもケースバイケースで答えは一 つではない。
もっと人道的かも知れない、たとえば友達がUターン禁止のところでUターンしてしまい 運悪くお巡りさんに見つかってしまった。
後日裁判所に呼び出され(多分小さなケー スを扱う家裁のようなところ)理由を述べる、
”急に気分が悪くなり トイレに行きたくなったので 分かっていながらUターンしてしまった”
(実は単に急いでいただけ)結果は正当と 認められ 罰金を課せられなかった。彼女はラッキーだった、
裁判官によっては罰金をと言う場 合もある。 ケースバイケース=不平等ともなる。
ビザの延長や入国審査も係官によるらしい。 優しい人ならラッキーだし、意地悪な人だったら最悪、同じ条件でも結果は
正反対だ ったりもする。 時には人の人生をも左右する、そんな大切なことがギャンブルのごとく決められたら たまらない。 
ガチガチに法律で縛られた反面全てがきっちりと取り決めがされていてそれに従えば
必ず結果が得られるというステップバイステップの日本が良いのか、
カナダのように 誰にでも (敗者にも)平等にチャンスが与えられるケースバイケース=時には不平等。。。。がいいのか
どちらがいいのか分かりませんが、「自由」は不平等を伴なう物だと私は思うのですが
                                                               m.s.

学校の先生?【カナダ留学記

朝から”ドキドキ、緊張〜”と楽しみ半分、今日は小学校に行く日 (私の学校は午後から)
次女ベロニカのクラスの先生からご招待を受け 先生をする予定。。。なんの???

ある日家で子供達に折り紙を教えてやった。鶴や兜(みんなは”サムライハット” と呼んでいた)
日本人ならみんな知っているありきたりの折り紙遊び 特別な物を作った訳では無いが、子供達は大喜び、
特に次女のベロニカは ”だまし舟”が気に入ったようだ。早速学校に持って行くと友達も欲しいと リクエストがきた。
CNタワー学校から帰ると今日は3個、今日は5個・・・
と言う具合に リクエストが段々増えてきた。

ある日ママが”そうだベロニカ、みんなが そなに欲しいなら
Midoriを学校に招待して

クラスの中で教えて貰ったらどうかしら? 先生に聞いてみたら”とあっさりと言うでは無いか??? 
まさか、私の常識では そんなことができる訳が無いと思った。。。が翌日 先生からの返事は
”是非お願いしたい”と、”び〜くり”まさか小学校に招待され 折り紙を教える事になるとは夢にも思っていなかった。
ママのドライブする車で学校までは約5分足らず、途中スーパーで アイスクリームをたくさん買い込んだ。
TORONTO CNタワー     学校に行くのに何でこんなに アイスクリームを買うのだろう?
  そのわけはクラスへの差し入れだと言う。

時々子供達のクラスに差し入れを持って行くらしい。。。またしても カルチャーショック。

まずは先生にご挨拶、優しいそうな女の先生だ。 クラスルームに案内されるとそこには約25人ぐらいの
可愛い子供達が折り紙を片手に私を待っていた。 簡単な自己紹介を英語でした。
幾ら子供とは言え 全員がネイティブスピーカー、英語はパーフェクト ちょっぴり緊張した。あれこれと事前に
家でママにも手伝って貰って 練習をした、折って見せるのは簡単だが誰でも分かるように 口頭で説明も
入れなくてはならない、△をさらに△に・・・と言う具合に 単純で簡単そうだが、
普段使わない表現なので少しとまどった。 拙い私の英語にママ&先生も一緒になって説明のお手伝いをしてくれ
どうにかみんなも最後まで仕上げることができた。 みんなも楽しんでくれたようで”ホット”した。
当たり前の事なのだが 子供達はそれぞれ違うバックグランドをもっていることに とっても驚いた。
日本で言うインターナショナルスクールだ それぞれに髪の色、肌の色、目の色と違う。
ここでは日本で言う クレヨンの”肌色”など通用しない。私は子供の頃、人の絵を描くときは 黒髪、黒い目、
そして肌の色は”肌色(いわいるベージュ”)が正しいと思っていたし クラスの誰も、緑の目や、赤い髪等
書いた者は誰一人としていなかった 多分このような絵を描いたとしたら、先生はひょっとしたら
”この子は精神的にちょっとおかしい”と評価するかも知れない。 カナダに住んでいて、日本では当たり前、
常識と思っていたことが 必ずしもそうではないと認識したことがたくさんあった。
些細な事ではあるがこれもその一つである。
toronto ストリートカー
ベロニカが学校から帰ると、クラスのみんなからの 御礼のカードとお手紙を持ってきてくれた。
色画用紙で作ったお手製のカード、思っても見なかった プレゼントにとっても感激した。カードは今でも私の
カナダでの思い出の一つとして大切に保管してある。 それからというもの、近所を歩いていると
知らない子達から”ハロ〜”と度々声をかかられるようになった。 ??? みんな折り紙クラスの子供達だ。
たった一度きり会っただけなのに 覚えていてくれて声をかけてくれて嬉しかった。
時には”鶴の折り方忘れちゃった 又教えてよ”なんていうことも。 日本はカナダ人にとっては
未知の国といっても過言では無いと思う。 欧米の文化とは衣食住にかなりの違いがある。カナダ人に
もっと日本文化を 知って貰おうと言うことで、トロントの日系会館でボランティアで成り立っている プログラムがある。
私も何度かお手伝いさせてもらった。参加者は主に 小学校から高校までの生徒である。学校の社会の授業では
クラス毎に 一つの国を選び時間をかけてリサーチをすると言うのがあるらしい。 ボランティアの人達によると
毎日のように予約が入っているそうで かなり人気のプログラムらしい。衣、食、住の三つのコースがあり
申し込むときに選ぶことができる。 私が最初にお手伝いとして参加したのは 高校生のクラス、
20人ぐらいの小さなグループだったが 高校生ともなると背も私よりはるかに高く体格がいいので、圧倒された。
内容はまずは日本の位置から始まりおおまかな紹介、次は学校が選んだ 衣、食の文化のコース、
衣は学校の制服、着物。。。を実際に見せたり (制服は今は少ないセーラー服、学生服)、
食はレストランのウィンドウに飾ってある ロウでできたお寿司やら、天ぷら、納豆。。。
(準備しているとき童心に返っておま まごとをしているようで楽しかった。)と代表的な日本食が
ずらりとテーブルに その後は4畳ぐらいの畳の部屋に移り、テーブルですき焼きの作り方の実演と同時に
畳、ふすまと日本の家についての簡単な紹介、すき焼きもなかなか好評であった。
最後は普段は柔道、剣道、空手道場として使っている、畳を敷き詰めた大きな部屋で な〜〜んとハッピを着て
輪になり盆踊り、そして仕上げは折り紙、 む〜なんてみんな不器用なんだろう!!!
小学生となんら代わりが無いではないか。 まともに△をきれいに折れる子が何人いただろうか????? 
仕上がりは 翼の傾いた鶴だったりとあまりにも崩れていて鶴が可愛そうだった。
みんな真剣だった割には結果は今一だった。
折り紙はともあれみんな初めて触れた日本文化にちょっととまどいがあったようだが 楽しんでいたようだった。

トロントには各国の移民した人達によって運営されている 各国々の文化会館のような物があるが、
日系文化会館ほど 文化紹介やいろいろな年間行事を行っているところはないと思う。
毎月何かしらの行事を行っており、ほとんどがボランティアの人々によって 行われています。私も様々な行事に
ボランティアとして参加させていただき 貴重な体験をさせていただき、たくさんの事を学び
TORONTO 同時にたくさんの方と 知り合いになりました。 日本を離れて何十年も経つお年寄りの方々がそれぞれに口をそろえて
日本の思い出を語られ、最後には皆さん”死ぬ前にもう一度日本に帰りたいな〜 でももう年だし、遠すぎて行けないな〜”
と淋しそうに言った言葉が忘れられません。 昨年の長野オリンピックで久しぶりに”故郷”の歌を聞いたとき、
再び”帰りたいな 〜”のお年寄りの方々の言葉を思い出し私も
ホームシックになりました。

確か小学校の音楽の時間に習った記憶があるが、その当時は歌詞も深く考えず ただピアノの伴奏に合わせて
歌っていただけで、感動するほどの歌では なかったように思うが、
自分も故郷を離れて住んでいると

歌詞の一つ一つが感動するものでありなんてすばらしい歌なんだろうと思った。
世界中何処に住んでいても、やはりいつも思い出すのは自分が生まれ育った 故郷ではないでしょうか? 
近くに故郷がありいつでも帰れるのは幸せな事だな〜と つくずく思う今日この頃です。

                                                       MIDORI.S.

☆☆ 東京の青山通り(国道246)に面した 近代的な建物のカナダ大使館
オープンに利用できる 資料等が豊富 カナダについて知るにはいい環境になってます

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TORONTOに早や一ヶ月!【カナダ留学記

毎週土曜日午前中は全員で家のお掃除  各自分担があるのだがお兄ちゃんお姉ちゃんたちは
ママの目を盗んではテレビ見たり、ゲーム見たりとさぼってばかり 7才のポールだけは真面目で
ママの言うことをよく聞く 彼の係りは洗面所のお掃除、4箇所あるうちの2箇所が彼の持ち場
7才のポールにとって洗面台はちょっと高いので、イスを持ち出し洗面台に乗って一生懸命磨いている、
何度も”ママまだ〜”と聞きながらもOKが出るまで磨き続けている。スカーフを頭にキュット結び
熱心に磨いている姿が何とも言えず可愛い。。。あと20年も経ったら
きっとハンサムになるに違いないと私は確信しています。

私の部屋には私の許可なしで入ってはいけないとパパ&ママに言い渡されている
しょっちゅうポールはドアをちょっと開けて”入ってもいい”といいながら遊びに来る。
本を読んだりゲームしたり可愛いからついつい宿題もそっちのけで遊び相手になったのがまずかった。
それからと言うもの私は彼にとって何でもお願いを聞いてくれる大きなお姉さんとなってしまった。

学校から帰るとポールはヘルメットを二つ抱えて私を待っていた。
いや〜な予感。。。。的中、”みどり公園に遊びに行こう”ちょっと遠いらしく、自転車に乗って行くという
彼はお姉ちゃんから私のためにとヘルメット&自転車を借りていたのだった。
しかし。。。お姉ちゃんは11才、自転車もヘルメットも私には小さすぎて無理、するとポールは
”OK僕の後ろに乗ればいいよ”と自転車に颯爽とまたがっている彼自身小さな紳士とでも思っているのだろうか?
 補助車付きの小さな自転車にちょこんと座っている姿が何とも可愛い。。。結局は私は彼の後ろから
走って行くことになった、”Let's go”というないなや猛スピードで自転車をこぎ出した。
あっという間に見失いそうになる とUターンしては戻り、そんなことを繰り返し10分ほどして
着いたのは小学校の校庭だった。そこにはお〜きな桜の木が一本あった、カナダに来てから一ヶ月、
見るもの聞くもの全てが新鮮で毎日が楽しくて日本の事を思い出すこともなかったが、
桜の花を見たとき”あ〜日本!”と忘れていた母国のことをを思い出し
ちょっぴりホームシックになりかけた。。。
暫く桜の花を見ながら思い出に浸っていると”暑いから帰ろう”20分も経っていないのにポールは帰り支度
気温は21度、私にとっては最高に気持ちいいのに、真冬ー10〜−20度のトロントの人々にとっては暑い
ということを私も後に体験することになるのでした。

ちょっと暖かさを感じるような日が一週間続きようやく春だな〜なんて思ったら急に30度越す真夏日に変わる
トロントの春は短いというよりはないに等しいかもしれない。
カナダというと寒いイメージをもたれている方が多くいると思いますが トロントの真夏日は日中は30度を越え、
時には35度以上、私の滞在中には最高39度という日もありました。とは言え日本に比べ湿度がないので
想像してるよりは暑くありません。空気が澄んでいるせいか太陽の光も強く、日に当たると肌が痛いと感じるぐらい
日射しが強いのです。小さな子供達さえ日焼け止めクリームは必需品となっています。
新しい家は冷房完備ですが、(ファミリーの家は冷房ありで快適)築100年なんていう家はざらにあり、
冷房を完備している家は少ないので熱帯夜の日は寝苦しくそれはそれは地獄・・・です。
でも夏の間と〜〜ても暑いと感じるのは一週間ぐらいかな。湿度の高い日本の夏に比べたら快適です。

真夏の25度くらいの日はジーンズでも平気、Tシャツ、ジーンズが私の定番の通学着、
しかし、毎朝毎朝子供達が口をそろえ”今日はとっても暑くなるんだよ、ショートパンツをはかなきゃダメだよ”
の言葉に私もショートパンツを買う事にしたのだが今一サイズがよく分からない
お店で見る洋服は全体的にかなり私には大きい、ママに相談すると長女のショートパンツを持ってきて、
”多分あなたは子供サイズで十分だと思う” まさか幾ら何だって小学生の洋服なんかと思いながらも試着、
あれ〜??ぴったりではないか?ということは私の体型はカナダの子供サイズ?
(ちなみに私の身長は156cm、日本では標準サイズより若干小さめだが立派に大人サイズである)
ちょっとがっかり、でも消費税が15%と高いけど(国税7%、州税8%)
子供用品は州税の8%のみ
なので得した気分。
食物に関しても全てのものにかかるわけではなく、不可欠なものは国税がかからない
但しチョコレートやケーキなどのおやつ系は課税されるけれど。

カナダは連邦国なので州によって税金や、法律が違ったりする。
日本の27倍もの国土、時差も東と西では時差もあるし、景色も、住んでいる人々も、場所によっては
フランス語しか通じないところだってある、トロントがあるオンタリオ州にしても日本の7倍ぐらいの広さだ。
いかにカナダは広いか想像できるでしょう。
首都はオタワだが、トロントはカナダ第一の都市である。世界中からの移民が集まり公共の語学サービスは
40ヶ国以上のサービスがある。日本人の数は2万人くらいと聞いている、%にしたらほんのわずか
それでもちゃんとサービスがあるのは嬉しい。北米では第二の規模といわれるチャイナタウンもある。
イタリア人街、ギリシャ人街、韓国人街、ロシア人街、インド人街・・・etcそれぞれの街に行くと
ここは何処?とてもカナダとは思えない雰囲気、まるでその国に行ったような錯覚に一瞬陥る。
ちなみに日本食料品店、レストランはあちらこちらにあるが街としてはは存在しない。その理由は
カナダに行って初めて知った事実(私の勉強不足のせいもありますが)
西側に移民した日本人は、最初はコミュニティを作って暮らしていたが 戦中戦後日本人は
カナダ軍によって捕らえられ、全ての財産を奪われ収容所に入れられ強制労働を強いられたという
過去の悲しい経験から、二度とコミュニティを作って住まないと決心したそうです。カナダ人を通じて
知り合った日系人ランディ、彼のおじいさん、おばあさんも収容所で暮らした一人、それはそれは辛く、
厳しい生活だったらしい。今でこそ、人種差別などしたら大変な事になるがその時代は
特に日本人は差別されていた、極端にいえば人間と見なされてなかったようだ、図書館で
日本人がカナダへ移民して日本人として認められるまでの歴史のような本を読み、さらに偶然にも
カナダが制作した同内容のテレビ映画を見た。今日私たちがカナダ国内において日本人と誇らしく胸を張って
いられるのは 過去に移民した人達の計り知れない努力のお陰だと思う。
カナダ国を相手に裁判を起こし、全面勝訴となったのは
80年に入ってから、そんな昔のことではない。
トロントに来てから早くも一ヶ月が過ぎた

                                                    MIDORI.S.

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Welcome Midori!【カナダ留学記2】

Welcome Welcome!!! 12才10才の女の子、そして9才7才の男の子計4人の子供達&コンピュータ会社に
勤務のパパ、ママ(専業主婦)に迎え入れられ2番目のホストファミリーの家に到着。
トロント郊外の閑静な住宅街にある新しくて大きなお家、大きなテラス 芝生の庭
これぞ私が思い描いていたホームステイ。。。KUS(クース)家での生活の始まりでした。

案内された私の部屋は、12畳ぐらいの広さの部屋、大きなベット(ダブル)
鏡のドアが四枚もついている大きなクローゼット、机、イス、そしてなぜか木馬?半地下だけれど、
窓からは日差しもあるし、外の景色もちょっぴり見えます。
私専用のシャワールーム&トイレ、隣はすご〜く広いTVルーム兼子供の遊び部屋 夜の八時以降は子供達も
ベットに行くので、ほとんど私専用 そして電話もあり市内なら基本料金を払えば幾ら話してもただです。
(基本料金はファミリー持ち)ほとんど毎夜友達と長電話していたのは言うまでもありません。
ちなみに公衆電話は25セント払えば市内なら無制限です。24時間でも48時間でも。。。
さすが電話発祥の地だけあってはるかに日本よりシステムが進んでいます。最近になって日本では
コールディスプレイなんていってるけど5年前には既にありました。

家に到着したのが土曜日の13:00丁度ランチどき、一家そろってテラスでのバーベキュー
お肉を焼くのはパパの役目。カナダに来てからの初めてのまともな食事、今思えばバーベキューなんてカナダでは
特別料理のうちに入らないのに、私はとても感激、あまりの感激振りにママは??? 私の答えにママは”ビックリ”
「お金を払ってまともな食事も与えられなかったなんてホストファミリーとしては失格!!」 
言葉の通りクース家では、食事もきちんと作ってくれ(ランチまで作ってくれた)部屋の掃除、
恒に清潔なタオル&シーツの交換、お洗濯までしてくれ、いたれりつくせりでこちらが恐縮してしまうほどだった。
パパ&ママ曰く・・・君はお手伝いで来ているのではないのだから雑用なんてする必要はない。
だから食後の後かたづけも手伝ったこともなかった。かといってゲスト扱いでもなくファミリーの一員として
接してくれ、出かけるときは一緒に連れていってくれた。

翌日早速近所を探索。ショッピングモールがない? コンビニがない?駅は何処? 
あまり人も歩いていない???
見えるのはお家と野原ばかり。あれれれ・・なんだか私とってもど田舎に
越してきてしまったのだろうか?
最初のホームステイ先は郊外だったけど、
コンドミニアムの前には大きなショッピングモールがあったり、

地下鉄の駅にも駅ビルなるモールがあったりして、学校があるダウンタウンもとっても賑やかで
過去に私が行った場所は全てが賑やかだったのでダウンタウンから地下鉄でたったの25分(終点だけど)
当然ここも同じような環境だと思っていた。ガッカリ。。。
しかし後に徒歩15分ぐらいのところにショッピングモール&図書館があることが判明、
唯一ご近所での外出先だったので暇なときはよく行きました。

ファミリーの家までは地下鉄の駅からバスに乗って四つ目、大きな教会が下車の目印。バスに慣れるまでは
いつも外をキョロキョロ、大変緊張しました。と言うのは全くアナウンスがないのですよ。
自分の下車したいところの手前で窓の上になが〜く張り巡らせてあるロープを引っ張らないと
バスは止まりません。そのうち慣れてくればどーてことないんだけれどね。
トロントの交通網は地下鉄、バス、ストリートカー(日本で言うチンチン電車です)がありとても便利です
特にバスは24時間走っていて 夜遅くなった時などは、バス停以外でもリクエストすれば
通り道であれば何処でも下車することができます。便利なんだけどちょっと時間はルーズ、
時刻表があるようでないようなもの。平日の通勤、通学時間帯は結構本数も多いのであまり待つこともないけれど、
休日なんて最悪、始発は9:00(バスに限らす全ての公共の乗り物は同じ)
タイミングを逃すと次は30分あとなんて事も。。。
冬なんてとっても寒くて外でなんて待っていられませんよね。でもご安心あれ各バス停にはバスの
時刻問い合わせ電話番号が表示してあり電話するとちゃんと次に来るバスの時間案内があり(正確)バス停で
長時間待つなんて事は不要です。最初知らなかった私は、適当な時間にバス停に行き何度バスを逃したことか?
いつもバスが来るちょっと前ぐらいからあっちからもこっちからも人がやってきてどーして時刻表がないのに
みんな時間がわかるのだろうと不思議に思っていた謎が解けました。

バスになれた頃、家までの道順や近所の様子もいろいろとわかるようになり、帰りはバスに乗らず
歩いて帰る事にしました。駅からは歩いて20分ほど、5月と言えば寒く長い冬が終わり
初夏の兆し、芝生は青々と生い茂り、チューリップなどの花を始めカナダでは最も美しい季節の始まりです。
帰路には特別なものがあるわけではないのですが、ただ歩いているだけで幸せな気分になります。
空がとっても高くとっても青い、東京で見る空よりもはるかに色が濃く真っ青と言うか、あい色とでも言うのか
トロント リス ちょっと言葉では表現できません。この違いは空気がいかにきれいかと
言うことなのでしょうか?

野生の動物もいっぱい見ることができます。公園、
家の庭など何処にでもリスがいて最初はビックリしました。

リス以外にもスカンク、ラクーン(アライグマ)も見られるし、
車で一時間も郊外に行けば鹿、時には熊も見られます。

トロントはカナダ最大の都市です。大都市でありながら自然も
守られていて、人間と野生動物が共存できるなんて

とってもすばらしい事だと思いました。
”あ〜カナダに来て良かった”



歩道にも リス!  トロント                                       MIDORI.S.

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トロントに降りた!【カナダ留学記1】


トロントエアポートに初めて降り立ったのは いまから5年前の 94年4月3日 希望と不安を胸いっぱいに 
今でもあのときの事は鮮明に覚えています。たった一人での海外、しかも短期の旅行ではなく
少なくても一年は住む予定、不安は勿論あったけど楽しみの方が大きくて
両親の心配をよそに旅行気分の軽い気持ちで成田を後にしました。
成田→トロントまで14時間のフライト 一眠りして窓を開けたとたん、雪に覆われた朝日に輝く
ロッキーマウンテンを目にし感動、感動・・・・ あーとうとうカナダにやってきたんだ!と
が・・・さらに雪原の景色を5時間、トロントまでは遠かった。
あらかじめ学校を通してホームステイ先も決めており情報によると40代半ばの看護婦さんの一人暮らし・・・
と言うことでした。看護婦さん=白衣の天使 優しいイメージがあったのですが
いろいろと想像を膨らませていたわりには 空港で迎えに来ていたのは小錦もどきのビックなめがねをかけた
恐そうな中年女性と15〜6才ぐらいの小柄な女の子???「My daughter」と言うではありませんか
一人暮らしと聞いていたのにどういうことなんだろう??? とりあえず壊れかけたトヨタの車に乗り込む。
普通サイズの車なのにとっても小さく思えたのは 彼女があまりにもビックだったせいなのだろう?
ハイウェイを飛ばすこと30分 着いたのはスーパーマーケット、夕食の買い物に立ち寄り
さらに車で2〜3分、着いたのは高層アパート ここが私のトロントでの最初のホームステイ先
シャーロンのお家でした。 カナダの家=大きな家 を想像していた私ステイ先がアパートだったので
少々がっかり・・・さらに玄関に足を踏み入れたとたんさらにがっかり 部屋中に洗濯物がぶら下がって…
おまけに毛足の長〜い大猫、動く度にふわふわと毛が飛び交い絨毯、ソファーはまさに毛だらけ
私の部屋は道路に面した4畳ぐらいの小さな埃のたまった部屋 徐々に悪い予感が…
後々予感が大的中するとは・・・・
初めてのカナダでの食事、確か電子レンジで”チン”したぱさぱさご飯(インディアン米)の上にチキンの唐揚げの
ようなもの 後々思えばあれはスーパーで売っている冷凍食品だった。味は特別おいしいとも言えず
むしろ是がカナダの食事かと言う感想が強かった。
”チン”しただけの一品料理なんて豪華でも何でもないと 思うでしょう?
でも私が(この家での)ステイしていた期間の中では後にも先にもあれが唯一のまともな食事だったのです。
最初の1週間,全てが初めての経験そして英語での暮らし、緊張感が伴ったのとインスタント食品の連続、
お陰で3キロは痩せました。さすがに毎日99セントのチーズマカロニは夕食に食べられませんよね。
でも他のホームステイ先を知らかった私は不満だったけど こんな物なのかな〜としばらくの間思っていました。
後々学校で何人かにホームステイ先の食事の様子を聞き愕然としました。
ホームメイドのお料理にデザートまで付いていると言うではありませんか。
同じ料金を払っていてこの差は何?ますますイヤになりました。
食事だけではなく決定的にステイ先を変更させる出来事がある日ありました。
学校から帰ると、リビングに男性が一人ママと話しており 私はてっきり友人かと思い”は〜い”なんて挨拶して
私の部屋に直行それから2時間ぐらいしたら ママが”娘が家出したので今から探しに行く”
と言うではありませんか、私はビックリ、だって昨夜ママが夜勤の時に 娘は私に、フロリダでパパと暮らしていて
お休みでママのところに遊びに来ているが 明日フロリダに帰るとチケットまで見せてくれていたので、
てっきり帰ったものと思っていたが、まさか家出だったとは・・・
それからリビングに呼ばれ事情調書を取られました、ママの友達と思っていたのは実はお巡りさんだったのです。
名前から始まりいろいろと聞かれ、カナダに着いて間もなくまだ英語だって不十分、しかもお巡りさんから
取り調べを受ける事になるなんて夢にも思ってなかった・・・この出来事はかなりショックでした。
それからもいろんな出来事が、ある朝知らない男性がドアをノックしているので寝ているママを起こすと
実はママの彼だった。最近ダンスクラブでナンパされたイタリア人の彼だそうだ。
彼は無職なので毎朝彼女がいるときは朝早くやってきて1日中過ごしていく。夜は夜で毎夜3〜4人の
友達を連れてきては遅くまでリビングでお酒を飲んだりの
大騒ぎ、挙げ句の果てには 私にワインを買うお金まで貸してくれと言う始末、はっきり言って呆れました。
結局そこには3週間の滞在で新しいファミリーのところに引っ越しました。
今思えば私にとっては地獄の3週間だったとしか言いようがないね。決して楽しい思い出ではないけれど
初めてのステイ先 今では懐かしい忘れることのできない思い出です。
留学される方に一言、あまりホスト・ファミリーに期待はしない方がいいと思います。
契約どおり食事がきちんと用意され清潔な部屋が提供されれば 満足とするべきではないでしょうか?
ホスト・ファミリーの大半は経済的に余裕のない家が多く お金目当てで留学生を受け入れているのが実情。
留学雑誌やパンフレットで見るような大きな家に住み リッチで両親と可愛い子供、フレンドリーで家族の一員として
受け入れてくれる そんな理想的なファミリーはごくまれです。
私の場合それから3家族のもとでホームステイしました。
最初が不運だったけれどそれから人も羨むような夢に描いたホスト・ファミリーに出会うことができました。
そのことはまた・・・・
                                              midori.s.

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原宿 “日曜日”  

久しぶりに原宿に遊んでみた かっての通勤路だった原宿 1年振りの竹下通りも相変わらず混みあっていたharajyuku
JR原宿駅竹下口を出る 真向かいが竹下通り今日は改札口を出てすぐに右に曲がる 
少し歩いてまた右に曲がると神宮橋にでる
其処で人の群の塊に遭遇した 2〜3人のグループを組んで少女達が奇抜な扮装で佇んでいる 
幾つも幾つものグループだ
その容態?拙文では表現するのが難しい 右の写真がその一例(Gallery号外に写真があります)
「メイクと衣装に2時間くらい」 『パフォーマンスは?』 「此処にいることがパフォーマンス」 
狭い橋の上でグループ毎にそろりそろり歩いている その周りはカメラを持った人達が取り巻く 
外国人は一緒に記念撮影等したりして もう大変な混雑 こちらの隅ではバンド演奏
元気な6人くらいの若者が ビール瓶を入れるケースの上を跳ねながら歌ってる “THE 夜のヒッパレ出演中”の看板を背に

少し離れた片隅に少女?が一人だけでギター片手に歌ってる
“○○子 デモテープ100円” と小さい紙切れを足下に置いて 懸命に歌っている 「一つ!」 と
200円出すと『えっ こんなに?』と綺麗な歯を見せて笑った  MAKIKO
♪ 空を飛びこえる羽根がほしくて
ずっと眺めてた近くて遠い あの空……
〜 〜
待ってるだけの毎日じゃ 何も始まらないから
さあ ほら早く JUMPしょう!! ♪
〜 〜
長い長い詩を謳っていた

赤や黄の鮮やかなコスチュームに身を包んだ一団 元気そうな青年達細身の自転車に
またがって10人程が
『都内の配送をしています』  そう今渋滞だらけの都心は自転車の“急配”が
重宝がられていると言う フロッピーやディスクの移送にも…
引き締まった体に 鮮やか色のリュックを背負って 歯切れのいい青年達は 元気印の現代風景

自転車  橋の下を通るJR山手線の音などかき消すほどの賑やかな一角だ 

神宮橋を渡ると 明治神宮 大きな鳥居をくぐって広い砂利道を歩く 社殿まではゆうに2kmはありそう
明治天皇を奉ったこの神社は 内苑が707、500uもある広大な森の中にある 
森の中は都会の喧噪も聞こえてこない
砂利道を踏む音だけが響く 外国人が鳥居をスケッチしていた 

表参道に出る かって休日には歩行者天国になっていたが今は廃 止されていた 
パフォーマー達の居る場があの狭い明治橋に追いやられたかたち この広い通りは今
 休日は自慢の自分が好きか車達が行き交う
その歩道に 何やら奇妙な字を書きながら並べてる男が居た 
B5版の表紙イッパイに “自分が好きか!!” と
“自分を責めたらアカン。
責めるんやったら
俺が責めちゃる。
君は前に進むことだけ考えればいい”
のような大きな字だけの ページが続く 
「一冊!」600円出した 『時間ありますか?』 「あるけど?」
『今場所換えしてから お客さんの名前書きます』 そばに不機嫌な顔をしたロングコートの若い女性が立っていた
此処は彼女の場所で 移動を強いられていたらしい いつの間にか私も手伝うハメになっていた やがて 裏表紙に
“光集めて 光伝えて下さい”   
その下に私の名前を大きく書いてくれた 可愛いヒマワリの絵を添えて
兵庫出身だというこの若者は グールプを作ってカンパを募りながら映画作りを目指しているという

“若者の街”と称される此処で 今日何人かの人と言葉を交わした 顔はみな様々な方向を向いてるけれど
みなそれぞれ 秘めた力を持っているような 輝いた目をしていた この国捨てたもんじゃない!と

かって よく行っていた カフェテラスで 珈琲を飲みながら
“飛べる時に飛ばんで、いつ飛ぶ?” 
こんなページを読んでいたら
通りの葉の落ちた欅をかすめて 冬の陽は早くも沈もうとしていた


【Gallery 号外】 をご参照下さい
                                                    
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VOL.1 VOL.3
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