92. 平塚沖観測施設の見学

編著者:近藤 純正

相模湾平塚沖の波浪等観測塔(1965年に建設された海洋気象観測塔)と、 陸上施設の見学会を行なった。陸上では波浪等の記録室、海面波の広域分布を 観測するマイクロ波散乱計収納塔、相模湾海底地震観測施設(平塚中継局)を 見学した。
(完成:2009年7月27日)

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  	  もくじ
		はしがき
		1 平塚沖波浪等観測塔の見学
		2 波浪等を記録する陸上施設
		3 マイクロ波散乱計収納塔(内藤玄一)
		4 相模湾海底地震観測施設
		 4.1 研究の背景
		 4.2 自己浮遊式海底地震計
		 4.3 観測施設の開設
		 4.4 リアルタイム地震情報
		参考資料

はしがき

2009年7月18日(土)、予報では南西のやや強い風が吹くことになっていたが、 幸運にも海面は穏やかとなり快適な条件となった。平塚新港の浮き桟橋から 釣舟「庄治郎丸」に21名が乗船、9時20分頃に出航、10時20分に帰港した。

波浪等観測塔の周囲を右回り左回りして見学した後、西方の大磯沖への遊覧、 続いて東方の茅ケ崎沖の約1.2kmにある「えぼし岩」(海面上の高さ約15m) の近くまで遊覧した。 「えぼし岩」は、平安時代の貴族がかぶっていた烏帽子に似ているところから その名がつけられ、湘南海岸では江の島などとともに多くの人に親しまれて いる。

表92.1 平塚沖観測施設と関連する年表
施設の年表 
1959年9月26日 伊勢湾台風(死者・行方不明5,098名)
1962年5月 参議院、防災科学振興について決議
1963年4月 科学技術庁国立防災科学技術センターの設立
1965年8月 平塚沖波浪等観測塔の建設完了
1967年6月 同 センター平塚支所が設立
1974年2月、1975年2月 AMTEX(気団変質実験、国際協力研究)
1978年 マイクロ波散乱計収納塔(高さ20mの建物)
1990年 国立防災科学技術センターは防災科学技術研究所として改組、 同年 平塚支所は平塚実験場と改名、同 実験場を無人化
1996年3月 相模湾海底地震観測施設の開設
2002年 観測塔における観測データのインターネット公開
2009年7月 波浪等観測塔は東京大学生産技術研究所へ移管
ただし、マイクロ波散乱計収納塔と海底地震観測施設はそのまま防災科学 技術研究所の施設として残す。

1.平塚沖波浪等観測塔の見学

2009年6月30日まで、防災科学技術研究所の所属であった「波浪等観測塔」は、 死者・不明約5,000名の被害を出した1959年の伊勢湾台風を契機として、相模 湾平塚沖に1964年から建設され1965年8月に世界有数の施設として完成した。 塔は海岸から1km余、水深約20mの場所にあり、海面上の高さは20m余 ある。塔の基礎となる支柱は海底下20mほどまで打ち込まれている。

陸上施設から観測塔までは6,600Vの高圧電力とデータ通信回線35対の 複合海底ケーブルが設置されている。直径7mの観測室内には空冷5馬力の 空調機で温度が一定に保たれている。重量機器の搬入などのためにクレーン 付き荷揚用電動ウインチ、気象・海象観測用の電動ウインチが備え付けられ ている。観測塔本体の維持管理は、観測塔を支える海中部の鋼管に直流電流 を流し、腐食を防ぐための電気防食装置がある。海上部分は毎年のように 塗装工事を行ってきた。そのため、本体は特に損傷は認められない。

こうして40余年余にわたり、観測塔は台風による波高8mの大波と暴風にも 耐え、様々な実験・観測研究に利用されてきた。古くは1974~75年の AMTEX(東シナ海における冬季の気団変質実験研究、国際協力研究)の 準備研究として1967~73年の頃、海面近くの大気と水中における輸送過程 など大気と海洋の相互作用の研究が行われた。

AMTEX研究の背景
1960年代は現在のように、数値天気予報の精度は高くはなかった。 冬の東シナ海の台湾近くで発生した低気圧が本州南岸に沿って進むとき、 急速に発達し、首都圏に大雪を降らせ交通麻痺を起こした。さらに東方海上 では台風並に発達し、漁船の遭難や大型船の大破という事件もあった。 こうした状況は北米のメキシコ湾流域でも同じであった。

海洋から大気へ供給される熱と水蒸気量を考慮しなければ、低気圧が 発達するという数値予報もよくできないので、この方面の研究を推進すべき という機運が国際的に高まってきた。

1974年と1975年の2月に東シナ海において国際協力研究AMTEX「気団変質の 実験研究」が計画され、その準備研究を行う必要があり、平塚沖に完成した 観測塔を利用した基礎研究が行われた。

AMTEXと平塚沖観測塔に関しての詳細は、
「5.十和田湖物語」
「M16.海面バルク法物語」
に掲載されており、当時の時代背景などもわかる。



2009年7月18日の波浪等観測塔の見学者は21名、陸上施設の見学者は23名 であった。以下には、当日の乗船から懇親会まで、参加者に撮影していた だいた写真を掲載する。

庄次郎丸に乗船
図92.1 平塚新港にて見学者が「庄治郎丸」に乗船中

観測塔
図92.2 観測塔(海面上の高さ=20m余)、左:塔の南西側から、 右:東側から

えぼし岩
図92.3 茅ケ崎沖のえぼし岩(海面上の高さ=15m)、右手遠方は江の島

参加者その1
図92.4(a) 見学会、その1

参加者その2
図92.4(b) 見学会、その2

参加者その3
図92.4(c) 見学会、その3

参加者その4
図92.4(d) 見学会、その4

参加者その5
図92.4(e) 見学会、その5

参加者その6
図92.4(f) 見学会、その6

参加者その7
図92.4(g) 見学会、その7

参加者その8
図92.4(h) 見学会、その8(懇親会)

2.波浪等を記録する陸上施設

現在(2009年)は定常的には、波浪(超音波波高計)、風向風速(風車形風向 風速計)、潮流(電磁流速計)、水温(測温抵抗温度計)、波浪と海面状況 (ライブカメラ)が自動観測されている。ライブカメラは陸上施設からの 遠隔操作によって、視野と方向を変えることができる。

陸上施設
図92.5 (左)陸上施設入口から見た陸上施設、左側の4階建ての建物が 「マイクロ波散乱計収納塔」(高さは20m)
(右)「相模湾海底地震観測施設」(無人)を裏通りから見た写真
(前章「91.平塚沖観測塔施設見学(計画)」の 図91.9に同じ)

平塚沖の観測塔を見学中、陸上施設ではライブカメラの遠隔操作によって 記録された。その一部を図92.6に示した。

ライブカメラによる見学船
図92.6 乗船した見学者たちが観測塔に接近(陸上施設からの遠隔操作 によるライブカメラで撮影)

波浪と流速
図92.7 波高(上)と流速(下)、2009年7月18日11時00分から150秒間 の記録。最大波高=0.7m、平均流速=-0.3m/s(西向きの潮流)、 縦軸のゼロは平均値を表し、縦軸の左端に付けた数値は出力のボルト、 右方につけた矢印の幅は、それぞれ波高(1m)と流速(0.2m/s)の単位 を表す。

図92.7は波高と流速の記録例である。2009年7月18日の海面は穏やかであり、 波高は低く、快適な航行をすることができた。11時ころ、西向きで平均流速 0.3m/sの潮流があり、それに±0.05m/s程度、周期5秒程度の変動があった。 なお、この流速計は平均海面から7mの深さに取り付けてある。

図92.8は平塚沖観測塔における風速(海面上の高さ=23m)と、気象庁 アメダス辻堂における風速(風速計の地上高度=9.5m)の比較である。 辻堂アメダスは藤沢市辻堂の海岸の神奈川県立辻堂海浜公園に設置されて いる。

風速
図92.8 平塚沖観測塔と気象庁アメダス辻堂における風速の比較

この日(7月18日)は日中の8~18時は南南西の風であり、平塚沖の海上では 4~6m/sが吹いたが海岸の陸上のアメダスでは1~2m/s程度であった。この 違いは風速計高度の違いというよりは、アメダスは陸上にあり、しかも 近くに松林があり防風林の役目をしているからである。

注:海面上10mの風速は、20mの風速の約95%である(「身近な気象」の 「M44.温暖化の監視が危うい」の 表3を参照)。

図92.9は陸上施設から観測塔までに埋設されている海底ケーブルの断面図 である。

海底ケーブル断面図
図92.9 海上の観測塔から陸上施設までの海底に埋設されている複合海底 ケーブルの断面図、直径720mm。中心に3心電力線、その周りに通信 ケーブル、・・・・保護用亜鉛メッキ鉄線、外層ジュート(タール塗り)。

3.マイクロ波散乱計収納塔

平塚沖観測塔では、3次元超音波風速計による海上風の乱流構造の研究、 電磁流速計・水圧式波高計・超音波波高計・電気容量式波高計・ブイ式波浪 計による海象の研究、マイクロ波散乱計による海上風の広域分布の研究が 行われた。

マイクロ波散乱計は、海上の風を測るレーダである。多くのレーダは、 電波を発射して遠くの船や雲などに照射し、帰ってきた電波を映像にする。 一方、散乱計は風が吹いて出来た海の波に電波(パルス・レーダ波)を 照射して、帰ってきた電波を解析し風向と風速を決める。電波の波長は およそ2cmであるから雲を透過するので、人工衛星に搭載して雲に覆われた 広い海洋上で風の分布を得られるように研究開発が始められた。

最初に開発を手がけたのは米国のNASA(National Aeronautics and Space Administration:アメリカ航空宇宙局)であるが、わが国でも宇宙開発の 一環として衛星搭載機器であるマイクロ波散乱計の基礎研究が立ち上がり、 防災科学技術研究所が担当した。世界的にも大変難しい研究であったため、 実用化におよそ40年もの歳月を費やし、ようやく10年ほど前からNASA主体 で(QSCATなど)運用されている。

マイクロ散乱計
図92.10 観測塔に設置したマイクロ波散乱計。(左)マイクロ波散乱計を 用いた実験の模式図、(右)塔の屋上に設置されたアンテナ

平塚の陸上施設の敷地内にある、マイクロ波散乱計収納塔は1978年に建てら れた。その屋上にレーダ・アンテナを、室内に増幅部データ処理部を設置した。 そして良好な海洋条件にとき(南よりの風が吹くとき)、海面に電波を発射して 基礎実験を行った。

このレーダは可搬型であり、移動して条件の良い場所で実験が出来る。まず、 波浪等観測塔にシステム一式を設置し、1978年から80年にかけて風波に 覆われた海面に電波を照射し本格的な実験をした。風の吹送距離(風が海面 を走ってくる距離)が十分長い南よりの強風を期待して、塔に2日ほど 泊り込みデータを採集した。

南風が吹くと海が荒れて往来と滞在は危険な 行為だったが、良い結果を得た。レーダ波は、風が作った波高数mm程度の 小さな波(表面張力重力波)と干渉し(大きな波とは干渉しない)、 後方に散乱電波を返してくる。従って、送信用のアンテナと受信用の アンテナを共用できる。高度なパルス波信号処理によって送信と受信を 交互に行い、うまくデータを取得する。

航空機
図92.11 マイクロ波散乱計を搭載した実験機、アンテナを外側に出すために、 後部ハッチは取り払われている。

航空機搭載実験中
図92.12 航空機搭載実験中。(左)アンテナを機外に出してデータ取得中、 (右)アンテナを操作中の研究員

小型飛行機にも散乱計を搭載して、1980年と81年の2回にわたって相模湾上で 実験をした。装置を積載・装備することが大変困難だった。写真で見られる ように、後部ハッチを取り払い、アンテナを実験海域上空で外側にせり出す 計測システムを作った。大変危険だったが、実験中は研究員がモンキーロープ をつけ手動でアンテナ角度を変更するなどの操作をした。

また同時に、飛行機は海面とのレーダ波の入射角を大きくとるため、旋回飛行 した。更に、実験海域の風向風速を観測するため、もう一機の飛行機が 付随して運航した。このようにして得られたデータは、マイクロ波散乱計の 基礎知識から実用化のための情報まで与えるものとなった。

相模湾の実験模式図
図92.13 相模湾で行った実験の模式図、旋回している航空機から海面を マイクロ波が照射する。

航空機実験の結果
図92.14 相模湾で行った航空機実験の結果。縦軸は風速の大きさに対する 受信電波の強さを表わし、横軸は方位角である。散乱計の出力は、風速が 強いと大きく、また風下と風上で強く、風向の横方向で弱いので、風向を 知ることができる。図に示すように、海面へのマイクロ波の入射角の大きさに よって、帰ってくる電波の強さは変化する。入射角=35°と45°の2通り の結果が示されている。



今回の見学時、マイクロ波散乱計収納塔の4階から観測塔を双眼鏡で見る ことができた。

陸上施設から見た観測塔
図92.15 陸上のマイクロ波散乱計収納塔の4階から双眼鏡で見た観測塔、 海岸の砂浜と陸上施設の間に植えられた松林は成長し、樹高は 20m程になり、観測塔は見づらくなってきた(双眼鏡に直接デジカメ を当てて撮影)。



4.相模湾海底地震観測施設

陸上には相模湾海底地震観測施設もある。ここから相模湾に向かって 全長120kmにおよぶケーブルによって海底地震計が約20kmの間隔で合計 6個所に配置されている。この陸上施設で中継されたデータは、つくばの 防災科学技術研究所に送信されている。関東大地震(1923年、M7.9、死者行方 不明者14万余)をもたらしたような相模湾を震源とする地震は、リアルタイム で本震の地震動が陸地に到達する前に検知することができる。

注: 「相模湾海底地震観測施設」は、詳しく表現すると「相模トラフ に整備したオンライン海底地震観測網」であり、センサーは相模トラフ沿いに 設置されている。

4.1 研究の背景
わが国では、地震予知の実現をめざして多方面からの研究が実施されている。 しかし、そのための観測は、そのほとんどが陸上におけるものであって、 海底における観測はまったくの手薄であった。

わが国に甚大な被害をもたらした大地震の震源地をみると、そのほとんどが 太平洋沿岸沖の海溝部に発生している。主な海溝型大地震を次の表92.2に 示した。

表92.2 海溝型大地震の表(丸善:理科年表による)
海溝型大地震 
1498年 明応地震津浪 M8.2~8.4 遠州灘南方(死者4万名以上)
1605年 慶長地震 M7.9 駿河湾南方(死者多数)
1605年 慶長地震 M7.9 紀伊水道南方(死者多数)
1703年 元禄地震 M7.9~8.2 房総野島崎南(死者2,300名以上)
1707年 宝永地震 M8.4 潮岬沖(死者2万名以上)
1854年 安政東海地震 M8.4 遠州灘南方(死者2千~3千名)
1854年 安政南海地震 M8.4 紀伊水道南方(死者数千名)
1896年 明治三陸地震津浪 M7.1 三陸沖(死者27,122名)
1923年 関東大地震 M7.9 相模湾(死者・不明142,000名)
1933年 三陸地震津浪 M8.1 三陸沖(死者・不明3,064名)
1944年 東南海地震 M7.9 熊野南東沖(死者・不明1,223名)
1946年 南海地震 M8.0 潮岬沖(死者1,330名)
1952年 十勝沖地震 M8.2 十勝沖(死者28名)
1968年 1968年十勝沖地震 M7.9(死者52名)

1923年(大正12年)9月1日に関東地方に大災害をもたらした「関東大震災」の 概要と地震後の横浜大火の図を示しておこう。防災の日(9月1日)は関東 大震災にちなんだものである。

表92.3 関東大震災の概要
関東大震災の概要 
1923年(大正12年)9月1日11時58分 M7.9
震源域は相模湾平塚の南東約30km、城ヶ島の西約10kmを中心とする範囲

災害:
各地で列車が横転、根府川では列車が40m下の海岸へ転落
各所で旋風が発生、各地(東京、横浜、小田原など)で火災が発生
死者・行方不明=14万2千余
家屋全半壊=25万余
家屋の焼失=44万余
関東沿岸に津浪、熱海での波高=12m

横浜火災図
図92.16 1923(大正12)年9月1日横浜火災図(横浜測候所調査)。 赤色で囲まれた範囲が焼失区域、図の左下に1kmの距離を示す。 (藤原咲平編、関東大震災調査報告(気象篇)、 中央気象台、1924(大正13)年8月20日発行、本文161ページと付図第1図~ 第19図の第15図より転載。ただし原図63cm×88cmに駅名など記入し一部を 加工した。)(「写真の記録」の「39.関東大震災と 横浜の気温」の章の2番目の図と同じである。)

(注)
横浜火災図に用いた地図は80年以上も昔のものであり、現在と異なるところも 多いが、JRの横浜駅、保土ヶ谷駅、桜木町駅、および山下橋は現在とほぼ 同じ位置にある。 この図は神奈川県測候所(のちに横浜測候所に改称、現在の横浜地方気象台 の前身)が大地震後に発生した火災の調査をもとに作成したものである。 大日本帝国陸地測量部による1万分1地図(1922年測量)に火元、矢印付き で火流線(30分ごとの位置を記載)、旋風の起点とその進路を赤色を用いて プロットしている。これは非常に貴重な資料である。そのコピー を図に示しておこう(画面上では縮小図としたので、細かな線など は不鮮明となっている)。

4.2 自己浮遊式海底地震計
大災害をもたらす海溝型大地震に対する予知研究を推進するためには、 地震の発生する海溝部周辺の海底において、直接的に地震や地盤の傾斜など を測定し、地殻活動を調査することが必要となった。

海溝型大地震に関する研究を行うために、防災科学技術研究所(つくば 市内に本所がある)では、1978~79年に「自己浮遊式海底地震計」の開発を 行った。次の図92.17は、その地震計の試験のために 海底に沈める直前の模様を撮影した写真である(Eguchi, et al., 1986)。

この地震計は、その後各方面で利用されるようになったが、当初の開発は 藤縄幸雄らによって行われたのである(藤縄、1980、を参照)。

自己浮遊式海底地震計
図92.17 自己浮遊式海底地震計(海底に沈めて試験する直前のお神酒)、 1984年の撮影
耐圧容器の中に地震計、記録計、時刻装置などがあり、1か月の観測後、 切り離し装置により耐圧容器がアンカーと分離し、浮上する。耐水圧=水深 最大6,000m、外径=750 mm、空中重量=325 kg、水中重量=49 kgである。

自己浮遊式地震計では、1か月の地震記録の解析に1年間を要した。そのとき、 オンラインで海底地震が観測できるならば、どんなにかいいだろうと切に 願っていたのであった。

4.3 地震観測施設の開設
その後、首都圏の地震対策の強化プロジェクトの一つとして、ケーブル式海底 地震計システムの予算(45億円)が採択され、1996年3月に「相模湾海底 地震観測施設」が設置され、平塚にその中継局が置かれた。

相模湾海底地震観測施設
図92.18 「相模湾海底地震観測施設」の平塚中継局の内部

首都圏での生活にとって大きな脅威となる「海溝型大地震」と「直下型 大地震」の地震発生のメカニズムを次の図92.19に示した。

地震発生のメカニズム
図92.19 「海溝型大地震」と「直下型大地震」の地震発生メカニズム (防災科学技術研究所のパンフレット「相模湾 海底地震観測施設」より転載)

首都圏およびその周辺に被害をもたらす「直下型大地震」や、関東大震災 のような海域を発生源とする「海溝型大地震」は、いずれも、相模トラフから 首都圏の下に潜り込んでいる「フィリッピン海プレート」が大きく関与して いる。そのため、これらの大地震の発生時期や場所、震度分布などを調べる ために欠かせないのが、相模湾海底地震観測施設である。

相模湾海底地震観測施設
図92.20 相模湾海底地震観測施設、四角印:地震観測点(ST1~6の6地点)、 丸印:地殻変動観測地点(VCM1~3の3地点) (防災科学技術研究所のパンフレット「相模湾 海底地震観測施設」より転載)

防災科学技術研究所は、首都および周辺域での地震観測網の高度化・高密度化 をはかる「広域深部観測施設の整備」を進めてきた。その一環として、 約20kmの間隔で合計6箇所に地震観測点を備えた全長約120kmにおよぶ 「相模湾海底地震観測施設」を相模トラフに設置し、陸上地震観測網と 連携した観測研究を行なっている(防災科学技術研究所パンフレット 「相模湾海底地震観測施設」より引用)。

地震観測センサー
図92.21 (左)地震観測装置(長さ約1.6m)、(右)地殻変動観測装置(長さ 約2.2m)(防災科学技術研究所のパンフレット 「相模湾海底地震観測施設」より転載)

写真(図92.21)に示す地震観測・地殻変動観測装置(センサー部)は、 あらかじめ海底のほぼ平らな場所を探しておいて、装置には台座を付け、 海底ケーブルと結んだ状態で埋設船によって海底まで沈めて設置された。

地震記録
図92.22 (左)海底地震観測施設で記録された波形のイメージ、 (右)陸上の地震観測施設で記録された波形のイメージ (防災科学技術研究所のパンフレット「相模湾 海底地震観測施設」より転載)

相模トラフで発生する微小地震は「海底地震観測施設」ではっきりとらえる ことができるが、陸上観測施設では容易ではない。

このような機能をもつ相模湾海底地震観測施設は、地元平塚の漁業協同 組合の理解と支援によって、実現したのであり、地震研究と将来の地震予知 に大きく貢献するものである。

4.4 リアルタイム地震情報
地震の直前予知を行うためには、本震の地震動が陸地に到達する前に検知して、 すばやく情報を流さなければならない。これは「リアルタイム地震情報」と よばれ、そのシステムが開発され、実用化されるようになった。

参考資料

江口孝雄、1997:海底地震観測網の構築ー首都圏南方の相模トラフ海域で 地震と津浪を観測するー.科学技術ジャーナル、9月号、24-25.

藤縄幸雄、1980:自己浮遊式海底地震計(CDPOBS 2Ⅱa)の開発.防災科学 技術、第38巻、12-18.

国立防災科学技術センター、1986:国立防災科学技術センター”波浪等観測塔” 20年の記録.防災科学技術研究資料、第110号、111pp, 科技庁防災科学技術センター

国立天文台(編)、2000:理科年表(丸善).1064pp.

Eguchi, T., Y.Fujinawa, Matsuzaki, and M. Aoyagi, 1986: New pop-up type Ocean Bottom Seismometer. Mar. Geophys. Res., 8, 187-199.

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