M54.気候変動と私たちの暮らしー歴史に学ぶ

著者:近藤純正
私たちの暮らしは気候変動に支配されている。19世紀の江戸時代までは、大凶作・飢饉によって 何十万人という餓死者が出ていた。こうした大災害は私たちの先祖の努力によって克服され、 今日の日本は先進国になった。 近年、地球温暖化が大きな問題となり、その実態を正しく知る必要がでてきた。しかし、気象観測所 の多くは周辺の都市化の影響や環境悪化で、その実態はつかみ難くなってきている。観測値に諸々の 補正を施して得た、日本の温暖化による気温は100年間当たり0.67℃の割合で上昇している。その変化 には約10年周期と数十年周期の変動が混ざっている。

●この章は、2010年10月19日に神奈川県西湘地域県政総合センター(小田原合同庁舎)において開催 された第34回「相模湾の環境保全と水産振興」シンポジウムの基調講演の内容を、1/3 ほどに短縮した ものである。この短縮版は、2011年に雑誌「水産海洋研究」第75巻に印刷される。 (完成:2010年11月18日)

本ホームページに掲載の内容は著作物であるので、 引用・利用に際しては”近藤純正ホームページ”からの引用であることを 明記のこと。


トップページへ 身近な気象の目次



     目次
      54.1 歴史資料から見た気候変動
      54.2 災害克服の歴史
      54.3 地球温暖化と観測所の周辺環境
      備考
            (1)地球温暖化の問題点
             (2)都市の熱汚染  
      参考文献


54.1 歴史資料から見た気候変動

江戸時代末期の天保年間、全国的なコメの凶作で餓死者が何万人と出ていた。それは、二宮尊徳が 活躍した時代である。この時代、毎日の天候を記録した天候日記が現在の宮城県に残されていた。

この日記から当時の夏の気温を推定すると平年よりも3℃近く低温であり,仮に同様の異常低温が 現在起こったとしてもやはり大凶作になる。この日記や他の記録(神奈川県下にも多くの記録あり) から混乱した社会状況がわかる。

さらに天候日記で注目すべきは、中米で起きた大規模噴火による 天空の異常も記録されており、これをヒントに調べると、世界の大規模噴火後には日本では高い確率 で異常冷夏が起きている。最近の例として、1993(平成5)年の大凶作では、コメを買う人々が スーパー店に行列をなした。

一方、気候変動と密接に関係する海洋変動や漁獲量の長期変動をみると、数十年サイクルの変動が あり、民謡・行事の発祥とも関連している。

図54.1 は小田原藩における年貢米の1755~1836年(天保7年)までの変化である。本領地 (相模、伊豆、駿河)の年貢米は1707年の富士山宝永の大噴火後、回復するまでに約90年間を要した。 その他に天明時代の大飢饉と天保時代の大飢饉による年貢米の低下が現れている。

小田原藩年貢米の変遷
図54.1 小田原藩の本領地(相模、伊豆、駿河)と関西領地(河内・美作、 または河内・摂津)における年貢米の変化(二宮尊徳全集、第14巻; 神奈川県史資料編5 近世(5)に基づく)。
(「身近な気象」の「3.気候変動と人々の 暮らしー歴史に学ぶー」の図3.1に同じ)

天保大飢饉は全国的なものであったが、とりわけ東北地方では未曾有の大冷夏による飢饉であった。 この時代に仙台藩涌谷城下で書かれた花井安列による「天候日記」がある。この日記を解読・分析し、 当時の天候を再現することができた。

大暑日と冷涼日
図54.2 天保7(1836)年の夏の天候。比較のために天保5年(豊作年)と天保10年も示した。
{近藤純正(1987)「身近な気象の科学」 (東京大学出版会)、図8.4 より転載;「身近な気象」の「3.気候変動と 人々の暮らしー歴史に学ぶー」の図3.3に同じ }

図54.2 は1836年(天保7年)と、豊作年の天保5年および平年作の天保10年を並べて稲作期3か月間の 天候の推移を表したものである。いずれも現代の新暦に換算して示してある。黒丸印は雨が降った日、 黒四角印は冷涼日、縞印は「大暑」「暑甚敷」など大変暑い表現の大暑日を表す。1836年(天保7年) 夏は大暑日が3日、冷涼日が33日間もある。大暑日数と冷涼日数の組み合わせ方法と、ひと夏の降雨 日数から求める方法によって、気温偏差を推定することができた(近藤、1987、8章;Kondo, 1988)。 1836年は気候平均気温より2.8℃も低い夏であった。

作況指数と気温偏差
図54.3 米作期の夏の気温偏差と米の作況指数との関係。これは宮城県 についての関係であるが、東北6県平均についてもほとんど同じ。 +印は天保年間、□印は1975年以後、○印はそれ以前。
{近藤純正(2000)「地表面に近い大気の科学」 (東京大学出版会)、図9.1 より転載;「身近な気象」の「3.気候変動と 人々の暮らしー歴史に学ぶー」の図3.4に同じ}

図54.3 は夏の気温偏差とコメの作況指数の関係である。丸印は現代の温度計による計器観測時代の 作況指数、プラス印は天保時代の7年間を示す。作況指数とは、各時代における平年作を100とした ときの収穫量を表す。

「天候日記」で特に注目すべきは、天保6年4月1日付に、「此節毎朝、日出赤く、毎朝のように 霜が降りる」とある。世界の火山噴火の資料によれば、その年の1月20日に中米ニカラグアの コセグイナ火山が大噴火している。その他、過去の大噴火と大飢饉を調べてみると、大噴火の直後 に大飢饉が90%以上の確率で発生している。 図53.4 は東北地方の飢饉・凶作の直前に起こった大規模火山噴火である。

大噴火地図

図53.4 東北地方の大飢饉・大凶作の直前に起こった火山の大噴火。
{近藤純正(2000)「地表面に近い大気の科学」 (東京大学出版会)、図9.2 より転載;「身近な気象」の「3.気候変動と 人々の暮らしー歴史に学ぶー」の図3.5に同じ}

例外として、昭和初期の大凶作頻発時代は、大規模火山噴火がないのに起こった。沿岸水温の 長期変化を調べてみると、三陸沿岸では終戦前は低温、終戦後には年平均水温が1.4℃もジャンプ して高温時代となった。1923~1945年の三陸沖海水温度の低温時代に、東北地方を中心とする冷夏 大凶作が頻発したのである。

図54.5 は親潮と黒潮の潮境の長期変動の模式図である。水温ジャンプは三陸沿岸で顕著で、北海道沖 や房総以南では水温の長期変動はほとんど見られない。

暖流と寒流の潮境
図54.5 水温ジャンプが起きる模式図。
{近藤(2009)アリーナ第7号の図15より転載; 「研究の指針」の「K45. 気温観測の補正と正しい地球温暖化量」 の図45.15に同じ}

海洋変動と漁獲量の変動は密接な関係にある。図54.6 は全国漁獲量の年々変動、上図はニシンを、 下図はサンマを表している。

ニシンとサンマの漁獲量
図54.6 日本全国におけるニシンとサンマの漁獲量の年々変動。
{近藤純正(1987)「身近な気象の科学」 (東京大学出版会)、図13.5 より転載;「身近な気象」の「3.気候変動と 人々の暮らしー歴史に学ぶー」の図3.9 に同じ}

世界の漁獲の豊凶の波
図54.7 マイワシとニシンの大漁期間(横線)。参考のために最上段には 東北地方における1670年以降の大冷害凶作頻発時代を示した。
{近藤純正(1987)「身近な気象の科学」 (東京大学出版会)、図13.5 より転載;「身近な気象」の「3.気候変動と 人々の暮らしー歴史に学ぶー」の図3.10 に同じ}

図54.7 は過去500年間にわたる世界のマイワシとニシンの大漁時代(黒線)の変遷である。参考のために 日本で起こった大凶作頻発時代も示してある。

54.2 災害克服の歴史

図54.8 は、米の凶作の気象原因比率の変遷である。江戸時代以前(1600年以前)には、大凶作・飢饉の ほとんどは少雨の干ばつが原因であった。これは今日の発展途上国と同じ状況である。天下統一され た平和な江戸時代、各藩は教育と治水・灌漑など国づくりに力を注ぎ、大規模な干ばつと洪水は300年 の歳月をかけて克服されてきた。神奈川県下では、酒匂川の改修や二ケ領用水(全長35km)など が知られており、日本各地に類似の事業があり、現在でも活用されている。

凶作原因の変遷
図54.8 1300年以後におこった凶作の気象原因比率の変遷。
{近藤純正(2000)「地表面に近い大気の科学」 (東京大学出版会)、図9.7 より転載;「身近な気象」の「3.気候変動と 人々の暮らしー歴史に学ぶー」の図3.11 に同じ}

私たちが歴史から学ぶことは、低温でも高温でも、平均気温の1℃程度の僅かな気候変化が人々の 暮らしに影響を及ぼしてきた、それを克服するのには長い年月を要したことである。今後予想される 地球温暖化による気候変化に人類が適応するには、同じように長い年月が必要となろう。

54.3 地球温暖化と観測所の周辺環境

多数の餓死者が出るような大きな自然災害が克服された今日、新たな地球温暖化問題が生じた。 ところが、温暖化の実態を観測すべき気象観測所は、周辺が都市化するなどにより、正しく観測 できなくなってきている。

観測環境に恵まれた数少ない重要な観測所の記録から明らかにした日本の正しい地球温暖化量は、 数十年ごとに気温ジャンプをともない、100年間につき約0.7℃の割合で上昇している。0.7℃は観測 の誤差にも匹敵する大きさで、観測は非常に難しく、観測方法の時代による変更の補正も必要で あった。今後、観測所の周辺環境の保全が重要となり、地域住民の理解と協力で観測所の周辺環境 を守らねばならない。

日本のバックグラウンド温暖化量
図45.9 日本におけるバックグラウンド温暖化量の長期変化。
{近藤(2009)アリーナ第7号;近藤(2010)伝熱第49巻;近藤(2011) 気象研究ノートより転載;「身近な気象」の 「M44.温暖化の監視が危うい」の図44.16に同じ; 「研究の指針」の「K45. 気温観測の補正と正しい地球温暖化量」 の図45.8に同じ}。

図54.9 は、諸々の誤差を補正して求めた、日本のバックグラウンド温暖化量(都市化の影響を含まない 値)の経年変化である。気温ジャンプの大きさは緯度に比例し、北海道で大きい。特に1988年の ジャンプは顕著で、北海道・東北地方では0.8~1.2℃もある。このことから、1988(昭和63年) 以降の気候は大きく変わったと言える。

図54.10 の下図は太陽の黒点数(ウォルフ黒点数)の経年変化、上図は気温の経年変化である。 黒点数と対比すると、黒点数が多いときに気温の上昇の傾向、つまり正の相関関係にある時代に 上向き矢印を付けた。逆に、逆相関の傾向にある時代にX印を付けた。北海道(6点平均)について、 黒点数と気温変動がよく対応する1910~1955年の45年間を選ぶと、相関係数は0.69と高い。黒点数の 極大から極小までの気温変動幅は約0.6℃(3年または5年移動平均値)である。

黒点数との関係
図54.10 太陽の相対黒点数の変動(下図)と気温変動(上図)。気温の縦軸 の基準は1915~1940年の平均をゼロとして表し、5年移動平均値、青印は 北海道6地点平均、赤印は西日本12地点平均、上向き矢印 は黒点周期と気温がよく対応する期間、×印は対応しないか逆相関の期間 を示す。
{近藤(2009)アリーナ第7号;近藤(2010)伝熱第49巻;近藤(2011) 気象研究ノートより転載;「身近な気象」の 「M42.正しく知ろう地球温暖化(講演)」の図42.15に同じ}

黒点数による太陽エネルギーの変化はごく微少であり、地球大気に直接熱的な影響を及ぼしている とは考え難い。太陽活動の変動が引き金となって(例えば太陽磁場変動と宇宙線の強弱など)、 諸々の過程を通じて複雑な大気循環場に影響を及ぼしているだろう。同じように、「北極振動」や 「北大西洋変動」と呼ばれる現象もこれと相互に関係していると思われる。

備考

(1)地球温暖化の問題点:
人為的な二酸化炭素が増加し、気候が100年程度の短期間に変わることが 温暖化問題である。今日の「地球温暖化問題」は数千年、数万年の長い時間をかけて起こる自然現象 ではないことに注意すべきである。

(2)都市の熱汚染:
都市では地球温暖化とまったく異なる原因(緑地の減少、人工排熱の増加、ビルの高層化など) によって、地球温暖化量を上回る大きさの気温上昇(熱汚染)が生じている(近藤、2011)。 都市では、地球温暖化対策とは別の「ヒートアイランド緩和策」が必要となってきている。
熱汚染(都市化による気温上昇)の詳しい解析結果は、「研究の指針」の 「K48.日本の都市における熱汚染量の経年変化」に 掲載されている。

参考文献

近藤純正、1987:身近な気象の科学.東京大学出版会、pp. 198.

Kondo, J., 1988: Volcanic eruptions, cool summers, and famines in the northeastern part of Japan. J. Climate. 1, 775-788.

近藤純正、2000:地表面に近い大気の科学.東京大学出版会、pp. 324.

近藤純正、2009:気温観測の補正と正しい地球温暖化量.アリーナ第7号(中部大学)、144-161.

近藤純正、2010:日本における温暖化と気温の正確な観測.伝熱、49巻、No.208、58-67.

近藤純正、2011:日本の都市における熱汚染量の経年変化.気象研究ノート、都市の気象と気候、 第2章(印刷中).



トップページへ 身近な気象の目次