トヴェリ通り


 ソ連時代にはゴーリキー通りと呼ばれていたモスクワの繁華街の一つ。赤の広場を出たところから始まり、このまま市街を抜けるとレニングラード街道となってサンクト・ペテルブルクに達する。左の写真は夜景のように見えるが大晦日の日の朝8時過ぎに撮影したもの。  (左:1997年12月,右:同年8月撮影)

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カリーニン通り


 モスクワのもう一つの有名な繁華街ノーヴィイ・アルバート通り(旧カリーニン通り)。屏風を立てたような形のビル群が特徴的。 (1985年12月撮影)

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アルバート通り


 モスクワで最初の「歩行者天国」になったアルバート通り。「歩行者天国」になってまもない頃の風景。 (1985年12月撮影)

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クトゥーゾフ大通り


 ノーヴィー・アルバート通り(かつてのカリーニン通り)をそのまま郊外方向へ進むと、モスクワ川を越えてからこのクトゥーゾフ大通りになる。右の写真は、その歩道のやや広い所にされていたマースレニッツァの飾り付け。  (2019年3月撮影)





寒暖計のネオンサイン


 ゴーリキー通り(現トヴェリ通り)からモスクワ芸術座の本館のほうへ向かう道に入るところに大きな寒暖計が取り付けられていた。夜になるとネオンサインで温度を知らせる仕組み。寒さの厳しいロシアでは温度計が時計と同じくらい大事な役目を持つ。この寒暖計、どういうわけか、今はない。 (1987年12月撮影)

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ツム


 「グム」と並んで有名なソ連時代からある百貨店。 (2018年8月撮影)

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ディェツキー・ミール


 これもソ連時代からある有名な百貨店。こども用品専門の店で、店名は「こどもの世界」という意味。ショーウィンドウのガラスにお店の外の様子が映っている。   (2018年8月撮影)

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ペレストロイカの風


 M・S・ゴルバチョフの提唱した「ペレストロイカ」は外国人旅行者の目にも見える様々な変化をソ連社会にもたらした。それまでにくらべれば言論は大幅に自由化され、街では自分達の主張を掲げた新聞売りが思い思いの場所で購読をよびかける光景も見られるようなり、そのような場所ではよく賛成・反対の両派が議論しあったりしていたものだった。 (いずれも1990年12月撮影)

 アメリカや西ヨーロッパの企業が大規模にソ連に進出しはじめたのもこの頃で、世界的なハンバーガー・チェーンのマニュアル化されたサービスもモスクワっ子の目には当時非常に新鮮に映ったらしい。

 アルバート通りの片隅にオープンしたやはり西側のアイスクリーム店。当時はここもやはり長い行列ができた。

 ソ連の交通機関は車体にも車内にも広告というものを載せていなかったが、この頃から市電やバスはしだいに宣伝カーの様相を呈してきた。これは私がモスクワで初めて見た日本企業の広告。それから数年を経た時には、日系の多国籍企業Fフィルムの広告なんかロシアのどんな片田舎へ行っても必ず見ることができるほどになっていた。