平成6年度指定

青木文書 80点

福岡市西区姪浜四丁目9番12号 青木眞夫

 中世時代、「生松原十二所権現」(現壱岐神社)の大宮司であった青木家に伝わる文書です。中世文書30点近世・近代文書50点の計80点です。
 中世文書は4巻に成巻され、南北朝時代の観応3年(1352)の寄進状から、戦国時代の大友義統の書状までからなっています。
 近世文書は黒田長政の「掟」をはじめとして、壱岐神社の祭事、修理関係史料が中心です。
 近代文書は壱岐神社周囲の官有林払い下げ関係史料を中心に、青木家が営んだ魚問屋「柴登屋」の営業関係史料からなります。

  本文書は、旧志摩郡青木(現福岡市西区今宿青木)を名字の地とした土豪であり、中世時代を通じて「生松原十二所権現」(現壱岐神社)の大宮司であった青木氏に伝えられたものです。
 中世文書は生松原、下山門、十六丁等を庄域とした山門庄に関する一連のまとまりのある史料です。当地域における戦国大名大内氏、大友氏の政治支配の変遷を明確に示すとともに、一方では農民の動向をも伝え、中でも「十六丁御百性同心申状案」は山門庄における「百性」の惣的結合を示す九州では稀な注目すべき史料です。
 明治時代、福岡県地誌編纂の任にあった末永茂世が臨書した『青木文書』は、散逸前の同文書の現状を伝える貴重な記録です。元寇関係史料として、また、壱岐神社成立に関わる史料として広く世に知られた「他寳坊願文」が嘗ては青木氏に伝えられた文書であることを示しています。
 以上のように、本文書は山門庄のまとまった中世庄園史料として、また、壱岐神社に関する中世から近代に及ぶ一連の神社史料として、当地域における政治、経済、宗教の歴史を伝えるものであり、本市にとって貴重な文化財です。