日本の旅・坂の町おおた
茨城県常陸太田市(その4)
 
=常陸太田ゆかりの人と一族=

佐竹氏                        
 佐竹氏は、常陸太田を中心拠点として、平安期から桃山期まで(徳川氏が治
めるようになるまで)この周辺を治めていた一族です。          
源義家の弟である新羅三郎義光を祖としており、初代は昌義。当初は現在の常
陸太田市域南東端にあった佐竹城を拠点としていましたが,3代隆義のときに
太田城(現在の常陸太田市街)に居城しました。南北朝時代には北朝・足利方
の中心として活躍。1335(建武2)年、9代貞義が常陸守護職に任命され、こ
の地域における有力者としての地位を不動のものとしました。       
 その後、一門の抗争で太田城を一時失うなど、ひと悶着こそありましたが、
16代義舜(よしきよ)が領国統一に乗り出し、20代義宣がついに統一、居城を
水戸へと移しました。                         
 佐竹氏は、1600(慶長5)年の関ヶ原の戦いには参戦しませんでしたが、江
戸期に入った1602(慶長7)年、徳川氏から国替えの命を受け、秋田へと移っ
ていきました。常陸における最後の藩主は、21代義たや(注)でした。   
 佐竹氏が去ったあとの常陸太田は、水戸徳川氏の奥座敷&常陸国北部の中心
商業都市へと変わっていきましたが、その名残は現在も市内の地名として生き
ており、「佐竹郵便局」「佐竹南台ニュータウン」、そして「佐竹高校」とい
う県立高校なども存在しています。また、それが縁で常陸太田市と秋田市は,
姉妹都市となっております。                      

 (注)「たや」の漢字は機種依存文字なので、ひらがなで表しました。  

※このコーナーは、今のところ暫定ヴァージョンとなっており、 順次拡張の
予定です(とか何とか言いながら放りっぱなし・・・)。       
 

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