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98.09.26

元就の「三本の矢」

 毛利元就が息子たちに与えた「三本の矢」の逸話は有名ですね。
 あるとき元就は、長男隆元・次男吉川元春・三男小早川隆景を呼び、矢を手に持ちながら「この矢は、1本だとすぐ折れてしまう」と言ってぼきっと折った。次に、3本の矢を束ねて持ち、「これだと、なかなか容易には折れぬ。兄弟もこれと同じじゃ。仲良くせいよ」と言ったという。
 これはフィクションらしいのですが、上前淳一郎「読むクスリ」(「週刊文春」1994.06.30)によれば、山口県防府市にある毛利博物館の臼杵華臣館長が「この逸話のもとになったと考えられる元就自筆の手紙」のことに言及しています。この自筆書状の中で、元就は「養子に行った元春と隆景に長い手紙を書き、長男隆元に協力して毛利の家名を失わないよう、繰り返し戒めている」ということです。
 しかし、この話の原型は、もっとずっと古いのです。何しろ、「イソップ物語」に出ています。うそだと思ったら、岩波文庫『イソップ寓話集』p.79をご覧あれ。「〈兄弟喧嘩をする〉百姓の息子たち」という題で載っています。
 この「イソップ物語」は、安土桃山時代の1593年に、ローマ字で書かれたものが日本でも刊行されています。これを「天草本 伊曽保物語」と言います。この中から、上に相当する「百姓とこどもの事」を現代語に訳して紹介しましょう。

 ある百姓は子どもを大勢持ったが、その子どもの仲が不和で、ややもすれば喧嘩口論をしていがみあった。父親はどうにかして彼らを仲直りさせたいといろいろ試みたが、名案もなかった。
 ある時、子どもたちが集まったところで、父は下人を呼んで「木の若枝をたくさん束ねて持って来い」と言った。その束を取って、何本も一緒にして、縄を思い切り堅く巻きつけて子どもたちに渡し、「これを折れ」と言う。彼らはそれぞれ懸命に折ろうとしたが、びくともしなかった。
 そこで、父は若枝の束を受け取ってほどき、一本ずつめいめいに渡したところ、簡単に折った。それを見て父は「お前たちもそのように、一人ずつの力は弱くとも、たがいに仲良くし、心を合わせたならば、どんな敵にも簡単にはやられまいぞ」と言った。
 教訓。協力すれば人の仲も強く、また不和なときは国家も滅びやすいということだ。

 「天草本 伊曽保物語」は、元就の死後20年たったころに刊行されたわけですが、江戸初期には仮名草子として国字本「伊曽保物語」が刊行されたほどですから(ただしこれには三本の矢の話はない)、元話は人々にもある程度知られていたのでしょう。これが毛利元就のキャラクターと結びついたのがいつのころかは知りません。
 「天草本 伊曽保物語」は、今回だけで済ますのはもったいないほどいろいろ面白いエピソードやことばが含まれています。たとえば、いつぞやの「さ入れことば」も見られます。しかし、マンネリになってもいけないので、そうそう登場させられないのが辛いところです。

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