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98.07.25

鎌倉時代の「さ入れことば」

 「ら抜きことば」はよく聞きますが、「さ入れことば」というのもあります。
 「大事に使わせていただきます」と言えばいいところを、「使わせていただきます」というように、五段動詞の後に本来の「せる」でなく「させる」が続く現象です。へりくだった気持ちを強調するとき、つい「さ」が入ってしまうようです。
 国会中継なんかを聞いていると、質問の議員が「やらせていただきます」なんて言ってたりします。
 それがいいとか悪いとか、そういう話はしません。ただ、鎌倉時代後期(1306年以降)成立の女流文学「とはずがたり」を読んでいたら、その「さ入れ」が出てきたので、書き留めておこうと思ったわけ。「とはずがたり」は、二条という女性が自分の数奇な運命を綴った文章です。古文で申し訳ないけれど、引用します。

承仕がここもとにて、「御所よりにて候ふ。『御扇や御堂におちて侍ると御らんじてまゐらさせ給へと申せ』と候ふ」といふ。(玉井幸助校訂『とはずがたり』巻三・岩波文庫 p.149。ルビ略)

 だいたいで訳しますと……。使いの者が、作者のいる御堂へ来て言った。「御所からの使いで来ました。御所が言われるには、『扇がそちらの御堂に落ちていないかどうか探して、こちらにお持ちくださいと伝えなさい』とのことです」、そう使いは伝言した。
 「持参する」が、古文では「まゐる」。それに使役の助動詞と尊敬の補助動詞を付けると、「まゐら給ふ」になります。ところが、本文を見ると「まゐらさせ給へ」とあって、「さ」が1個多い。だから「さ入れことば」なのです。
 「さ入れことば」は、鎌倉時代にもあった! そういえば、江戸時代の「東海道中膝栗毛」でも見たことがある。「やらせていただきます」なんて言ってる国会議員も、反省しなくていいのかも。
 もっとも、「とはずがたり」という作品は、写本が1冊しか残っておらず、写し間違いがあるかもしれません。ただ、同じような例はほかにもあって(「みなさきだちまゐらさせおはしまして」巻五 p.255)単なる写し違いとは思えません。
 この作者は「せ」「させ」といったことばの使い方がちょっと変わっているのは確かなようです。たとえば次の個所。

〔御所が〕近習の男たちを召しあつめて、女房たちをうたせさせおはしましたるを、ねたき事なりとて、(巻二 p.84)

 「御所が男たちを集めて、(その男たちに)女房たちの体を杖でお打たせになった事が、私は腹立たしいといって」という意味です。
 原文では「打た+せ+させ」というふうに、「せ」「させ」が2つ続いている。「せ」が使役の意味を表し、「させ」が尊敬の意味を表して役割分担しているのかもしれませんが、こういうことはうんと昔にはなかった言い方だと思います。たとえば「源氏物語」では、こういう場合は一つで済ましています。


追記 上記で「膝栗毛」の例といのうは、初編(1802年)に見える次の例のことです。

北「まちなよ。意趣{いしゆ}げへしをやらかさそふ。おれがのもちつくりながい。マアかいつまんだ所がこふだ。(岩波文庫 p.98)

 「やらかそふ」(やらかそう)でかまわないのですが、「さ」が入っています。
 「さ入れことば」は鎌倉時代から連綿と続いていたかどうかは分かりませんが、戦後の例だけをみてもかなりさかのぼれそうです。
 放送では、1963年の例として

またあらためてうかがわさしていただきますから。(NHKドラマ「海の畑」1963.01.19放送、NHK「NHKアーカイブス」2001.04.29で再放送)

というのがありました。「うかがわせて(うかがわして)いただきますから」で十分なところです。また、1980年の例として

あのう、本当に今日は楽しい番組で、私も気持ちよくやらさせていただきまして、たいへん乗っておりました。(美空ひばり・NHK「ばらえていテレビファソラシド」1980.07.17放送、NHK BS-2「あの楽しかった名番組をもう一度」2003.03.02で再放送)

というセリフもありました。「気持ちよくやらせていただきまして」で十分なところです。(2003.03.11)

●この文章は、大幅に加筆訂正して拙著『遊ぶ日本語 不思議な日本語』(岩波アクティブ新書 2003.06)に収録しました。そちらもどうぞご覧ください。

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