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98.07.26

蹴りいの、たたきいの

 前回のように古典を扱うと、どうも力が入ってしまいます。今回はもっと軽い題材を。
 NHK大河ドラマ「徳川慶喜」の再放送(98.07.25 13:05)を見るともなく見ていたら、江戸町火消しの頭領・新門辰五郎(堺正章)が女房(大原麗子)にこういうせりふを言っていました(〔 〕内は要約)。

〔あの二人は街を〕見物しい、〔金を〕借りい〔で、無事帰って来るから心配するなよ〕

 慌てて書き留めたんですが、どうも〔 〕内が不正確です。ビデオ録画している人がいられましたらどうかご教示願えませんでしょうか(末尾の追記参照)。
 この「の」は、最近テレビのトーク番組などで、たまに耳にします。じつは古くからあるのかもしれないけれど、僕は知らない。まして徳川慶喜のころからあったかどうかは見当が付きません。とにかく、「Aをしたり、Bをしたり」というときに、「Aをしいの、Bをしいの」と言うのですね。たとえば今作った例ですが

痴漢に遭ったので、思わず犯人の足を蹴りい、バッグで顔をたたきいで、退治してやった。

のように言う(と思う)。文法用語を用いれば、動詞連用形を長呼した形に、並立助詞「の」がついた、ということになりそうだ。
 この用法、手元の国語辞典には載っていません。もちろん、「生きる死ぬと大騒ぎである」(『集英社国語辞典』)というような例はあります。ただ、これは「Aだ、いや、Bだ(と大騒ぎ)」という意味であって、動詞連用形でなく連体形に「の」がついた伝統的な用法です。
 さて、「Aしいの、Bしいの」が新しい用法だとして、疑問は2つあります。ひとつは、この言い方の存在意義は何か、ということ。あらゆる文法形式は、望まれて生まれてくるものだ。「Aしたり、Bしたり」というだけではうまく言い表せないニュアンスを出すため、こういう新しい言い方がでてきたと考えたい。とすれば、それはどういうニュアンスなのか?
 もうひとつは、「〜の」の形が使える動詞はどれだけあるか、どの動詞でも使えるのか、ということ。「パンを食べえの」とか、「ごみを捨てえの」などという言い方はできるのかな。


追記 辰五郎のせりふについて、きっかわさん、石井多麻男さんより正確なところをご教示いただきました。うーん、素晴らしい。ご教示によれば、僕の聞いた「借りいの」は間違いで、「買いぃの」だったようです。

 れん 生き別れになるかもしれないんだよ。よしもおまえさんについていくっていうし、二人とも死んじまったらあっちひとりでどうするんだよ。
 辰五郎 行くめえから殺すつもりか。
 れん 京は都の地獄の釜のふたが開いたっていうじゃないか。
 辰五郎 だったら俺が行ってその蓋閉めてくる。
 れん ふん……。
 辰五郎 とにかく慶喜さんをお守りしてだ、ついでに清水の舞台で物を見物しぃの、おめぇにも土産を買いぃのって順番でつうぅっとけぇってくるよ。心配するこたぁねぇや。

 また言魔上人さんからは、

若い連中の会話の流れをみていると、「Aしいの、Bしいの」の時、AのちBであること、そして、一連の動作である事が多いのではないかと漠然と感じております。

とのご指摘をいただきました。辰五郎の「……って順番で」というせりふを見ると、たしかに「AのちB」であるようですね。(1998.07.27)

関連文章=「おどろおどろ(後半)」「再々「蹴りいの、たたきいの」

●この文章は、大幅に加筆訂正して拙著『遊ぶ日本語 不思議な日本語』(岩波アクティブ新書 2003.06)に収録しました。そちらもどうぞご覧ください。

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