これまでの話題(99年11月後半)

[Index] [11月前半10月後半10月前半]




1999年11月30日(火)

「ソフトパワーの重要性」

90年代前半に、私はあるアイビーリーグのビジネス・スクールのエグゼクティブ・プログラムに参加しました。その際はまだ80年代からの日本的経営に対する関心が高く、戦略的意図や中核能力など日本企業のケースを題材にして、まさに日本企業から学べ、でした。

しかしながら、参加者の中で日本人は私は一人で、日本企業の戦略不在の実態を説明して“それはイリュージョンだ”といっても、ただ居心地が悪い思いをするだけでした。彼らにとっては、日本企業の実際はどうあれ、自分たちのコンセプチュアルな成功シナリオに仕上げているのですから。とにかく、米国のこうした概念化するパワーとそれを学ぶ集中力に不気味さを感じたものでした。

ところで、現在ハーバードのケネディ・スクール(政治大学院)の学長を務め、かって国防次官補であったジョセフ・ナイ(Joseph Nye)は、"米国の真の強さはソフトパワーによる"と述べています。

ナイによると、ソフトパワーとは他国が何を望むかを見極める能力、あるいは政治的なアジェンダを設定する能力をいうようです。経済力や軍事力を自由に操る能力、ハードパワーとは対極の能力なのです。換言すると、ソフトパワーは、世界環境を踏まえて各国(マーケット)のニーズを睨みながら、グランドストラテジーを構築し、優先順位を設定する能力といえそうです。

ビジネスの世界でソフトパワーとは、まさに長期ビジョンに基づく戦略や企業コンセプトの構築力にあると思います。一方、ハードパワーとは、経営資源を活用する実務的な能力といえます。このように定義した場合、明らかに日本企業のソフトパワーは米国企業に比べて劣っているのではないでしょうか。

21世紀には、ますます世界市場でグローバル企業とローカル企業との競合が激化することが予想されます。その結果、富めるグローバル企業とニッチと地域ニーズで生き残る超ドメスティック企業に2極化することでしょう。ハードパワーが同一であるとすれば、どちらのグループにせよ的確な戦略とコンセプトに基づく展開を行う企業が優勢に立つことは明らかだと思います。

こう考えると、日本企業は冒頭に述べた“概念化”能力、つまりソフトパワーを高めることが急務ではないでしょうか。その第一歩は、経営トップや幹部が、戦略や企業コンセプトの重要性を再認識することにあると思います。口では“戦略”とはいっても、実際には中身がお粗末なケースが大半ですからね。


1999年11月29日(月)

「野球と市場のルール」

日本は米国とともに野球の人気が根付いている国です。日米で試合を行う場合、同じルールで戦わなければ試合になりません。しかし、ルールは同一でも、日米でストライク・ゾーンの違いなど若干の差はあるようです。だが、それは審判の判断のくせの問題と理解すれば、参加チームがおのずとそれ沿って試合を進めることになるでしょう。

今、グローバル・スタンダードは米国の流儀・ルールなので、日本には独自のやり方があるはずだ、という議論を見かけることがあります。政財界の大物がそのような発言をしています。こうした発言は、試合(市場)のルールとチーム・マネジメントとを混同していることが多いのではないかと思います。

グローバル・スタンダードにも、品質規格や国際会計基準からコーポレート・ガバナンスなどの経営に関わる問題まで幅があります。前者はグローバル市場で競争する以上、共通のルール化は避けられないと思います。ここでルールをどの国がつくったかはあまり問題ではありません。

後者については、当然各国の歴史を無視できません。日本の場合は、いわゆる日本的経営を土台にして、いかに世界で戦えるかという視点で変革することになります。この意味で、日本独自のやり方があると思います。

しかしながら、野球の例をみても分かるように、それぞれの国で共通のルールで戦っている間にチーム・マネジメントも効果的なやり方を他国から学ぶようになります。

ご承知のように、70年代までの日本の野球のやり方やマネジメントは、最近のそれとは大違いです。FAや投手リレーなど米国のやり方を取り入れているのです。そりゃそうですよね。日本はかっての金田、稲尾のように完投方式でいって、米国が先発、中継ぎ、押さえとリレー方式でくれば、勝負はみえてますからね。

かって米国企業は、カンバン方式やQCによるカイゼンなど日本的企業のよいところを学びました。90年代に入って米国経済のスランプを脱したのも、規制緩和などの政府の施策もさることながら、こうした学ぶ姿勢が功を奏したものと思います

好むと好まざるとに関わらず、市場にはルールがあるわけで、その中での戦い振りを審判するのは消費者です。そして、今後外国人の持ち株比率が向上するに従い、株主も審判団に加わります。審判は絶対で、逆らっては試合になりませんよ。ここは米国企業の審判への対処法、市場での戦い方、マネジメントを真剣に学ぶべきです。

内需型企業だから関係ないとお考えの向きは、流通外資の上陸によって壊滅的な打撃を受けた業界を思い出してください。外資が虎視眈々と日本市場を狙っていますから、いわゆる超ドメ企業でも準備は必要ですよ。


1999年11月27日(土)〜28日(日)

「コンサルのノウハウをビジネスに活かす法」

最近コンサルタントが書いたノウハウ本が目に付きます。日頃のコンサルティング実務に基づく力作が多いものの、企業の方々が実際に活用するには、使いにくい面があるように思います。そこで、今回は、私が考えるコンサルティング・ノウハウのエッセンスについて述べましょう。

コンサルティングの流れは、一般に次のステップで進みます。つまり、事実の把握、問題点の抽出、(解決策の)仮説の設定、仮説の検証、解決策の提案、解決策の推進コンサルティング、この6つのステップです。この中で、仮説設定までが勝負どころで、このステップまでが見えてくればプロジェクトは半ば成功したといえます。

ところで、私は事実の把握から問題点の抽出、仮説設定に至る一連のプロセスにおいて、次の3つの切り口から答えを導くことが多い。

1.80/20のルール
2.閾値(いきち)のルール
3.キーファクターのルール

先ず、80/20のルールとは、売上や利益の80%は20%の顧客あるいはセグメントによってもたらされる、20%の製品によって利益の80%を生む、などの経験則をいう。具体的には、ABC分析などを使ってグラフ化しますが、このルールによって問題点の所在が明らかになります。

次に、閾値のルールは、ある一定の投入量を超えなければ成果がでないことを意味します。よく日本政府や日本企業の施策は欧米から、"小出しで、後手に回っている"と批判されます。投資額にしてもマンパワー投入量にしても、"小出し"では期待される効果が少ないからです。このような観点から、これまでの諸施策を閾値という切り口から見直すことで、問題点が明らかになるケースは多いと思います。また、今後の施策効果を考える際のポイントになります。

最後のキーファクターには、KFS、キードライバー、ドライビング・フォースなど様々な言い方があります。要は、問題の根本的な原因やある施策に対する最も効果的な手段などを意味します。無論どのようにしてキーファクターを発見するかが重要ですが、そのポイントは問題点の体系化と原因結果を示す関連図作りにあります。

コンサルタントのノウハウとして、緻密な分析ツールや思考方法は数多く存在します。だが、重要なのは枝葉末節にとらわれず、ツールよりも考え方を身に付けることだと思います。

日頃上記の3つを切り口として、問題発見と問題解決に取り組めば、皆さんも近い将来戦略家あるいは戦略マネジャーへと変身できますよ。

(注)「今日の話題」は、asktakaが会社のHPに書いた99年5月の「今月の提言」をベースにしています。


1999年11月26日(金)

「ドラッカー先生90歳の元気さ」

ピーター・ドラッカー氏が11月19日に90歳の誕生日を迎えたという。それでもなお、精力的に経済紙誌に執筆し、更に多くの著作テーマを追いかけています。そのパワーや恐るべしとは思いませんか?

私が最初に読んだドラッカー氏の本は、確か「断絶の時代」でまだ学生の頃だったと思います。その後、あまり同氏の書物に接することはなかったのですが、コンサルティングの世界に入って日本のビジネス界でのドラッカー人気を痛感し読み始めたのです。

新しいマネジメント理論やツールに関する書籍が数多く出版されますが、「現代の経営」(The Practice of Management)の中で述べている次の言葉はいつ読んでも新鮮に感じます。つまり、“事業の目的は顧客の創造にあり、そのための企業家機能はマーケティングとイノベーションである”、というドラッカーの言は、時代を超えてマネジメントの基本だと思うのです。

それから、ドラッカー氏によると、一流のリーダーは下記の5点を自問自答し実践していたとのことです。つまり、

1.「何をしなければならないか」
2.「自分に何ができるか、何を行うべきか」
3.「組織の使命と目的、成果は何か」
4.「部下の多様性、強みをどう活用するか」
5.「正しいことよりも、人気取りに走っていないか」

この5点です。

上記を私なりに言いかえると、一流のリーダーは次の4点を実践していると いえます。

1.ビジョンの提示
2.優先順位付け
3.組織の理念、規範の確立と浸透
4.実践のための組織づくり

最近、企業間成長格差や業績格差が顕著になりつつありますが、私はその 背景には経営トップのリーダーシップの差があると思います。つまり、 上記の1〜3に基づく戦略の有無が業績の差になって現れているとみています。

では、リーダーシップのないトップの下にいる人達は、将来を悲観 すべきなのか。幸いドラッカー氏の次の言葉を聞くと安心します。 "「生まれつきのリーダー」は存在せず、リーダーシップとは後天的 に学び取るものである。また、リーダーとしての「個性」「スタイル」 「気質」などは存在せず、唯一の共通点はカリスマ的でないことだ。"

このように、まだまだドラッカー先生に学ぶところは多く、今世紀最良のマネジメント・グゥルであることは確かです。皆さんもこれを機会にドラッカー著作を読みかえしてみませんか?


(注)今日のドラッカー氏の言葉は、私が過去の「今月の提言」(98年8月、99年8月)で述べた内容に加筆訂正したものです。


1999年11月25日(木)

「“新千年紀祭”の目的と効果」

このほど政府がまとめた経済対策の中に“新千年紀祭”というイベントがある。2000年末から、世界に向けてインターネットを使ったイベントを行い情報を発信するようです。

この狙いの一つは、インターネット普及の起爆剤にすることにあるようですが、何かピンと来ないものがあります。どうも発想が一般受けを狙った皮相的な感じがする点に原因がありそうです。発案者は70年の大阪万博を企画した堺屋太一経企庁長官のようなんですがねぇ。

私は何もこうした“バーチャル・エキスポ”といった新しい試みに反対してるのではありません。経済対策として考えるのであれば、もっと効果を考えてやるべきだといっているのです。

つまり、単純にこのイベントの目的を、景気を一層浮揚させるための公共投資とインターネット普及との二つに分けることにしましょう。そうすると、前者はいくら予算をつけるかによって効果は異なります。後者はインターネット普及のネックを除去することが急務です。

景気浮揚策としてやるのであれば、バーチャルな、仮想空間を中心にイベントを行うよりも、ちゃんとお金を使って、例えば臨海副都心の遊休スペースを1年間借り切ってイベントをやるとか。その方が着実な効果が見込めると思いませんか(そうすれば青島前都知事の失政も帳消しにされるかもしれません)?

一方、インターネット普及のネックはもはやパソコンの普及率ではありません。経企庁の調べでは99年3月末時点でパソコンの世帯普及率は29.5%を示し、前年にくらべ4.3ポイント上昇しています。最近の個人向けパソコン販売の好調さをみると、恐らく普及率は来年の3月には四捨五入すれば40%になることでしょう。ことパソコンに関してはこの2、3年で米国並みの普及率になるものと思われます。

だが、米国や他の国と比べて、日本の電話料金が高い点は周知の事実です。これがインターネット普及のネックになっている点もよく指摘されています。であれば、真にインターネットの普及を考えれば、その利用を妨げている電話の従量制料金体系に早急にメスをいれるべきです。ちょっとネットサーフィンすれば月に2、3万円もかかるようでは、家計の負担が大きすぎると思いませんか?アメリカ並みとはいいませんが、せめて固定料金で5000円以下にならないものでしょうか(かっての負の遺産への対処と一般加入電話の一層の合理化を図れば可能なはずです)。

“新千年紀祭”を単なるお祭り騒ぎととらえれば、何も目くじらをたてることはありません。しかし、経済対策という以上は、ちゃんと目的と効果を考えてやってほしいと思うのです。もう失政とバラマキ行政はごめんです。


(余談)また、余談になりましたが、今回のイベントは国民からアイデアを募集するそうです。若い方々の優れたアイデアにより、予想以上の効果があげることを期待したいものです。


1999年11月24日(水)

「Eコマースは企業間取引が主流?」

先般米国のInter@ctive Week紙(11月15日付)に“インターネット企業トップ500”が発表されました。

同紙によると、98年第3四半期から99年年第2四半期のオンライン取引、つまり電子商取引のトップ500の総売上は740億ドルになります。ところが上位10社で574億ドルに達し全体の8割弱を占め、上位30社では約671億ドル、全体の9割を占めることになります。

上位企業の顔ぶれをみると、トップはインテルで全売上の4割弱を占める105億ドル、日本円で1兆円を超える取引を行っています。2位はシスコで総売上の8割弱を占める95億ドル、3位はIBMで88億ドルですが、まだ総売上の1割弱しか占めていません。

イメージを明確にするために、トップ30をリストアップすると次の通りです。

1位 Intel:105億ドル/270億ドル(インターネット売上:全売上、以下同じ)
2位 Cisco:95億ドル/121.5億ドル
3位 IBM:88.4億ドル/874億ドル
4位 Dell Computer:61億ドル/216.7億ドル
5位 FedEx:56億ドル/168億ドル
6位 United Parcel Service:53.5億ドル/257.1億ドル
7位 (*)America Online:44.5億ドル/47.8億ドル
8位 Ingram Micro:30億ドル/254.6億ドル
9位 Nortel Networks:24億ドル/240億ドル
10位 Tech Data:17億ドル/150.3億ドル
11位 Arrow Electronics:11億ドル/83億ドル
12位(*) Amazon.com:10.1億ドル/10.1億ドル
13位 Micron Electronics:10億ドル/17.5億ドル
14位 Compaq Computer:9.1億ドル/385億ドル
15位 Charles Schwab & Co.:8.5億ドル/34.3億ドル
16位 TD Waterhouse:5.5億ドル/N/A
17位 (*)Travelocity.com:4.7億ドル/4.7億ドル
18位(*) E*Trade Securities:4.4億ドル/4.4億ドル
19位 Gateway:3.4億ドル/81.4億ドル
20位(*) Buy.com:3.3億ドル/3.3億ドル
21位(*)Yahoo!:3.3億ドル/3.3億ドル
22位(*)1-800-Flowers.com:3.0億ドル/3.0億ドル
23位 Cabletron Systems:2.8億ドル/14.0億ドル
24位(*)Fidelity Investments:2.7億ドル/N/A
25位(*)Pegasus Systems:2.7億ドル/N/A
26位 Micro Warehouse:2.6億ドル/23.3億ドル
27位(*) Onsale:2.5億ドル/2.5億ドル
28位(*) EarthLink Network:2.4億ドル/2.5億ドル
29位 Delta Air Lines:2.3億ドル/147億ドル
30位(*)MindSpring Enterprises:2.2億ドル/2.2億ドル

(*)はオンライン取引主体あるいはインターネット企業

ここで注目されるのは、上位は従来型ビジネスシステムを持つ企業や企業間取引(B to B or B2B)で占めている点です。インターネット企業の代表格であるAmazon.comは12位にランクされていますが、他は20位台が多く個人顧客向け取引(B to C or B2C)の市場におけるウエートは低いのです。ちなみに、インターネット・オークションのeBayは49位で売上は1.2億ドルでした。

ところで、フォレスター・リサーチ社の調査結果によると、企業間の電子商取引の市場規模は2003年までに1兆ドルを超える(日本円で約140兆円)と予測しています。この数字は個人向け市場規模予測の約12倍に相当するとのことです。

こうした現状と予測の必然の結果として、今、米国では企業間電子商取引が脚光を浴びています。例えば、バーティカルネット社(VerticalNet)は、40業種以上の特定業界に的を絞って、オークションや電子商取引を行うサイトを運営しています。現在米国では、B2B市場へ参入する企業が激増しており、現在の300社から近く1000社を超えるといわれています。

今後、日本でもこうした動きが活発化すると思います。だが、日本企業はまだインターネットによる調達や販売のウエートが低いのが現状です。でも、B2B、企業間電子商取引の波が日本を襲うのもそう遠い話ではないですよ。備えは万全ですか?


1999年11月23日(火)

「論語とソロバン」

今日は「勤労感謝の日」です。この日は勤労することを尊ぶ日だそうで、働く人々に感謝する日ではないらしい。つまり、仕事が出来ることに感謝する日のようです。そこで、今日は日本に資本主義を導入して、働く場をつくる礎を築いた渋沢栄一の話をしましょう。

渋沢栄一は徳川慶喜のブレーンとして知られています。渋沢は幕末に慶喜の弟昭武のお供をしてパリの万国博覧会に出席しました。その後、昭武が留学のためパリに残り、渋沢も一緒に滞在したことが、資本主義導入のきっかけとなったのです。

パリ滞在中に渋沢は、フランスの有力な経営者から合本主義(資本主義のもとになった考え)とナショナルバンク(当時の日本では両替商に近い) の仕組みを教わりました。

徳川幕府崩壊後に帰国後した渋沢は、静岡に隠居していた慶喜や旧幕臣が生活に困窮しているのを知り、合本主義とナショナルバンクの考え方に基づく静岡商法会所をつくったのです。そして、これを利用して職のない元武士に茶の栽培の仕事を与えたのです。

後年、渋沢は本格的に合本主義によるナショナルバンク、第一国立銀行を創設して頭取になりました。その時、渋沢は行員たちに、“銀行はソロバン勘定によって成立する。しかし人の道に反するようなことをしたら信用は失われる。そこで銀行員はすべからく論語を読みなさい。そして論語とソロバンの一致を心がけたまえ”、といったという。この“論語とソロバンの一致”は、その後の明治の財界人の精神的支柱となったのです。

ところで、現代に戻ってバブル期の銀行の行動をみると、あきれてものがいえない。バブルもその崩壊も政策が荷担した側面は否定しません。だが、実際に担保主義による地価の高騰を招いた元凶は、銀行と不動産鑑定士(と不動産会社)との出来レースにあることは案外知られていない。

つまり、真相はこうです。例えば、実際に鑑定すると1億円の土地があるとしましょう。ところが、銀行は1億5千万円貸したい。そこで、銀行は不動産鑑定士に実際の鑑定価格に上乗せして鑑定するように依頼する。その結果、銀行は予定通りの金額で融資できる。当時日本では周辺相場を見て地価を鑑定していたので、一旦相場が上がるとこのような鑑定の繰り返しで地価が暴騰し、銀行も融資額が増える。こうして銀行と不動産会社がわが世の春を謳歌したのです。

このような銀行に税金をつぎ込むことに、理屈はどうあろうと心情的に納得できない、と感じているのは私だけではないでしょう。せめて今後は、“論語とソロバン”の精神に戻って、バブルの贖罪をしてほしいと思うのです。

銀行がなりふりかまわず合従連衡や貸し渋りによって生き残りを図るだけでなく、真のサービス業として“人の道”を取り戻すまでは、決してバブルの精算は終わらない。


1999年11月22日(月)

「労働生産性とビジネスチャンス」

経企庁は先週の18日に99年版物価レポートを発表しました。そこで分析されている労働生産性と物価上昇率との関係が面白いですね。

レポートによると、55年と97年の比較では、労働生産性が10.4倍になった製造業の価格上昇率は3.85倍で最も低く、生産性が2.2倍に過ぎないサービス業については個人向けサービス価格は14.51倍になっています。この他、農林水産業の労働生産性は3.9倍で価格は6.73倍と価格上昇率が高く、運輸・通産業は5.8倍対5.91倍でほぼ同じ倍率でした。

このような結果から経企庁は、製品価格とサービス価格の上昇率の差は、労働生産性の差であると結論付けています。悪く言えば個人向けサービス業は、生産性の悪さを価格に転嫁することによって生き延びてきたわけです。

ところで、労働生産性とは従業員1人当たり付加価値額を意味します。これは、設備資産額当たり付加価値額(設備投資効率)と従業員1人当たりの設備資産額(労働装備率)との積で表すことができます。つまり、適切な投資が行われ、かつ投資効率がよければ労働生産性は上昇するのです。

つまり、労働生産性の伸びが低い個人向けサービスは、情報化投資などを行い投資効率を上げていけば生産性が上がることになります。労働生産性を向上した企業は、価格競争力をもつことになり勝ち組になる可能性が高まります。

今後のビジネスチャンスは、何もインターネットやEコマース関連産業のみにあるわけでないのです。生産性の悪い業界にもビジネスチャンスはあるのです。

例えば、個人向けサービス業の中でも価格上昇率の高い理髪料を例にとってみるとよく分かります。サービス業の特性として、無形性(サービスが終わるまで内容、仕上がり具合が分からない)、サービスの標準化の困難さそして顧客との協働性の3つがあげられます。この特性が生産性を阻害し高価格の源といってもよいでしょう。

そこで、サービスを標準化しやすいように徹底して分業したり、顧客との協働を省くためサービス対象を絞り、そのための設備を整備し、かつブランド認知度を高めるための投資をするのです。もちろん、この結果従来の価格を大幅に引き下げることが可能となります。

生産性の低いサービス業においても、このようにビジネス・システムを再構築することによって、勝ち組になるチャンスは十分あるのです。ここは一つ視点を変えて、生産性の悪い業種にスポットライトを当ててビジネスチャンスを探ってはいかがでしょうか?


(余談)なお、労働生産性の国際比較をおこなうと、日本では農林水産業、商業、 建設業、運輸・通信業などで比較劣位になっています。このへんの業種の一部は、海外企業(及び政府)からもターゲットにされています。従って、そのような分野はますますグローバル企業との競争が避けられないでしょう。最近の流通外資の進出をみると、この点は皆さんも直感的に理解できると思います。海外企業と競争する自信のある向きは、この分野も狙い目ですよ!


1999年11月20日(土)〜21日(日)

「カオスのマネジメント」

「カオスの時代のマネジメント」という本を読みましたが、四半世紀前に戻ったような気がしました。複雑系の理論を含めてかってのカタストロフィー理論が下敷きになっているように思われるからです。(注)

ちょうど四半世紀前にカタストロフィーの理論が流行った頃は、石油ショックの真っ只中でした。何が起きるか分からない状況は現在と変わらないと思います。当時、T大学の助手をしていた数学の先生に個人的に位相数学を教わっていて、そのついでにW大学のN教授の書いた「カタストロフィーの理論」の本を一緒に読んであら探しをしていました(英語のネタ本の間違いをそのまま書いていたり実に粗悪な本でした)。

そんなわけでタイムスリップした気分になって、「独り言」のようなタッチなってきたので以下で軌道修正します。

著者の唐沢氏によると、カオスのマネジメントは、社会がカオスにある状況下では、突然の分岐(合従連衡、倒産等々)が頻発するので、「下方への分岐(負け組になること)を避け、上方への分岐(勝ち組になること)、システム全体の創発の実現をめざす」ものです。また「過去と関係なく未来に働きかけ、ストレンジ・アトラクターを明らかにして、未来からの道筋に乗っていく経営」とも述べています(分岐の後の括弧内は私の注です)。

そして戦略経営とカオスのマネジメントとの主な違いは2つあります。戦略経営が連続的あるいは積み重ねをベースにしているのに対し、カオスのマネジメントは過去の影響とは無縁な不連続性をベースにしている点です。更に、そのため前者は既存資源との相乗効果を重視しますが、後者は創発がポイントである点です。

上記より、カオスのマネジメントのキーワードは、“創発”と“ストレンジ・アトラクター”であることが分かります。創発(emergence)とは、これまでの法則性だけでは説明できない「飛躍的な結果の出現であり、不連続性と斬新性を特色とする」ものです。一方、ストレンジ・アトラクターは、専門用語では分かりにくいので直感的に翻訳すると、均衡解の集まる一定領域というか、数学でいう不動点のようなイメージです。

なんだか難しい話になってきましたが、要するにカオスのマネジメントは次の3つのステップに分けることが出来ます。

第1ステップ:好ましい創発を生むカオスの創造
(創発を生む条件の整備)
第2ステップ:創発の促進
第3ステップ:創発を束ねて上方への分岐を実現
(ストレンジ・アトラクターの発見及び未来の姿の発見とそこへ到着させる経営)

カオスのマネジメントのエッセンスは、上述したステップを実践することです。とすれば、これはビジョン・マネジメントの現代版だ、と私は思います。というのはその本質は、未来の姿(ビジョン)を明らかにして、そこに到着させるマネジメントだからです。ただ方法論が複雑系やカオス理論の衣を着ているので異なります。マネジメントやビジネスの世界では、このような焼き直しが多いですね。

いずれにせよ、現在の不透明で不連続な環境下では、創発を生む組織づくりは必要です。近々、創発のマネジメントについて、私なりにもっと実務的にポイントを整理して、皆さんが使いやすい形にしたいと思います。それまで少々お待ち下さいね。


(注)関心のある方は、唐沢昌敬著「カオスの時代のマネジメント」(99年、同文館)をご一読下さい。

(余談)その数学の先生は、国立大学が教養を廃止した折に経済学部に転じました。首都圏にある国立のS大学のO先生ですが、もしかして経済学への関心をいだくきっかけは私だったのかなと思っています。最近話題の「分数ができない大学生」という本の執筆者でもあります。


1999年11月19日(金)

「選択と集中、それとも多角化?」

米国では中核能力、コア・コンピタンスを重視して、コア・ビジネスに集中する戦略を見直す機運があるようです。ウオール・ストリート・ジャーナル紙(11月9日付け)の“アメリカ企業はコアビジネスの定義に苦闘”という記事によると、この点がビビッドに述べられています。

米国企業はコア・ビジネスを絞込み、他は売却するケースが多い点は確かです。株主や市場がフォーカスすることを求めており、そうすることにより株価が上昇するという側面を見逃せません。しかしながら、米国でも歴史的に“振り子の理論”というべき現象が8年から10年サイクルで生じるようです。つまり、集中と発散(多角化)を繰り返すというわけです。

コア・ビジネスの定義はなかなか難しいのですが、これまでの製品に体化した中核能力ベースだけでなく、アマゾン・ドット・コムのような新たなビジネス・システムに基づくものまで広範です。

ところがインターネット企業が台頭し、従来のビジネスシステムを変容させています。皆さんもご承知のように、金融や流通の世界では特にこの点が顕著です。その結果、自社のコアビジネスの定義自体も変化してきます。

また、ブランド力が勝ち組の条件となる世界では、製造業も変化しています。ブランド力のある企業が自社ブランドで売り、他はサプライヤーに徹するという構図が明確になっています。

現在、米国ではお金は豊富で企業の売り物は多く、買収によって企業規模を倍増することも容易です。特に、通信、エネルギー、自動車、金融などの分野では統合が進んでいます。ただ、"Covering the waterfront is yesterday's approach. And so, the question is, how does a company find its forte?"ということで、漫然とウイングを広げるというよりも何かスぺシャリティ、長所がなければいけませんが。

こうなってくると、コアビジネスを絞り込むのみならず、規模の経済や範囲の経済が効いてきます。つまり、ブランド力のある企業はそれをもとに事業の幅を広げ、サプライヤーは規模を拡大しコスト削減を図るからです。 このように集中から多角化、規模の拡大へと振り子が振れているのです。

私はWSJ紙を興味深く読みましたが、この問題はオーソドックスに成長企業と成熟企業の事業ポートフォリオの問題として考えるべきだと思います。

成長企業にとって成長市場に乗っている限り、集中してもビジネスチャンスは無限に近いでしょう。しかし成熟企業にとって、極論すれば、絞込みは縮小均衡でしかありません。成長機会を求めて次のビジネスの芽を探索しなければ、明日がないとは思いませんか?

そう思っていたら、“選択と集中が合言葉になっているが、多角化にネガティブなイメージを持つのは間違いだ”、との日清製粉社長の正田修氏の言葉が目に付きました。まさにわが意をえたりです。特に成熟企業にとって多角化抜きにビジョンを語れませんよ。(注)


(注)正田氏の言葉は、11月18日付け日経夕刊5面「ひとトーク」より引用。


 
1999年11月18日(木)

「規制緩和の話」

米国の現在の好況は、情報革命と規制緩和を抜きに語ることは出来ません。そして経済学的には、規制緩和は消費者にも企業にも利益をもたらすことはよく知られています。こうした流れの中で、日本でも90年代になって規制緩和が課題となり、現在緩和が進行中です。だが、規制緩和に対する反対論が存在することも事実です。痛みと既得権が伴うからです。

そこで、米国の規制緩和に伴う痛みをみてみましょう。例えば、米国の航空業界では、規制緩和によって競争が激しくなり採算を重視するあまり、小さな町に飛行機が飛ばなくなったり、サービスが悪化しました。規制緩和は、消費者にとって必ずしもメリットだけではないのです。

それから米国の規制産業に従事していた人々の所得が下落し、いわゆる中産階級が没落しました。その結果、所得の二極分化が顕著になり、このクラスをメーン・ターゲットにしていたJCペニーなどの流通企業の業績が悪化したのです。こうして規制緩和は、規制業界のみならず広範な業界構造を変革することになりました。

先般、わが国航空会社の独占路線のサービスの悪さと高価格である点を指摘しました。だが、米国の例にみるように、規制緩和が進んで競争により価格は安くなっても、サービスの低下は避けられないのです。しかしながら、あるサービスに対するニーズがあれば、それに対応する企業が登場するというのが規制緩和のメリットなのです。つまり、やや長いスパンをとれば、真にニーズのあるサービスが低下することはないと思います。

一方、わが国で規制三業種といわれる不動産、建設、ノンバンクや金融などの規制産業は、規制緩和によってぬるま湯からの脱皮を余儀なくされます。その結果、やはりこういった業種に属する人たちの所得水準は下がるでしょう。もっとも、これまで高賃金業種としての恩恵をうけていたのですから、多少の賃下げぐらいでは懐は痛みませんよね。

いずれにしても、規制緩和の功罪は時間軸で見なくては分かりません。 短期的には、消費者にとっても企業にとってもメリットと共に痛みを伴うことは避けられません。やはり、産業社会の将来をイメージして、長期的な構造変化のメリットを追求しながら、そこまでのプロセスでの弱者を救う対策をどうするか、この点が政府の規制緩和策のポイントだと思います。

企業とって(個人にとっても)、規制緩和はビジネスチャンスの宝庫です。成長企業も成熟企業も、ここは規制緩和による大きなシステムの変革にどう乗るか、企業の戦略が問われています。


1999年11月17日(火)

「21世紀の予言?」

東洋経済の最新号によると、1901年に報知新聞が「20世紀の予言」を行ったそうです。全部で23項目の予言のうち、的中したのが15項目、ある程度的中した4項目を合わせると、的中率は8割を超えることになるとのことです。(注)

的中した主な項目は、「無線電話及び電話」「遠距離の写真」「七日間世界一週」「蚊及び蚤の滅亡」「写真電話」「電気の世界」「鉄道の速力」「医学の進歩」「自動車の世」などです。一方、外れた項目は「サハラ砂漠の沃野化」「人の身幹(が6尺以上)」「幼稚園の廃止」などでした。 これを見てよく当たっている、というのが率直な私の感想です。皆さんはどう思われますか?

技術評論家の森谷正規氏によると、報知の予言は人工物の創造に関する予言がよく当たっており、生物や自然に関する予言は外れているとのことです。この点が21世紀を予測する際に参考になりますね。

21世紀を予想するにあたり、“IT革命”がキーワードとなることは衆目の一致するところです。これにより、20世紀の産業社会にとって重要な制約条件であった時間と距離の概念が消滅するインパクトは多大なものがあります。東洋経済の記事の中でもこの点が的確に指摘されています。

同誌では20年後の2020年の経済社会を想定して21(21の衝撃)の予言を行っています。タイムスパンが短いだけにあまり意外性を感じないのですが、21項目は次の通りです。

1.「家庭内外のネット網が実現」
2.「インターネットがテレビをのみ込む」
3.「天寿120歳までは射程内に」
4.「完全なるグローバル競争に」
5.「電子投票で代議制が消える?」
6.「IT革命が成長を牽引する」
7.「音楽のネット配置(ノンパケージ化)が進む」
8.「IT化で4倍増するエネルギー消費量」
9.「遺伝子組み換え微生物を利用」
10.「現金に代わる決済はカードよりネット優位」
11.「自治体から企業、個人までGISは目の前」
12.「東京は国際都市として3度生まれ変わる」
13.「知識埋め込み教育は完全に姿を消す」
14.「ITSの完全定着で交通事故3分の1」
15.「女性が家事から解放、夫婦関係の見直しも」
16.「家庭・会社の境界線が消え、家庭のきずなが問われる」
17.「IT時代の究極の姿は、目に見えない会社」
18.「証券取引所がなくなる?襲来する2つの大波」
19.「地方都市へ本社移転、いい環境で能率アップ」
20.「ハイテクゴミ箱誕生、情報が環境を救う」
21.「実物を動かす仕事からパソコン作業に異動」

なんだか予言というよりも、あまりにも現実的な話なので(皆さんもそう思うでしょ)、今日はコメントは必要ないですね。後日頭を冷やしてから、この21の衝撃が与える企業や社会への影響を考えてみたいと思います。


(注)11月20日付け週刊東洋経済の特集「IT革命21世紀の衝撃」を参照しました。


1999年11月16日(火)

「コンビニと郵便局への期待」

コンビニエンス・ストア(以下コンビニ)と郵便局には共通点があります。そうです、全国津々浦々にありますね。この特性に着目して、今、この二つが注目されています。

コンビニは現在36,754店舗(98年度日経調べ)で、郵便局は全国で約24,100設置されています。つまり、コンビニは人口3,400人に1箇所、郵便局は5,200人に1箇所立地していることになります。通産省の資料によると、コンビニ間の距離は平均で約1.6キロ、東京では500メートル毎に1店出店しています。そうすると、郵便局は平均して約2.4キロに1箇所ということになります。こうした稠密な全国ネットワークが注目されているのです。(注)

金融ビッグバンによって、日本の金融機関が効率化を迫られ、外資の参入が活発化しています。こうした中で効率的な展開を考える外資やノンバンクなどが、郵便局の活用を考えています(もう大分形ができましたが)。

コンビニはもっと多様な機能が期待されています。ATMから物品の受け渡し機能まで、コンビニは金とモノの流れの末端を担うことになります。それゆえ、業種を問わずコンビニの活用が可能なわけで、今後活発な連携が行われることでしょう。

こうして各地の郵便局は、外資系金融機関やノンバンクの出先としてネットワークされるでしょう。一方、コンビニは金融機関を始め、各種サービス会社やEコマース企業などの拠点として、21世紀の各業界のビジネス・システムの一翼を担うことになることでしょう。

事業会社が自前主義を捨てて、いかにコンビニを自社のビジネスシステムに取り入れるか、この点が収益力を左右する日が近づいています。


(注)「1997我が国の商業〜転換期にある商業〜」による。


トップ・ページへ