これまでの話題(99年11月前半)

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1999年11月15日(月)

「情報技術と生産性の向上」

数年前にMITのクルーグマン教授は、ある論文で情報技術の発達によって生産性が向上していないと論じたことがある。世間では、コンピュータを使ったERPなどによって効率を高めようとしていた時期だけに、私は論文を読んで少し奇異に感じました。

クルーグマン先生は、コンピュータを始め情報技術を導入することによって表面的には生産性は向上したように見えるが、実は導入にあたってかえってマンパワーが必要になっている、と論じていたのです。数年前までは米国でさえ、情報技術の恩恵が実感されていなかった点が興味深いですね。

ところが、先日米国労働省が発表した結果によると、この10年間で生産性は向上し、特に過去4年間の生産性の伸びは顕著であったという。そして労働統計局の生産性研究の責任者も、この4年の傾向が長期的トレンドになる可能性を示唆していました。ちなみに、直近の第3四半期(7〜9月)の生産性の伸びも年率4.2%と高率を記録したとのことです。(注)

米国ではコンピュータやインターネットを含む情報技術の発達が、確かに生産性向上に貢献し始めたようです。これがかっての鉄道や電気及び乗用車の普及が生産性に寄与した以上のパワーを持つだろうか。この点に関しては、まだ米国でも賛否両論があり結論が出ていないのです(クルーグマン先生は、技術革新による生産性向上は持続性が高いと述べていますが)。

では日本はどうか。GDPの成長率は、単純にいって人口の成長率と生産性の伸びに依存しています。従って、人口の伸びは減少しているとはいえプラスなので、この10年のスランプを考えると生産性は低迷していることになります。日本が情報技術の発展の恩恵を受けるのは、まだまだ先の話かもしれないですね。

日本企業が情報技術の活用によって生産性向上を図る際、従来の雇用慣行がネックになっています。いまだに雇用問題を聖域と考えている経営トップが多いからです。

私は日本企業の社員を大事にするカルチャーを、全面否定するものではありません。しかし、雇用問題を含めて新たなビジネスシステムを考え、具体化する時期がきていると思います。この大きな情報革命の波に乗れなければ、企業の明日はないのだから。


(注)11月13日付け New York Times の記事、"Big Increases in Productivity by Workers"を参考にしました。


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1999年11月13日(土)〜14日(日)

「ビール業界の変化」

ビール市場の伸びが低迷しているようです。ビール・発泡酒出荷数量は、97年初頭からほとんど横ばいでしたが、この10月は3年2ヶ月ぶりに前年実績を下回ったとのことです。

ビール市場の低迷は、ワインや缶入りチューハイなどの需要拡大が影響しているようです。加えて、酒類販路の自由化で、販路が従来の酒屋からスーパーやコンビニにシフトしている点が響いているとのことです。私はこの話を聞いて、日本酒市場の地盤沈下とイメージをダブらせてしまいました。

日本酒市場の地盤沈下が顕著になったのは80年代に入ってからです。従来の日本酒好き世代が高齢化して飲酒量が減少し、若い世代の日本酒離れが進んだことに起因します。当時もワインに人気が出始めた他、焼酎など他の飲料に食われた形です。それから、飲む人本人よりも、むしろ奥方に日本酒が嫌われたことも影響しています。家庭で日本酒を飲むにはお燗をする手間がかかるし、おつまみにも気を使うからです。

こうした状況を打破するために、女性に飲みやすく、従来の手間を削減する努力が重ねられてきました。ちょっと時期は遡りますが、1964年(昭和39年)に発売されたヒット商品、ワンカップ大関なども徳利に移す手間を省くものでした。また1升瓶では重過ぎるので、お洒落な4合瓶にしたり、女性向けの飲み口のさっぱりした酒にしたり、大吟醸や原酒と銘打ってブランド化したり、さまざまな手が打たれました。しかし、こうした努力にもかかわらず日本酒市場は逓減し続けています。

このように日本酒市場をみると、ビールとの差が明確だと思います。日本酒は、お酒を飲むスタイル自体が時代の流れにマッチしなくなっているのです(4畳半でチントンシャンという世界では、やはりお燗したお酒ですよね)。この点はビールとは大違いです。そして共通するのは、ワインなど他のアルコール飲料と競合して食われている点です。

私はビール市場の伸びが今後一層高まる、と期待するには無理があると思います。最初の一杯はビールかシャンパンかドライシェリーか、その後、ワインか酒かビールか焼酎か、というように消費者の選択の幅は広がっています。皆さんもこの流れを逆行させることは困難だとは思いませんか?

ビール業界は今後ゼロサム・ゲームの世界、いやマイナス・サムの世界に入っていくと思われます。こうした環境下での戦略は以前と異なるものであるはずです。だが、まだ各社とも明確な戦略コンセプトを描ききれていない点が気になるところです。ここ数年で勝ち組が変化する可能性を秘めた業界として、今後の動向を注目したいと思います。


1999年11月12日(金)

「ベンチャー振興の風土づくり」

かって「独り言」欄に“起業家環境は80年代前半の米国並み?”をテーマにベンチャービジネス(VB)について述べたことがあります。その中で指摘したデータの詳細が明らかになりましたので紹介したいと思います。 (第3回「独り言」は、 こちらを参照)。(注1)

GAMは各国の消費者1000人とVB専門家とを対象にした調査を実施し、その結果を7月に発表しました。この調査では起業予定率(現在新事業を計画しているか)を起業の活発さの指標にしています。そして事業機会発生率(周りで半年以内に新しい事業機会が生まれるか)、VB創始者尊敬度(起業家に対する社会的評価)などを尋ねています。日米のデータを比較すると次の通りです。(注2)

1.起業予定率:米国8.4%、日本1.6%
2.事業機会発生率:米国57%、日本1%
3.VB創始者尊敬度:米国91%、日本8%

この調査から、起業予定率が高ければGDP成長率が高い、事業機会発生率が高ければ起業予定率が高い、VB創始者尊敬度が高ければ起業予定率が高い、ということが分かりました。この結果を見ると、米国に比べて日本の部の悪さが目立ちます。

ところで、起業活動を促進するには二つの方法があるようです。つまり、VBに対して助成金などにより直接支援するサポート・プッシュと税制面などを優遇し動機付けるインセンティブ・プッシュです。この調査では、後者の方が効果的だという結果になっています。日本はサポート・プッシュにウエートがあり、法人税がやや軽減されるとはいえ事業承継では高額な相続税が課されるなど、日本の起業家のインセンティブは低いと思います。

更に、日本では起業家の社会的評価が低い点が気になるところです。現に新しい会社を作る場合、事務所を借りるにも何かと面倒です(最近はオフィスの空室率が高いので、以前よりは改善されてはいるようです)。そして、実績のない会社には銀行は相手にしてくれません。かろうじて保証協会の保証があれば、金融機関のリスクがないので信用金庫などが融資に応じてくれる程度です。

日本では、一代で財を成した人を“成り上がり者”と呼びます。皆さんは、この言葉には一種の侮蔑が含まれていることをご存知のはずです。米国では、そのような人をアメリカン・ドリームの体現者として、畏敬の念をもって見られるのとは大違いです。この風土の差が、わが国で起業家を育むことを妨げている大きな要因になっていると思います。

それから、起業による成功確率はどの国でもさほど高くないですから、失敗するケースも多い点は事実です。問題は失敗した人を落伍者として烙印を押さず、社会が敗者復活を認めるかどうかが重要です。

こうした風土を変えるにはどうしたらよいでしょうか。私は、優秀な若い人たちがどんどん起業することだと思います。例え失敗しても、取り返しがききますからね。そして、甘やかすのではなく、大人たちが暖かく見守っていく、こうした環境づくりが急務です。

幸い日本でも学生の起業家志向が高まりつつあるようです。米国に20年近く遅れている起業環境が、今やっと動き出しました。21世紀は日本のVBの時代、こういった話を早く聞きたいものですねぇ。


(注1)調査結果は99年11月2日付け日経朝刊「経済教室」を参照しました。

(注2)「グローバル・アントルプレナーシップ・モニター(GAM)」は、98年7月に設置された日米欧の主要7カ国にデンマーク、イスラエル、フィンランドを加えた10カ国のVB研究者による研究組織です。GAMのミッションは、起業家活動を活発化する要因並びにVBの成長プロセスを明らかにすることだそうです。


1999年11月10日(水)〜11日(木)

「マイクロソフトの独占問題」

世は勝ち組と負け組が明確になっており、トップ企業の一人勝ち現象がみられます。この現象の典型的な例がマイクロソフトです。皆さんもご存知のように、米国司法当局は6日、マイクロソフトを“独占”と認定しました。

経済学的にいっても、実際問題としても独占の弊害が多いことはよく知られています。それは、消費者にとって、高い価格で買わされる、サービスが悪いといった身近な現象となって現れます。マイクロソフトの製品価格が高いか安いかは、何せパソコンOS市場で95%のシェアを持っているわけですから、判断するのは困難です。だが、ソフトウエアにはバグが付き物にせよ、行き過ぎたバグ付き製品を出してユーザーにテストさせながら製品の完成度を高めていくやり方は、競争相手がいればとりえない方法ではないでしょうか。

もっと独占の弊害をイメージしやすいのは、今は少なくなりましたが、国内線の独占路線です。ANA、JAL、JAS3社が乗り入れる路線に比べて、ANAやJASの独占路線は機内食やサービスが悪い上に料金も高い(割引がない、率が低い)ですよねぇ。

一方、業界にとっても弊害があります。現に、マイクロソフトは供給独占という立場を利用して、相手の市場参入を阻害したり(インテルのソフトウエア市場参入)、撤退させたり(IBMのソフト撤退)また業務提携を解消させたり(AOL)しています。こうした自由競争を妨げる動きは、特に成長市場にあるビジネスにとって更なる発展の面でマイナスです。もちろん、その結果迷惑をこうむるのは消費者です。

このような弊害にもかかわらず、これまでマイクロソフトが市場を独占できたのは、市場で支持されデファクト・スタンダード(市場での事実上の標準)となったからです。マイクロソフトは自由競争により競争相手がいなくなった結果、新たな土俵での競争を求められているのです。

今、マイクロソフトの独占問題で重要なのは、市場原理に基づく資本主義経済にとって何が大切なのかを再確認することです。つまり、資本主義経済にとって最も重要なのは“自由競争”という競争原理なのです。この競争がなければ、資本主義経済は創造性と効率性を失い、あの社会主義経済の二の舞となるでしょう。

日本の産業はこれまで行政の規制と手厚い保護の下に育ってきました。今後は、産業界は、政府に規制や保護を求めるのではなく、インフラ整備以外は何もしないことを強く求めるべきだと思うのです(但し、政策不況の尻拭いだけはちゃんとやらせてからですが)。


1999年11月9日(火)

「世界標準順応派か日本的価値重視派か?」

近頃、グローバル・スタンダード、世界標準という言葉を聞かない日はないほど単語として定着してきました。私の書いたペーパー類をみると、95、6年頃から使い始めています。だが、当時はデファクト・スタンダード(市場で支持された事実上の標準)との関連で、和製英語として登場しました。だから、今でも私はカタカナよりも世界標準といっています。

ところで、中谷巌多摩大学教授(兼ソニー非常勤取締役)が日経ビジネス最新号(99年11月8日号)に、世界標準順応派か日本的価値重視派かをテーマに評論を書いていました。結論は、トヨタのカンバンシステムやソニーのウォークマンのように独創性があればどちらでもよい、ということでした。

まあ、そういわれれば、その通りです。ですが、どちらへシフトした方が独創性を発揮できるか、これがビジネス・パースンにとって重要なんです。そこで、今日はこの点を考えみたいと思います。

先ず、これまでの日本的経営の特徴は、終身雇用制、社員重視(人本主義)経営、含み資産経営(ストック経営)、稟議制、集団的意思決定(お神輿経営)、ボトムアップ経営、バラマキ経営、ライン型階層組織、前例・横並び主義経営、現場主義、個人埋没集団主義、年功序列型賃金体系、などのキーワードで表現できると思います(一部はすでに陳腐化しています)。

上記のキーワードから、更に集団主義、年功、横並び、意思決定の遅さ などが浮び上がってきます。皆さん、こうしたイメージから創造性を期待できますか?

一方、世界標準経営の特徴は次の言葉で表現できます。つまり、株主重視経営、キャッシュフロー経営、トップダウン型経営、NO.1主義(FOCUS、集中)経営、マトリックス経営、アウトソーシング経営、チーム重視フラット型組織、個人主義、成果主義・能力主義報酬などです。こうしたキーワードから世界標準経営は、意思決定が早そうで、個人の能力が生かされそうだとは思いませんか?

中谷氏のいうような創造性を発揮できる会社にするには、これまでの価値観を温存して現状延長型でいくよりも、新たな価値、世界標準を受け入れて変革すべきではないでしょうか?(注)

長年日本企業とお付き合いしていると、なかなか大きな変革が進まないことを痛感します。ボトムアップで変えるには時間がかかりますからね。 やはり、企業の根本を変えていくには経営トップの役割が重要です。トップの舵取りで、世界標準に基づく日本流のシステムが誕生することを祈って止みません。

(注)もちろん世界(米国)標準を受け入れる前に、学界も産業界も私たちコンサルタントも、もっと徹底した米国流経営研究を行うべきです。武石一橋大学助教授も、同じ趣旨で、米国の日本研究の例を挙げて、他国の学び方こそ米国から学ぶべきだと指摘しています(11月8日付日経朝刊「時流」欄)。


1999年11月8日(月)

「20世紀の偉大なマネジメント思想」

昨日は「20世紀のビジネスマン」を話題にしました。今日は同じFORTUNE(F誌)の最新号(Nov.22, 99)の特集「ビジネスの100年」から、今世紀の偉大なマネジメント思想について紹介します。

先ず、F誌では、次の11のマネジメント思想を取り上げています。すでに陳腐化しているものもありますが、ビジネスの世界に多大な影響を与えたことは事実です。

1.科学的管理(F.W.テーラー)
2.組立ライン(Ford、ヘンリー・フォード)
3.近代企業〜分権的企業(GM、アルフレッド・スローン Jr.)
4.リーダーシップ(メアリー・パーカー・フォレット)
5.ブランド・マネジメント(P&G、ネイル・マクエルロイ)
6.マネジメント・グルー(ピーター・ドラッカー)
7.労働権(ウォルター・ルーサー)
8.数字による経営(ITT、ハロルド・ジェニーン)
9.品質(W.E.デミング)
10.リエンジニアリング(マイケル・ハマー&ジェムス・チャンピ)
11.ナレッジ・マネジメント

いずれもビジネスに関わる人々には、既にお馴染みだと思います。だが、米国の企業経営の立場からみると、きわめて妥当で、バランスがとれた選択になっています。例えば、リーダーシップ問題の先駆者でドラッカーが“マネジメントの予言者”と呼んだ、メアリー・パーカー・フォレット、医療保障、年金、失業保障などの労働者の権利を勝ち取ったウォルター・ルーサー、ITTの創始者で多国籍コングロマリットの原型を作ったハロルド・ジェニーンなども正しく評価されています。

それから、ナレッジ・マネジメントに関しては、テーラーやフォードの時代と違って社員の知識をどう生かしていくかが重要だ、と指摘していますが特に貢献者の名前をあげていません。このへんは公平さ(?)を認めるものの、“ラーニング・オーガニゼーション”のピーター・センゲや野中氏の名前に触れてほしかったですね。

以上がF誌が述べた20世紀のマネジメント思想のエッセンスです。では、21世紀はどうなるのでしょうか?

無国籍でバーチャルな、個人の知を活かした企業が、情報ネットワークの中で網の目のようにリンクしながら活動している、こういったイメージでしょうか。そこでは現在の組織やマネジメントの概念は通用しないということになります。でも、過去の蓄積なしにはいかなる発明もありえないので、現在の理論や事例をしっかり勉強しましょうね。


1999年11月6日(土)〜7日(日)

「20世紀のビジネスマン」

世紀末ともなると、世界の雑誌でさまざまな20世紀特集があって楽しみです。今日はFORTUNE(以下F誌)の最新号(Nov.22, 99)の特集「ビジネスの100年」から、“今世紀のビジネスマン”に関する記事を紹介しましょう。

F誌が指摘しているようの、今世紀は“自動車の時代”に始まり“情報の時代”に終わろうとしています。そして、誰もが21世紀に向けてインターネットを核にした“新情報の時代”の到来を予感しているものと思われます。F誌が選んだ今世紀のビジネスマンの最終候補者は次の4人ですが、今世紀から21世紀への推移をにらんだ絶妙の選択になっています。

1.ヘンリー・フォード
2.アルフレッド・スローン Jr.
3.トーマス・ワトソン Jr.
4.ビル・ゲイツ

ヘンリー・フォードについては、自動車の大量生産方式によって今日の自動車産業の礎を築いたわけですから、この影響は多大なものがあります。 また、スローンは事業部制による分権的な近代企業を創造しました。これも企業の発展プロセスから発生した知恵とはいえ、現代の企業組織への浸透を考えるとその影響力は議論の余地はありません。なお、スローンはフォードにローラー・ベアリングを納入していましたが、その会社をGMのドュランに売って、GMの副社長になりました。もしフォードがスローンの会社を買っていたら・・・(歴史にイフはありませんね)。

トーマス・ワトソン Jr.はIBMの今日を築いた“販売の天才”です。 パンチカード式の電算機を会計に結び付け、情報革命の一翼を担った功績は誰もが認めるところでしょう。最後のビル・ゲイツは説明の必要はないでしよう。MS−DOSやWindowsによってパソコンを身近なものにし、今日のパソコンの普及に果たした役割は計りしれません。

F誌はこの4人の中から最後のページで1人を選んでいます。皆さんは誰を選んだとお考えですか。その鍵はアメリカン・ドリームが車と密接に関わっていること、そして今日の大量消費時代は大量生産システムなくして成立しえないこと、この2点にあります。そして“新情報の時代”は21世紀になっても続くということです。そうです。今世紀のビジネスマンは、ヘンリー・フォードです。

こうして今世紀のビジネスマンをに見てみますと、いずれも新なたビジネス・システムや経営コンセプトを創造しています。21世紀末には、日本の企業家が最終ノミネートされるのでしょうか?asktakaは日本の若手ビジネス・パーソンに期待しちゃいますよ。


(余談)この他、F誌は10の分野別に“今世紀のビジネスマン”候補者をノミネートしています。上述した4人の最終候補者を含めて全部で42人中、日本人が3人ノミネートされています。ソニーの盛田昭夫氏、ホンダの本田宗一郎氏そしてトヨタの豊田英二氏です。故盛田氏は、ブランド・ビルダーのカテゴリーの中で、コカコーラ、ナイキ、マクドナルドなどの創業者とともにノミネートされています。どうですか、元気が出ましたか?


1999年11月5日(金)

「縦糸と横糸のマトリックス組織」

日本企業が今後海外展開をする場合、マトリックス組織についての理解が必要です。日本において外資系企業とジョイントしてビジネスを行う場合も同様だと思います。

マトリックス組織は、よく縦糸と横糸の関係にたとえられます。例えば、米国企業が日本に現地法人を設立する場合、日本人社長をトップとする縦のラインと、財務や製品をコントロールする横のラインとが存在します。 この2つのラインを上手にコーディネートできるかどうかが、ボーダーレスなマネジメントのポイントだと思います。

もともとマトリックス組織は、製造や営業といった機能別組織を製品別にコントロールしようするするものでした。現在では、比較的規模が小さい企業に多い機能別組織よりも、多国籍企業のエリア本部(例えば、アジア・パシフィック地域本部や製品別事業部)と現地法人との間にマトリックスな関係が見受けられます。

米国流のマトリックス組織は個人のネットワークをベースに成り立っています。しかし、日本企業の場合、トップ以下の縦の命令系統が中心で、課や部門のコンセンサスなしでは動けないのが実情です。そのため、これまでマトリックス組織を導入すると、命令系統が乱れるといった不満がくすぶっていたのは事実だと思います。

上述した日本人社長の役割は、米国本社あるいは地域本部の戦略に基づき、現地法人としての縦のラインを自己完結することにあります。具体的には、本社の戦略目標や財務目標の下に、重点製品の拡販を日本市場にフィットするように行うことです。この際、社長は製品別命令系統に対して、日本市場の現状を踏まえてよくコーディネートすることが重要です。

日本企業が海外に現地法人を設置する場合はどうでしょう。外国人社長に任せて、横糸でコントロールしているでしょうか。それとも。日本人社長を派遣して、縦のラインを直にコントロールしようとしているでしょうか。

世界のグローバル企業は前者のやり方をとっていますが、日本企業はまだ後者が多いようです。というのは、まだ横糸のコントロールに自信がないからだと思います。その根底にはコンセンサス重視の組織文化があります。

こう考えると、日本企業にとってマトリックス組織はなかなか難物ですね。日産やマツダのように、外国人トップの下で学習するか、外資系企業とその気で(経営ノウハウを学ぶ)ジョイント・ベンチャーをするのが手っ取り早いのでしょうか?皆さんはいかがお考えですか?


1999年11月4日(木)

「戦後最長の米国景気拡大」

2000年2月で米国の景気拡大は9年に達し、戦後最長の好況となるようです。これまでの戦後最長記録は、61年2月から69年12月まで8年11ヵ月間続いた好景気でした。規制緩和などの政策効果もあり、重工業からハイテク産業への産業構造の変化によって、未曾有の長期景気拡大期間となるわけです。

日本の好況期を長い順にみると、トップ5は次の通りです。

1.いざなぎ景気:4年9ヵ月(65年11月〜70年7月)
2.バブル景気:4年3ヵ月(86年12月〜91年2月)
3.岩戸景気:3年6ヵ月(58年7月〜61年12月)
4.平成景気:3年5ヵ月(93年11月〜97年3月)
5.神武景気:2年7ヵ月(54年12月〜57年6月)

いざなぎ景気は1964年の東京オリンピック後の好景気でした。高度成長期の最後を飾るものでしたが、それでも今回の米国の好況期の半分ちょっとの長さしかありません。バブルを謳歌した期間もたかだか4年強で、現在も続いているツケの大きさを考えると愕然とします。

またバブル崩壊後の景気の谷が93年10月で、11月から拡張期に入り消費税増税前の97年3月を山とする今回の好況期(私は平成景気と呼んでいますが、正式名は?)がおよそ3年半も続いたとは、およそ実感が伴いません。それもそのはずで、拡張期にあるといえども、実質GDPは92年から94年にかけてほぼゼロ成長ですからね。

米国の好景気が、IT(情報技術)関連産業の成長に支えられていることはよく知られています。しかしながら、ルービン前財務長官とグリーンスパンFRB議長との絶妙のコンビが、景気の過熱を押さえて上手くコントロールした点を忘れるわけにはいきません。日本が消費税増税による政策不況を招いたことを考えると、何ともうらやましい話ではありますが。

そういえばバブル崩壊も、金融・不動産業界の常識を超えた行動が問題とはいえ(不動産鑑定士と銀行がつるんだ地価暴騰のメカニズムは別の機会に触れましょう)、単純にいえば急に資金を締めすぎたゆえの政策ミスが引き金です(バブル最盛期は海部内閣で蔵相は橋本前総理でした。どちらにも橋本さんがからんでいますね。ちなみに、バブル崩壊後の91年11月に宮沢内閣が発足し、蔵相は羽田元総理、こちらも同罪かな)。

なんだか愚痴っぽい話になりました。要は、米国から何を学ぶかというと、少なくても政府が経済に対して中立的であること、つまり、マイナスになるような政策を講じないことです。更に、余計な規制を廃止することです。そうすれば、競争の痛みは伴うものの、市場原理に従って企業は自助努力で成長軌道に乗ることができるはずです。

しかしながら、実際には政策不況とグローバルな競争環境の激化がなければ、日本企業はなかなか行動しないから、むしろ政府の愚策が企業を変えるよいきっかけなったと考えるべきなんですね(なんだか無理やり納得したようで、むなしいですけど)。


1999年11月3日(水)

「文化の日とノーベル賞」

毎年、文化の日には文化勲章や文化功労者の表彰が行われます。受賞者は高齢者が多く、年金支給を押さえようとしてあえてそうしているのか(受賞者には年金が出るのです)、と勘ぐってみたくなるくらいです。

ノーベル賞やフィールズ賞(数学のノーベル賞といわれている)を受賞した場合は例外で、若くてももらえるようです。例えば、数学の広中氏とか物理学の利根川氏などです。なんだか、外圧で動く日本の姿を垣間見るようで、苦笑を禁じえませんね。

ところで、ノベール賞受賞者は圧倒的に米国優位で、自然科学系では全体の4割を占め、フィールズ賞でも26%を占めています。ちなみに、日本人は、自然科学分野で5人(約1%)、フィールズ賞は3人(約8%)です。あと文学賞が川端康成及び大江健三郎の2人と平和賞で佐藤栄作元首相が受賞していますから、ノーベル賞受賞者は全部で8人となります。

それから、ノーベル経済学賞はまだ日本から受賞者がでていません。この5年以内にもし受賞するとすれば、ロンドン大学の森嶋道夫教授、宇沢弘文元東大教授、青木昌彦スタンフォード大教授、それから現青山学院大学教授で根岸隆元東大教授あたりが有望だと思います(私の独断と偏見によりますが)。宇沢教授はすでに文化功労者なので、もし受賞すればノーベル賞選定委員会よりも早く業績を評価した数少ない例となるのですがねぇ。

今年のノーベル経済学賞は国際経済学者のロバート・マンデル教授でした。確か私の学生時代にマンデル・フレミング理論で一世を風靡したような気がします。為替レートの固定相場制の下では財政政策が、変動相場制下では金融政策が有効だとする主張は、各国の政策に影響を与えました。

昨年の受賞者セン教授も政策的含蓄の多い理論家ですが、日本人の学者はどちらかというと理論志向が強いので、受賞傾向とはややずれている気がします。そうなると、比較経済体制論で一派をなす青木教授あたりが浮上すると思うのは、贔屓目に見すぎでしょうか。

いずれにせよ、日本人の受賞者が少ないのは、英文のペーパー量が少ないせいかもしれません。だが、問題の本質は、日本人がコンセプトワーク、グランド・デザインの構築が苦手な点にあると思うのです。

この点はマネジメントの世界にも共通していています。だが、今こそ日本発の新たな経営コンセプト、企業コンセプトを創造する時期だと思います。この1、2年が日本株式会社としての正念場で、外圧を利用しつつ将来に向けた企業ビジョンとビジネスシステムを構築すべきです。文化の日にあたり、オリジナリティのあるグランド・デザインの必要性を改めて痛感しました。


1999年11月2日(火)

「戦略シナリオ」

「戦略シナリオ」という本が本屋の店頭に並んでいました。一瞬目を疑いましたが、中身をみてなおその感を強くしました。というのは、私がもう10数年前にコンサルティング用にまとめた内容とよく似ているからです。

私のいう戦略シナリオとは、先ず、企業ビジョンを設定して、そこに至るシナリオを描きながら戦略代替案を考え、ベストな戦略を策定するというものです。

もちろん、コンサルティング・テーマは、企業環境の変化に合わせてマネジメントの大家や自社での研究結果を踏まえながら、クライアントや世間に提案するものです。そのため、少し方法論が違っても、各コンサル会社のテーマは似てくるわけです。

例えば、一頃BCGのいっていた「ケーパビリティ」は、チャンドラーの「スケール・アンド・スコープ」の主張するところと同じだし、各コンサル会社は「組織能力」をテーマにしたコンサルティングを行っていました。 また、コア・コンピタンスなども、私は中核能力といっていますが、ほんとんどの会社がコンサルティングのフレームの中に取り入れています。

私が提唱していた戦略シナリオにしても、企業ビジョンづくりと戦略策定の流れの中に、ポーターの業界シナリオ(「競争の戦略」を参照)をもっと実践的な形に直したものを組み入れて、一つのコンサルティング・フレームにしたわけです。

業界あるいは戦略シナリオ・ライティングの手法については、最近でも 米国のマネジメント専門誌で取り上げられています。上述した本の中ではその成果がフィードバックされているとは思いますがね。

温故知新という言葉があります。ドラッカーの「企業の目的は事業の創造なり」という主張が何時の時代でも新鮮に感じるように、最近の見出しだけ新しい本よりは、古典の方が得るところが多いと思います。


(余談)T経済新報社からミンツバ−グが書いた「戦略サファリ」の翻訳本が出版されました。その広告に、“ポーターを超えるための決定版テキスト”と謳っています。しかし、 この本は戦略学派のサーベイ論文と言うべき性格の本で、著者達はポーターを超えるという視点で書いたわけではありません。皆さん、だまされてはいけませんよ。


1999年11月1日(月)

「シリコンアレー」

ニューヨークでは、ヤンキースがワールドシリーズを制して賑やかでしたね。でも同じニューヨークで、今注目を集めているシリコンアレーというゾーンがあることをご存知ですか?“シリコン”という言葉からシリコンバレーを思い浮かべる人は正常です。他の言葉を連想する人は?・・・

シリコンアレーは、デジタルコンテンツに関連する企業群が集積するエリアで、西のシリコンバレーを意識して、このように名付けられたそうです。中心エリアは、ローワーマンハッタンのソーホーからマディスン・スクウエア・パークあたりまで、北はチェルシー方面へ南はお洒落なグルメの店が多いトライベッカやウォール街へと伸びています。

コンテンツ産業とは、具体的には、デジタルコンテンツそのものを提供する企業、コンテンツのプログラム(番組)を開発する企業、ホームページ制作会社、インターネット広告代理店などをいいます。ニューヨークでは、1970年代の初めからソーホーの倉庫や空きビルなどがアーティスト達のアトリエやスタジオに変身しました。こうした街の変貌がシリコンアレーを生んだのです。

つまり、ニューヨークには従来から出版、放送、広告などの大手企業が集積していました。そういった企業がインターネット時代に対応するために、競ってデジタルコンテンツづくりに精を出しました。しかし、質の高いコンテンツ作りには映像や音楽が不可欠です。そこで、90年代初めから、ここに居住したり仕事場を持っている芸術家達は、情報技術を使った企業を立ち上げ始めたのです。このエリアの人的資産といえる音楽家、画家、デザイナー、映画やミュージカル関係者などの力が生かされ、情報技術との結合によって世界でも最強のコンテンツ産業集積の街として花開いたのです。

こうしたシリコンアレーの活況をみると、元国防省の高官で、現在ハーバードのケネディ・スクールの学長を務めるジョセフ・ナイ(Joseph Nye)氏の言葉が思い浮かびます。ナイ氏は"米国の真の強さはソフトパワーによる"と述べていますが、これは米国の世界戦略のみならず、新時代のインターネット・ビジネスにも当てはまると思うのです(ソフトパワーについては こちらを参照)。

新しい動きを先取りしながら優先順位を設定し、コンセプトとしてまとめる、このようなソフトパワーでは米国に太刀打ちできない、とシリコンアレーを見て思うわけです。とすれば、ハードパワー(経営資源を活用する実務的な能力)でいくか、あるいはソフトパワーをもつアメリカ人を活用するしかないですね。シリコンアレーで働く人の4割(時間換算で)は、フリーランサーかパートだそうですから、善は急げで早速メールでやり取りしてみてはいかがでしょうか(そうそう、渋谷にビットバレーというIT企業集積ゾーンがあるようですが、今後に期待したいですね)。


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