☆ 星くずの”たわごと” 14 ☆   更新日: 2021年12月26日

** 人間の体を作っている原子はずっと昔に爆発した古い星の内奥部で作られた。その意味で人間は星くずからできているといえる。 **
** 人間の体を作っている原子は原子核とその周りをまわる電子からできているが、その間はとても広く、何もない真空といえる。 ****

                                       
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☆ 2021年12月26日 : 素敵な?絵画で良いお年をお迎えください

 師走も押し迫ってきましたが、皆さんコロナッチに負けずお元気でしょうか。私はコロナッチのほうは大丈夫なのですが、心肺の調子が悪く、スイミングに行ったときなど、胸が圧迫されるような感じがしたり、脈拍が飛んだりして不整になってしまうことが時々発生しています。そのようなときは、スイミングを途中で止めたりしていますが、翌日は何ともなくなります。循環器の検査をたくさん受けたのですが、医者に特別な現象はないと言われ、困っています。まあ悩んでもしょうがないので、なるようになるだろうと覚悟をして、来年を迎えようと思っています。

 年明けには山中湖へ行く予定ですが、今年は雪が多いようなので、注意していくつもりです。それでは、皆さま良いお年をお迎えください。

油彩画33:秋の林 海外画515:台湾圓山ホテル(2002)

 今年最後の終活の本の紹介です。次の哲学・思想、経済学の3冊の本、@「ソクラテス」、A「デカルト」、B「ケインズ」です。今までもあちこちで述べてきましたが、哲学や思想は、思弁的、観念的な話で、私にとっては、基本的能力がないせいもあって、文章の意味がわからず、なんだか言葉のお遊びのようにしか聞こえません。学生の時、有名な哲学者や思想家について勉強しなければならないと思って本を読みましたが、当時は理解不能、そして現在も理解不能です。

@「ソクラテス 田中美智太郎 1957、岩波新書」 ・・・ ギリシアの偉大な哲学者ソクラテスの思想を解説した本です。しかし、私には、ギリシア哲学者のこの思弁的議論はほとんど理解できませんし、興味すらわきませんでした。途中で投げ出したくなるほどでした。そもそもギリシア市民というのは、奴隷制社会の上層部で、労働もせず、暇な時間を持て余して議論などにふけっていた人々に過ぎないと思っています。彼らの言葉のお遊びは、現代にも何か役立つことがあるのでしょうか?

 日本の著名な哲学者である著者田中の最後の次の言葉が虚しいです。「ソクラテスは全生涯を、正義の問題に捧げて来た人として語られている。ソクラテスこそ正義の証人だったのであろう。かれの生死は、かれの万人の問いかけていたことの答だったのである。本当の哲学<愛智>というものは、そういうものなのだと思う。」 ああ、???

A「デカルト 野田又夫 1966、岩波新書」 ・・・ 17世紀を生きた哲学者デカルトの思想を解説した本です。彼は、近代科学の発展において重要な役割を果たしたといわれていますが、私には能力不足でよく理解できません。思想の面では、”われ思う。ゆえにわれ在り”という言葉を知っていますが、やはり私にとっては思弁的議論でしかないように思われ、理解不能です。著者は、冒頭で、デカルトの思想について次のように提起しています。

 「そのデカルトの思想には二つの重要な点があるということです。第一は、デカルトがはじめて世界を全体として科学的に見ることをあえてしたひとであるということです。第二は、そのように世界を客観的に見ることの主体である”われ”というものをはっきりつかみ、世界において”われ”が如何なる生き方を選ぶかについて単純かつ徹底した方針をたてた、ということであります。」

 ”デカルト”の名前は、大学1年の頃、運動部の飲み会で”デカンショウ、デカンショウで半年暮らす・・・”といった坐れ歌を教わった時に、”デカンショウ”とは、偉大な哲学者、思想家の”デカルト”、”カント”&”ショウペンハウエル”の名前であることを先輩から教わり、初めて知りました。もちろんどんな人かは知りませんでしたが、理工系の学生は哲学者や思想家にはほとんど興味をもちませんでした。現代の学生は名前くらいは知っているのでしょうか。まあ、一般的にはこんなレベルなのでしょうね。

 だいたい大きく世界や人間(人類)を語るような話は、宗教と同じようなもので(マルクス主義は単純に同じとはいえないと考えています)、信じるかどうかといったレベルの話と思っています。著者が、最後に次のように語っています。「そこで全体としてみると、デカルトの状況が、現在では、いわばその次元をましつつ、西洋のみならず世界のすべての人間の状況になっている、と言えます。」 またまた訳の分からないことを!現代の人にとってはほとんど興味の対象外であるように思いますが、私の無知のせいでしょうか。

B「ケインズ 伊藤光晴 1962、岩波新書」 ・・・ 最近は、”ケインズ経済学”、”近代経済学”という名もほとんど聞かなくなりましたが、私は、若いころ、マルクス経済学が後背に下がり、それに代わってケインズ経済学が台頭していることを知り、資本主義の救世主的?経済学であるケインズ経済学に少々興味をもちました。それでケインズ経済学の本を買って読んでみたのですが、基礎的知識もないので、当然脱落してしまいました。私にはよくわからないのですが、現代の資本主義は、基本的にはケインズの”有効需要”といったような考えが流れているのでしょうか。私にはわかりません。ケインズは、マルクス経済学のような資本家とプロレタリアートといった階級社会の考え方には与しないようですが、次のような別の階級を考えていたようです。

 「・・・近代経済学者はといえば、ケインズの階級観などは問題にしない。ケインズ自身についていえば、1920年代以後明確に、イギリスの社会を三つ、あるいは二つの階級にわけてとらえていた。そしてそれがもっとも明確にあらわれて、経済分析の基礎になったのは、この金本位制をめぐる論争においてであった。かれはイギリスの社会を次のようにとらえる。1.投資者の階級(Investing Class)、2.起業家の階級(Business Class)、3.労働者階級(Earner、Working Class)。そして投資者階級を非活動階級(In Active Class)、起業家階級と労働者階級とを活動階級(Active Class)とよぶ。これがケインズの二階級ないし三階級社会把握といわれるものである。」

 近代経済学者は何ゆえ”階級”という言葉を拒否するのでしょうね。階級には労働者が生んだ”剰余価値”を資本家が横取りするといったイメージが付きまとうからでしょうか。でも本当のことなのだから、堂々と表に出して議論すべきではないでしょうか。

 師走の忙しい中、”終活”の本について長々と書いてしまいました。まあ、この一年間”終活”読書のおかげで、”終活”対象の本も少なくなってきました。視力の衰えのためPCの操作が難しくなってきており、来年半ばには”終活”読書を終えようかとも思っています。それでは、皆さま良いお年を!


☆ 2021年12月19日 : 山中湖は雪がうっすらと積もりました

 17日(金)、前日からの大雨が止むのを確認して、9字過ぎに山中湖へ向かいました。特にどうしの道也山中湖では被害のようなものはありませんでした。山中湖は真冬並みの寒さになってきました。朝の温度は18日(土)で−5℃、19日(日)は−7℃でした。

 17日(金)の真夜中に、一時的に雨が少し降ったのですが、その雨の一部が雪になったようで、翌18日(土)の朝は庭一面が真っ白になっていました。今年の初雪かどうかわかりませんが、驚いてしまいました(湖畔の国道は真っ白になるほどではありませんでした)。18日の日中は、太陽が出たにもかかわらず、寒風が吹いて0℃までしか上がりませんでした。寒くて、日中もほぼ家のなかに閉じこもるしかありませんでした。

 翌19日(日)も、雪は融けずに残雪となっていました。

庭からの富士山(見えないかな) うっすらと雪に覆われた庭

 今週の終活の本は、前回と同様にマルクス主義関連の本です。本はマルクス経済学者、哲学者である的場昭弘の共産主義、マルクス主義関連の本6冊です(その内1冊は外交評論家?佐藤優との共著)。なぜ的場のマルクス主義関連の本かというと、21世紀に入って、”マルクス主義は古くなった”とか、”イデオロギーの時代は終わった”とか、自由主義?や新資本主義?の立場からの喧伝が激しくなってきたので、現在のマルクス主義思想はどうなっているのだろうと思って、本屋で関連書籍を探したところ、的場の書籍が目について、買って読み始めたということです(当時、的場の名前は知りませんでした)。

 思想関連の世界は全く知らないのですが、ポストモダン共産主義とかネオ共産主義といった言葉を時々耳にしており、マルクス主義を矮小化、修正化するものではないかと思っていました。しかし、オリジナルの?マルクス主義もよく知らないので、とにかく定年後の暇な時間つぶしにマルクス主義の勉強も兼ねて読んでみようと思った次第です。結果的には、哲学的な話は用語などが理解できず、また観念論的な言葉の”解釈”のようなところが多く(私の知識不足によるのでしょうが)、何が正しく、何が違っているのか、ほとんど理解できませんでした。それでも、資本論のマルクス経済学は現在の資本主義の中でも厳然と輝いているように思いました(共産主義は、未来予測的なもので、希望であっても、近未来に現実化するとはとても考えられませんが、共産主義社会の到来を信ずるかどうかは個人それぞれの考えでしょう)。以下に、6冊の本の概要を紹介します。

@「未完のマルクス 全集プロジェクトと20世紀 的場昭弘 2002、平凡社」 ・・・ 本書は、マルクス、エンゲルスの著作、草稿、論文、手紙等(”これらを”テクスト”と呼ぶようです)を蒐集、整理、編纂する”全集プロジェクト”の歴史話です。研究者にとっては重要な内容なのでしょうが、一般の読者にとってはどうでもよいような話が多かったです。当時2600円もした立派な本ですが、本のタイトルに惑わされて、買い間違えたようです。

A「マルクスだったらこう考える 的場昭弘 2004、光文社新書」 ・・・ 本書は、”マルクスが現代によみがえったら、このグローバル化した資本主義社会をどう考えるだろうか?”といった形で話を進めています。序章で次のように書いています。

 「大学を何校か訪れた後、マルクスは愕然とします。1989年の東西ベルリンの壁崩壊、91年のソ連崩壊後、彼の名前がクズ同然になったこと、マルクスおよびマルクス主義を信奉しているなどと人前で口にするのは、今でははばかられる行為であることを知らされたからです。マルクス経済学という講座は、かつてはどこの大学の経済学部にもあったのですが、今ではマクロ経済学、ミクロ経済学が主流になっていること、マルクス経済学と呼ばれていたと思われるものは、社会経済論、資本主義論などと名前を変えて細々と営まれていることに気づきます。マルクスの研究者もテーマを変え、彼の名前さえ論文のなかに引用しなくなっています。」

 日本の大学の経済学も、自由主義や新資本主義などの潮流にどっぷりとつかって、資本家から”良い子良い子”と褒められているようですね。あきれた!!本の内容は、世情の解釈、文章の解釈が多くて、よく理解できませんでした。

B「大学生に語る資本主義の200年 的場昭弘 2015、光文社新書」 ・・・ マルクス主義に全く関心のない大学生に向けて、多様化し、グローバル化した資本主義社会をどう捉え、理解していくべきかが書かれています。現在のいろいろな問題点を取り上げ、ひとつひとつ資本主義社会の中でどう生きていくべきか等、比較的わかりやすく書いてあると思います。ただし、一般の学生が、マルクス主義の考え方を説明されて、”なるほどそうなのか”といって勉強を始めるようにも思いません。そもそも、感覚的には”何を言っているの?”、”難しいことはわかんない”といった観じではないでしょうか?自民党保守による教育のおかげで、難しいことは考えず、感性に訴えるようなものにしか興味を向けませんよね。

C「復権するマルクス 戦争と恐慌の時代 的場昭弘、佐藤優 2016、角川新書」 ・・・ 共産主義者の的場と神学・哲学を学び、ソ連・東欧で政治・外交に携わった佐藤優が、マルクス主義について対談するという組み合わせがちょっとおもしろいですね。私は、佐藤優は自民党寄りの論客ぐらいにしか思っていませんでした。大変失礼しました。それはともかく、対談内容は、現在の思想・哲学や資本主義、社会主義などなど広い分野にわたって、問題点を取り上げ、双方の考え方を突き合わせ、議論しています。もちろん、結論を出すような話ではないのですが、現在の社会の問題点を少し理解することができたように思います。ただし、哲学、思想の話になると、私はほとんど理解不能になります。

D「マルクスを再読する 腫瘍著作の現代的意義 的場昭弘 2017、角川新書」 ・・・ 本書を読んで、いろいろとマルクス主義に関する諸事情を学ぶことができましたが、何度も言いますが一般読者が読んでも、哲学用語等がとても難しくて、理解できませんでした。とくに、マルクス主義の話が、アントニオ・ネグリとか、アルチュセール、更にはスピノザとの関係が出て来て、何を言わんとしているのかさっぱりわかりませんでした。

E「”革命再考” 資本主義後の世界を想う 的場昭弘 2017、角川新書」 ・・・ 著者は、本書の”はじめに”で、急速にグローバル化した資本主義の機器を次のように述べています。

 「資本主義はいま大きな危機に直面しています。急速なグローバル化のおかげで、地球規模で資本主義化が進みました。北朝鮮のような一部の地域を除けば、もはや資本主義市場に組み入れられていない地域はないといってもいいのです。このまま行けば、すべての地域は、資本主義化する。とはいえ、これは資本主義の勝利を意味しません。資本主義はつねに、外部に火資本主義的な市場をもつことで発展してきました。一部の先進国の浮遊は、すぐには理解しえないかもしれませんが、多くの火資本主義国の存在(からの搾取)によって成り立ってきたのです。外部市場である火資本主義がなくなるとともに、資本主義は苦しみ始めたともいえます。資本主義が促進したグローバル化が、資本主義を乗り越える反作用を始めた。」

 資本主義のグローバル化が未来の共産主義社会に転化していくということのようですが、著者は分析的に調べているのでしょうか?現時点では、未来の夢のような話で、現状を直視すれば今の私にとって宗教の信仰ののように思えてなりません。日本の現状では”共産主義”=”アカ”という認識の人が圧倒的ですよね。また、一般の人が哲学や思想の本を読むなどということはあり得ないでしょう。”ポストモダン”だの”ネオ”だのと修飾語をつけて共産主義を宣伝しようとしても、現実の世において何ほどの意味があるのでしょうか?


☆ 2021年12月12日 : 素敵な?絵画で我慢を!(2)

油彩画32:バレーの踊り子 海外画513:カナダ ロブソン山(2001) 海外画514:カナダ シャドウレイク ロッジ゙(2001)

 今週末は、東京に滞在しています。山中湖はもう冬かと思いますが、先週末ログキャビンの水抜きをしてきたのでキャビンは大丈夫かと思います。ということで、今週は終活の読書と絵画制作に励みました。

 今週の終活の本は、共産主義、マルクス主義関連の本です。現在、集中的にマルクス主義関連の本を読んでおり、次回もマルクス主義関連の本になると思います。以下、5冊の本を紹介します。

@「マルクス入門 今村仁司 2005、ちくま新書」 ・・・ 現在は、マルクスは忘れられた人となっています。”私はマルクス主義者である”、あるいは”共産主義者である”などと公言しようものなら、周りからは白い目で見られ、”アカ”呼ばわりされるのが落ちですしかし、最近現在の資本主義に疑いの目を向け、マルクスを復活させようとする動きが少し出てきているようです。そういう意味で、本書は「新しい時代の新しい世代にむかってマルクスのおもしろさを、そして現代にとって彼の仕事がもつ重要性を語り掛けることをめざした」”マルクス思想の入門書です。

 しかし、入門書と言っても、基本的には”哲学”、”思想”の本です。あちこちに、哲学用語がちりばめられ、”入門書”と言いながら、哲学の基礎的教養がないと理解は困難です。例えば、”弁証法”、”史的唯物論”、”労働の疎外”、”止揚”、あるいは”空虚の抽象的な無”などなど、何これは?という一般には使われない用語がたくさん出てきます。更に論理の進め方が、自然科学のような数学的、実証的証明に基づいていないので、その土俵の上に立てない素人には、論者それぞれ勝手なことを言っているようにしか思えません!!ということで、私は思弁的な議論にはついていけず、ほとんど理解できませんでした。理解するには、きちんと勉強し直さなくてはいけませんが、私にはそのような時間がありません。

*私は大学(理工系)の一般教養課程で”哲学”を受けましたが、生徒は私一人でした。先生が、問答形式で私を指導しようと努力したようですが、私は何も理解できませんでした。まあ、単位はもらえましたが、先生(それなりに名の通った方でした)は無能な学生を相手にいらだったのではないでしょうか。

A「ポストモダンの共産主義 スラヴォイ・ジジェク著、栗原百代訳 2010、ちくま新書」 ・・・ 本書のブックカバーには、次のような勇ましい言葉が掲載されていますが、西洋哲学、歴史にまったく無知な私にとって、内容がほとんど理解できませんでした。哲学・思想用語は、一般の人にとって理解不能で、言葉のお遊びのようにしか聞こえませんね。

 「20世紀末に、”歴史は終わった”と高笑いしたリベラル民主主義の時代はこの10年で終わったはずであった。だが彼らはいまだ危機をあおってわれわれを欺こうとしている。今こそ資本主義イデオロギーの限界と虚妄を白日の下にさらし、世界を真に変革へ導く行動原理を、まったく新しいコミュニズムを語らなければならない。闘う思想家ジジェクが、この10年の混迷を分析。21世紀を生き抜くための新しい革命思想を問う。」

B「近代日本150年 科学技術総力戦の破綻 山本義隆 2017、岩波新書」 ・・・ 本書は、物理学者であり、またかつての東大全共闘代表であった山本義隆が、科学を中心に日本の近代150年の歴史を綴ったものです。山本義隆の物理学関連の書籍は、2016.02.02、05.10、07.11、09.12のレポートにも紹介しておりますが、歴史書の紹介は初めてです。本書に記されている哲学者田辺元の科学者に対する批判を以下に紹介します。

 「田辺の矛先は、同時に現状を黙認している科学者にも向けられている。すなわち”自己専門の研究に於いては顕著なる業績を挙げて居る”が、”専門以外の一般の事実に就き全く科学的思考を適用することを知らず、科学的精神とは正反対な蒙昧主義の跳梁を観過”し、”国家社会の欠陥に注意を向け、其由来を実証的に認証せんとする如き要求を全然欠如し、ただ自己の研究に必要なる研究費さへ豊富に支給する政府であるならば、他にいかなる不合理を行ふも敢て関知する所ではない”とするような研究者を批判している。」

 まったく同感です。私の体験でも、大学院の指導教授が、私が学園闘争の一環の学内デモに参加しただけで、私に”研究室から出て行け”と宣言しました。もちろん、それは大学講座(研究室)の私物化であり、教授会に対して撤回闘争を行い、最終的には撤回させました。専門バカとなった教育者そのものです。でも、その後研究を続けるのは極めて困難な状況になったことは当然です。

C「日本共産党闘争小史 市川正一 1954、国民文庫」 ・・・ 本書は、1929年4月?、治安維持法等によって検挙された日本共産党員の市川正一が、公判廷において堂々と”演説”した日本共産党の”歴史書”です。彼が、日本共産党の最も困難な状況の中にありながら、敵(日本の天皇制国家権力)の理不尽な攻撃に対して、熱血をしぼって書き、公判廷において正々堂々と”演説”する姿に、感動すら覚えます。是非皆さんにも読んでもらいたいのですが、ここでは市川の”序論”の冒頭を以下に紹介します。

 「われわれは日本共産党員であるがゆえに、このゆえにのみ、この法廷に立たされている。多くの同志は日本共産党員であるゆえをもって、また日本共産党のために活動したゆえをもって、ブルジョアから熱烈に追及され迫害され、そして長期の刑をうけ、あるいはブルジョアジーの白色テロのためにたおれた。私もまた日本共産党員であるがために、他の理由は一つもなく、ただそのゆえをもってのみ、この法廷に立たされている。その日本共産党、わが日本共産党は、はたして何をなしきたったであろうか。いまここに日本共産党の過去−−われわれが逮捕されるまでの活動を具体的に述べて、このことをあきらかにしたいと思う。」

 戦前の社会主義者や多くの知識人、それにマスコミ・ジャーナリスト等が大政翼賛会に集結し、日本帝国の侵略戦争に加担していったことを考えると、当時の日本共産党員の強固な意志に対して敬意を表したいと思います。

D「全学連と全共闘 高木正幸 1985、講談社現代新書」 ・・・ 本書は、1968、69年の学生運動、反戦運動の歩みをふりかえりながら、日本の政治と社会にもたらしたインパクトを述べています。私もその一端を担いましたが?、70歳半ばになっても、当時の問題は私の人生に重くのしかかり、解決をみることはできません。ここでは、ブックカバーの解説を紹介しておきます。

 「全共闘運動は、それまでの学生運動のように政治的というより、多分に精神的、情念的、文化的な闘争であった。”氾濫”の規模の大きさ、各大学単位で、それぞれの問題を把えて同時多発的に勃発したこの60年代後期の大学闘争は、戦後の教育復帰をめざした、学生自治会の連合組織による48年の全学連闘争、ブント全学連による国会突入の60年安保闘争とは、まったく異なるものであり、学生が社会に与えた衝撃、驚愕において、ほぼ10年周期の過去のこの二つの学生運動の高揚をはるかにしのぐ、最大のものであったといえるだろう。この大学闘争、全共闘運動は、それまでの学生運動の概念、絵図を完全に塗り替える、まさに歴史的な出来事であった。」

 それにしても、あの学生運動を担った多くの人々はどこにもぐりこんでしまったのでしょう?これも謎ですね。


☆ 2021年12月05日 : 山中湖は師走に入って穏やかな晴天が続いています

 今週の山中湖の天気は、朝方−2℃ほどまで下がり冷え込みましたが、風もなく穏やかな快晴の日が続きました。

 今週は、次男が二人の孫を連れてきたので、慌ただしい日を過ごしました。初日は、富士吉田の恩賜林組合の幼児施設”キポキポ”に連れて行き、遊ばせました。建物内装が木でできた施設で、遊ぶ道具もすべて木で作られています。子供は大喜びでした。2日目は、父御yと上の男の子は早朝にドーム船でのワカサギ釣りに出かけていきましたが、下の女の子(2才)を我々老夫妻に任せて出て行ったので、その子守に大わらわとなりました。ハクチョウにエサをやるとき、ハクチョウにつつかれて大泣き!”パパー、パパー”と泣くのでなだめるのが大変でした。
富士吉田の幼児施設”キポキポ” 大勢の小学生が遊んでいました

 ガキの面倒は親がちゃんとやってほしいものです。ちなみに、釣果は50匹ほどあったようです。

 今週の終活の本は、ちょっと恐ろしい、読みたくもない、あの”関東軍細菌戦部隊、すなわち第731石井部隊”に関する本です。あまりにも恐ろしい記録本なので、再読するのはやめようかとも思ったのですが(読むと夢にまで出てきそうな気がするものですから)、決意を固めて再読してみました。それは次の2冊です。

@「悪魔の飽食 ”関東軍細菌戦部隊”恐怖の全貌 森村誠一 1981、KAPPA NOVELS」 ・・・ 本書は、推理小説家として著名な森村誠一が、第七三一石井部隊の満州における残虐行為を記録した長編ドキュメントです。”絵にも描けないおどろしい皇軍による”残虐行為”が克明に記されていますが、ここで取り上げることもできません。序章の抜粋と識者のコメントを以下に掲載します。

 「私 は、”赤旗”日曜版に小説”死の器”執筆中、旧満州第七三一部隊、すなわち日本陸軍の細菌戦部隊の生存者多数と接触する機会を持った。世界で最大規模の細菌戦部隊は、日本全国の優秀な医師や科学者を集めて三千人の捕虜を対象に非人道的な生体実験を行い、細菌兵器の大量生産を急いだ。この技術とノウハウが現在の米軍生物・化学戦部隊に受け継がれ、その基礎となったのであるが、第七三一部隊に関する記録は終戦と同時に完全に抹消され、戦史の中の空白となっている。生存者たちも、申し合わせたように口を堅く閉ざして語りたがらない。 中略」

 「戦争とは本来残酷なものである。戦争においてすらも非人道的とされて禁止されている細菌戦に従事した人たちにとって、その後の人生は重いものであったに違いない。だが真実は記録されなければならない。歴史に空白を残してはならない。懸命な説得によって、ようやくその人たちの固い口が解れかけてきた。 中略  第七三一部隊に青春を、あるいはその人生の最も実り多き時期をささげた人たちにとって、第七三一部隊とは何であったのか。そしてその人たちの戦後の重く過酷な人生。−−真実を記録するペンもまた重い。 後略」

 以下は、ジャーナリスト本多勝一の書評(ブックカバー)です。 「決定的な記録の書: 人類の歴史は、科学技術や社会科学・文化の輝ける発展と並行して、人間同士の大量無差別虐殺もまた”発展”させてきた。細菌戦や人体実験で知られる関東軍満州第七三一部隊も、このマイナスの発展の恐るべき部分だが、その実態の究明はこれまで不十分だった。綿密な取材と膨大な資料発掘によって決定的な記録とせしめた本書は、中性子爆弾などで”発展的絶滅”の危機へと近づきつつある人類のたそがれの今、戦争体験のない若い層にこそ読んでほしいと思う。平和勢力が虐殺勢力に打ち勝つために。」

 私の読後感は、ただため息をつくばかりです。人類(或いは生物)の本性は、生き残るためには何でも平気にやってしまうのですね。

A「【証言】 七三一石井部隊 今、初めて明かす女子隊員の記録 郡司陽子 1982、徳間書店」 ・・・ 著者に対してある本(上記の”悪魔の飽食”と思われる)が誰かから送られてきて読んで衝撃を受けたことがきっかけで、本書の執筆を思い立ったとのことです。著者は、石井部隊長と同郷(千葉県加茂郡)で、その縁もあって満州(ハルピン)に渡り、七三一部隊員として敗戦まで働いたということです。執筆の意図が”まえがき”に記されているので、その抜粋を以下に掲げます。

 「・・・ その”本”を読んで、わたしはひどい衝撃を受けた。まるで自分の神経を、素手で直接つかまれたような痛みが走った。そこには、七三一部隊の実態が、克明に描かれていた。”わたしたち”は”悪魔”になっていた。この事実を受け入れざるをえない。と思う反面、何かが違うという気持ちがわたしを強くつき動かした。 中略 むろん、わたしに七三一部隊の歴史を書くことなどできようもない。わたしにできることは、七三一部隊で、わたしが何をし、何を考え、どう生きていたのかを、可能な限り思いおこして、ありのままに綴ってみることだけである。そうすることを通じてしか、わたしが”本”に抱いた違和感を他人に伝える術がない。わたしがどこまでそのことをやりきれるか、まったく自信がない。不安もある。でも、わたしは、あえて試みようと決心している。」

 著者(夫も部隊員ですが、実働部隊員として戦争現場で転戦していて、ハルピンにはほとんど不在であったようです)は、本書で自分の見たもの、聞いたものを丁寧に記していますが、部隊内では補助的仕事だけであったので、石井部隊の”真実”に触れることはできていません。そういう意味で、”悪魔の飽食”の補助資料となるのでしょうか。


☆ 2021年11月28日 : 山中湖はもう冬です

 2.5週間ぶりに山中湖に入りました。朝晩は冬のように冷え込みました。27日(土)の朝は、マイナス2℃となり、庭や車のフロントガラスが霜で真っ白になりました。でも、日中は風もなく、穏やかな天気でした。富士山も真っ白な姿がきれいでした。

 夕方、地下室でストーブの石油タンクに石油を補給していたとき、急に胸が圧迫されるようになりました。心拍が乱れ、不整脈となったようです。幸い大したことにはなりませんでしたが、どうも近づいてきたようです。終活を早めようと思っています。

 今週の終活の本は、10月31日紹介した本多勝一のルポルタージュの第5弾(最終)で、次の2冊です(第1弾は6月20日、第2弾は11月8日、第3弾は11月14日、第4弾は11月21日に報告済です)。今までは、海外のルポが中心でしたが、今回は日本に関する報告です。
 *ルポルタージュ以外に、L「山を考える」、M「50歳から再開した山歩き」、N「実践・日本語の作文技術」 の3冊が残っていますが、報告の対象外とします。
夕方の庭から西を見た風景

J「そして我が祖国・日本 本多勝一 1983、朝日文庫」 ・・・ 本書は、次の4部からなっています。第1部:我が故郷(長野県伊那谷)、第2部:アイヌモシリ(北海道苫東)、第3部:南部のくに(東北の出稼ぎ地方)、第4部:田中角栄を圧勝させた側の心理と論理(新潟県魚沼)。1974年から1976年にかけて朝日新聞などに発表されたものです。当時の日本の地方がどのような道を進んでいるのか、深く観察し、問題点をあぶりだしていると思います。後藤総一郎が書いた本書の”解説”の一部を紹介します。

 「本多勝一の”事実”の真相をえぐり出す明晰な調査科学と透徹した多目的視角は、・・・従来の、あらかじめ仮説をたて、ある考えを抱いて現地を訪れ、ひとつのリポートを作成する、いわゆる大宅壮一的な思考とは異質のそれである。こうした従来の手法を”演繹的”であるとすれば、本多勝一の手法は、ひとつの事実を自からの手で掘り起こし確かめながら、そこからある仮説的事実を提出するという、いわゆる”帰納的”方法によって創出されたリポートだ。思えば、柳田国男の民俗学も、帰納的方法によって形成された学問であった。だからその生命は不滅とされるのであろう。」  何かほめているようですが、私には理解不能です・・・
 
K「日本環境報告 本多勝一 1992、朝日文庫」 ・・・ 文庫本ながら650ページほどにも及ぶ日本の自然環境破壊に関する報告集です。主に1973年から1991年の間に朝日新聞や朝日ジャーナルなどに掲載された47編の報告が掲載されています。1970年代からの高度経済成長期の日本全国における自然環境破壊に関する問題が報告されており、私が環境問題に関心を寄せたきっかけともなった書物でした。著者の”はじめに”から一部抜粋して以下に掲載します。

 「このころ(1970年代初め)から、”開発”とか”自然保護”といった問題に関心をいだくようになりましたが、それでもこうした方面の担当記者というわけではありませんから、とくに時間をかけてとりくむ機会も余裕もなかったのです。けれども、自然破壊の 規模もスピードも、年ごとに大きく、はやくなってゆきました。どうにもがまんのならぬ大急ぎの現場、たとえば”国立公園内のもっとも重要な部分がまもなく伐採される”とか、”破壊のひどい大横断道路の工事が中止か開始の瀬戸際”、”世界一のブナ原生林に危機”、”サンゴの海に飛行場建設”といった情報が現場からとびこんで来て、とくに地元でたたかっている人たちから、”ともかく見にきてくれ”と切々たる訴えが寄せられますと、あらゆる都合をふりきってでもかけつけざるをえなかったのです。結果は現地からのルポとして新聞の1ページの大半をつぶしての報告となるのですが、そうした”火急の現場”へ”仕方なく”かけつける仕事を何度かくりかえすうちに、実に奇妙なことに気づきました。」

 「それは、環境問題の担当記者が、火急の現場に姿を見せない、というふしぎな現象です。環境や自然破壊について、遠い外国の現場には行くのですね。あるいは”各論としての現場”ではない総論としては立派な記事も書くのですね。私のようなシロートには実に教えられることの多い本を有名出版社から出したりもするのですね。にもかかわらず、たとえば国土計画株式会社のかかわる大規模ゴルフ場、スキー場開発現場、といったところには、断固として現れないのです。地元の地方紙の記者や、全国紙でもそこの通信局の記者はむろん現れます。しかし専門記者は現れない。これらの”ふしぎな環境ジャーナリスト”のなかには友人、知人もいるので言いにくいのですが、かといって大義を捨てて遠慮するわけにはゆきません。なぜなのか直接きいてみたこともありますが、一瞬顔色が変わっただけで回答はえられませんでした。これ以上は想像するよりほかはないので、彼らに片目つぶってウィンクしながらあえて邪推すれば、そうした環境破壊をもたらす日本型の体制におもねってみみっちい”社内出世”を夢みているのではないでしょうか。」

 「例によってまた悪口雑言罵詈讒謗(あっこうぞうごんばりざんぼう)になってしまいましたが、”火急の現場”へ行くたびにこの不満はつのる一方でしたから、これもその吐け口としてお許しください。」

 実に、おもしろい裏話ですね。その友人らは、ひょっとすると、国土開発のような資本から何かの援助?でももらっているのではないかと、ついつい想像してしまいますが、これは悪い癖でしょうか?よかったら、ぜひ読者の皆さんも、この大作を読んでみてほしいと思います。 


☆ 2021年11月21日 : 秋の芸術を楽しんでいます。素敵な?絵画で我慢を!

油彩画31:アネモネ 海外画511:スイス ツエルマット(2000) 海外画512:スイス クライネ・シャイデッグ(2000)

 今週末は、車のバッテリーが原因で始動できなくなりました。人体ばかりでなく車や生活の周りの器具類まで故障続きで、いやになってしまいます。気候はめっきり寒くなり、芸術の秋となってきましたが、以前報告した日展(絵画)や個展絵画の鑑賞に続いて、今週末は練馬文化センターでクラシック音楽”フジコ・ヘミング特別コンサート”(演奏:東京フィルハーモニー交響楽団)を聴いてきました。演奏曲は次のようです。 @ショパン ピアノ協奏曲第1番、Aモーツアルト ピアノ協奏曲第21番、 リスト ラ・カンパネラ、それにベートーベン 交響曲第6番”田園”でした。オサカベコンサートがなくなってからは音楽を聴く機会が少なくなっています。久しぶりの本格的オーケストラに満足しました。

 今週の終活の本は、10月31日紹介した本多勝一のルポルタージュの第4弾で、次の2冊です(第1弾は6月20日、第2弾は11月8日、第3弾は11月14日に報告済です)。タイトルが”殺す”だの”殺される”だの恐ろしい名前ですが、被抑圧人民の立場に立った本田勝一の渾身のレポートではないかと思います。なお、”殺される側”という表現についての著者の説明は次のようです。

 「”殺される側”という表現には、もちろん直接的な意味で虐殺される場合も含んでいますが、より広くは侵略する側、差別する側、支配する側、管理する側、調査する側、搾取する側、食う側、総じて”意味する側”あるいは”整理する側”に対蹠(せき)する側としての、侵略される側、差別される側、支配される側、管理される側、調査される側、搾取される側、食われる側、総じて”意味される側”、あるいは”整理される側”、結局は権力と対峙する側の象徴として”殺される側”を代表させたつもりです。」

H「殺される側の論理 本多勝一 1982、朝日文庫」 ・・・ この本の1小節”「中国の旅」と靖国神社”から、今では議論することも許されないような”天皇制”批判の文章(一部)を紹介します。

 「天皇陛下とか、それにつながる靖国神社のような存在が、どうして私たちにとって”ありがたい”のでしょうか。このもっとも素朴な疑問に、もしあなたが”ありがたい”と考えておられるとしたら、どう答えられるのでしょう。ありがたいどころか、実は私たちを殺す存在であることは、これまでのシンポジウムなどで明白ですが、なにか一点でも”ありがたい”という部分があったら、本当に、私は知りたい。ところが、現実には、かなり多くの日本人(といっても、次第に減りつつあるので右翼はあせっているのですが)が、”ありがたい”と思い込んでいる。世界でもこれはたいへん奇妙な信仰であって、おもしろいといえばおもしろいには違いありません。一億人もの”文明人”が、この迷信を支持して、制度として温存しているのですから。」

 右翼からの脅迫があったと思いますが、よく”殺され”なかったものですね。

I「殺す側の論理 本多勝一 1984、朝日文庫」 ・・・  この本では、イザヤ・ベンダサンと名乗るえせユダヤ人(本当は日本人の山本七平)との書簡論争が掲載されており、たいへん面白いのですが、タイトルの”殺される側の論理”とはちょっとずれています。ここでは、”ここ1,2年”、著者を攻撃、批判、非難、罵倒してきたさまざま”論客”?についての著者の意見を記します。

 「それ(攻撃、批判等)を分類すると、次の3つになります。 @とくに深い論理的必然性があるわけではなく、なんとなく気にくわぬからやっつけようとする心理に由来する場合、これは職業用心棒としての武士やヤクザと似ていて、”論客”だから、したがってガンをすけなければ沽券(コケン)にかかわるといったタイプであります。 A一部の極右的な極左グループ。ここに共通なのは、私が”ブル新”の記者だから、したがって、それだけですでに”人民の敵”だという論理です。 B帝国主義や独占資本の忠実な用心棒知識人の場合。いわゆる右翼文化人は、たいていこれに当たります。 中略」

 「Bは今後ますます盛大に攻撃してくるでしょう。イザヤ・ベンダサン氏などよい実例です。 中略 こうした右翼文化人の攻撃が私に対してもっともっと激しくなることを念願いたします。いっぽう私自身としては、前著”殺される側の論理”の跋(ばつ)文でも書いたように、こうした”論客”知識人や用心棒知識人の声にではなく、”殺される側”としての一般民衆の声に、これまで同様、学んでゆきたいと思います。」


☆ 2021年11月14日 : 今週末は東京に停滞しました。素敵な?水彩画で我慢を!

海外画508:コロッセオと凱旋門(1997) 海外画509:ギリシア アクロポリスの丘(1997) 海外画510:ギリシア ボロス島(1997)

 車のサイドミラーが故障したため、今週末は東京に停滞しました。13日(金)には、久しぶりに立川で開かれていた個人(木村秀夫)の絵画展示会に行き、素敵な風景画を鑑賞してきました。そうそう、10月24日に報告した”意識の喪失と救急搬送”の件ですが、現在は生活は今まで通りとなりました。10日には循環器内科の診察で(今回の件とは関係なく、以前から動脈硬化や心不全が心配で循環器内科でいろいろな検査を行っていたところでした)、病名をつけるような検査結果はなく、今のところ特に問題はないとのことでした。要は、いろいろ現れてくる症状は、直接の原因がよくわからないということなのでしょう。

 今週の終活の本は、10月31日に紹介した本多勝一のルポルタージュの第3弾で、次の2冊です(第1弾は6月20日、第2弾は11月8日に報告済です)。

F「戦場の村 本多勝一 1981、朝日文庫」 ・・・ この本は、1966年11月から1967年10月にかけて、ベトナム戦争とベトナム人の生活を中心に取材したルポルタージュです。その中で、藤木高嶺(朝日新聞写真部員)といっしょに南ベトナム解放戦線の解放区に潜入し、米軍の攻撃にさらされながら取材した報告は圧巻です。ここで内容を記すことはできませんが、是非皆さんにも読んでいただきたいと思います。南ベトナム戦争は、私にとって”反戦”、”反帝国主義”の考えの原点となったと思っています。以下に、米軍に殺された10歳代の解放戦線の若い戦士が持っていた故郷に宛てた手紙を紹介しましょう。

 「お父さん、お母さん。 なつかしいご両親や兄弟姉妹たちとお別れしてから、なんと早く時間の流れたことでしょう。あれからもう3シーズンも過ぎたのですね。ここは中部の、ある戦区のジャングルです。昼さがりのひととき、たいへん家庭的な雰囲気と、革命の高い士気がみなぎる中で、この手紙を書いています。ご両親をはじめ、なつかしい家族たちと遠く離れていましても、私の心はいつもあなたがたの上に在ります。どんなにいとしく、どんなに案じているかをお察し下さい。でも、あなたがたが私のことをあんまり心配して、健康を害したりするようなことがあっては、私にとって一番つらいということになります。ご両親はじめ肉親が、血肉をわけた私を遠くからどんなに心配して下さっているかはよく存じていますが、私のほかに何千何万もの人々が親兄弟から離れ、妻子から離れて、祖国の山河の将来のために、肉親愛を祖国愛に転じて生活しているのです。」

 「思い返すまでもなく、私はご両親の恩に少しも報いることなく、今日に至りました。何よりも、これをつらく思っています。ようやく物事がわかるようになり、ご両親の愛情が骨肉で感じられるようになった今は、何千キロも遠く離れているのです。このうえは、全力をあげて仕事に励み、戦功をたてるため懸命に戦い、一日も早く祖国ベトナムの統一を実現することだけが、ご両親のひざもとで孝養をつくすにかわる方法であります。」

 「なつかしい兄弟、姉妹たちよ。いつも私を思い出していてくれることでしょう。私も同じ気持ちですが、今は何千キロも離れて、親孝行もできません。あなたがたにも少しも力になってあげられませんが・・・(以下空白)」

 私は、この本を読み返して、心が締め付けられるような思いになるとともに、改めてアメリカ帝国主義に対する怒りがこみ上げてきました。

G「アメリカ合州国 本多勝一 1981、朝日文庫」 ・・・ この本は、1969年5月から11月にかけてアメリカ合州国に滞在し、各地を訪ねたときのルポルタージュです。もっとも重点を置いたのは、黒人街ハーレム(ニューヨーク州)、黒人差別地域(深南部の諸州)、次いでインディアン保留地(ニューメキシコ州とアリゾナ州)ということです。

 黒人奴隷制度を含めて黒人差別の問題は、最近の白人警官による黒人圧殺事件などもあり、一応日本人もある程度認識していると思います。もう一方、アメリカにはアメリカ原住民インディアンに対する土地の略奪、迫害、虐殺問題があります。前者には多くの書籍や報道がありますが、後者は最近はほとんど取り上げられていないのではないかと思います。ここでは、アメリカ白人に勇敢に戦ったジョゼフ酋長がワシントンで語った話のほんの一部を紹介します(本書には、”ジョセフ酋長の最後の闘い”という文書が付録として掲載されています)。

 「友人諸君、私はこの胸のうちを明らかにするよう依頼された。その機会を与えられてうれしく思う。私は白人に、わが民族を理解してほしい。諸君の中には、インディアンは野獣同様だと考えている人々もいる。それは大きな間違いだ。私の民族についてすべてをお話しするから、そのうえでインディアンが人間か、そうでないかを判断してほしい。もしわれわれがもっと胸を開き合えば、多くの困難や流血は避けられると私は信じている。 ・・・ 中略」

 「白人がインディアンを、他の白人を扱うのと同じように扱うようになれば、戦争は二度と起こらなくなる。そうなれば、同じ父親から生まれた兄弟として同じ空のもとで、同じ国に、同じ政府のもとで、同じ生活ができるのだ。そうすれば天にまします偉大なる霊の酋長はこの国を喜び給い、雨を降らして、兄弟たちの手によって大地の表面につけられた血の汚れを洗い流されることだろう。インディアンはそのときの到来を待ち、祈り続けている。私は負傷した男女のうめき声が二度と再び偉大なる霊の酋長の耳に届かぬことと、すべての人々がひとつになることを願っている。インムトツーヤラトラトは一族を代表してこのように考える。   小ジョセフ」

 私は、小さい頃に父親に連れられて映画館に行き、ジョン・ウエィン演ずる白人騎兵隊が、”野蛮で無法な”インディアンを殺戮する映画を観て楽しんでいたことを思い出します。白人WASP(White,AngloSaxon&Protestant)は暴虐ですね(日本人も同じかな)


☆ 2021年11月08日 : 山中湖は紅葉がいっぱいでした

Yのログキャビンの紅葉 紅葉まつりの湖畔の様子 夕日の渚の紅葉 Y一家の家族旅行(箱根)

 今回は11月2日から8日まで山中湖に滞在しました。山中湖では”夕日の渚紅葉まつり”が開催中で、湖畔の夕日の渚をはじめ、別荘地全体が紅葉でいっぱいでした。多くの観光客が訪れ(密集するようなことはありません)、そぞろ歩きしながら紅葉を楽しんでいました。今年は湖畔にも模擬店が出店しており、観光客が湖畔のハクチョウやカモにエサをやっていました。夕方には湖畔でピアノ演奏もありました。村では観光の振興に努めているようですね。来週まで紅葉はもちそうです。

 週末は、初めてY一家の3家族9人が箱根に集結し、結束?を誓いあいました。こんなことは今回が初めてで最後となるようですね。


 今週の終活の本は、前回紹介した本多勝一のルポルタージュの第2弾で、次の3冊です(第1弾は6月20日に報告済です)。これら3冊は、まとめて”極限の民族”として出版されているようです。

C「カナダエスキモー 本多勝一 1981、朝日文庫」 ・・・ 1963年5月から6月にかけて、筆者(朝日新聞記者)と写真家藤木高嶺(朝日新聞写真部員)とがカナダ北極圏のエスキモー部落(ウスアクジュ部落)をたずね、そこに住み込んで彼らと生活を共にしたときのルポルタージュです(その結果は、朝日新聞の夕刊に連載されたそうです)。

 筆者は、「食物・住居・狩猟の旅など、すべてエスキモーと密着することに重点をおきました。私自身の気持ちとしては、彼らの外面的生活様式よりも内面的な心の世界にいっそう興味をもっていました。」と語っていますが、エスキモーの家にその家の家族と一緒に住み込み、同じアザラシやトナカイの肉を食べ、雪の平原での狩猟の旅に出かけるなど、普通の研究者や報道記者にはまねのできないような取材をやっています。したがって、読めばその面白さや迫力が強烈に伝わってきます。

D「ニューギニア高地人 本多勝一 1981、朝日文庫」 ・・・ ”京都大学西イリアン学術探検予備踏査隊”に参加し、筆者と写真家藤木高嶺、それに調査隊員石毛直道の3名で、1964年1月13日から2月16日まで、西イリアン高地の奥地にあるウギンバ村(モニ族、ダニ族が住んでいる)に滞在し、彼らと生活を共にしたときのルポルタージュです(その結果は、朝日新聞の夕刊に連載されたそうです)。

 村の人々はほぼ裸で生活し、道具と言えば石斧ぐらいで(かまどや土器のようなものはない)、サツマイモを主とする農耕生活という、ほぼ新石器時代の生活をしているとのことでした。しかし、ここも徐々に”文明”の利器が入り込んできているようで、現在はどうなっているか分かりません。中尾佐助氏が次のように評しています。「本多君の探検における姿勢は五感にうったえるあらゆるものに注目し、更に手足を使って補強している。これは学者でなく、アマチュアの姿勢である。しかしこれこそが、学者の調査でなく、探検家として有るべき姿勢なのだ。」 ”文明”とはなんだろうと、本当に考えさせられます(私には答えはわかりませんが・・・)。

E「アラビア遊牧民 本多勝一 1981、朝日文庫」 ・・・ 1965年5月から7月にかけて、筆者(朝日新聞記者)と写真家藤木高嶺(朝日新聞写真部員)とがアラビア半島の内陸に住むベドウィン」族(特にダワシル族)たちのテントが集結している小オアシスで、20余日間生活を共にしたときのルポルタージュです(その結果は、朝日新聞の夕刊に連載されたそうです)。

 筆者は、次のように述べています。 「私たちのルポの狙いは、この近代化されてゆくアラビア半島を報道することではなく、”遊牧”という、日本の歴史には全くなかったけれど、世界の歴史では重要な役割を演じてきた生活様式の民族について、できるだけナマのままで実態を伝えることにありました。 中略 このルポによって多少とも、遊牧民に関する神話と現実の差を感じていただけるなら、学者の仕事とは別に、ジャーナリストとしての私たちの狙いの一端は果たされたことになりましょう。 中略 ベドウィンたちは多くを考えさせてくれたし、興味深い人々でした。再訪の希望は、エスキモーやニューギニア以上に強く覚えます。」 この本ももちろん面白く、かつ考えさせられました。


☆ 2021年10月31日 : 今週末は東京に停滞しました

 先週末立ち眩みで救急搬送されましたが、その後は完全回復?しました。25日月曜日からは、水泳も開始しました(泳ぐ距離は半分ほどに抑えていますが)。

 今週末は、東京に滞在しました。29日(金)には、国立新美術館(乃木坂)に行って”日展”の絵画を鑑賞し、勉強してきました。ついでに乃木坂から赤坂まで散歩し、久しぶりに赤坂の”美登理寿司”で寿司ランチを食べました。

油彩画29:乃木坂のビル街 油彩画30:国立新美術館内 海外画507:ヴェネティア運河(1997)

 31日(日)は、孫(1歳4か月)の運動会を見学してきました。昔、息子の運動会に参加して楽しんだことが思い出されますね。当時は若かったですね。

 今週の終活の本は、本多勝一のルポルタージュです。本多勝一のルポルタージュは、6月20日に次の3冊を取り上げています。 @「中国の道」、A「南京への道」、B「天皇の軍隊」 です。

 この3冊以外にも、私は以下の本多勝一のルポルタージュの本(全て朝日文庫)をもっています。 C「カナダエスキモー」、D「ニューギニア高地人」、E「アラビア遊牧民」、F「戦場の村」、G「アメリカ合州国」、H「殺される側の論理」、I「殺す側の論理」、J「そして我が祖国・日本」、K「日本環境報告」です(ルポルタージュ以外にもう3冊、L「山を考える」、M「50歳から再開した山歩き」、N「実践・日本語の作文技術」 があります)。

 本の紹介の前に、”しんぶん赤旗 2021.9.5”の”この人に聞きたい”という欄で、本多勝一とのインタビューの内容が数回に分けて連載されていましたので、そのうちの”第1回”の一部抜粋を紹介してみます(失礼な事でしたが、私は彼はもう亡くなられたのかと推測していました。ごめんなさい)。

 「反骨のジャーナリストとして知られる本多勝一さん。深い現場取材と徹底した弱者の視点で、ルポルタージュ史に一時代を築きました。11月に90歳を迎える本多さんに、これまでのジャーナリスト人生を聞きました。」 まず、プロファイルです。 「1931年長野県生まれ。京大在学中に2度のヒマラヤ遠征を実現し、58年夏”知られざるヒマラヤ”を刊行。同年10月朝日新聞入社。”戦争の村”など数々の大型ルポで活躍。定年退職後、93年”週刊金曜日”を創刊し、編集長など歴任。現在、同誌編集委員。」

 「第1回 ”戦場の村” ベトナム戦争取材して: 当時のベトナム特派記者の記事を見ていて、とりわけ不満に思ったのは、戦争中の”現場”そのものからの報告が少ないことでした。カメラマンは最前線の現場に行って写真を撮っているのに、記者は前線基地ぐらいまでしか行っていない。現場を直接見ればいい記事が書けるはずなのに、なんだか歯がゆいのです。そこで、みずから進んでサイゴンに赴任しました。最初は3年間の取材計画をたてましたが、編集局長室は”海外支局員でもないのに、そんな長期の特派は前例がない”と。とりあえず4カ月の許可が出ました。現地で延長して、結局10カ月、南ベトナムで取材しました。」

 「現地で最初に取りかかったのは、戦争下におけるサイゴンの一般民衆の生活実態です。7人の子持ちの左官夫婦の家の近くに下宿して、時々はお宅に泊めてもらいながら、細かく取材しました。 ≪米軍での従軍取材で最前線で見たこと≫ 米兵がゲリラの遺体から耳を切り取って、お土産にしたことは、象徴的な出来事だからよく覚えています。米軍の戦車が機関銃を打ちながら進んでいくのに、その周りで農民たちが顔も上げないで稲刈りをしていた情景も忘れられません。逃げるとかえって撃たれるから、必死に我慢していたのです。」

 「≪メコン川流域の農村部の国立病院での聞き取り調査≫ 入院患者の全員調査をやろうと思ったのは、彼らがまさに戦争の”現場”からの生還者だからです。つまり、この戦争の本当の最前線を知っているからです。手間と時間がかかるので、こんな調査は私が初めてだったと思います。ルポにも書きましたが、患者87人のうち、戦争関係のけがは66人。圧倒的多数が米軍のヘリコプターによる銃撃と政府軍の砲撃でした。しかも戦場で巻き込まれた人はきわめて少なく、ほとんどが”何でもないときに、突然”やられていました。 連載をまとめた単行本”戦場の村”では、”真の犠牲者は民衆であるとだけ叫んで、米軍も解放軍も、どっちもどっちだ、という態度の声は、強盗と被害者の格闘を横で見物している傍観者と変わりはない”と書きました。表面的な犠牲者だけみても米軍と政府軍によるものが圧倒的でした。”事実を見ること””体験する事”により、正しいのは誰か、私にもはっきりわかりました。」

 「≪世界初の解放戦線下の農村の潜入取材≫ メコンデルタの解放区の現実は全くの謎でした。私も実際に見るまでは正確な状況は何もわかりませんでした。ニッパヤシでできた”巣”のような家、人々の明るい表情、豊かな食べ物、解放戦線の武器、ゲリラの隠し砦・・・。見ること、聞くこと、想像とはだいぶ違っていました。夜になると、米軍や政府軍の艦艇が狭い水路まで入ってきて、真っ暗な中、やみくもに銃撃していきました。1カ月近くいて、外には何も連絡できないし、ルポを送ることもできません。あの時のことすべてが、印象深くあります。」

 「≪ジャーナリストとしての生き方を変えさせられた≫ ベトナム取材とルポは、自分の作品における一種基本的な骨組みとなりました。とくにジャーナリストの本来の仕事は”支配される側に立って、主観的事実をえぐり出すこと”と考えるようになりました。米軍の無法ぶりを暴くルポが、新聞で98回も連載できたのは、読者の強い支持のおかげです。連載中、”これほど多数の投書が集中したのは”越”欄はじまって以来”という反響がありました。そのほとんどが圧倒的支持でした。翻訳されて海外でも読まれました。」

 今回は、本多勝一の紹介で終わりにします。


☆ 2021年10月24日 : 救急車に運ばれて富士吉田市民病院へ

富士山(パノラマ台から) 富士山(忍野八海から) 今冬初のストーブ点火 畑には初霜が降りり

 今週末の土曜日曜日は好天に恵まれました。放射冷却が激しく、朝晩の気温は冬のようでした。今冬初めてストーブを点火しました。薪をくべるのは面倒ですが、部屋の暖かさはさすがに抜群ですね。24日(日)の朝は、土起こしをした畑が真っ白になっていました。山中湖はいよいよ冬にまっしぐらということのようです。おお寒い!!ちなみに、旭日丘”夕日の渚紅葉まつり”は今週末から始まる予定です。

 23日(土)の夜、ウィスキーを少量飲んだ後、寝ようと思って椅子から立ち上がったところ、急に立ち眩みが生じました。ふらふらしながら(家族は顔面が蒼白だったと言ってました)何とかトイレに行って座ったところ、そこで意識を失い前方に倒れ込んだようです。家族が物音に気づいてトイレに来て、私を引き起こし、トイレの前の部屋まで何とか連れて来てくれたようです。部屋で横になるとすぐに気が付き気分は良くなり、、私自身はほぼ”正常”になったと思いました(会話もでき、手足を動かし、起き上がることもできました)。

 一方、家族は当然のことながら救急車を呼びました。10分くらいで救急車がやって来て、私を簡易ベッドに乗せて車に運び入れ、富士吉田市民病院まで搬送しました(私はこの間正常でしたが、車まで歩くのは不可と言われました)。病院ではすぐに診察、検査が始まりました。検査は次のようなものでした。@欠與・血液検査、A点滴注射、B心電図、C頭部CT検査です。結果は異状は見つからないとのことで、点滴を途中でやめて退院となりました。

 私は、2、3年前から、時々(年に1、2回)水泳や自転車乗り、薪割りなどの運動・作業中に、、胸に違和感を覚えるといった症状が現れるようになりました。その時は、軽いめまいなどもすることがありましたが、比較的短時間で気分は戻り、翌日には正常となっていました。そのため、現在は動脈硬化の疑いがあるということで、ちょうど東村山の病院の循環器内科で精密検査をやっているところでした。どうも不整脈による低血圧が直接の原因かと思います(糖尿病による低血糖ではないと思っています)。倒れたときは痛みもなく、まったく記憶もかったので、死ぬときはこんな状態で即死になれたらよいなあと思いましたが、死ぬときはそんなにうまくはいかないのでしょうね。まあ、気を付けるといってもどうしようもないので、天命を待つしかありませんね。救急搬送の顛末話でした。


☆ 2021年10月17日 : 今週末の山中湖は雨模様でした

 今週末は雨模様でした。15日(金)の日中は晴れたので、デッキの腐食部分にビニール板?を貼り付け、防水処置?をしました。効果は疑問ですが、様子をみてみようと思っています。これが駄目なら、板を上から張り付けようかと思っています。

油彩画28:帽子と女性 デッキの補修 ネットを外した畑

 雨が少し止んでいるときは、畑のネットを外したり、土起こしをしました。庭も少しすっきりしました。17日(日)朝東京へ戻ったのですが、結構強い雨が降りました。家内が緊張しながら慎重に運転していました(私は現在高速道以外では運転しないようにしています)。

 今週の終活の本は、韓国関連の2冊です。

@「日韓併合小史 山辺健太郎 岩波新書、1966」 ・・・19世紀末(李朝末期)から1910年の日本帝国による朝鮮併合までの歴史を記述しています。日本帝国が日清戦争に勝利した後、軍事力による卑劣な朝鮮植民地化を進めた策謀の歴史が淡々と書かれています。内容は、歴史に忠実というか、条約などの資料を並べて解説するといったもので、読んで面白いものではありませんでした。もっと日本帝国主義の植民地侵略をきちんと描いてほしいものです。

A「金史良 安宇植 岩波新書、1972」 ・・・金史良という人物は、私は全然知りませんでした(この本をどうして買って呼んだのかも記憶がありません)。彼は併合された朝鮮で生まれ育ち、小説家を目指しました。そして日本語の作品「光の中に」で芥川賞候補となり、日本の文壇にデビューしました。しかし、彼は当然のことながら、日本帝国主義による朝鮮支配に不満をもち、抗日運動にもかかわり、官憲に逮捕されたりもしました。最後は、中国東北地方の満州に入り、朝鮮解放の闘いに参加しました。1950年、朝鮮戦争で36歳で亡くなったとのことです。彼が、北京から中国東北部の抗日地区へ脱出する時のことが次のように記されています。

 「北京を立つ前夜、金史良は母と妻に宛てて最後の手紙をかいた。彼はこれに、かねてからしめし合わせた通りり脱出の実現を知らせる言葉、”金不備”−−−後は失礼、よろしくとしたためたのであった。決行の日時などもかきこんだのはいうまでもない。”金不備”としるされた手紙が最後のものであることも、妻は知っていた。はからずも、彼が脱出を決行することになった日の早朝、南方に向かう彼とは反対に北方行きの列車で帰国の途についた:盧天命にこれを託し、家族に手渡すよう依頼したのであった。5月25、6日のことである。母と妻に宛てて手紙を書くあいだ、彼の胸中を去来する感慨がどのようなものであったかは想像にかたくない。わけてもいよいよ脱出の第一歩を踏み出した瞬間の感激は、まことにはかりしれぬものであった。」

 革命家の意思というのは凄いものですね。妻や母を後において、革命運動に飛び込むなど、私にはとてもできません。ロシアにおけるツアー体制打倒のナロードニキ運動に入っていった若い学生にも感動しました。革命運動の裏にはこのような自己犠牲をものともしない多くの戦士が必要なのですね。


☆ 2021年10月11日 : マルクス・エンゲルスの著作は私にとっては理解困難です

 10日(日)は一日中小雨が降りましたが、その他は曇り空または快晴の天気でした。おかげで、庭の伐採枝や雑草の処理が進み、目途が立ってきました。家内は、畑のネットを解体し、整理しました。

 庭は落ち葉が大量に降り落ちるので、これからも大変です。ニホンリスやシカさんと牡鹿、ヤマガラなどが庭を訪れてくれるので、癒されます(シカは困りものですが)。久しぶりにベラルーシのマー君と両親も立ち寄ってくれました。お父さんとは初めてお会いしました。日本人だったのでだいぶイメージが違っていました。

海外画504:マイアミ(1995) 海外画505:ニューヨーク(1995)

 今週の終活の本は、9月26日に続いてマルクス・エンゲルスの著作で、「家族・私有財産・国家の起源 エンゲルス著、戸原四郎訳 岩波新書、1965」です。前回も述べましたが、マルクス・エンゲルスの著作は、ヨーロッパの過去の歴史や当時の状況についての知識を持っていないとほとんど理解するのが困難です。また、文体や言い回し等も日本人には理解できないことが多いです。特に、今回の著作は、先史時代から近代までのヨーロッパの文化人類学的知識が必要で、ますます意味不明のことが多く、本の概要を紹介することは不可能です。ということで、とりあえず著作の結びの部分だけを紹介します。

 「さて、結びに、文明にたいするモーガンの判決をかかげよう。”文明の出現以来、富の増加はいちじるしくなり、その形態は多様に、その使用は広範に、その管理は所有者の利益のために巧妙になったので、この富は民衆にとって統御しがたい力となった。人間精神は自分自身の創造物をまえにして呆然自失の状態にある。だがそれでも、人間の理性が富を支配するまでに強まり、国家とそれの保護する財産との関係、ならびに財産所有の権利の限界を確定する時代がくるであろう。社会の利益は絶対に個々の利益に優先し、この両者は正当に調和のとれた関係におかれなければならない。もし進歩が、過去にそうであったように、将来の法則でもあるとするならば、たんなる富の追及は人類の最終使命ではない。”」

 「”文明の開始以来過ぎ去った歳月は、人類の過ごした生存期間の一小部分にすぎず、また人類の今後の期間の一小部分にすぎない。社会の解体は、富を唯一の最終目標とする歴史的過程の終末末をなすものとして、われわれの目前に迫っている。なぜならば、そのような道程はそれ自身の破壊の要素を含むからである。行政における民主主義、社会における友愛、権利の平等、普通教育は、経験と理性と科学が不断に到達しようとつとめている次代のヨリ高度な社会段階の、手ほどきをするだろう。それは、昔の氏族の自由、平等、友愛の復活ーーだがヨリ高度の形態での復活ーーであろう。”」

 何を言っているか全然わかりません。唯物史観に基づいた文明の発展を、家族・氏族、私有財産および国家の起源を説いているようですが、理解できませんでした。このほかに、マルクス・エンゲルスの著作が5冊ほど残っていますが、字が小さくて文字を読むのが困難なこと、またマルクス・エンゲルスの思想が自分の理解能力を超えていること、さらに年を取って理解しようとする気力も時間もなくなっていることから、読破するのを断念して、廃棄することにしました

@「経済学・哲学草稿 マルクス著、城塚登・田中吉六訳 岩波文庫、1964」
A「ドイツ・イデオロギー マルクス・エンゲルス著、古在由重訳 岩波文庫、1956」
B「哲学の貧困 マルクス著、山村喬訳 岩波文庫、1950」
C「賃金・価格および利潤 マルクス著、長谷部文雄訳 岩波文庫、1925」
D「賃労働と資本 マルクス著、長谷部文雄訳 岩波文庫、1925」

 少々残念で、寂しい思いがしますが、止むを得ませんね(「経済学・哲学草稿」は、大学時代に読んだとき、大変感動して私の”思想”に大きな影響を与えた本なので、これだけは残して、時間があったらチャレンジしてみようかと思っています)。


☆ 2021年10月05日 : 山中湖、台風一過の後は晴天続きでした

 今回は、台風接近の前日9月30日(木)に山中湖に入りました。翌10月1日(菌)は一日中雨が降りましたが、その後2日(土)以降は快晴の天気となりました。朝晩はやや冷え込みますが、日中は日差しの下では結構汗をかくほどでした。

 晴天のお陰でいろんな作業がはかどりました。まずは、伐採枝の処理がほぼ見えてきました。5月にやる予定だった懸案の煙突の内部掃除もおわりました。9月中旬から進めていたデッキの修復作業と塗装も何とか終わりました。でも、デッキが今年の長雨であちこち腐食してきているので(黒いカビで板が黒ずみ、内部がスカスカになっている)、完全に修復するのは難しいかなと思っています。
デッキの塗装 キキョウ

 今週の終活の本は、「現代日本の思想 久野収、鶴見俊輔 岩波新書、1956」です。古い本なので、今から見ると古臭い感じがしますが、取り上げられた”日本の思想”は以下の通りです。@日本の”観念論”、A日本の”唯物論”、B日本の”プラグマティズムー生活綴り方運動」、C日本の超国家主義ー昭和維新の思想、D日本の”実存主義ー戦後の世相」。

 私は、哲学や思想にはほとんど興味を持っていないし、理解する能力も持ち合わせていません(マルクス・エンゲルス主義については例外で、現在もおおむね賛同しています)。したがって、本書を読んでも、高等教育を受けた哲学者、思想家、知識人の間の観念論のようなおしゃべりが多く、興味もわかず、かつ理解できませんでした。ただし、その中でも気になった個所がったので、2つを以下に紹介してみます。

1)日本の”唯物論”に関して: 「過去39年において日本共産党が、その下におかれつづけてきた圧力状況を考えるとき、以上の批判は、すべて今後に望むべき言葉としてのみ正当であるように思われる。 家からうしろがみをひかれる思いに屈せず、日本の国家権力にむかって正面から挑戦しつづけた思想家集団は、昭和年代に入ってからは、日本共産党以外になかったのである。私たちは、思想を大切なものと思うかぎり、日本共産党の誠実さに学びたい。」

2)日本の超国家主義ー昭和維新の思想に関して: 「明治の末に、北(一輝)が伊藤(博文)を批判したという当時は人々の見すごしていた思想史上の一事件が、半世紀をへだてて、現実の歴史上の諸事件の原型となった。われわれの間には思想は本来無力なものだという、それこそ日本の知識人特有のあきらめが成立し、思想は現実にひきずられ現実に適応してゆくだけのものだという、思想軽視を良識とする底流があるが、伊藤にたいする北の思想的対決を見て、その後の日本歴史の動きを見るとき、思想が現代日本においても現実を動かす力となって来たことに確信をもつものである。


☆ 2021年09月26日 : 山中湖、夜はストーブが必要です

 天気が悪いためか(曇り、夜は時々雨)、山中湖はとても寒くなりました。カエデなどは少し紅葉しているものもあります。夜になるとかなり冷えるので、ガスストーブを使ったりしています。

 煙突の壁に緑のコケが付き始めたので、取り除き作業をしました(前回は3年前でした)。45度傾斜のガルバニウム製屋根に2段ハシゴをかけての作業なので、少し緊張しました。

 秋の花が咲き始めました。マツヨイグサ(ツキミソウ)、ハクチョウソウなどが咲いています。
煙突の壁掃除(コケ取り) マツヨイグサ&ハクチョウソウ

 今週の終活の本は、マルクス、エンゲルスの思想および著作です。マルクス、エンゲルスの思想とは、唯物史観、マルクス経済学(剰余価値節)、共産主義です。マルクス、エンゲルスの著作は、学生時代にかなり読み込んだのですが、マルクス経済学を理解していなかったこと、ヨーロッパの歴史的背景をほとんど知らなかったこと、また表現が独特で意味不明なことが多かったため(すなわち、まだ読む力を持ち合わせていなかった)等で、さっぱり理解できなかったことを記憶しています。今回はおよそ50年振りの挑戦となりましたが、前に比べれば理解が進みましたが、さらりと読んだだけなので、またまた突き放されてしまいました。今回紹介するのは、次の6冊です。

@「弁証法とはどういうものか 松村一人 岩波新書、1950」 ・・・ 哲学における現代の弁証法は、ヘーゲルに始まって、フォイエルバッハを経て、マルクスの”科学的”弁証法へと進んだようです。”科学的弁証法”は、史的唯物論と関係があるようですが、哲学の本は独特の難しい用語がちりばめられており、ほとんど理解できませんでした。哲学は、私のような人間にとっては、言葉のお遊びに思えます(大学の一般教養で”哲学”を取ったのですが、生徒は私一人でした。もちろん、教わったことは何も記憶していません)。私は哲学的にはほとんど無能です。

A「唯物史観と現代 梅本克己 岩波新書、1967」 ・・・ 梅本克己は、70年代学生に人気のあった哲学者だったと思います。この本は、唯物論の考え方、ブルジョア社会の解剖とマルクス経済学、それにマルクスの唯物史観の成立等、唯物史観についての概要を丁寧に説いています。ただ、上記の本と同様、哲学の本は私が理解するには難しかったです。ただし、内容が良かったので、時間があれば再読して、もう少し理解を深めたいと思っています。

B「マルクス・エンゲルス小伝 大内兵衛 岩波新書、1963」 ・・・ 19世紀後半の激動のフランス革命時代に、社会主義革命を理論的に指導し、かつ唯物史観、マルクス経済学等偉大な思想を築き上げたマルクスとエンゲルスに関する話です。とても分かりやすく読むことができました。

C「共産党宣言 マルクス、エンゲルス著、大内兵衛、向坂逸郎訳 岩波文庫、1951」 ・・・ 「ヨーロッパに幽霊が出るーー共産主義という幽霊である。ふるいヨーロッパのすべての強国は、この幽霊を退治しようとして神聖な同盟を結んでいる。法王とツアー、メッテルニッヒとギゾー、フランス急進派とドイツ官僚。」という有名な出だしで始まる小冊子です。ただし、分量は少ないのですが、内容はとても濃密で、ヨーロッパ史や当時のヨーロッパの政治状況、それにマルクス経済学(唯物史観)などを理解していないと、さっぱりわかりません。

D「空想より科学へ エンゲルス著、大内兵衛訳 岩波文庫、1946」 ・・・ こちらは、エンゲルスによるヨーロッパにおける社会主義の発展が述べられています。すなわち、目次的には、”空想的社会主義”、”弁証法的唯物論”および”資本主義の発展”となっています。これも共産党宣言と同様に、分量は少ないのですが、内容はとても濃密で、概略しかわかりませんでした。マルクス、エンゲルスの著作は、気合を入れて読まないとほとんどギブアップです。

E「ルイ・ボナパルトのブリューメル十八日 マルクス著、伊藤新一、北条元一訳 44岩波文庫、1954」 ・・・ 1851年のルイ・ボナパルト(有名なルイ・ナポレオンとは違い、彼の甥です)によるクーデター(フランス第二共和制の崩壊)について、詳細にその背景、原因等が記されています。やはり、フランス王政やフランス革命、当時の社会状況が分かっていないと、何が何だかさっぱりわかりません。

 今回は、マルクス・エンゲルス関連の著作は6冊ですが、まだ10冊ほど残っています(含むマルクス経済学講座の3冊)。ただし、文庫本は昔の漢字を使っており、かつ字が小さいため、読むのに苦労しています(現在視力がどんどん落ちています)。そのため、一部は読破するのを断念しようと思っています。


☆ 2021年09月21日 : 山中湖はもう秋模様です

準満月(21.09.19) 絶滅寸前のトリカブト ヤマボウシの赤い実 サンショウの赤い実

 19日(日)、山中湖に向かいましたが、国道20号が渋滞、中央高速も渋滞、国道412号は初めての渋滞、平野交差点でも久しぶりの渋滞等々、連休であちこちに渋滞が発生していました。菅・小池の”県境をまたぐ移動の自粛!”の呼びかけなどは、都民にとって馬耳東風ですね!あははは!20日(日)には、孫の誕生祝のトーマスの汽車グッズを買いに富士急ハイランドへ行ってきましたが、こちらも若い人たちで結構混雑していました。絶呼マシン”ドドンパ”?に乗ろうとする人が長い行列を作っているのには少し驚き!こちらも”移動自粛”はどこ吹く風ですね。

 19日の夕方からようやく雲も取れ、20日(月)、21日(火)は久しぶりの秋晴れとなりました。19日の夜は、ほぼまあるい月が上りました。木々の間からの月は明るくとても大きく見えました。庭にトリカブトがやっと咲きました。昔は雑草のように咲いていたのですが、今はほぼ絶滅寸前です。ヤマボウシ、サンショウ、ガマズミが赤い実をつけており、とてもきれいです。

 雨降りが続く山中湖でしたが、ようやくキュウリが取れ始めました。今年は天候不順でとても遅いですし、収穫量もあまり期待できないようです。フジアザミも今年は元気がありません。株数も例年に比べて3分の1以下といったところです。

油彩画26:サン・ラザール駅(1) 油彩画27:サン・ラザール駅(2) 海外画504:バハマ・ナッソー(1995)

 今週の終活の本は、次の2冊です。

@「世界史の中の満州帝国 宮脇順子 PHP新書、2006」 ・・・ ”満州とは何か”、”東アジアの民族興亡史”から”満州帝国の成立”、”日本敗戦後の満州”まで、幅広く満州のことが記されており、満州の歴史概要がよくわかりました。内容紹介を転載します。「歴史の表舞台から消滅して60年、日進・日ロ戦争を通じて”10万の生霊、20億の国帑(ど)”によって贖われた大地−−。なぜ満州に日本人が大挙して向かうことになったのか。清朝中国、朝鮮、そしてロシア。さまざまな利害と思惑が産み出した満州帝国とはいったい何だったのか?その数奇な運命を詳細にたどる。」

 ただ、著者は政治的立場や道徳的価値判断をいっさい排するとしているため、研究家の資料研究成果のまとめとなっており、日本帝国主義、皇軍の中国侵略に対する突っ込んだ意見が何もありませんでした。そういう意味では最低の本だと思います。

A「第二インタナショナルの崩壊 他16編 レーニン訳、吉田弘訳 国民文庫、1953」 ・・・ 第二インタナショナルは、西欧の社会民主主義者が1889年に設立しましたが、ブルジョア国家間同士の戦争(第一次世界大戦)に対する参戦方針をめぐって分裂し、1914年に解散しました。本の内容は、当時の西欧の政治状況を理解していないと、ほとんど理解できません。ということで、途中で読むのを断念しました。


☆ 2021年09月13日 : 山中湖では、ミズナラのナラ枯れ病が蔓延しています

 山中湖はぐずついた天気が続いており、湿めっぽく、冷涼な日々です。

 業者に依頼して、隣家に張り出した大木(南側のミズキと南西側のイタヤカエデ)の大枝をカットしてもらいました。台風などで大枝が隣家の屋根に落ちて損害を与えるのではないかと心配していましたが、これで一安心です。また、庭が明るくなり、空がよく見えるようになりました。
カット後のミズキ カット後のイタヤカエデ カットされた木々の枝
 先週報告したミズナラのナラ枯れ病の話です。我が家の周りにも数本の枯れたミズナラの木があるのですが、ちょっと車で別荘地の上の方を走ってみたら、驚くべく、あちこちにシートを巻いたミズナラの木が見受けられました。山中湖は、どうやらナラ枯れ病が蔓延しているようです。庭のミズナラの木には木酢液を噴霧したのですが、防虫に効果があるかどうかわかりません。

 県の話によると、10月頃にナラ枯れになっているミズナラの木の調査にくるそうで、それまで待つしかないようです。ナラ枯れが判明したら(写真のように根元に木くずが落ちていたら)、テープでマークして、来年の4月頃にその木にシートを巻くのだそうです。シートを巻くのは、樹木内で卵から成長した?カシナガ虫が、翌春樹木内から外へ飛び出すのを妨害し、ナラ枯れ病の拡散を防止するのだそうです。したがって、この対策では、飛来したカシナガ虫が樹木内に侵入するのを防ぐ目的ではないとのことです。沢山のミズナラがあるので、感染?予防をするのは難しいようです。コロナのように感染して症状が出たら、感染した人は死んでもらい、他への拡散を防ぐといった感じですかね???
ナラ枯れのミズナラ ナラ枯れの樹下の木くず

 今週の終活の本は、保坂正康の昭和陸軍関係の本です。保坂正康の本は、7月11日付けで「あの戦争はなんだったのか」を取り上げましたが、今回は以下の2冊です。@「昭和陸軍の研究上、下 保坂正康 朝日文庫、2006」、A「陰謀の日本近現代史 保坂正康 朝日新書、2021」

 「昭和陸軍の研究」は、上下2冊で、それぞれ637ページ、629ページあり、筆者渾身の力作です。「昭和陸軍はなぜ多くの錯誤を犯したのか」、「国家を滅亡の危機におとしいれ、自らを解体に追い込み、国民に過酷な運命を強いたのか」、そして「昭和陸軍の誤謬の責任は誰がとったのか」、更には「そもそも太平洋戦争とは何だったのか」等々を、多くの関係者からの聞き取りと豊富な資料から、その解明を試み、実像をあぶりだしています。その意味では日本人が読むに値する本ではないかと思います。一方、「陰謀の日本近現代史」は、タイトル”陰謀”につられて年初に買ったのですが、内容的には軍部を中心とした昭和史の一部真相を述べたにすぎず、あまり代わり映えはしていませんでした。

=>しかし、前回も言及したように、著者は何故か昭和の戦争を日米戦争に絞っており、朝鮮・中国への侵略戦争をはずしています。また、なんとなく、太平洋戦争のやり方あるいは日本軍(皇軍)の高級軍人やその組織がお粗末だったから敗戦したといったトーンがあるように思えて仕方ありません。日米戦争の真の原因は、アメリカ帝国主義と日本帝国主義の中国、東南アジアにおける覇権争いであり、ここを解明することが必要であり、高級軍人の資質がよくないとか、戦略がまずかったなどということは、真の問題ではないはずです。どうも著者の立ち位置に疑問を感じました。


☆ 2021年09月07日 : アメリカのアフガニスタン侵略戦争は敗戦となりました。
                1975年アメリカのベトナム侵略戦争の敗戦と同じですね

海外画502:オーストラリア1(1991) 海外画503:オーストラリア2(1991) 収穫したキュウリ

 雨降りが続く山中湖でしたが、ようやくキュウリが取れ始めました。今年は天候不順でとても遅いですし、収穫量もあまり期待できないようです。フジアザミも今年は元気がありません。株数も例年に比べて3分の1以下で、花の色も何となく鮮やかさがないようです。今年の夏の天気は異常でした。

 異常と言えば、昨年に続き今年も、山中湖で”ナラ枯れ病”が猛威を振るっているようです。ナラ枯れ病とは、ミズナラの木にカシノナガキクイムシ(カシナガ)が樹木に入り込み、そのときナラ菌が持ち込まれ、ミズナラが枯死してしまう樹木の病気です。富士急では、山梨県の県有林課が調査し、対処するという案内を送ってきました。一方、村では広報誌で”ナラ枯れの被害を見たらご一報を”と記していました。私は家の付近で数か所、葉がすべて褐色になって枯れているミズナラの木があったので、我が家の庭のミズナラ1本(今は緑の葉です)が心配になりました。

 それで、富士急と村に相談に行ったのですが、その対応が無責任で、頭に来ました。最初富士急の事務所に行ったのですが、富士急は別荘地管理はしているが、樹木は県有林なので県が対応する事になっており、ナラ枯れについては富士急としては関知しないというのです。やむを得ず、村役場生活環境産業課に行きましたところ、村としては富士急管轄の別荘地は管轄外?であるため、別荘地のナラ枯れ対策は関知しない。したがって自身で県に電話をして対処してもらうようにとのことでした。
 
 これはおかしいですよね。カシナガ虫は、富士急の別荘地かそうでないかなどは関係なく飛び回り、ミズナラにナラ菌を広めて、枯死させます。コロナッチウィルスと同じような広域感染です。それを、富士急と村と県が密な連絡をとらず、情報の共有もせず、共同対策を取らず、自分たちの管轄内だ、管轄外だなどと言っていては、ナラ枯れ病はどんどん拡大していってしまいます(ちなみに、私の家の前の村道を挟んで反対側は別荘地外となっています)。なんとお粗末な行政なのでしょう。呆れてしまいました。ちょうど役場内で知り合いの村議に出合ったので、実情を話し、対応をお願いしました。

 先月、アフガニスタンにおいて、タリバンがほぼ全土を制覇し、アメリカの強盗軍を一掃しました。1975年にアメリカ侵略軍が南ベトナムから叩き出されたことを思い出した人もあるのではないでしょうか?アメリカは懲りもせず、同じことをあちこちで繰り返しています。アメリカのアフガニスタン侵略の事情はここで述べることはしませんが、このアフガニスタン侵略と敗戦についての日本のマスコミ報道の取り上げ方はとても異常だと思いました。9月6日付けの朝日新聞の”記者解説(編集委員三浦俶章)”などは、アメリカ侵略国べったりの論評です。すなわち、アメリカの正義のテロ作戦が何かの間違いでうまくいかなかったのであり、もっと良い対策を取る必要があったという論調でした。冗談ではありません。”世界の警察官”面をして、よその国に強盗のような軍隊を派遣して、勝手気ままに人民や国土を蹂躙するのに、よい戦略・戦術をと議論するのは、朝日新聞がアメリカの侵略に加担していることになります。戦前の朝日新聞の天皇の皇軍賛辞に戻ったのでしょうか。朝日に限らず、マスコミはアフガニスタン問題の真の原因をきちんと語らなければならないと思います。


☆ 2021年08月31日 : 山中湖では、葉っぱや実が落ち始めてきました

 フジアザミが咲き始めていますが、今年はどうも不作のようで、花も元気がないです。大雨のせいでしょうか?カボチャがようやく2個採れました(以前に1個はベラルーシ家に贈呈済み)が、やはり不作ですね。でも食べたらぽくぽくしていておいしかったです。ガマズミの赤い実が鈴なりです。ミズキノ紫の実はぽたぽたと落ちています。秋が近づいています。

フジアザミ 収穫したカボチャ ガマズミの実

 先週の終活の本はフランス大革命の本でしたが、今週はロシア革命の本です。これも大変古い岩波新書、国民文庫の本で、恐らく学生時代か就職直後に買って読んだものと思います。したがって、内容はほとんど忘れていましたが(そもそも当時読んだときは、ロシア帝政の時代背景の知識が全くなかったので、ほとんど理解できていなかったと思います)、今回読み直して、以前より少しロシア革命を理解できたように思います(真に理解するにはもっとロシア帝政の歴史を勉強しないと無理ですね)。ロシア革命は、17世紀のイギリスの革命、18世紀末のフランス革命に続いて、19世紀の1874年のナロードニキ運動ら1917年の間に起こった革命で、1917年11月にボリシェビキ(レーニン)がロシア帝政を倒し、ソヴィエト政権を樹立しました。この革命は、今までのブルジョア革命と違い、マルクス主義に基づいた労働者、農民による世界初のプロレタリア革命です。この革命の成功が、中国をはじめ世界各国に波及することになり、帝国主義、植民地主義、資本主義と対立するようになったのはご存知のとおりです。読んだ本は次の3冊です。

@「ロシア革命運動の曙 荒畑寒村 岩波新書、1960」 ・・・ 1905年の第1次革命(流血の日曜日)までの”革命前夜”におけるナロードニキ(人民の中へ)運動やテロリストの活動が詳細に記述されています。ロシア皇帝による農民(農奴)に対する圧政とそれに対抗する人々(貴族や地主階層出身の若者(含む女性)たちが中心)、そしてロシア皇帝の彼等に対する牢獄幽閉、シベリア流刑、あるいは処刑等、すさまじい弾圧が行われました。読むのも恐ろしい記録です。私などの日和見主義的な人間にはとても耐えられません。本の中で取り上げられたソフィア・ペロフスカヤの話を紹介します。

 「彼女は貴族の出で、その父は数年間ペテルブルグの総督をもつとめたが、彼女は家を去って労働者の啓蒙運動に身を投じた。そのために、1875年に一度逮捕されたことがある。その後、彼女は農民に直接の援助を与えるために薬学を修め、看護学校に入って1年で卒業した。そして患者に対するその献身的な介抱は、たちまち医師の敬意と愛情とをかち得、困難な患者はみな彼女の看護にゆだねられたほどである。 中略」

 ソフィアは、1881年3月1日(新暦13日)に、仲間と一緒にアレクサンドル二世の暗殺を敢行しました。その後逮捕され、特別裁判により死刑の判決が下され、4月15日に仲間と共に絞首台の上で命を絶たれました。27歳でした。 報道によると、「彼女は最後の瞬間まで勇気を失わず、従容として刑場におもむく表情には、いささkの苦悶も見られなかった」ということです。「彼女が愛する母に送った遺書は、この豪胆な復讐の天使のやさしい信条と、人間的な苦衷とを語りつくして余すところがない。ソフィアの母は我が子の逮捕を知ると、ただちにクリミアの隠棲地から上京して面会を求めたが、政府は慣例を無視して最後の決別を許さなかった。」 遺書が掲載されているのですが、長くなるのでやめておきます。

A「レーニンとロシア革命 クリストファー・ヒル著、岡稔訳、1955」 ・・・ 1905年1月の第1次革命(流血の日曜日)に始まり、1906年12月労働者のモスクワ蜂起、1917年3月革命(臨時政府樹立)を経て、1917年11月革命までのロシア革命の歴史と、その革命を率いたレーニン(ボリシェビキ)の話です。歴史書といっても、年代順に述べられているわけではなく、レーニンとの関連した話題ごとに述べられており、ロシアの歴史背景や当時の様子を知らないので、理解が容易ではありませんでした。ご存知のとおり、レーニンの樹立したソヴィエト共和国連邦は、静養資本主義国の圧力によって崩壊してしまいましたが、ソ連における”一国における社会主義建設”に関する文章の一部だけを紹介しておきます(”スターリン主義”については、この本では範囲外です)。

 「これまでわれわれは蜂起の理論家、組織者、指導者としてのレーニンを考察してきた。レーニンが世界で最初の社会主義国家の頭首として活動した7年間のことは、この書物の残りの4分の1たらずで論じなければならない。この7年間にきずかれた基盤の上に、レーニンの後継者たちは20年そこそこのうちに一大強国をつくりあげたのである。荒廃した国土の再建という点だけをとっても、ソヴェト政府の事業は驚異的なものであったが、問題はそれだけにとどまらない。それは巨大な規模の試行錯誤の時期であり、かつて試されたことのない社会組織形態の実験の時期でもあった。」

 「先例もなければ青写真もなかった。マルクスとエンゲルスは、階級のない、最後の携帯(共産主義の段階)とそこへゆくまでの過渡的な”プロレタリア独裁”の時期とについて、社会主義社会の一般的組織原則を暗示的にのべた。だが、マルクスとエンゲルスは、社会主義革命が高度の工業国でおこるか、またはヨーロッパ全体にほとんど同時におこることを、暗黙のうちに仮定していた。レーニンと彼の政府も、最初はロシア革命が西欧における社会主義的蜂起のきっかけになるだろうと、期待していた。この期待がみこみうすになったとき、彼らは一国において、しかもわずかばかりの工業セクターが戦争と内戦でめちゃめちゃになった農業国で、マルクス主義の原則を適用するという、おそろしく困難な課題に当面した。」

 「この点は、レーニンとロシア革命の評価をするばあいにいくら強調しても強調しすぎることはない。ソヴェト制度の成果と欠陥を判断するさいには、理想的な社会主義国家というような抽象的・絶対的な規準によって、判断してはならない。そうではなくて、まったく例外的なほど困難な条件のもとで、絶望的なほど不十分な物的・人的資源をもって、文明世界の他のほとんどすべての政府の公然たる敵意にさらされながら、おもいがけなくおこなわねばならなくなった実験の一部として、評価しなければならない。」

B「1905年の革命 レーニン著、全集刊行委員会 国民文庫、1955」 ・・・ ロシアで1905年に起きた第1次革命(流血の日曜日)に関する、レーニンの論文やアジテーションがまとめられている。当時の詳しい状況を知らないので、何を論じ、何を訴えているのかほとんどわかりませんでした。


☆ 2021年08月22日 : 山中湖もまだまだ天候不順が続いています

 8月中旬から、憂鬱な天気が続いています。山中湖でも土砂災害警報が出るほどの大雨も降りました。そろそろ山中湖も雨が止むかと思って、18日(水)、久しぶりに山中湖へ向かったのですが、毎日曇りか雨で、おてんとうさまはほとんど顔を見せてくれませんでした。雨の合間をみて、薪割りや草取りを行いました。

 友達になったベラルーシの兄弟が週末には東京へ帰るということでお別れをしました。時々は山中湖に来るようですが、少し寂しい気持ちになりました。

 今回の水彩画から、今までの海外ツアーの思い出のシーンを水彩で描いた絵(1箇所につき1〜3枚程度)を掲載します。昨年から、このシリーズの絵を終活の一環として描いています。ちょっと恥ずかしい気持ちもしますが、ご覧になってください。
キキョウ&ヒオウギ 海外画501:シンガポール(1990)

 今週の終活の本はフランス大革命の本です。私の西洋史の知識は、高校の世界史の知識に毛が少し生えた程度のものです。その中で、ギリシア・ローマ帝国史とフランス大革命およびロシア革命については、ほんの少し書物を読んだことがある程度です。フランス革命は、17世紀のイギリスの革命の後、1789年から1794年の間に起こったブルジョア革命で、1792年の8月10日の蜂起でブルボン王朝を倒し(ルイ16せ処刑)、共和国を成立させました。その中で、最終的にジロンド派が追放され、ロベスピエールのジャコバン派が実権を握りましたが、1794年7月テルミドールの9日のクーデターでロベスピエールが処刑されて、一応の終末を迎えました。

 終活の本は次の2冊ですが、大変古い岩波新書の本で、恐らく学生時代か就職直後に買って読んだものと思います。したがって、内容はほとんど忘れていましたが(そもそも当時読んだときは、フランスの時代背景の知識が全くなかったので、ほとんど理解できていなかったと思います)、今回読み直して、以前より少しフランス革命を理解できたように思います(真に理解するにはもっとフランスの歴史を勉強しないと無理ですね)。

@「フランス革命小史 河野健二 岩波新書、1959」 ・・・ 次のような章立てで記述されています。1)革命と階級、2)啓蒙思想、3)革命のきっかけ、4)王と議会と民衆、5)戦争と革命、6)革命と民衆、7)ブルジョア国家の出現、終)革命は終わった

A「ロベスピエールとフランス革命 J.M.トムソン著、樋口謹一訳、1955」 ・・・こちらは、恐怖政治を行ったジャコバン派のロベスピエールの人物を中心に、革命の推移を記述しています。次のような章立てになっています。1)1789年、2)新しい秩序、3)王政から共和制へ、4)コミューヌと国民公会、5)ジロンド派の運命、6)ジャコバン体制、7)恐怖政治、8)徳の共和国、9)ロベスピエールの没落、10)ロベスピエール

 やや長いですが、1793年4月の国民公会でのロベスピエールの演説の一部を紹介します。「すべての政治的な結合の目的は、人間の自然で侵害できない諸権利を保障し、」人間の能力のすべてを発展させることである。・・・もっとも重要な人権は自己保存と自由とである。・・・これらの権利は、平等にすべての人に属する。・・・自由とは欲するがままに自己の能力を行使する各人の権利をいう。その原則は正義、その限界は他人の諸権利、その源泉は自然、その保証は法律である。・・・法律は、社会に有害なもののみを禁止し、社会に有益なもののみを要求しうる。・・・社会の全清飲に生活費を与える−−−彼等に仕事を得させるか、労働に適しない人々に生活手段を保証するか、そのいずれかによって−−−ことは社会の義務である。・・・社会は、公衆の知性の進歩を全力をあげて奨励し、教育をすべての市民に開放されている。・・・全ての市民は、人民の代表の任命および立法に預かる平等な権利を有する。

 これは、西欧世界の理想であり、ロベスピエールの人権に対する確信的信念のようです。日本の政治家も、格好をつけるだけでもよいから、このような高尚な理念を国会の場で表明してほしいですよね。まあ、ないものねだりだけで・・・


☆ 2021年08月15日 : デルタ型コロナッチ大爆発と医療崩壊がやってきた!!

 梅雨の末期のような大荒れの天気が続いていますね。そんな中、とうとう日本にもコロナッチ(デルタ型)が大爆発し、感染者数、重症者数、死亡者数が止まりません。また、それに伴って東京の医療体制がほぼ崩壊し始めました。感染者については、自宅療養が原則などという指針はとんでもないことです。自宅療養者は保健所に電話をしても繋がらないことが多いので、治療拒否されたも当然ですよね。

 菅や小池は何を考えているのでしょうか?都合の悪い情報は隠す(ラムダ株の発現についてはオリンピック期間のため隠しました)、”国民の命と安全”をお経のように唱えるばかりで、具体的対策は後手となるなど、でたらめさにも呆れてしまいます。医療側も、”医療体制がひっ迫している”というだけで、政府や都にたいして忖度しているのではないかと思われます。どうも最後は、自分の命は人に頼らないで自分で守りなさいということのようです。なさけないですね!


油彩画25:傘(模写) 水彩画137:アネモネ(模写)

 今週の終活の本7冊を紹介します。最初の2冊は数学の供用を得るために学生時代に購入したと思います。次の2冊はサラリーマン生活の終わりごろに購入したと思います。最後の3冊は、6月20日および7月11日に取り上げた中国関連の本(それぞれ9冊、5冊)の続きです。内容は歴史というより現代の日中間の問題を取り上げています。

@「数学をきずいた人々 矢野健太郎 岩波書店、1966」 ・・・ 著者は大学の有名教授で名前(学生の間では”矢野健”と呼ばれていた)だけは知っていましたが、直接講義は聞いたことはなかったと思います?数学は専門ではないので、今読んでも難しくてさっぱりわかりません。物理学でも、オイラーやガウス、リーマン、ヒルベルトなどの名前が出てきますが、こんな難しいこと数学理論を考える天才は凄いですね。ただただ驚くだけです。

A「零の発見 吉田洋一 岩波書店、1939」 ・・・ ”零(ゼロ)”はインドで発明されたとか。こちらの本もさっぱり理解できませんでした。学生時代に使用した計算尺の原理の話があり、少し原理がわかってうれしかったです。なんとなく情けないですね。

B「老人と海 ヘミングウェイ著、福田恒存訳 新潮文庫、1966」 ・・・ 私にとって外国の小説を読むのは珍しいことですが、恐らく著者の名前と本のタイトルに惹かれて買ったのだと思います。猟をする老人の話は面白いのですが、私は釣りの趣味がないので(つられた魚の顔を見るのが辛くなります)、量子の気持ちがわかりませんでした。でも老人の執念のようなド迫力は伝わってきました。

C「ゲバラ日記 チェ・ゲバラ 高橋正訳 角川文庫、1969」 ・・・ キューバ革命は興味があり、またカストロから分かれてボリビアに行ったゲバラの名前もよく知っていました。しかし、南米の革命を求めて活動する戦士の気持ちはとても私には理解できません。理解できないというより、私がジャングルをさまよって政府軍と戦うなどということは到底できるはずがありません。したがって、ゲバラに対して感動も賞賛もありません。我が心が沈むだけです。

D「日中関係 毛利和子 岩波新書、2006」 ・・・ 現代中国論の学者先生が日本の立場から最近の日中間の問題を論じています。日中間の大きな構造的変化を論じていますが、過去の日本侵略などの歴史観を踏まえていないので、日本の都合の良いことを言っているだけのように思えました。呼んでも面白くありませんでした。

E「中国路地裏物語 上村幸治 岩波新書、1999」 ・・・ 元毎日新聞北京特派員であったときの体験をもとに現代中国の諸問題をレポートしていますが、やはり目線が大国日本の目線で、中国にお説教している感じでした。これも過去の日本侵略などの歴史観を踏まえていないので、全然面白くありませんでした。

F「”権力社会”中国と”文化社会”日本 王雲海 集英社新書、2006」 ・・・ 著者は中国から日本に留学し、現在(執筆当時)は一橋大の教授ということです。日中間問題を”権力”と”文化”という切り口から論じているのは、ああこんな見方もあるのかと興味を感じましたが、最後は無理矢理に諸問題(誤解)を二つのキーワードで論じているように聞こえてきました。ただし、中国と日本の間には大きな”社会的特質”の差異のようなものがあるのは事実で、相互にそれらを理解することはとても大切だと思いました。とにかく、マスコミのムードにつられて、”中国は嫌い”といった思いを持つのはぜひやめてほしいものです。


☆ 2021年08月08日 : コロナッチもアスリートも大活躍ですね

 コロナッチの感染の爆発的拡大は驚異的ですね。生物の進化における遺伝子の突然変異のすごさが実感されます。オリンピックのアスリートは国民と一緒に大会を盛り上げていますが、選手、関係者の感染も予想以上に多いですね。組織委員会はどうなっているのでしょう?

 また、小池は、都民の宿泊療養施設(300室規模の都内のホテル)を五輪関係者用の施設に変更したようです(しんぶん赤旗8月1日)。もちろん、”秘密裡”です。全く姑息な人間ですね。菅や小池のキャッチフレーズ”国民の命と健康を守る”が空々しく聞こえるのは私一人だけでないはずです。政府が”外出の自粛を!”といっても、誰も聞く耳を持たないのは当然と思います。

キキョウ ムクゲ
 山梨県でも、コロナッチ感染者が急増しています。県は大きな地区別の数字しか出していませんが、富士五湖東部でも感染者が拡大しているようです。山中湖、忍野村では感染者の発生はまだ少ないようですが、コロナッチがじわじわと進出しているような気がします。これからは、外出は気をつけようと思っています。
 
 今回は10日程山中湖に滞在しましたが、ほぼ夏空の好天に恵まれました。ただし、ほとんど薪割り、垣根のトリミング、草取りそれに樹木の枝の伐採などで過ごしました。お陰で、腕は青年時代のように?真っ黒に日焼けしました。よく熱中症にならないものだと、我が体に感心しています。

 最近、近所の(と言っても200m以上離れていますが)ベラルーシの子供二人と仲良くなりました。上はマー君(5歳)、下はアー君(3歳)です。マー君はひとなつこっく、日本語もうまいです。我々の散歩についてきたり、家の中に入ったりして、我々を楽しませてくれます。畑の作物を喜んで持って行ってくれるのも助かります。

 今年は、1日に報湖祭が15分間開催されました。花火の打ち上げ場所は、旭日丘の1か所だけで、時間も短いため寂しかったですが、結構人が集まって、皆鑑賞していました。私も久しぶりに花火を楽しむことができました。
早く大きくなあれ、カボチャ君


☆ 2021年08月01日 : 山中湖も天候がやや不順です

ヒマワリ ヒオウギ 収穫(ジャガイモ) 収穫(ネギ、カブ他)
 東京のコロナ禍から逃れたわけではありませんが、しばらく山中湖に滞在しています。こちらは、天気がやや不順です。曇り空がほとんどで、ときどき強い日差しが出たかと思うと、弱い雨が降ったり、雷が鳴ったりと、安定しません。そんな中で、薪割りや草取り、垣根のトリミングなどに懸命に励んでいます。

 ヒマワリはシカの食害をまぬかれた1本です(他は全滅!)。高さが2m近くまで伸び、うれしい限りです。ヒオウギも咲き始めました。こちらは、シカは全然見向きもしないので、庭のあちこちで自生しています。ジャガイモは春先シカ(または小動物)に葉を食べられてしまったので、収穫は写真のものが全てです。悲しいですね。カブとネギは大収穫で、しょっちゅう食卓に上がってきます。

 日曜日の朝、リス君がデッキを訪れてくれました。小鳥の餌のヒマワリの種を食べていました。かわいいですね。でもすぐに立ち去って行ってしまいました。もっとゆっくりとしていればよいのに!
久しぶりのリス君


☆ 2021年07月25日 : With Corona でオリンピック・フィーバーがスタート

 最後までもめながら23日(金)にオリンピック・フィーバーが始まりましたね。ガースーもなんだかんだと言われながら、じっと我慢をしてよくこぎつけてと思います。
油彩画24:アルジャントウィユの橋(模写) 水彩画135:アルジャントウィユの橋(模写) 水彩画136:ボン・ヌフ(模写)

 まあ、もともと開催中止はあり得なかったのでしょうから、無観客試合が最後の決断だったということでしょうね。山中湖で自転車ロー・レースを観戦しようかと思っていたのですが、野暮用で東京滞在となってしまいました。

 今週は終活の本3冊を紹介します。本は古くて、1950年代の本です。学生時代に購入したのかもしれません。

@「近代科学の歩み H.バターフィールド、W.L.4buraggu他著、菅井準一訳 岩波新書、1956」 ・・・イギリスのBBCの教養番組として行った連続講演をまとめたものです。科学史の一般教養的な話が中心で、私にとってはあまり面白くありませんでした。

A「科学の方法 中谷宇吉郎 岩波新書、1958」 ・・・現代の自然科学の本質はどういうものであり、それがどういう方法を用いて、現在の姿に成長してきたかといった話が中心で、科学のありようを論じています。科学を知らない人(含む私も)にとっては、やや難解な論調が続き、退屈な本でした。

B「エレクトロニクスの話 堰英男 岩波新書、1959」 ・・・副題が”ラジオから電子計算機まで”となっており、1960以前のエレクトロニクスの発展内容を網羅的に述べています。しかし、現在のエレクトロニクスは、当時のものとは比べて驚異的な発展を実現しており、したがって内容はちょっと古いなという感じがします。とはいえ、私が学んだのはこの頃のエレクトロニクスで、その当時エレクトロニクスは急発展への道を歩み始めていた時代だったようです。本書では、当然のことながら、インターネット、衛星通信、移動(モバイル)通信、LSI(大規模集積回路)、AI人工知能)などなど、ほとんど考えもよらない事だったようです。

 これで科学系の概説書は残り数冊ほどになりました。


☆ 2021年07月18日 : 梅雨明けで週末はさわやかな天気です

 16日(金)、梅雨明けとなり、山中湖はさわやかな快晴の天気が続いています。日差しは強いですが、日影に入ればさわやかな抗原の風が吹き、涼しく感じます。山中湖の一番よい季節ですね。東京ではコロナッチが大活躍?のようで、大変そうですが、こちらはそんな心配もいりません。


油彩画23:南仏の果物(模写) 水彩画133:青い花瓶(模写) 水彩画134:帽子と婦人(模写)


☆ 2021年07月11日 : コロナッチのワクチン接種(2)を受けました

バイケイソウ バイケイソウの白い花 大豊作のカブ 床下から取り出したハチの巣
 
 9日に2回目のコロナッチワクチンの接種を受けました。当日は副反応はほとんどなかったのですが、翌日は体温が37℃前後まで上がり、ちょっとダルっぽい感じがしました。でも、辛い症状ではなく、安心しました。これで、行動範囲を少し広げることが出来そうですね。

 今年、初めてバイケイソウが花を咲かせました。昨年までは、大きな葉をつけるのですが、花が咲く前にシカさんに葉を全部食べられ、花を見たことがありませんでした。花自体はちょっと地味ですが、高さが1mくらいあり、見事です。シカさん食べちゃダメだよ!メッ!

 今年も栽培している野菜やアジサイなどがシカさんの食害にあっていますが、カブだけは大収穫です。シカさんは株は食べないのですかね。

 1か月程前、床下に入り込んで、何か異変がないかチェックしたとき、奥の方に2つのハチの巣を見つけました(実は、昨年もハチの巣を一つ見つけています)。その時は、慎重に一つの巣を棒で叩き落したのですが、まだハチがいたらしく、羽音が聞こえたため、あわてて退却しました。そろそろ大丈夫かと思って先週再度床下に入り込み、もう一つの巣も棒で叩き落し、ハチの巣を回収しました。一つはスズメバチの巣で、もう一つはアシナガバチの巣のようでした。ハチの侵入は困るので、地下室も通風口をガムテープでふさぎました。

 ハチのほかに、アリにも困っているのですが、とうとう家の中に入り込み巣を作り始めたようです。5月30日のレポートでは、キッチンの周りに大量のアリが湧き出て、駆除に大変苦労したことを話しました。今度は、2階の中央の柱と棟木の交差する部分にアリが入り込みました。木くずが少し落ちていたのでようやく気付きました。どうしてアリが屋根裏近くまで上って巣を作るのか不思議ですが、油断もできません。一応殺虫剤で駆除しましたが、再度チェックが必要です。本当にアリさんには困っています。

 6月20日に、終活の読書として現代中国の歴史関連の書籍9冊を紹介しましたが、今回はその続きで次の6冊を紹介します。今回の書籍は、文化大革命時代とそれ以降の開放政策による経済発展の諸問題が中心です(B「あの戦争は何だったのか」は除く)。本当は中国現代の政治・経済・社会・民族などもっと勉強したいと思うのですが、私はもう年を取りすぎています。読んだ本は廃棄処分とします。 That’s all。


@「毛沢東 竹内実 岩波新書、1989」 ・・・毛沢東の社会主義モデル、文化大革命期の思想と行動を詳細に分析するとともに、彼をはぐくんだ湖南省の風土や死に託された人生観を考察し、複雑な人物像に光を当てて、毛沢東と現代中国の関係を分析しています。 =>久しぶりに毛沢東関連の書籍を読んで、考えさせられました。私が大学入学の頃から、文化大革命や紅衛兵の記事が朝日ジャーナルやマスコミに報じられ、むさぼるように読んだ記憶があります。当時はまだ若かったため、思想や世界情勢などには全くの無知でしたが、”造反有理”のスローガンで中国が”変革?”する様子に感激しました。私自身は”毛沢東主義”に共鳴したことはありませんが。毛沢東のよりどころである”マルクス・エンゲルス主義”、とりわけ”マルクス経済”は学ぶべきことが多いものと考えています。

A「私の紅衛兵時代 ある映画監督の青春 陳凱歌(チンカイコー) 講談社現代新書、1990」 ・・・毛沢東最後の挑戦、文化大革命を紅衛兵として過ごし、生き延びた著者が、過酷な体験、破壊と挫折、下放先(雲南省)での大自然の中で得た魂の新生を鮮烈な感覚でつづった記録です。 =>中国文化大革命の内実は、当時の大学生であった私にはよくわかりませんでしたが、その中で紅衛兵として体験した筆者の真実に迫ったレポートは読みごたえがあります。文化大革命の政治的意図は別として、何故文化大革命の中で、”反革命分子”のあぶりだし、暴力・拷問による自白要求、無法的な処罰・処刑等々を行わなければならなかったのか私には理解できまん。まるで、日本人が中国・朝鮮で行った、暴力、拷問、強姦、徴用・強制労働、慰安婦調達などと同じことを中国人同士でやっていたとは、当初はとうてい信じられませんでした。人間の性は恐ろしいですね。

B「あの戦争は何だったのか 保坂正康 新潮新書、2005」 ・・・戦後60年の間、太平洋戦争は様々に語られ、記されてきたが、本当のその全体像を明瞭にとらえたものはなかった。旧日本軍の構造からときおこし 、どうして戦争を始めなければならなかったのか、引き起こした”真の黒幕”とは誰だったのか、その実態をあぶりだそうとしています。 =>しかし、著者は何故か戦争を日米戦争に絞っており、朝鮮・中国への侵略戦争をはずしています。また、なんとなく、戦争のやり方あるいは日本軍の体制がお粗末だったから敗戦したといったトーンがあるように思い、著者の立ち位置に疑問を感じました。

C「多民族国家 中国 王柯 岩波新書、2005」 ・・・古代、中華文化の形成期に主役を演じたのは、周辺から入ってきた異民族の人々である。以来、中華文化が他民族的性格をもって継承されており、現在も55の少数民族が存在している。伝統と開発、宗教、国際関係等から多面的に分析し、どのような問題があり、どう解決すべきかを考えている。 =>現在欧米資本主義国(彼等は自由主義・民主主義国と言っているが)が、過去の中国侵略、植民地化政策をまったく反省することなく、チベットや新疆ウィグルの”問題”についてごちゃごちゃ勝手なことを言っていますが、要はマルクス主義と中国共産党に対する反対、あるいは国家消滅を目的としているにすぎないと思います。真の少数民族対応は中国の国内問題です(ただし、人権問題について何も発言できないと言ってるわけではありません)。

D「中国激流 13億のゆくえ 興梠一郎 岩波新書、2005」 ・・・商社や外務省に務めて得た豊富な知識をもとに、巨大国家中国の社会的、経済的問題を分析し、豊富な事例を紹介している。 =>著者はどうも”立派な”西欧資本主義国家の一員としての日本の目線から中国を見下ろし、お説教をしているようで、読んでいて不愉快な感じがしました。

E「膨張中国、新ナショナリズムと歪んだ成長 読売新聞中国取材団、2006」 ・・・一党独裁と民主化、そして対米関係の行方などなど、巨大な隣国は捉えどころのなく、真の姿が容易に見えない。今何が起きているのか、最新の取材内容を報告している。 =>.この本も、D「中国激流」と同じような立ち位置で中国を報じているようで、豊富な現地取材記事にもかかわらず、内容がほとんどないような気がしました。読売新聞社に期待をすること自体無理というものですね。

 現在の多くの日本人が戦前に行った中国侵略、植民地化(含む台湾、朝鮮)の具体的内容を知ろうともしないで、朝鮮や中国をわい曲あるいは攻撃するような状況に接すると、とても悲しくなってしまいます。政府はもちろん、資本に寄り添ったマスコミにも多いに責任があると思います。やはり、過去の歴史を正しく学び、誤った行動を真摯に反省したうえで、朝鮮、中国の人民と一緒に未来を築いていくことが大切と思います。


☆ 2021年07月04日 : 梅雨時は読書とお絵描き三昧

 梅雨の真っ最中ということで、今週末は東京滞在を強いられています。毎日が雨なので、、お絵描きに励んでいます。最近はお絵描きが面白くなって、描きまくっている次第です。駄作が積みあがっていくのですが、それでも自分の作品を見ているのも気分が良いです。今は印象派の絵画の模写が多いのですが、もう一つの終活として、海外ツアーの思い出の場面も並行的に描いています。近々に発表したいと思っています。ご期待を???

油彩画22:花と花瓶(模写) 水彩画131:笛吹く少年(模写) 水彩画132:座るショーケ(模写)
 
 今週の終活の本は、日刊工業新聞社の”・・・のはなし”シリーズの3冊ですです。”はなし”と言っても、昔話ではありません。通信関連の本で、やさしく?わかりやすく?書かれた専門技術書です。タイトルは次の通りです。@「ディジタルの話 相良岩男、1981」、A「データ通信のはなし 斎藤雄一、1985」、B「光通信のはなし 副島俊雄、1982」。私は電子工学専攻だったので、学部時代に通信技術関連を学びました。だが、私には通信技術の内容がさっぱり理解できず、単位を何とか取得した程度のレベルでした。しかし、私はコンピュータソフト関連の企業に就職し、そのころ”高度情報化社会”とかで通信とコンピュータ技術が多いに注目を浴びていました。そのため、通信技術関連をもう少し理解しようとして上記の本を買ったはずです。まあ、書いてあるレベルの概要は理解できるのですが、通信技術に携わっていたわけではないので、結局何となくわかったといったレベルで終わりました・・・

 そして、今回久しぶりに読み直してみたのですが、やっぱり状況は変わりませんでした。更に、現在は私の学生時代に比べると、通信とコンピュータ技術の発展は目を見張るものがあり、世の中をすっかり変えてしまった感がありますね。学生時代にはまだ真空管を習っており(半導体も少し学びましたが)、実際の計算はまだ計算尺や手回し計算機を使っていました。初めて見たコンピュータは紙テープを読み取っていました。移動通信の話も聞きましたが、そんなことは100年後くらいの夢物語と思っていました。そんなわけで、この本とはこれでお別れとなります。さようなら。



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