☆ 星くずの”たわごと” 08 ☆   更新日: 2018年12月17日

** 人間の体を作っている原子はずっと昔に爆発した古い星の内奥部で作られた。その意味で人間は星くずからできているといえる。 **
** 人間の体を作っている原子は原子核とその周りをまわる電子からできているが、その間はとても広く、何もない真空といえる。 ****

                                                  
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☆ 2018年12月26日 : 映画「ガンジスに還る」

 山中湖は週末は曇りまたは雨でした。この冬はなかなか快晴にはなりません。そのためか、朝の気温も零度前後で、比較的暖かいです。

 私はあまり映画鑑賞は好きではないのですが、前回「キューポラのある街」を観にいったとき、「ガンジスに還る」という映画のパンフレットが目につきました。私はもちろんヒンドゥー教徒ではないので、ガンジス河に特別な思いがあるわけではないのですが、以前にネパールとインドに行ったときに、ヒンドゥー教やイスラム教、シーク教などに接したことがあったので、興味を持った次第です。

 映画の内容は、パンフレットによると、「母なるガンジス川−−ここは、安らかな死を迎えられる心の安らぎの郷。インドの聖地”バラシナ”を舞台に、死期を悟った父と、それを見守る家族の旅路の物語」ということです。簡単な解説も掲載します(私自身は映画評論をする能力は持ち合わせておりません)。「ある日、自らの死期を悟った父ダヤは、ガンジス河の畔の聖地バラナシへ行くと宣言する。家族の大反対をよそに、決意を曲げない父。仕方なく、仕事人間の息子ラジーヴが付き添うことに・・・。辿り着いたのは、安らかな死を求める人々が暮らす施設”解脱の家”。はじめは衝突しながらも、雄大に流れるガンジス河は次第に親子の関係をゆっくりとほぐしていく。果たして、ダヤは幸福な人生の終焉を迎えられるのか? 中略 幸福な最後の迎え方とは?家族はどう看取るのか?誰にでも訪れる”死”というテーマを、ユーモアと人情味あふれるタッチで描いた、心温まる珠玉の感動作が誕生した。」

 以下に、私がインドとネパールで撮った宗教関連の写真を4枚ご覧に入れます。

 1枚目は、ネパール・カトマンズの近郊のパシュパティナートという地にあるヒンズー教寺院の”火葬場”の写真です。火葬場はオープンで、死者の体は川岸の石積みの台の上で火葬にされると聞きました。実際に、遺体が運ばれていく様子も見てしまいました。もちろん、人々は魂が輪廻の世界に旅立っていくと信じているとのことでした。映画でもこのような場面がありました。

 2枚目は、ヒンドゥー教の聖地の一つであるインド北西部のハリドワールという街の風景です(写真の川はヒンドゥー教徒が沐浴をするガンジス河です)。私が行ったときはちょうどヒンドゥー教のお祭りの日にあたり、インドの各地から多くの信者がオレンジ色の衣装を着てハリドワールまで歩いてくるのだそうです(最近は近郊までバイクやバスに乗ってきて、そこから歩いてくる人も多いと聞きましたが)。とても大勢の人が集まり、大交通渋滞が発生し、バスがなかなか街を抜けることができないほどでした。

 3枚目は、やはりインド北西部のリシケシュの街(ここで宿泊しました)で見た、夜の礼拝儀式プジャの様子です。川はもちろんガンジス河で、信者はいろいろな儀式を熱心にやっていました。私たちも、売り子から小さな花束?を買って、ガンジス河に流しましたが、意味は不明・・・。なお、このリシケシュはヨガの発祥の地だということで、ビートルズの誰かがここで修行したとのことでした。

 4枚目は、シーク教の聖地の一つであるインド北部のヒマラヤ山地にあるヘムクンド湖(4328m)の風景です。シーク教はややローカルな宗教ですが、日本人がインド人をイメージするターバンはシーク教徒が着用するものだそうです。インドではヒンドゥー教に比べればマイナーな宗教ですが、政治、経済的にはとても力をもっており、そのため日本人はインド人の多くはターバンを巻いているものだと勘違いしているとのことです。ヘムクンド湖へは1000m以上の高度を登らなければならず、また夏でもとても寒い高地にあります(雨が降ったせいか、高地には雪がありました)。それでも、多くのシーク教の老若男女は、信仰を求めて山に登ります(私たちは登山を楽しんだだけですが)。歩けない老人は、篭に乗ったり、馬に乗ったりして聖地を目指していました。また子供連れの家族も多くいました。人々の多くは、ゴム草履で歩いていました。中には素足の人もいました(もちろん私たちは登山靴にダウンのジャケットを着ていました)。宗教を信ずる人々の信仰心に圧倒された次第です。

ネパール(カトマンズ) 2004.01.03 インド(ハリドワール) 2011.07.21 インド(リシケシュ) 2011.07.21 インド(ヘムクンド湖) 2011.07.25


☆ 2018年12月17日 : 映画「キューポラのある街」

 先週、映画「キューポラのある街」を見てきました。吉永小百合、浜田光男主演の映画であることは知っていましたが、上演された1962年は私はまだ高校生の頃で、お金もなく、映画館などへは行ったこともありませんでした。ということで、今回初めて観ました。

 映画が貧しい日本人と在日朝鮮人の子供を中心にした作品であったので、驚きました。吉永は若いときから社会派?の映画に出演していたのですね。在日朝鮮人の親子が北朝鮮へ帰還していくシーンには泣けてきました。このような悲劇が今だに続いているのを考えると、憤りを感じ得ませんでした。
水彩画作品82:本と果物1 水彩画作品83:本と果物21


☆ 2018年12月10日 : 冬の蓼科

 八ヶ岳山麓の小淵沢、原村、蓼科を周ってきました。雪はありませんが、樹々は冬枯れで、観光客はほとんどおらず、閑散としていました。それでも、平日にもかかわらず、蓼科のホテルには結構人が宿泊していました。自分を含めて時間を持て余している老人が大勢いますね。







蓼科 滝の湯川 奥蓼科 御射鹿池

☆ 2018年12月03日 : 「無実を訴え獄中44年、星野文昭さんを自由に」

 2018年11月25日の朝日新聞で、一面を使った写真入りの”意見広告”が私の目に飛び込んできました。そこには、表題のタイトルで星野さんの解放を求めていました。その意見広告を見て、私の胸は高鳴りを始め、頭を鈍器で殴られたような思いとなりました。その紙面に、星野さん(72歳)のプロファイルが次のように記されています。

 「1971年、基地のない平和な島を求める沖縄県民は、米軍基地を固定化し強化する返還協定の批准に反対して島ぐるみで闘いました。星野さんは沖縄と連帯し、11月14日、渋谷でデモ隊のリーダーとして闘いました。その時、機動隊員1人が死亡し、”殺人犯”とされた星野さんは無期懲役刑を受けています。星野さんは無実を訴え、再審を求めて闘っています。”すべての人が人間らしく生きることの出来る社会を作ろう”と訴えて誇り高く生き抜いています。」

 私は当時大学在学中で、日米安全保障条約反対闘争(70年安保闘争)や沖縄返還反対闘争、ベトナメ戦争反対闘争の真っただ中におりました。そして多くの学生、労働者が、自民党佐藤政権による沖縄返還協定の強行採決に反対していたことをいまだに記憶しています。
水彩画作品81:焼き芋と紅葉

 渋谷での反対闘争やリーダーの逮捕等は覚えていますが、デモ隊のリーダー星野さんの名前は忘れてしまっていました。星野さんが無期懲役の判決を受け、44年間も獄中に置かれていることを知り、驚愕しました。無期懲役の判決そのものにも疑問がありますが、司法当局はいまだに”改悛の情”がないからといって解放を拒否しているそうで、これは戦前の”思想転向”を求めていることで、明らかに権力の横暴でしかありません。当局の態度(裏には政権の意図がある)には怒りを覚えます。”意見広告”には現役の衆議院議員や参議院議員を含め多くの人(家族を含め30名以上)が支援、応援を表明しています。そのうちの角田義一さん(弁護士、元参議院副議長、弁護士)と奥さんである暁子さんのメッセージを以下に掲げます。一刻も早く星野さんの解放を願いたいと思います。

角田義一さんのメッセージ: 「44年間無実を叫び続けた魂の叫びこそが何より無実の証ではないか。当局は、本人に”改悛の情”を求めていると伝えられている。不遜であり理不尽である。”改悛の情”などあるはずがないではないか。体調を崩していると承っている。万一、何かあったら誰が責任をとるのか。取り返しがつかない。委員各位は、良心と憲法の精神に則って即刻仮釈放を認めよ。解放せよ。」

星野暁子さんのメッセージ: 「文昭の生き方に心を動かされ、獄中結婚して32年になります。毎月徳島に通い、今は月に3回面会しています。文昭と私は1回30分のアクリル板越しの面会と、文通を続けることで愛をはぐくんできました。文昭は獄内で絵を描くようになり、毎月その絵を宅下げしてくれます。その絵に私が詩を添えてカレンダーを作っています。文昭を開放して、実物を観て絵を描かせたい。そして、自由な、制約のない一緒の生活を1日も早く実現したいと思っています。皆様のお力添えをどうぞよろしくお願いします。」


☆ 2018年11月26日 : 夜の花の都公園

 夜の花の都公園のイルミネーションを観に行ってきました。夜に訪れるのは初めてでした(昼も、開園当時何回か訪れただけで、リピートで訪れる所とは思っていません)。入園料は無料で、かつ3連休とあって、大勢の人が押し寄せており、驚いてしまいました。凄いですね。

 山中湖の朝の気温はマイナス2度まで下がるようになりました。今週から水抜きを始めました。いよいよ本格的な冬が始まります。

 小鳥の巣箱第3号を木に取り付けました。この巣箱は10年ほど前に作った巣箱をリフォームしたものです。



イルミネーション 花火 満月?


☆ 2018年11月19日 : 再び韓国大法院による元徴用工賠償判決について

 先週、朝日新聞による韓国大法院の韓国元徴用工への損害賠償を命じた判決に関する論説を取り上げました。私は、この問題は、日本が韓国を併合し、植民地化したなかで、先の戦争中に起きた問題で、韓国慰安婦の問題と同じ原因によるものであると考えています。他方、日本政府や朝日新聞を含むブルジョアマスコミは、これらの問題は1965年の日韓条約、日韓請求権協定で解決済みであり、判決は国際的にも認められない不当なものであると主張しています。

 11月11日付けの”しんぶん赤旗”に日本共産党の志位委員長による見解”徴用工問題の公正な解決を求める−韓国の最高裁判決について”が掲載されていました。私は政治的、法律的な議論を詳しく論じる能力を持ち合わせていませんが、その見解に関する記事は比較的筋の通っているもののように思えますので、一部掲載してみます。朝日新聞も、自身の論説がいかにおかしいかよく考えてほしいものです(資本によりかかった大新聞社にとってはまあ無理でしょうが)。
水彩画作品79:ガラスボウル 水彩画作品80:グラス

 「元徴用工の請求権について日本政府は、”1965年の日韓請求権協定によって完全かつ最終的に解決している”、”判決は国際法に照らしてあり得ない判断だ”(安倍晋三首相)として韓国告を非難しています。この対応は問題です。政府自ら国会答弁などで”日韓請求権協定によって日韓両国で請求権の問題が解決されても、被害にあった個人の請求権は消滅せず”という立場を繰り返し表明してきたからです。

 「司法の立場はどうか。西松建設と中国の強制連行被害者の裁判で最高裁判所は07年4月、日中共同声明(72年)によって”(個人が)裁判上請求する権能を失った”としながらも、”(個人の)請求権を実態的に消滅させることまでを意味するものではなく”、被害者の救済に向けて”任意の自発的な対応をすることは妨げられない”としました。これを手掛かりに被害者は和解を成立させ、西松建設は謝罪、和解金を支払いました。たとえ国家間で請求権の問題が解決されても、個人の請求権を消滅させることはない−。日本の政府と最高裁はこの立場で一致しています。」

 「韓国側はどうか。韓国の最高裁(大法院)判決の論理はこうです。−原告が求めているのは未払い賃金や保証金ではなく、不法な植民地支配と侵略戦争の遂行に直結した日本企業の反人道的な不法行為=強制動員に対する慰謝料である。−日韓請求権協定の交渉過程で日本政府は植民地支配の不法性を認めず、強制動員の法的賠償を根本的に否定した(・・ここが問題の根源ですね)。−このような状況では、強制動員の慰謝料請求権が”協定”で放棄した請求権の対象に含まれるとみなすことはできない。被害者個人の請求権はあり、政府間でも”解決済みとは言えないとしています。」

 「文在寅(ムン・ジェイン)大統領は、強制徴用に対する対日賠償請求権問題について”両国間の合意が個々人の権利を侵害することはできない”として、日韓請求権協定でも個人の請求権は消えていないという認識を示しています。(17年8月) 結局”被害者個人の請求権は消滅していない−。この一点で、日本政府、日本の最高裁、韓国の大法院、韓国政府の4者すべてが一致しているのです。日本政府やメディアは、国と国との請求権の問題と、個人としての請求権の問題をごちゃまぜににして、”日韓請求権協定ですべて解決済みだ。個人の請求権もない。”という問答無用の議論で韓国をたたいています。分けて考えないと冷静な解決方法は見えてきません。」

 「志位委員長は記者会見で力説しました。”不一致点をいたずらに拡大したり、あおったりするのではなく、『被害者個人の請求権は消滅していない』という一地点から出発し、被害者の名誉と尊厳を回復するための具体的措置を日韓両国で話し合って見いだしていくという態度が大事だ。」

 「”共産党”は、日韓請求権協定で国と国との請求権がなくなっているという立場か”−会見では記者からこんな質問が出されました。韓国の最高裁判決の論理は徴用工の慰謝料請求については、政府間でも”解決済み”とはいえないというものです。志位氏は”この論理は検討されるべき論理だ”と答えました。日本政府は日韓基本条約・日韓請求権協定の交渉過程で植民地支配の不法性を一切認めず、徴用工の問題についても明確な謝罪や反省を表明してこなかったのも間違いのない事実です。志位氏は”植民地支配の真摯な反省のうえに立って、より根本的な解決の道を見いだすべきだ”と述べました。」

 記事は、元徴用工の実態についての報告が続いていますが、省略します。法律的な問題は、お偉い学者様がいろいろと議論するのかと思いますが、やはり問題は中国や朝鮮(含む北朝鮮)における過去の植民地政策、戦争体制の実態を明らかにし、日本人が真摯にその事実を認め、反省することから始めなければ、いつまでも同じことが繰り返されるであろうことは明らかです。阿部自民党が日本を支配している限り、真の解決は臨めませんね。


☆ 2018年11月12日 : 朝日新聞の韓国大法院による元徴用工賠償判決に対する態度???

 以前あった3つの巣箱はすべて湿気で腐ってしまい、取り付けてあった樹上から落下し、壊れてしまいました。それで、新たに2つの巣箱を制作し、樹上に取り付けました。前の巣箱では、シジュウカラが卵を産んだことがあるのですが、ヒナがかえったことがありませんでした。来年の春には、ヒナがかえることを期待しています。

 ところで、先月韓国大法院が韓国の元徴用工への損害賠償を命じた判決を出しました。これは、日本が韓国を併合し、植民地化したなかで、先の戦争中に起きた問題で、韓国慰安婦の問題と同じ原因によるものです。他方、日本政府やブルジョアマスコミは、これらの問題は1965年の日韓条約、日韓請求権協定で解決済みであり、判決は国際的にも認められない不当なものであると主張しています。

 1965年当時の韓国は、朴正煕(パクチョンヒ)が政権を握っており、多くの人々の反対を押し切って、日本との日韓条約締結を強行したものです。当時、私は大学に入りたての頃で、政治のことはあまりよく知りませんでしたが、キャンパス内でも学生が日韓条約反対の運動をしていたのを覚えています。
巣箱1号(ミズナラ) 巣箱2号(ミツバウツギ)
 日本政府も、きちんと日本帝国主義による韓国侵略をきちんと総括せず、とにかく韓国への経済協力を通して、過去の歴史を覆い隠そうとしていたことは明らかです。それが、不平等な日韓請求権協定を生んだ原因かと思います。この日韓条約は、多くの日韓の人々にとっては到底納得できないものがありました。経済援助(金)で人間の尊い尊厳を買い取ろうとする態度は到底許されるものではありません。

 ところが、ここで朝日新聞(2018.10・31)がおかしな論説を出しています。一見、どちらにも偏らない風に装っていますが、明らかに韓国大法院の判決は国際協定の基本を揺るがしかねない問題であると主張しているようです。 次のように述べています。 

 「植民地支配の過去を抱えながらも、日本と韓国は経済協力を含め多くの友好をはぐくんできた。 (中略) 日本政府や企業側は、1965年の国交正常化に伴う請求権協定で元徴用工への補償問題は解決済みとし、日本の司法判断もその考えを踏襲してきた。原告側は、賠償に応じなければ資産の差し押さえを検討するという。一方の日本政府は、協定に基づいて韓国政府が保証などの手当てをしない場合、国際司法裁判所への提訴を含む対抗策も辞さない構えだ。そんなことになれば政府間の関係悪化にとどまらず、今日まで築き上げてきた隣国関係が台無しになりかねない。韓国政府は、事態の悪化を食い止めるよう適切な行動をとるべきだ。 (中略) 国内の事情によって国際協定をめぐる見解を変転させれば、国の整合性が問われ、信頼性も傷つきかねない。 (以下省略)」

 この論説は本末転倒というべきものと思います。慰安婦問題や徴用工問題は、日本が過去に日本の帝国主義、植民地主義により韓国の人々に多大な苦しみや悲しみを与えたことを認め、真摯に韓国の人々に謝罪をすることを避けていることにそもそもの原因があるわけです。そこを明らかにせず、外交上おかしいとか何とか言っても、何も解決にはならないことは明らかです(北法線、中国、台湾も同じ問題です)。朝日は植民地時代に不当な扱いを受けた韓国、北朝鮮の人々の尊厳は、国家間の取り決め方が優先されるとでも言っているのでしょうか。

 元徴用工が過去に日帝によって不当な苦しみを受けたことに対して補償を請求することは、日韓の間で協定があるかどうかは全く関係の無いことであり、正当な権利であることは明白です。国家間の協定に問題や不備があることがわかれば、それを改定することは何ら問題はないわけです(トランプの外交方針はどうなのか?)。朝日新聞は、”まず日本政府が今までの戦争に対する日本の態度を改めることから始めよ。そして、その後で真の日韓友好条約を締結しなおすべきである。”と主張すべきと思います(北朝鮮に対しても同様です)。ああ、それなのに・・・・? またまた、朝日は政府べったりの新聞になるのかな?戦中に朝日が行ったことを何も反省していないのでは?予想通り口先だけの反省だったようですね。 


☆ 2018年11月05日 : 各地で紅葉が真っ盛り

小河内ダムの秋サクラ? 河口湖畔の紅葉 河口湖ジャズ・フェスタ(リハーサル中) 山中湖畔の紅葉
 久しぶりに、紅葉をめでるために奥多摩湖、柳沢峠経由で山中湖に向かいました。奥多摩湖の紅葉は少し早かったようですが、小河内ダムで2、3本の秋サクラ?が満開になっているのに驚きました。

 丹波村に入ると、青梅街道(国道411号)沿いの紅葉がとてもきれいでした。イロハ坂などに行かなくても、近場で素敵な紅葉ドライブができますね。柳沢峠の駐車場では、若いシカが1頭草を食んでいるのを見つけました。4、5mの距離でしかないのに、全く人を気にする様子はありませんでした。

 河口湖では紅葉まつりの一環としてジャズ・フェスティバルがあるというので、立ち寄ってみました。山中湖に通い始めた最初のころ(1992、3年ころ)、河口湖の紅葉まつり出かけたことがありますが、
山中湖に現れた鵜の群れ トウゴクミツバツツジの花
その頃はとても寒く、外で太鼓の演奏を震えながら聞いた思い出があります。しかし、今年はぽかぽか陽気といったところでした。また、中国人がとても多く、きれいな風景を楽しんでいるようでした。是非日本の秋をたっぷりと堪能していってほしいものです。

 山中湖の紅葉も真っ盛りとなってきました。こちらもかなりの行楽客が湖畔の美しい紅葉を見ながら散策していました。でも、人出は河口湖ほどではありませんでした。紅葉ではありませんが、山中湖畔に鵜が10羽ほどボートの桟橋で群れていました。カナダがんを観ることはありましたが、私は鵜を観るのは初めてでした。また、我が家の庭では、何を勘違いしたのか、トウゴクミツバツツジがいくつか花を咲かせています。つぼみもまだあるので、しばらく咲くようです。驚いてしまいますね。


☆ 2018年10月29日 : 山中湖は夕日の渚紅葉まつりが始まりました

薪棚に整理棚を設置 煙突のコケ、屋根のカビ除去作業 我が家の紅葉 富士山と紅葉(国道沿いから)

 今週も、庭仕事に精を出しました。先週も煙突のコケを落とす作業をしましたが、やり残しがあったのと、屋根のカビ(コケ?)も目立ったので、今週も作業をしました。屋根は45度の勾配のため、2連ハシゴを飲簿ryと結構スリルがあります。こんな作業ができるのも、あと2、3年ですかね。シカよけのネットや備品が増えて整理がうまくできなくなったので、薪棚に整理棚を設置し、収納をしやすくしました。見栄えも良くなったと思います。更に、庭のイタヤカエデが大きくなって、隣地に伸びていたので、その大枝の伐採もやりました。ここでも2連ハシゴをかけて登るので、落下のリスクが大きい作業です。ハシゴから落ちたら人生真っ暗になってしまいますね。

 先週までは、気温も高く、紅葉があまり進んでいなかったので、どうなるのかなと気になっていたのですが、今週は山中湖も少し冷え込み(例年に比べるとかなり暖かい気がしていますが)、だいぶ紅葉してきました。まだ少し早いような感じでしたが、旭日丘の紅葉まつり会場には多くの人が来て、紅葉を楽しんでいたようです。


☆ 2018年10月23日 : 不愉快なネット社会


 最近、私は終活を始めていますが、10月20日の朝日新聞で面白い読者の話が載っていました。少し転載します。

 「そろそろ終活だと準備を始め、・・・(中略)・・・一つだけ書き終えることのできない項目がある。10年以上前から使っているインターネットの停止手続きだ。私が先に死んだ場合、妻が手続きすることになるが、妻はパソコンができない。業者には往復はがきで問い合わせると、担当者から電話がかかってきた。停止手続きは所定の真正フォームにパソコンで記入し、私の死亡届など住所、氏名、生年月日が確認できる書類を画像ファイルにして送信しなければ受け付けないとのこと。私でさえできないことを要求している。パソコンが全くできない人だけが後に残された場合は、必要書類を郵送すればよしとすれば済むことではないのか。 
水彩画作品77:溶岩と苔1 水彩画作品78:溶岩と苔2
そう尋ねても、文書による停止手続きは受け付けていないという。社の規定だからの一点張りだ。・・・(後略)」

 私も最近のネット社会をとても不愉快に感じています。以前、プロバイダー(アサヒネット)の決済に使っていたクレジット・カードを紛失し、カード会社に一時使用停止をお願いしたことがあります。その時プロバイダーに一時的に決済ができなくなることがあるかもしれないと伝えたら、現在の契約は解消となり、メールアドレスやホームページURL(わんだふる山中湖)も解消になると言われました。支払いは別途行うから契約はこのまま継続してほしいと頼んでも、なかなか承知してくれませんでした。最終的には何とか契約の継続をするように取り計らってもらいましたが、プロバイダーの態度はユーザーに対してとても不親切だと感じました。

 そのほかにも、ネットで処理しようとするとどうしてよいのやらわからず、電話をしてもなかなか繋がらず、対面で話したくても現実の事務所がないということで、不満だらけです。かつてシステムエンジニアであった私でさえもイラついてしまうのですから、一般の人ではどうしたらよいかわからなく戸惑う人がたくさんいると思います。ネット社会に浸りきっている人は、ネットに弱い人のことをもっと考えてほしいものですね。それともネットを使いこなせない人は”ガラパゴス人間”とでも思っているのでしょうか。


☆ 2018年10月15日 : 樹々が少し色づき始めました

 今週の山中湖は曇りのち雨で、またまたぐずついた天気でした。今週末も、枯れ枝の焼却、倒されたヤマブドウの立て直し、破壊された棚の整理、畑のネットの整理、それに冬に備えての薪割りなどなど、とても忙しい時間を過ごしました。朝から暗くなるまで(今は5時で暗くなってしまいます)休憩もほとんどとらずに作業をするため、夕方にはぐったりと疲れてしまいます。

 今週も、道志の道(国道413号)は青根、青野原間が不通でした。いつになったら回復するのでしょうか。今回は昔通った相模湖、青根間の県道を使っていますが、帰りの中央道では小仏トンネルで二つの事故があり、大渋滞に巻き込まれてしまいました。いやになっちゃいますね。

 山中湖の木々が少し紅葉してきました。今年の紅葉祭りにはきれいに紅葉するのでしょうか。昨年は何となくきれいでなかったような気がしますが、今年の雨模様の天候が気になりますね。

色づき始めたミズキ 水彩画作品76:ボウルと野菜


☆ 2018年10月09日 : 先週の台風被害があちこちに!

 7日(日)、道志の道(国道413号)を通って山中湖に向かいましたが、青野原と青根の間が土砂崩れのため不通となっていました。迂回路(細いくねくね道)があったので、そちらを通って山中湖にたどり着くことができました。

 我がログキャビンにようやくたどり着くと、庭はカラマツやミズキなどの枝が散乱していました。写真のように、ヤマブドウの棚が倒れ、畑の杭とネットが倒れて、めちゃめちゃに散乱していました。庭の大木が倒れていなかったのは、不幸中の幸いといえますね。8日(月)は庭の後片付けで朝から晩まで働き詰めでした。くたくたです。

 ところで、沖縄県知事選挙で反自民・公明の玉城デニーさんが勝ってほっとしました。安倍、菅に一矢を報いた感じで、壮快でもありました。
倒れたヤマブドウ棚 倒れた畑の杭とネット


☆ 2018年09月25日 : 門柱が完成!

 今週の山中湖はまたまた雨が降ったりやんだりのぐずついた天気でした。雨の合間に、先々週やり残していた右側の門柱の制作に取り組みました。写真のように何とか完成させることができました。素人にしてはまあまあの出来具合かなと思っているのですが、モルタルがレンガの表面を流れたため、門柱が白っぽくなってしまいました。金属ブラシで磨いてみようかと思っていますが、どうもきれいにはなりそうもありません。ちょっと残念ですが、まあしょうがないかな?




完成した門柱 万歳! 水彩画作品75:ボトルと花


☆ 2018年09月17日 : ふすま張りに初挑戦

 今週は山中湖はまたまた雨でしたので、東京に停滞しました。代わりに?3日間かけて、東京の家の障子とふすま(板戸)の張り替えを行いました。障子の張替えは何度も経験があるのですが、ふすまの方は初挑戦でした。最後の方はだいぶ慣れてきたのですが、糊のつけ方のノウハウがなく、専門家からみるといまいちの出来栄えでした。でも、これから10数年の終の住処としては充分な出来栄えであったと思います。


水彩画作品72:ユリ 水彩画作品73:落ち葉(コナラ) 水彩画作品74(カツラ、ウリハダカエデ)


☆ 2018年09月10日 : 新しいレンガ積み門柱の制作

 今週は6日(木)から9日(日)の4日間山中湖に滞在しましたが、天気は大荒れで、晴れたり曇ったり、あるいは土砂降りになり強風が吹いたりと、散々の4日間でした。もう観光客も減るのかなと思っていましたが、土曜、日曜は結構マイカーが来ていました。

 我が家の門柱は、今まではコナラの丸太(半分にっ切ってある)でしたが、近年アリに食い荒らされ、腐ってグラグラとしていました。山中湖は湿気が多く、樹木の門や土留、囲いなどはアリやコケによって腐ってしまうことがわかってきました。ということで、今回は写真のようなレンガ積みの門(左)を制作しました。久しぶりのセメント、モルタル作業は結構楽しめました。右側の門はこれから制作に取り掛かります。

 
水彩画作品71:灯台と岬 新しいレンガ積み門柱


☆ 2018年09月03日 : 変な”侵略戦争”評価?

 左の絵は、同じ対象を暖色系と寒色系の絵具(水彩ガッシュ)で描いたものです。もちろん模写ですが、色合いで絵の雰囲気ががらりと変わるのがよくわかりますね。

 朝日新聞(2018.8.30)の”論壇時評”で、慶応の”歴史評論家”である小熊英二が「戦争の呪縛」という評論を掲載していました。私が読むと、彼は日本の侵略戦争を批判しているのではなく、軍部の戦争がまずかったと言っているようにしか聞こえませんでした。これは、8月15日のNHKの”ノモンハン事件”の報道でも同じでした(2018.8.25付けの欄参照)。戦争のやり方がまずかったから多くの無実な国民が被害にあったという構図は全くナンセンスです。だまされたかどうかは別として、日本の国民は一丸となって侵略戦争に突き進んだということをまず認識する必要があると思います。 少し長くなりますが、評論の一部を掲載してみます。

 「 省略 ・・ このことは、日本に今も定着し続けている戦争観の特徴を示している。その特徴とは、”上層部に対する不信だ。日本では、アジアに与えた加害を重視する戦争観は定着しなかった。しかし一方で、日本軍を英雄視する歴史観も定着しなかった。定着した最大公約数的な戦争観は、”政府や軍はおろかで、非合理な戦争だったが、民衆は被害者だった”というものだった(どうしてそのような考えが定着したのかを考える必要があるのだ!)。」 
水彩画作品69:景色(暖色) 水彩画作品70:景色(寒色)

 「こう述べると、日本軍を英雄視する本も人気ではないか、との意見もあろう。だがそうした本でも、軍上層部や官庁を美化するケースはまずない。そうした本の戦争観は、”上層部はおろかで、非合理な戦争だったが、兵士はがんばった”というもので、基本は最大公約数的な戦争観と変わらない。兵士の健闘を認めない”左翼”を憎むことはあっても、政府を信用しているわけではないのだ。」

 「本来なら敗戦直後の時点で、日本の民衆と一般兵士に多大な損害を与えた為政者の責任を日本自身の手でさばき、少額でも民衆への補償を行うことが望ましかっただろう(こんなことを本気で考えているのかな?最高の為政者天皇はどうするのかな?)。そのプロセスを経ていれば、他国の被害者への補償も進みやすかっただろう。自国の被害者が放置されているのに、他国の被害者を優先して補償するというのは、単なる外交配慮としか映らないからだ(侵略戦争の本質をみようとしない暴論です)。日本の兵士には同情的な一方で、政府や”左翼”を外圧に屈した卑屈な存在と非難するものが多い(この人もどうもそう思っているようだ)。」

 「戦争を機に形成された政府への不信感は、戦後日本の民衆に幅広く共有され、良くも悪くも政治を規定してきた。例えば、税への抵抗感である。 ・・ 省略」

 慶応では、こんな歴史観を学生に擦り付けているのでしょうか。情けなくなってしまいます。これじゃあ安倍ちゃんが3選されるのもどうしようもないですね。とほほ・・・


☆ 2018年08月27日 : 吉田の火祭り

 
神輿1 神輿2(富士山) 大松明に点火た

 24日(金)は、昼頃(相模原IC付近)から雨が降り始め、山中湖では夜から大嵐となりました。最近はあちこちで豪雨が多いですね。

 他方、26日(日)は好天に恵まれ、吉田の火祭りを久しぶりに見学してきました。前回は2011年で、2日間にわたる火祭りとすすき祭りを見学しました。その時は、火祭りで大松明が点火されると、突然空が暗くなるとともに土砂降りになり、びしょ濡れになりながら駐車場まで戻ったのを覚えています。今回は幸いにも好天に恵まれ(蒸し暑かったです)、多くの観光客(外国人も大勢いました)でにぎわっていました。一番右の写真では、富士山も見えています。


☆ 2018年08月21日 : 山中湖は晩秋のような寒さでした

 先週末の山中湖は日中は晴れて過ごしやすいのですが、夕方4時ころになると急に冷え込み始め、Tシャツ1枚で外にいるととても寒いです。夜は家の中でも結構冷え込み、家内はストーブをつけようというほどでした。さすがに8月にストーブは何ですから、我慢して、風呂に入って体を温めました。朝は10度近くまで下がっていました。山中湖ではもう夏が終わりに近づいてきたようです。
豪勢なオイランソウ キクイモ(キク科、ヒマワリ属) フジアザミ群落ができました

 8月15日(水)の”敗戦”記念日に、NHKが”ノモンハン事件”について放映していたので、ついつい観てしまいました。私も”ノモンハン”については概要しか知らないのですが、その真相の一部(ある三坊が強引に事件を起こしたが、軍部の指揮官は誰一人責任を取らなかった。それなのに一部の下士官がピストルを渡され自殺を強いられたのはかわいそうである。)を少し知ることができました。しかし、NHKの戦争に関する放映はそれなりに評価できるのですが、戦争の真の原因を解明しようというところが全く見られません。今回の内容も、関東軍の戦争の進め方がまずかったと言っているようで、きちんと作戦を立て遂行すればよかったとも言っているようにしか聞こえません。日清戦争や日露戦争で勝利し、韓国や朝鮮を植民地にして国力を強化したためか、戦争そのもの、あるいは天皇制と軍事体制に鋭く切り込むことは全くありません。これでは、この映像を見ても、誰も歴史から真の意味を学ぶことはないのではないでしょうか??


☆ 2018年08月13日 : ”終戦”記念日? 権威への「服従」が戦争に


 ”終戦”記念日の8月15日が近づくと、マスコミが”戦争のない平和な世界をつくりましょう”というキャンペーンが始まります。いつも思うのですが、日本人が起こしてしまった戦争の原因を掘り下げて考えることなく、あたかも自分たちは被害者であったかのように、”戦争はよくない、二度と戦争を起こしてはいけない、平和な国を築かなければならない”と言っているように聞こえてしまいます。すなわち、第二次世界大戦では、自分たちが”加害者”であったことを忘れて、自分たちは戦争の”被害者”である”と言っているにすぎません。どこかおかしいですね。

 6月17日のしんぶん赤旗に、”81年前の日本人と同じような無自覚さで、われわれは新しい”戦前”を迎えつつあるのではないか”というテーマの本を出版した山崎雅弘さんの記事が掲載されていました。彼は、戦史・紛争史研究家?で、今回「1973年の日本人」(朝日新聞出版)を出版したそうです。私は、その本を読んだわけではないですが、記事に共鳴するところもあったので、ここで一部紹介してみたいと思います。

水彩画作品68:紅葉と焚火
 「日中戦争の始まりは、1973年7月7日に中国の北京郊外で起きた日中両軍の衝突、盧溝橋事件だ、と学校で教わります(注:これは偶然の衝突事故ではなく、日本軍の謀略に基づく侵略的衝突です)。しかし、7月7日を境に、社会がいきなり平和から戦争に変わったわけではありません。そこで、1937年の日本がどんなふうに変化していったのかを知りたいと思い、この本の執筆に着手しました(注:この辺の事情は今までにもたくさんの本で取り上げられているのですが、一般の多くの日本人が無関心で、読むこともないので、知らないだけなのですが。もちろん、マスコミも積極的に取り上げようとはしませんね)。」

 「当時の日本人になった感覚で”時代の空気の変化”を理解するため、1937年の元旦から大みそかまでとその前後の新聞縮刷版を読み、”中央公論”、”文芸春秋”、”改造”、”週刊朝日”などの雑誌にも目を通しました。最初のうち、国民は”戦争が始まった”とは思っていませんでした。”悪い中国人を懲らしめるだけだ”と説明する政府に従う中(注:そういえば、細菌トランプや安倍ちゃんが同じようなことを言ってますね?)、日々の生活に少しずつ戦争が入り込み、気が付いたらそれに乗っ取られていた(注:今まさにそのような状況です)。」

 「当時のメディアを見ると”挙国一致”という言葉が頻繁に登場します。国を挙げ一致団結して”国難”に立ち向かう(注:安倍ちゃんもおなじようなことを言って騒いでいます)。一見立派な態度ですが、とりあえず政府に従うという盲目的な服従がどれほど危険化は、そのごの破滅的戦争と悲惨な敗戦を観ればよくわかります。無能で判断力がない政府指導部に国民が一致団結して従うと、国はどんどん破滅に突進していく。当時の社会の流れを観察し、”政府に黙って従うことの危険性”を思いおこす必要があると思いました。そして、当時のメディアは、国民に伝えるべき事実をきちんと伝えていなかった。それでは今の日本のメディアはどうか(注:まだ強力な軍部や右翼がいないため、戦前に比べればややましなように見えますが、本質的には政府に忖度してすべての真実を国民に伝えようとはしていませんし、期待もできない用の思えます)。」(中略)

 「安倍政権の下の日本では、戦前・線虫と同じような”権威への服従”の傾向がまた強まっています。上位の人間の理不尽な以降に下の者が服従して破滅する例が続発しています。日本が最も権威的になったのは、1935年からの10年間です。あの時ほど人命や人権が軽視された時代はありません(今は戦争中ではないので戦死はありませんが、同じようなことが、企業内、学校内、官庁内、スポーツ団体内等々で陰湿的に行われています。私自身も、大学や企業で見聞したり体験しています)。」

 「安倍首相や日本会議があの時代に執着するのは、もっとも権威主義的だった時代の日本こそが、あるべき姿だと思っているからです(注:そうかな??)。そんな価値観の行きついた先が前回の戦争です(注:もっと経済的分析が必要ではないのかな?)。その意味で私たちは”新しい戦前”に直面しつつあるのではないか。あの時代の過ちを繰り返さないために、私たちは”黙って従うこと”をやめる必要があります(それはわかっているのだけで、どうやって?がいつも問題です。多くの日本人はそんな意識のかけらさえありません?)。」


☆ 2018年08月06日 : The Last Home Concert in Osakabe House

 本当に寂しいですね!8月4日(土)2時から、第205回のホームコンサートに参加しました。演奏は板垣光弘さんのジャズピアノ独奏で、楽しい元気な音楽を演奏してくれました。でもこれがオサカベホームコンサート最後の演奏会となってしまいました。刑部ご夫妻は体力の限界に来ていましたね。やむを得ないことと納得するのですが、これで私から山中湖でのささやかな”文化生活”?の一つが消え去ってしまいました。

 奥様も、ご主人が一時倒れて入院したためもあり、今回のクロージングはやむを得ないと、悲しそうに話されていました。そして今までホームコンサートを支えてくれたサポートの方々に感謝されておられました(お話の中で、私の名前を挙げて、私どもが長い間(約20年間)東京から演奏会に来てくれたことを披露し、感謝すると言ってくださり、予想外のことであり、びっくりしました)。またご主人も奥様と一緒にお礼を述べられました。お二人とも本当に寂しそうでした。私どもはこれからどうしたらよいのかと思案しています。とにかく、刑部ご夫妻には、今までのコンサート開催に感謝するとともに、体に気を付け、末永く生きていかれることを祈念いたします。


 写真は、庭に咲いた花と収穫したまたは収穫予定の野菜の写真です。
水彩画作品67:奥裾花湿原
ヒオウギ キキョウ イワタバコ ジャガイモ 空飛ぶカボチャ


☆ 2018年07月30日 : 美しい島からの叫び 「私は今、生きている。」

 6月23日(土)の沖縄全戦没者追悼式のTVニュースを観た方ははいらっしゃいますか。そこで相良倫子さんが読んだ平和の詩「生きる」を聞いて、私はとても驚きました。29日(月)の朝日新聞報道によると、彼女は沖縄県浦添市立港川中学校3年生とのことですが、「生きる」とても素晴らしい詩で、いまだに反響を呼んでいるとのことです。私には、とても中学生の死とは思えません。市の構成が素晴らしく、平和を望む人々の心にt所k訴える歌だと思いました(中学生には難しい言葉が使われており、本当に彼女が一人で作成した歌なのかと疑ってしまうほどです・・・)。安倍くんも聴いていたと思うのですが、あの男にはどのように聞こえたのでしょうか???以下に全文を紹介します。

 私は、生きている。/マントルの熱を伝える大地を踏みしめ、/心地よい湿気を孕(はら)んだ風を全身に受け、/草の匂いを鼻孔に感じ、/遠くから聞こえてくる潮騒に耳を傾けて。私は今、生きている。

 私の生きるこの島は、/何と美しい島だろう。/青く輝く海、/岩に打ち寄せしぶきを上げて光る波、/山羊(やぎ)の嘶(いなな)き、/小川のせせらぎ、/畑に続く小道、/萌(も)え出(い)づる山の緑、/優しい三線(さんしん)の響き、/照りつける太陽の光。

 私はなんと美しい島に、/生まれ育ったのだろう。
水彩画作品66:古民家

 ありったけの私の感覚器で、感受性で、/島を感じる。心がじわりと熱くなる。

 私はこの瞬間を、生きている。

 この瞬間の素晴らしさが/この瞬間の愛(いと)おしさが/今と言う安らぎとなり/私の中に広がりゆく。

 たまらなく込み上げるこの気持ちを/どう表現しよう。/大切な今よ/かけがえのない今よ

 私の生きる、この今よ。

 七十三年前、/私の愛する島が、死の島と化したあの日。/小鳥のさえずりは、恐怖の悲鳴へと変わった。/優しく響く三線は、爆撃の轟(とどろき)に消えた。/青く広がる大空は、鉄の雨に見えなくなった。/草のにおいは死臭で濁り、/光り輝いていた海の水面(みなも)は、/戦艦で埋め尽くされた。/火炎放射器から噴き出す炎、幼子の鳴き声、/燃えつくされた民家、火薬の匂い。/着弾に揺れる大地。血に染まった海。/魑魅魍魎(ちみもうりょう)の如(ごと)く、姿を変えた人々。/阿鼻叫喚(あびきょうかん)の壮絶な戦の記憶。

 みんな、生きていたのだ。/私と何も変わらない、/懸命に生きる命だったのだ。/彼らの人生を、それぞれの未来を。/疑うことなく、思い描いていたんだ。/家族がいて、仲間がいて、恋人がいた。/仕事があった。生きがいがあった。/日々の小さな幸せを喜んだ。手をとり合って生きてきた、私と同じ、人間だった。/それなのに。/壊されて、奪われた。/生きた時代が違う。ただ、それだけで。/無辜(むこ)の命を。あたり前に生きていた、あの日々を。摩文仁(まぶに)の丘。眼下に広がる穏やかな海。/悲しくて、忘れることのできない、この島の全て。/私は手を強く握り、誓う。/奪われた命に想(おも)いを馳(は)せて、/心から、誓う。

 私が生きている限り、/こんなにもたくさんの命を犠牲にした戦争を、絶対に許さないことを。/もう二度と過去を未来にしないこと。/全ての人間が、国境を越え、人種を超え、宗教を超え、あらゆる利害を超えて、平和である世界を目指すこと。/生きる事、命を大切にできることを、/誰からも侵されない世界を創ること。/平和を創造する努力を、厭(いと)わないことを。

 あなたも、感じるだろう。/この島の美しさを。/あなたも知っているだろう。/この島の悲しみを。/そして、あなたも、/私と同じこの瞬間(とき)を/一緒に生きているのだ。

 今を一緒に、生きているのだ。

 だから、きっとわかるはずなんだ。/戦争の無意味さを。本当の平和を。/頭じゃなくて、その心で。/戦力という愚かな力を持つことで、/得られる平和など、本当は無いことを。/平和とは、あたり前に生きること。/その命を精一杯輝かせて生きることだということを。

 私は、今生きている。/みんなと一緒に。/そして、これからも生きていく。/一日一日を大切に。/平和を想って。平和を祈って。/なぜなら、未来は、/この瞬間の延長線上にあるからだ。/つまり、未来は、今なんだ。

 大好きな、私の島。/誇り高き、みんなの島。/そして、この島に生きる、すべての命。/私と共に今を生きる、私の友。私の家族。

 これからも、共に生きてゆこう。/この青に囲まれた美しい故郷から。/真の平和を発進しよう。/一人一人が立ち上がって、/みんなで未来を歩んでいこう。

 摩文仁の丘の風に吹かれ、/私の命が鳴っている。/過去と現在、未来の共鳴。/鎮魂歌よ届け。悲しみの過去に。/命よ響け。生きゆく未来に。/私は今を、生きていく。

 単なる「平和への願い」では、現実はあまり動きません。沖縄の悲劇の本質は、日本帝国主義の海外侵略です。日本は戦争における加害者でした。この事を抜きにした”平和”は砂上の楼閣といえます。それでも若い人々が平和を願う気持ちは、次の一歩につながるはずです。これからは彼女に様々な嫌がらせ(新聞では、「大人にやらされている」といった非難もきているとのこと)などがあると思いますが、頑張って生きていってほしいと思います。


☆ 2018年07月23日 : オサカべ・ホームコンサート

 21日(土)の午後は、第204回オサカベホームコンサートに参加しました。タイトルは「室内楽の午後」で、ピアノ榊原道子、ヴァイオリン山田圭子、チェロ松永みづほの”トリオ・ゼフィール”による三重奏でした。ハイドン、ブルッフ、グラズノフなどの作曲家による作品の演奏は、私にとって大変難しかったのですが、迫力のある室内楽演奏をたっぷりと楽しむことができました。

 ところで、残念なお知らせです。刑部ホームコンサートは、次回8月4日(土)の第205回の演奏会で終了となることに決まりました。刑部ご夫妻は高齢のため、コンサートを維持していくことが出来なくなってきたそうです。私どもは、2000年6月の第30回コンサート以来、18年間参加させていただきました。以前は音楽にはほとんど無知であった私どもでしたが、目の前で演奏されるクラシックやジャズの音楽にとても感動し、大変素敵な時間を過ごすことができたと思っています。大げさのようですが、私どもはホームコンサートによって音楽文化の一端に触れることができたと思っています。特に印象に残る演奏は、2004年4月と2005年9月の世界的ピアニスト江口玲さんの演奏です。また、黒須やす子さんのピアノや江草啓介さん、長谷川清司さんのジャズなども心から楽しむことができました。刑部ご夫妻には本当に感謝したいと思います。まだ来月の演奏がありますが、本当にありがとうございました。これからは、お体を大切にお過ごしください。

 左の絵画は、前回に続いて、私のお気に入りの絵画の一つです。不透明水彩絵の具(ガッシュ)による模写です。
水彩画作品65:セイリング


☆ 2018年07月17日 : 今週末も大被害に遭いました

 左の絵画は、もちろん模写ですが、私のお気に入りの絵画の一つです。これは透明水彩絵の具ではなく、不透明水彩絵の具(ガッシュ)で描いたものです。ガッシュの使い方はまだ練習を始めたばかりでよくわからないのですが、透明水彩とは感じの違ったものに仕上がり、面白く感じています。5月27日掲載のセメント工場と6月25日掲載のラナンキュラスの花もガッシュによる絵画です。

 またまたシカ君による被害が発生。一生懸命張ったネットが杭ごと倒されてしまい、中のトウモロコシが地上20から40cmくらい上の部分がきれいに食べられてしまいました。ネットを倒したのはシカ君しかいないと思いますが、トウモロコシを食い尽くした真犯人は不明です。それにしてもひどいですね。
水彩画作品64:ブナの木 ネットを倒される!悔しい! トウモロコシが全滅!

第17章:発生と進化による変化

 この章では、生物のパターン形成を制御する遺伝子が、多様な生物種によって共有されていることを見ます。すなわち、どうやってある個体のある部分に、他の部分に望ましくない変化を起こすことなく変化を起こすのか、またどうやって共通の遺伝子セットがそんなにも多様な体の形を作るのか、を見ていきます。

 発生を制御する”発生遺伝子”は、ショウジョウバエの発生変異体が発見によって明らかになってきたそうです。すなわち、”正常”な昆虫の発生に関わる遺伝子と遺伝子産物を同定することができるようになったということです。そして、比較遺伝学の手法を用いて、ショウジョウバエと同様の遺伝子セットが脊椎動物にも存在することを見いだしました。すごいですね。ショウジョウバエとマウスのように進化上遠く離れた生物に共通の発生遺伝子セットが存在することが発見されたわけです。これは、生物の驚異的な多様性は、比較的少数の”調節遺伝子”によってもたらされるということを意味するそうです。体の形の違いは、これらの遺伝子がいつどこでスイッチをオンにされたりオフにされたりするかによって生じるということです。うーん!うなってしまいます。

 ショウジョウバエの胚が成体と道央に”モジュール”(身体構造を包括する機能単位のこと)構成されていることがわかりました。ある生物の個々のモジュールの形は、他のモジュールとは独立しているそうです。シタガッテ、多くの発生遺伝子は1つのモジュールにしか効果を及ぼさないという意味です。もしそうでないと、発生遺伝子の一つの変異によって多数の非常に異なる変形を持つ生体ができてしまうことになります。実際にはそのような奇形は発生していないそうです。

 1つの生物内で共通な遺伝情報を用いているにもかかわらず、異なる構造が発生するのは、」”遺伝子スイッチ”というDNAコンポーネントによって制御されているからだそうです。遺伝子スイッチは八世紀の胚の位置情報を統合し、モジュールの発生制御を行っています。すなわち、あるモジュールの発生を制御する遺伝子は、他のモジュールの発生を制御する遺伝子と比較したときに、異なる種では異なる時間に発現することもあるそうです。とても複雑な話で、具体例がないと理解できないかもしれませんね。でも紙面の関係上具体例を述べるのは無理です。そして、遺伝子スイッチによって制御される遺伝子の作用が、個体かが(受精)卵から生体へと変容する現象と種間の総意の進化の両社の基盤になっていると考えてよさそうです。

 生体の形は遺伝子によって完全に決定されるということがわかりましたが、生体の形は八世紀の環境条件の影響も受けるそうです。個体が環境条件に応じてその発生を修正する能力をもち、それを”発生可塑性”というそうです。生物は未来を正確に予告する環境シグナルに対しては、適応すべく反応するそうです。また、生物は未来と関係ない環境シグナルに対しては応答しないとのことです。賢いですね。それじゃー、ヒト種は適切に未来に対応しながら生きているのでしょうか?知恵を取得したはずのヒトはとてもそのようには思えないのですが・・・本書ではこの件について次のように述べています。

 「生物は、進化の歴史の中で頻繁に起きた環境シグナルに対して環境順応的に応答することが可能であるが、以前に出会わなかった環境シグナルに対しては環境順応的に応答することができない。新しく出会った環境事象に適切に発生応答できないことは、」今日において重要な問題となっている。人類社会が環境を多くの点で変化させてしまったからである。

 例えば、今日人類は何千という化学物質を環境に放出しており、その中には正常な発生を妨害するものもある。1962年に、レーチェル・カールソンの古典的な本”沈黙の春”が出版されて、広く用いられていた化学的殺虫剤のDDTが(卵殻形成を阻害することにより)鳥類の数を激減させていることに注目が集まった。数年にわたる研究により、多くの鳥類や哺乳類の生殖系や発生に対するDDTの悪影響が実証された。

 1962年に新聞の見出しを飾ったもう1つの出来事が、環境因子に予測できない降下(しかも人類に対する効果)を明白にした。サリドマイドという薬物を摂取した母親から、7000人以上の四肢が欠損したり未発達の赤ちゃんが生まれた。遺漏従事者のなかで、安全で穏やかな鎮静薬と信じられていたサリドマイドが、胎児の四肢発生遺伝子発現に影響を及ぼすことを予測したものはいなかった。」

 最後です。携帯の進化は革新的な新しい遺伝子の出現によって支配されてきたのではなく、既存の遺伝子がやってきたことの修飾(変更)によって進んできたと言えるのだそうです。発生遺伝子とその発言が臣下を制約する原則は2つあるそうです。
1)ほとんどすべての進化上の核心は、既存の構造の修飾である。
2)発生を制御する遺伝子は高度に保存されている。すなわち、制御遺伝子自身は進化の過程では大きくは変化しない。
具体例が述べられていますが、省略します。

 以上で、「大学生物学の教科書 第3巻分子生物学」が終わりました。第3巻の分子生物学は、私にとってはメインの勉強課題でしたので、一応終えたということでほっとしています。とはいえ、分子生物学の理解度は全く不足で、とても分子生物学を概ねわかったとは言えません。これからも人生の最後まで、「大学生物学の教科書」第1〜3巻を繰り返し読み、少しでも理解を深めたいなと思っています。

 「大学生物学の教科書」は、第3巻に続いて第4巻進化生物学、第5巻生態学があります。私は一応読みましたが、あまり興味がわきませんでした。ということで、これらについては紹介するのはやめます。お付き合いしてくださった読者はいるのかどうかわかりませんが、ご愛読ありがとうございました。


☆ 2018年07月02日 : 目に余る野菜や草花の被害

 しばらく静まっていたのですが、シカ君によると思われる野菜や草花の被害が甚大です。アジサイの大きな3株が地上30cm位のところからすべて食べられてしまいました。もちろん、アジサイはネットで囲っていたものです。また、ナスの2株が同様に食べられてしまいました。インゲンは葉っぱを7、8割食べられてしまいました。ネットに覆われている植物をシカはどうやってネットをくぐって食べるのかよくわかりません。もしかすると、シカ君ではなく他の小動物で、シカ君は濡れ衣をきせられているのかもしれませんが・・・目撃証拠がありません。

 木の枝を伐採していたとき、巣箱の中をきれいにしようと手を突っ込んだところ、黒っぽい小さな虫に刺されてしまいました。またまた、ハチによるアナファルキシー・ショックが起こるかと思ったのですが、幸いにもハチではなかったようです。それでも刺された手が膨らみ、今日は診察してもらおうと思っています。

水彩画作品63:バラ 食害にあったアジサイ

第16章:発生における特異的遺伝子発現(その2)

 生物学の”発生”という言葉は一般の人には聞きなれない言葉ですが、多細胞生物が、”胚”といわれる受精直後の初期細胞群から、生活環を特徴づける形態を次々と取りながら成体になるまでの過程を言うとのことです。個体が胚から成体になるまでの過程は、4つのプロセスからなるそうです。
1)決定: 細胞の発生運命を決めるプロセス。すなわち、どのような種類の細胞になるかを、特徴が現れる前に決まる。
2)分化: 決定に従って異なる種類の細胞が現れるプロセス。すなわち、ある決定された運命をもつ細胞がその特異的な構造と機能を発揮する。
3)形態形成: 分化した細胞が寄り集まって多細胞個体とその器官を形成するプロセス。
4)成長: 細胞分裂、細胞拡大によって、個体と器官の大きさが増大するプロセス。

 有糸分裂は染色体や遺伝子が母細胞と同一の娘細胞を産み出しますが、種類が異なる細胞では異なる遺伝子が発現し、結果として種類の異なった細胞になるということです。このことを”特異的遺伝子発現”というそうです。すなわち、数個の細胞から成り立っている初期胚では、それぞれの細胞は多くの異なる細胞に分化する能力を持っているが、発生が進むにつれて、遺伝子発現が制御され、異なるタンパク質が合成されるようになり、最終的に異なる特徴と機能をもつ細胞群ができるようになるということです。

 接合子(受精卵)は生体のすべての種類の細胞を産み出すことができます。接合子は”万能”と言えます。言い換えると、そのゲノムは、個体の生活環を通して出現するすべての構造と機能に対する指令を含んでいるとも言えます。発生の後期ではs、接合子の子孫細胞は万能性を失って決定された細胞になってしまい、その決定された細胞は特定の特殊化した細胞に分化してしまうことになります。そして、その細胞は生涯にわたってその分化した形と機能を維持することになります。動物の初期胚の万能性は、カエルの初期胚由来の核を他の脱核卵に注入して、オタマジャクシ、カエルへと成長させることによって、証明されたそうです。成長した生物は”クローン”生物と呼ばれます。

 皆さんも、仔ヒツジドリーの誕生を記憶していませんか。ドリーはクローンヒツジで、生体になった後、交配で普通の出産で子孫を産み出したそうです。すなわち、ドリーは完全にまともな哺乳類生体動物であることが証明されました。著者はクローンに対する社会的不安について、次のように述べています。 「クローン動物の到来は、論争と倫理的不安を巻き起こしている。しかし、クローン作製は新しい科学的概念ではない。差相棒が万能性を有することは、ドリーが生まれるずっと前から認められていた。それにもかかわらず、クローン動物を作製することで万能性を証明することは、人々に強烈な印象を与える技術成果なのである。」 本当にそれだけで済まされるのでしょうか?”原子核分裂”や”原子核融合”も単に”技術成果”であるといって済む問題ではありません。タコつぼに入った科学者の頭は大変危険なものと考えます。

 哺乳類では、皮膚や腸管上皮、血球系などの細胞補充を頻繁に必要とする生体組織中において”幹細胞”見いだされます。幹細胞は娘細胞を産み出し、娘細胞は分化して死細胞にとって代わり、組織を維持するとのことです。これらの生態幹細胞は万能ではないが、複数の種類の細胞に分化する能力を持っており、多能性幹細胞とよばれています。他方、初期胚に由来する細胞は万能の幹細胞であり、”胚性幹細胞(ES細胞)”と言われます。胚性幹細胞は初期胚(胚盤胞)から採取して、ほとんど無限に培養可能であるということです。山中伸弥博士の”iPS細胞”は、患者の皮膚の線維芽細胞を培養、これに外来遺伝子を3〜4個導入することにより、多能性幹細胞を作製するものです。こちらは卵が不要であり、したがって自己の細胞から作るので免疫拒絶反応もないため、世界中から注目を集めて期待されているのだそうです。

 細胞分化においては、遺伝子発現を制御する仕組みがあります。遺伝子発現には、第11章で、”tン社調節”、”翻訳調節”、”翻訳後調節”などがあること説明されていましたが、細胞分化にかかわる主要な調節は”転写調節”とのことです。説明は詳細になりますので省略します。

 次に、細胞の運命はどのようにして決定されるのかということが述べられています。細胞分化につながる転写調節の複雑なネットワークは、またも化学的シグナルによって制御されるのだそうです。これには2つのメカニズムが存在するということです。
1)細胞質分離: 卵、接合し、前駆細胞の中の因子が細胞質内で不均一に分布する。
2)誘導: ある種の細胞が他の細胞の分化を誘導する因子を活発に産生、分泌する。
ウニの発生やカエル、線虫、ショウジョウバエなどの研究によって明らかになってきているそうですが、説明は詳細で多岐にわたるため、、ここでは省略せざるを得ません。でも、どうして頭が体の上位に発現し、腕が方から発現し、腹部が真ん中にあり、下肢が体の下方に発生するのか、不思議ですよね??物理学でもそうですが、仕組みが少し解明されても、何故そうなるのという質問にはほとんど答えられないのが現状です。生物もすごいものですね!!


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