わんだふる キルギス&カザフスタン (1)

はじめに

 2013年7月9日(火)から17日(水)の9日間、キルギス、カザフスタンの「天山自然紀行」 ツアーに参加してきました。キルギスとカザフスタンは中央アジアに位置しますが、日本人にとってはあまりなじみのない国かと思います。実は、私自身も、両国に行くまでは両国の知識がほとんどありませんでした。中央アジアには、両国のほかに、ウズベキスタン、トルキスタンおよびトルクメニスタンの3国があり、ソ連邦が崩壊するまではそれぞれの国がソ連邦を構成する共和国の一つでした。こんなこともあって、日本にとっては経済的に興味がなかったというか、接触がなかったのだと思われます。したがって、日本人にとってはなじみの少ない国になっていたものと思います。

 それでは、今回何故キルギスとカザフスタンへ行くことにしたのか?まず、カザフスタンは、空路の関係で通過国でした。成田から飛行機でソウル経由カザフスタン(アルマトイ)まで行き、アルマトイからはバスでキルギスとの国境を通ってキルギスに入らなければなりませんでした。ということで、今回のツアーはキルギス観光が主目的でした。私にとっては、高山のトレッキングツアーはもはや難しいので、観光旅行を中心に探さざるを得ませんでした。ところが、今回のツアーは観光旅行にもかかわらず、高山植物を観ることができるということが魅力的でした。また、遊牧民の生活にも少し触れることができる(遊牧民のテントで1泊する)のにも惹かれました。それで、このツアーを選択したという次第です。

 高山植物の関係上、季節的には7月中旬から8月上旬に絞られました。コースは3つありましたが、催行されたのは我々のコース1つだけだったようで、私が参加したツアーは10名(男5名、女5名)のパーティで、比較的少人数でした。日本人観光客は少ないようで、現地では二つの日本人パーティに出会っただけでした。

 天候は山中では時々雨に降られましたが、比較的恵まれたほうかと思います。キルギスの高山植物を十分に観察することができ、とても満足することが出来ました。また、白い雪に覆われた天山山脈や高地の湖などもとてもきれいで、キルギスの自然を堪能することが出来ました。

 それでは、すばらしかったキルギスおよびカザフスタンの一部をご紹介しますので、最後までお付き合いください。

                                                                            2013年8月5日(月)

  1.プロローグ 
  
2.アルマトイ経由ビシュケク(往路) :     7月9日(火)〜10日(水) 
   2.1
 東京からアルマトイ :             7月9日(火)
   2.2 アルマトイからビシュケク :         7月10日(水)
  3.アラ・アルチャ自然公園 :           7月11日(木)
  
4.ビシュケクからチョン・ケミン渓谷 :     7月12日(金)
  
5.チョン・ケミン渓谷からイシク・クル湖  :  7月13日(土)
  
6.イシク・クル湖からソン・クル湖 :      7月14日(日
  7.ソン・クル湖からアルマトイ(復路) :    7月15日(月)〜17日(水)

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1.プロローグ

 「はじめに」でも述べましたように、今回のキルギス・カザフスタンの「天山自然紀行」 ツアーは、バスによる観光ツアーです。カザフスタンのアルマトイに1泊し、翌日大型観光バスでキルギスとの国境に向かい、そこで徒歩で国境を越え、再び大型観光バスでキルギスの首都ビシュケクに向かいました。復路は逆のコースで、国境を越えてカザフスタンのアルマトイまで行き、そこから飛行機に乗りました。ということで、日本からキルギスに入国するには、大変な手間がかかってしまいます(もちろん、キルギスにも空港はあります)。道路はきれいに舗装されており、バスは快適で、インドやパキスタンのような恐怖のバスツアーということはありませんでした。

 訪れたスポットは次のようです。最初に訪れた所は、ビシュケク近郊のアル・アラチャ自然公園です。ここは天山山脈の1支脈の山麓に設けられた国立自然公園で、たくさんの花が咲いていました。翌日からはバス移動が続きます。2日目は遺跡などを見学しながら、チョン・ケミン渓谷に向かい、そこのゲストハウスに1泊しました。3日目はミニハイキングの後、”天山の真珠”と言われるイシク・クル湖へ行って、1泊。4日目は標高3,000mの高地にある小さなソン・クル湖まで行き、そこで遊牧民の住居であるユルタ(テント)に1泊しました。5日目からは帰路となり、ビシュケクに1泊し、翌日国境を越えてアルマトイまで行き、そこでミニ観光をした後、成田へ向かいました。

 次に、カザフスタンとキルギスの概略を説明しておきます(カザフスタンは簡単な説明です)。
 
1)カザフスタン(Kazakhstan)
 国の正式名称は”カザフスタン共和国”といい、地理的には、中央アジアの北東部、キルギスの北部に位置し、日本の面積の約7.3倍の大きな国土を持った国です。首都は北部のアスタナですが、ソ連邦時代はアルマトイ(Almaty:アルマトゥと表記される場合もあります)でした。人口はおよそ1,550万人で、カザフ人53.4%、ロシア人30%ということです。宗教は、カザフ人の多くがイスラム教スンニ派、ロシア人はキリスト教ロシア正教ということです。公用語はカザフ語ですが、ロシア語も使われています。石油や天然ガスなどの鉱物資源に恵まれ、中央アジアの国では比較的豊かな国だそうです。

2)キルギス(Kyrgyz): キルギスタンと呼ぶこともあります
 国の正式名称は”キルギス共和国”といい、地理的には、中央アジアの東部、カザフスタンの南部で、東は中国と国境を接しており、南部はタジキスタン、西部はウズベキスタンに囲まれています(タジキスタンの南にはインド、パキスタン、アフガニスタンがあります)。日本との時差は3時間遅れです。通貨単位はソム(Com)で、1US$がおよそ50ソム、1ソムおよそ2円でした。

 国土は日本の約半分で、首都はビシュケク(Bishkek)です。人口はおよそ540万人で、キルギス人64.9%、ウズベク人13.8%、ロシア人12.5%だそうです。宗教は、キルギス人の多くがイスラム教スンニ派、ロシア人はキリスト教ロシア正教ということです。公用語はキルギス語ですが、ロシア語も広く通用するそうです。

 国土は海抜1,000m以上の高地、山地が多く、3,000m以上の高山、あるいは万年雪や氷河に覆われた高山も多いとのことです。国のほぼ中央を東西に天山山脈の支脈が走り、国が大きく北と南に二分されています。 気候は大陸性気候で、地域差が大きいそうですが、夏はかなり暑くなり、冬は厳しい寒さになるそうです。標高900mのビシュケクの7月の平均気温は25度だそうですが、日差しはかなり強く感じられました。しかし、空気が乾燥しているため、日本のような蒸し暑さはありませんでした。

 現地ガイドの話によると、キルギスは農業国で、工業はまだ未発達とのことでしたが、平地はステップや砂漠が多く、農地が多いようには思えませんでした。国民所得はかなり低いとのことです。

 ソ連邦崩壊後は、経済が自由化され、言論なども規制されることはなくなったそうですが、年金生活者などは生活が苦しくなったり、ソ連邦内の他の国へ行くのが難しくなったりして、ソ連邦時代が良かったと考える人々もいるとのことでした。悪しき?”平等主義”がなくなり、きっと貧富の差が拡大しているのでしょう。




 首都ビシュケクは札幌とだいたい同じ北緯43度に位置し、天山山脈の支脈の北斜面に広がっており、標高が750から900mくらいです。市街のどこからも万年雪を抱くアラ・トーの山が見え、美しい町でした。ソ連邦時代に整備されたらしい広い街路が東西、南北に走り、道路の両側は木々の生い茂った広い歩道が整備されており、町全体が公園のようにも思えました(もちろん、裏通りなどを散策したわけではないので、すべてを確認したわけではありません)。おもしろいのは、キルギス人の顔が日本人にとてもよく似ていることでした。ガイドブックにもその話が載っていましたが、実際キルギスに行ってみて、本当に日本人とよく似た顔が多く、驚きました。現地ガイドの話によると、北方のモンゴル系人種が、一部は南部に下りキルギスへ、一部は日本やベーリング海を越えてアメリカ大陸に流れたので、キルギス人と日本人は元は同じ人種であったと説明していました。とても納得です!

 リゾート地としては、”天山の真珠”とも言われるイシク・クル湖が有名です。天山山脈に囲まれた標高およそ1,600mに位置する大きな湖で、面積は琵琶湖の約9倍もあるそうです。ソ連邦時代は外国人は立ち入り禁止でしたが、今では避暑地として開発され、夏には多くの観光客が訪れるそうです。我々が泊まったところは、外国人用の貸し別荘地で、プライベート・ビーチ(湖岸)があり、多くのお金持ちの外国人がバカンスを楽しんでいました(我々が泊まったのは貸し別荘ではなく、隣接したリゾートホテルでした)。ただし、秋から春の間は、とても寒くて、ユキが積もるので、地域一帯は閉鎖されるということでした。

 それでは、行程に沿って、写真を添えながらツアーの内容をお伝えします。

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2.アルマトイ経由ビシュケク(往路) : 7月9日(火)〜11日(木)
2.1 東京からアルマトイ : 7月9日(火)

 7月9日(火)朝、西武池袋線、山手線を乗り継いで、京急の特急で成田空港に向かいました。11時30分に成田空港の出発ロビーに集合です。今回のツアー参加者は10名で(ツアーリーダーを含めると11名)、成田出発組みと関空、福岡、仙台出発組みに分かれていました。男女比はちょうど半々で、年齢はもちろん50代以上と思われます。最高齢は78歳でした。

 ツアー会社より搭乗チケットを受け取り、チェック・インをした後出国審査を受け、アシアナ(ASIANA)航空のOZ103便の搭乗口に行きました。アシアナ航空は、2日前にサンフランシスコで着陸失敗した会社でした。参加者はみんなそのことを意識して、話題にしていましたが、キャンセルをするような人はいませんでした。そんなこと気にしていたらどこも行けませんよね。

 飛行機は、予定通り13時30分に離陸し、まずは中継地のソウル(Soul)の仁川空港に16時に到着しました(韓国とは時差はありません)。ここで飛行機を乗り換えます。また、成田以外の参加者とはここで合流となりました。ほぼ2時間後の18時10分、アシアナ航空のOZ577便でソウルを発ち、予定通り当日の21時55分(現地時間、日本との時差は3時間遅れ))にカザフスタンのアルマトイ(Almaty)の空港に到着しました。ソウルからの実質のフライト時間は約6時間30分でした。日付変更線を通らないので、そんなに疲れた感じはしませんでした。

 空港から大型観光バスに乗って、アルマトイ市中心街のホテルに向かい、ようやく22時45分にホテルに到着しました。明日のキルギス入国に備えて、すぐに休みました。
  

2.2 アルマトイからビシュケク : 7月10日(水)

 モーニングコールは6時30分でしたが、年をとると目が覚めるのが早く、昨日の疲れは吹っ飛んでおり、5時30分には起きてしまいました。ホテルの部屋の窓から外を見ると、青空が広がっており、山に囲まれた美しいアルマトイの町が見渡せました。町はポプラの木々に覆われて、おとぎの国のようです。

 早速ホテルを出て、街並みを歩いてみました。ホテルは町の繁華街付近にあるようで、広い通りが東西、南北に走っていました。道路の両側は広い歩道があり、歩道の両側に街路樹が植えられています。歩道を歩くと、街路樹のトンネルを歩いているようです。通りの両側には4、5階の低層の石造りの建物が並んでおり、1階はブティックなどの高級なお店や事務所が入っており、2階以上は住居のようにみえました。派手な広告や看板などはあまり見られませんでした。車はかなり走っていましたが、日本車が圧倒的に多いようです。中国や東南アジアと違って、バイクは少なく、自転車はほとんど見られません。日本では見られなくなったトロリーバスが走っていたので、写真に収めました。朝の6時頃なのに、仕事に向かう人もかなりいました。交差点には信号があるのですが、ガイドから運転が乱暴なので気をつけるようにと注意されました。

 散歩の後、ホテルに戻って、7時に朝食をとりました。

ホテルの窓からの風景 アルマトイ ホテル アルマトイ トロリーバス 広大なステップ草原

 今日は、大型観光バスに乗って、カザフスタン(Kazakhstan)のアルマトイ(Almaty)から、カザフスタンとキルギスの国境を通って、キルギス(Kyrgyz)の首都ビシュケク(Bishkek)に向かいます。8時にロビーに集合し、現地ガイドさんと挨拶をした後、バスに乗り、出発しました。現地ガイドさんは大学で日本語を学び、現在は日本人ツアーのガイドや日本語通訳をやっているそうで、とても元気な若者(30歳代後半)でした。

 道路は主要幹線道路のため整備されており、快適でした。ただ、道路の周りはステップ草原または岩石砂漠が多く、最初は珍しかったのですが、だんだんと退屈してきました。バスに揺られて走っていると、11時30分に国境に到着しました。国境の付近は撮影禁止なので、写真はありません。こんな国境の小さな検問所の写真が軍事機密になるとは思えないのですが、群の建前なのでしょうね。

 パスポートのチェックや通関を通るのに40分ほどかかりました。団体ツアーなので早かったそうです。12時10分、別の大型観光バスに乗り換えて、ビシュケクに向かいました。。


 国境からビシュケクまではすぐでした。ビシュケク市街の標高は800から900mくらいあり、日差しは強いですが、涼しい感じでした。 ビシュケク近郊でランチのためにレストランに入りました。パキスタンのときと比べてとても垢抜けしてきれいなレストランなので驚きました。中央アジアの都市のイメージが一気に変わってしまいました。料理はキルギス料理とのことでしたが、おいしかったように思いますが、メモをしていないので、どんな料理を食べたかは憶えていません。

食後は、まず銀行に連れて行ってもらい、そこで各自キルギス通過ソム(1ソム=約2円)に両替しました。そこで30ドル両替してもらいました。続いてビシュケクの市街を観光しましたが、地図がないので、あれこれと説明されても、何がなんだかよくわかりませんでした。ただ、アルマトイと同じく、ソ連邦時代の都市計画によって作られたらしい広い通りには圧倒されました。ちょうど日本の皇居前広場といった感じでしょうか。最初に国立博物館に行きました。バスを降りたときは雨が降り、傘をさして入り口まで歩きました。建物は大きく、圧倒的で、2Fはソ連邦時代の歴史資料、3Fはそれ以前のキルギスの歴史および民族資料が展示されていました。私は歴史に興味がないわけではないのですが、単に展示された資料を拝観するのは趣味ではないので、ガイドさんの説明は聞き流してしまいました(済みません)。館内は写真が禁止されていたので(写真撮影が有料)、今はレーニン像や対ドイツ戦争の巨大な戦士像以外は、何が展示されていたのかも忘れてしまいました。

レストラン(ビシュケク郊外?) ランチ風景(ビシュケク郊外?) アラトー広場とマナス像 アラ・トー広場

 博物館を出ると雨は上がっていました。博物館の前は、大きな広場(アラ・トー広場)となっており、少し散策しました。その後、オシュ・バザールというマーケットに行き、見学しました。ここは庶民の買い物場所らしく、車と人でごった返しており、バスを駐車させるのにも大変でした。マーケットはかなり広く、たくさんの店が出ており、肉や野菜、魚などの生鮮食品や雑貨品が売られていました。多くの人々が買い物をしており、とても活気がありました。ここでは日本人に似ている人々がとても多く、思わず家内と顔を見合わせて笑ってしまうほどでした。

 17時過ぎに、今日泊まるホテルに到着しました。ここは、都心から少し離れていましたが、アルマトイと同じく、山と緑に囲まれたすてきなホテルでした。夕食はホテル外のレストランということで、バスに乗って食事に出かけました。こちらは、19時、20時でもまだ明るく、逆に朝の6時はようやく明けてくるといった感じでした。

ビシュケク オシュ・バザール バザールの肉売り場 バザールのナッツ売り場 ビシュケク ホテル


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