わんだふる インド ガルワール・ヒマラヤ (2)

  1.プロローグ 
  
2.デリーからリシケシ、ジョシマートへ(往路) : 07月20日(水)〜22日(金) 
  
3.ジョシマートからゴビンダガート、ガンガリアへ、そして花の谷  : 07月23日(土)〜24日(日) 
   
3.1 ジョシマートからゴビンダガートへ : 7月23日(土)
   
3.2 ゴビンダガートからガンガリアへ : 7月23日(土)
   3.3 花の谷 : 7月24日(日)
  
4.シーク教徒の聖地・ヘムクンド湖 : 07月25日(月) 
  
5.ガンガリアからヒンズー教巡礼地・バドリナート : 07月26日(火) 
  
6.バドリナートからデリーへ(帰路) : 07月27日(水)〜30日(土) 
  

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3.ジョシマートからゴビンダガート、ガンガリアへ、そして花の谷 : 7月23日(土)〜24日(日)
3.1 ジョシマートからゴビンダガートへ : 7月23日(土)

 東京を出てから4日目で、ようやく今日から”山歩き”となります。昨日はホテルの到着が遅かったので、モーニング・コールは7時30分とのことでしたが、6時30分には目が覚めてしまいました。ホテルの外へ出てみると、目の前が渓谷に沿った道路で、まわりには民家も数軒ある程度でした(少し離れた所に”商店街”のようなところがありました)。霧が出ており、川の対岸もよく見えないほどでした。8時過ぎにカレーの朝食をとりました。昨夜仕分けた荷物がバスに積み込まれるのを確認しました。そして、9時15分にバスに乗り出発となりました。この町にはゲートがあるようで、出発の時間帯があって、通門の時間が決まっているとのことでした。

 ジョシマート(1,890m)からゴビンダガート(1,790m)までは約20km程度で、バスで約1時間とのことでした。2地点の標高差はほとんどないのですが、いったんアラクナンダ川の川岸まで細い道を100m以上下り、そこから川岸に沿ってゴビンダガートまで上っていきます。道路は、もちろんいつ崖崩れがあってもおかしくないような道です。道中は、月光仮面のようにサングラスをかけ、頭巾とマフラーをたなびかせた若いお兄さん方が二人乗りでバイクを走らせ、ビービー警笛を鳴らしながら、バスなどを追い越していきます。かれらも敬虔な”ヒンドゥーまたはシーク教徒”のようで、ガンガリア/ヘムクンド湖またはバドリナートに”巡礼”に行くのだということでした。10時10分、無事にゴビンダガートに到着しました。

カレーの朝食 月光仮面のお兄さん方がを走る ゴビンダガート(町の入り口)


3.2 ゴビンダガートからガンガリアへ : 7月23日(土)

 バスから降り、ガンガリアまで運んでもらう荷物が降ろされていることを確認し、10時20分、ザックを担ぎ、ようやくトレッキング開始です。ガンガリア(3,040m)まで、標高差1,250m、距離はおよそ13kmです。スケジュール表ではおよそ6時間の行程とあります。結構タフな登りです。

 町の入り口を通ると、細い道の両側は店がびっしりと並んでいました。そこを通って行くと、吊り橋が現れました。その橋を渡ると、いよいよ登りに入ります。馬に乗る人(6人くらい)とはここで別れました。

 登りはじめは雨は降っていませんでした。道は、基本的には石畳(あるいは岩を平たく削ってある)で、道幅も3〜4mくらいあって、歩きやすいです。もちろん、日本の山のような急な登りはありません。ただし、人を乗せた馬が結構往来しているので、注意しないとぶつけられて崖に落とされるということもあるようです(一部の路肩では柵もありました)。
アラクナンダ川対岸の道を登っていく 対岸(登山道)から見たガンガリアの町

 時々休憩をしながら、マイペースでゆっくりと登りました。道は、聖地”ヘムクンド湖”を目指す老若男女のシーク教徒と一緒に歩きます。彼ら、彼女らは、シューズを履いていればよいほうで、ゴムサンダルがほとんどです。素足で歩いている人も結構いました。小さな子供を連れて(あるいは背負って)いる若いお父さん、杖を突いて歩いている老人、家族あるいはグループでにぎやかに歩いている人などなど、本当に多くの人が登っていました。また馬に乗るだけではなく、4人で担ぐ乗り物?(大井川の川渡しのようなもの)に乗った老人や、背負子のようなものに後ろ向きに担がれた子供なども見かけました。

 当然ですが、途中で、乗馬組に追いつかれました。馬に乗るのも、振り落とされないように鞍の前の棒をつかむので、結構疲れるとの事でしたが、もちろんスピードが全然違います。ご機嫌の様子で徒歩組みを追い越していきました。道の途中には、写真のような”茶店”が多くあり、果物やペットボトルが売られていました。甘いマサラ茶もサービスしてくれます。何故か、インドの人々にとっては、日本人が単に珍しいのか、エキゾチックに思うのか、「一緒に写真を撮らせてくれ」といって、携帯電話のカメラ(デジカメもありますがまだ少ないといった感じでした)で一緒に写真を撮って、大喜びでいました。もちろん、若い?おばさんが大人気ですが、60歳以上でもOKなようで?、時には私のようなおじさんにも写真を撮らせてくれといって、写真を撮っていました。いままで経験したことがない、驚きでした(この山道では西洋人は余り見かけませんでした)。
 
乗馬組みのお通り 山道沿いの”茶店” おばさんと一緒に写るインド人夫婦
 道中の道沿いには、日本にはない色々な花が咲いていました。見つけるたびに写真を撮るのですが、それでばててしまっては大変なので、山歩きに専念するように努めました。

 12時15分、”茶店”でランチをとりました。このランチは、朝配られたランチ・パックで、カレーではありません。標高はまだ2,000mくらいですので、まだ1,000mは登らなければなりません。ヒェー!!。

 食後、12時45分に再出発。一生懸命登りましたが、無残にも2時頃から雨が降り始めました。レインウェアをきるほどではないですが、折りたたみ傘をさして登ります。精神的にも疲れが出てきました。
紫の花 クリーム色の壷形の花
 パンフレットの歩行時間は約6時間とあったのですが、全然でたらめでした。当然、私は徒歩組みの後ろの組です。最後はどこをどう通っているのかもよく分からず、ひたすらに歩いて、5時45分、ようやくガンガリアの”ホテル”に到着しました。先着の乗馬組みや、先頭の組の人が迎えてくれたのですが、全行程は、7時間30分で、先頭組みから30分ほど遅れての到着でした。くたくたに疲れ切って、ようやくいすに腰掛けることができました。

 しばらくして、各部屋で休むことになりましたが、部屋が3階で、登るのが大変でした。部屋は一応”ベッド”が二つあるのですが、木の台に湿って重くなった薄い”布団”があるだけで、とてもその中に入って休む気にはなれません。ツアー会社が用意したと思われるシュラフが配られ、夜はその中で寝ることになります(これも事前に東京で説明を受けていました)。


崖崩れのための迂回路(河原) ガンガリアの町(正面の林の奥) ガンガリアの”ホテル”前の通路
 夕食は7時でした。食事の”部屋”は、道路に面した出入り口兼用土間です(日本のおみやげ兼食堂のイメージです)。食事はもちろんナンと2、3種類のカレー、それに中華料理(焼きそばとチャーハン)です。高山病の影響が出てきたのか、食欲はあまりありませんでしたが、何とかがんばって少し食べ、空腹を満たしました。

 食後は各部屋に戻りました。電灯はつきますが、夜の10時までとのことでした。バスはもちろんなく、大きなバケツいっぱいのお湯がサービスされるので、汗をかいた体を拭くだけです。実は、”ホテル”の前の細い道を挟んだところにヒンドゥー教の寺院があり、夜遅くまで大音響で”お経”のようなものをスピーカーから流していました。深夜には終わるそうですが、早朝からまた”お経”の大音響が聞こえるとのことでした。大変な”ホテル”に泊まらせらされたようです(別に文句を言っているわけではなく、いろんな非快適さは覚悟をしてきていました)。大音響が耳障りでしたが、シュラフのなかに東京からもってきた携帯カイロを入れて(足を温めます)、シュラフに潜り込みました。疲れていたので、9時にはぐっすりと寝込んでしまったようです。

”ホテル”の前のシーク教寺院の入り口


3.3 花の谷 : 7月24日(日)

 夜中にはかなりの強い雨が降っていたようで、時々眼を覚ましたが(”ホテル”の中庭のようなところが”ホテル”の従業員用の建屋になっているようで、その建屋の屋根がトタン造りになっていて、少し強い雨が降ると大雨が降っているように聞こえます)、疲れていたためよく眠れました。ところが、朝の4時に、予定通り”ホテル”の前のヒンドゥー教寺院から”お経”の大音響が流れ始めました。ちょっと驚きましたが、こちらは疲れていたので、この程度の?大音響は無視して寝続けました。

 5時45分に起床して、外(すなわち"ホテル”の中庭)を見ると小雨が降っていました(この時点で”大雨”の理由が判明しました)。ちょっとがっかりでしたが、これも想定内です。今日は花の谷のトレッキングなので、気持ちが高揚していました。すぐに荷物をザックに詰め、レインコートや折りたたみ傘などを準備しました。6時40分に、食堂でいつものカレーの朝食を食べ(ほとんど食べることができませんでした)、7時30分に1階”フロア”(食堂と同じスペース)に集合しました。出発時にはランチボックスが配られました。

 全員揃ったところで、7時40分に出発しました。小雨が降っていたので、レインウェアを着て、折りたたみ傘をさしました。花の谷は幅約2km、長さ10km、標高3,500mにある谷間です。花の谷までは、ここから距離約3.5km、標高差約500mあります。フラワーガイドとして地元のラジニスさんが花の谷を案内してくれました。
朝のホテル前の通り

 ”ホテル”前の通路(”商店街”)を通っていくと、開けた場所に出ました。馬があちこちにおり、お客を待っていましたが、花の谷へは馬では行けません。馬は明日登るヘムクンド湖往きのものです。10分ほど歩くと、花の谷とヘムクンド湖の分かれ道に着きました。左が花の谷方面、右がヘムクンド湖方面です。花の谷への登山道入り口には公園事務所があり、入園料を払うことになっているそうです。事務所の前の看板の概略図を用いて、フラワーガイドが今日の行程を説明してくれました。もちろん英語による説明なので、ツアーリーダーが翻訳してくれます。いよいよ出発です。

地元のガイド・ラジニスさん 途中の渓流(橋を渡る) 吊り橋から見た渓流
 登山道は石畳で整理されており、ゴミも馬糞もなく、日本の山道のようにきれいでした。最初は緩やかな登りで、登り始めるとすぐに、高山植物が目に入ってきました。花の名前はよく分かりませんが、中国の大姑娘山の高山植物と違って、日本の高山植物に似たようなものが多かったような感じがします。花の説明を受けながら、花の写真を撮って進むので、なかなか進みません。ブルーポピーの花が現れたときは、皆歓声を挙げました。花が大きくとてもさわやかな色でした。10時30分ころ、途中の渓流を渡る吊り橋の前で小休憩をとりました。標高は3,300mくらいまで来ていたと思います。

インドの花1(アザミの一種?) インドの花2 インドの花3 インドの花4
インドの花5(ブルーポピー) インドの花6(フウロの仲間) インドの花7(アネモネの仲間)
 渓流の吊り橋を渡ると、石畳はなくなり、本格的な山道になりましたが、道は整備されていて歩きやすかったです。途中にがけ崩れのため巻き道になっているところがあっただけで、それ以外でガレ場のようなところや危険なところはありませんでした。小さな板橋を渡って少し登ると、大きく開けた谷間に出ました。花の谷(3,500m)です。時間は11時を過ぎていました。

 この頃になると、雨はほとんど止みましたが、遠くの山は霧ではっきり見えなかったのが残念でした。これも想定内といえますが・・・もちろん太陽も出ていないので、青空の下のお花畑とはいきませんでしたが、5,000m級のヒマラヤの山に囲まれた広々とした谷間一面にたくさんの高山植物が咲いており、感激しました。近くに巨大な岩があり、まずは岩の陰でランチとなりました。

雪渓下を流れる渓流 花の谷入り口の渓流を渡る
 花の谷には、花の種類が約550種ほどあるそうです。ランチの後は、花の谷を散策し、花の写真を撮って楽しみました。本当はもっと奥まで行きたかったのですが、天候と時間の関係か、周りの散策で終わってしまったのがちょっと物足りませんでした。ここでは、ブルーポピーは見られませんでした。また、標高が足りないので、サウスレアはないとのことでした。




巨大な岩の陰でランチをとる 花の谷で
花の谷のお花畑(上流左側) 花の谷のお花畑(上流右側) インドの花8(カンパニュラ)
インドの花9(タカネバラの仲間?) インドの花10 インドの花11 インドの花12

 およそ30分ほど散策し、記念の集合写真を撮って、戻ることになりました。下りは途中から完全に雨も止み、るんるん気分の下りでした。来るときに観た花に再度出会うたびに、感嘆です。すばらしい一日でした。

 3時にガンガリアに戻りました。まだ時間があったので、ツアーリーダーにお願いして、あの”ホテル”の前のヒンドゥー教寺院を参拝?することになりました(右のスケッチ参照)。相変わらず”お経”の大音響が流れる中、大勢の信者が門を出入りしていました。われわれも恐る恐る門をくぐり、建物前の中庭に入りました。外国人は我々だけなので、何となく異様な雰囲気を感じました。

ガンガリアの街を見下ろす ヒンドゥー教寺院(グルドア寺院)
 ヒンドゥー教寺院の建物の中に入るには、靴を脱ぎ素足にならなければならず、また髪や肌をあらわに出してはいけないとのことでした。それで、靴を脱ぎ、帽子をかぶって建物内に入りました。中は日本の寺の本堂の広さがありましたが、真ん中に、私にとってはわけの分からない”何ものか”が置かれており(日本の寺院のように立派な偶像と祭壇はありませんでした)、十数人の信者がそれに向かって参拝していました。私は、恐れ多くも、その”何ものか”の周りを一周して、早々と退散?しました。いやはや、「信仰」とはとんでもないものとつくづくあきれてしまいました。なんとおろかなこと???(ヒンドゥー教徒の方には済みませんが、無神論社の真摯な感想です)

 この後、ガイドのラジニスさんのお土産の店に伺い、花の谷のビデオを観せてもらいました。そこで、花の谷の簡単な解説本も買いました。400ルピー(約800円)したので、感覚的には高いですね。

 ”ホテル”に戻りましたが、部屋の中で休む気分にはならないので(”布団”に潜る気にならないので)、荷物の整備をした後、夕食まで1階の食堂に居ました。6時30分に、カレーの夕食となりましたが、今晩も高山病のためか食欲がなく、ツアー会社が用意してくれたおかゆ(個人用ではなく、ツアー参加者全員のためのものです)を食べただけでした。だんだんとカレーを見るのもいやになってきたようです。

 7時15分に部屋に戻り、バケツのお湯をもらって体を洗い、9時前にはシュラフに潜って寝てしまいました(もちろん、携帯カイロを入れて、足を温めるようにしました)。”お経”の大音響も、慣れてくると子守唄のようになってしまいました。



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