わんだふる インド ガルワール・ヒマラヤ (4)

  1.プロローグ 
  
2.デリーからリシケシ、ジョシマートへ(往路) : 07月20日(水)〜22日(金) 
  
3.ジョシマートからゴビンダガート、ガンガリアへ、そして花の谷  : 07月23日(土)〜24日(日) 
  シーク教徒の聖地・ヘムクンド湖 : 07月25日(月 
  
5.ガンガリアからヒンズー教巡礼地・バドリナート : 07月26日(火)
   
5.1 ガンガリアからゴビンダガートへ
   
5.2 ゴビンダガートからバドリナートへ
  
6.バドリナートからデリーへ(帰路) : 07月27日(水)〜30日(土)
   
6.1 バドリナートからルドラプラヤグヘ (7月27日(水))
   
6.2 ルドラプラヤクからリシケシへ (7月28日(木))
   
6.3 リシケシからデリーそして帰国 (7月29日(金)、30(土))
  

                                                      => Previous Page
                                                             => わんだふる山中湖(Close)


5.ガンガリアからヒンズー教巡礼地バドリナート : 7月26日(火) 
5.1 ガンガリアからゴビンダガートへ

 朝4時に、いつものとおり前のヒンドゥー教寺院の大音響が響き渡りました。それでも、あまり気にならなくなったようで、起床は5時15分でした。さすがに昨日のヘムクンド湖の往復の疲労は一晩ではとれません。起きるのが大変辛かったです。それでも高山病の症状は治まったようで、馬に預ける荷物のまとめなど出発の準備をした後、6時15分に朝食、7時に”ホテル”を出発しました。朝方は小雨が降っていましたが、歩き始める頃は雨は止んでいました。これは大変助かりました。これから13km、標高差約1,200mの行程を約5時間で下る予定です。

 ”ホテル”の前の狭い雑然とした通路を抜けると、林があり、そこを少し歩くと、展望が大きく開けました。登るときは、林の中を通ったことは覚えているのですが、こんな開けた谷を登ってきたことは覚えていませんでした。雨が降っていて、疲れ切っていたためと思いますが、まわりの景色を見る余裕はなかったのでしょう。この林を出た開けたところには、キャンプ場があり、多くのテントが張られていました。雨が降らなければ、こちらのテントのほうが快適だったかもしれないなと思いました(それほど”ホテル”は快適さが全くなかったということです)。

ガンガリアを下り始める 崩壊地の迂回路(河原) 乗馬組が通る 馬を下りて休むインド人

 雨も降っていないので、下りは気楽に歩けました。登りのときは見逃した花などの写真を撮りながら下りました。下りも聖地に向かって登り、あるいは帰っていくシーク教徒の人々がたくさん歩いていました。もちろん、馬に乗っている人も多くいました。

 気楽な下りといったものの、後半は足が疲れてきました。日本の高山のように急な下り坂はないのですが、疲れた体で1,200mの標高差を下りるのはかなりタフな歩きでした。

白花のツリフネ キツリフネ 紫色の花

12時10分、ようやくガンガリアの橋の入り口に到着しました。時間的にはほぼ予定通りでしたが、ツアーリーダーから「ランチは川の向こうの丘の上で、まだ15分くらい歩きますよ」と言われ、その場でへたり込みそうになりました。とにかく頑張って歩いて、そのレストランに着いたのが12時30分過ぎでした。あー、本当に疲れました!!


ガンガリア近くの村。もうすぐだ ガンガリアの入り口に到着 ガンガリアでのランチ

 レストランでは大休憩となりました。ランチはもちろん、カレーと中華料理です。高山病の症状が治まったので、ようやくカレーを少し食べることができましたが、それでも毎回カレーにはうんざりしてしまいます。

5.2 ゴビンダガートからバドリナートへ

 2時少し前に、3日前に別れたバスが迎えに来てくれました。ちょっと懐かしい感じでした。ドライバーも同じ人です。以前に預けた荷物とガンガリアから馬で運んだ荷物がすでに積載されていました。全員バスに乗って、2時に今日の宿泊地であり、ヒンドゥー教の聖地であるバドリナート(3,120m)に向かいました。バドリナートへは、アラクナンダ川をさらに上流に向かっておよそ24km走ります。およそ2時間の予定です。ところがこの道もすごくて、急な山肌をつづら折りの道を喘ぐように車が上ります。窓側を観ると千尋の谷、山側を見ると空を見上げるような岩壁と、とても落ち着いて寝ているわけにはいきません。途中では道路から落ちたマイクロバスがありました。すごいですね。

山肌を縫う道路 バドリナートのホテル ここからニルカンタ峰が見えるのだが

 予定通り、4時にバドリナートに着きました。ここは、アラクナンダ川の源流近くにあり、中国のチベットにも近いとのことでした。チェックインしたホテルはガンガリアの”ホテル”にくらべれば上等なホテルでした。少し休んで、着替えをした後、バドリナートのヒンドゥー教寺院を見学することになりました。

 5時にロビーに集合し、ホテルの外に出ました。少し歩くと、左側の対岸に雲に覆われた大きな谷の入り口が見えました。晴れていれば、ここから「ガルワールの女王」と呼ばれ「世界で一番美しい山」と称えられるニルカンタ峰(6,596m)を展望することができるとのことでしたが、もちろん全く見えませんでした。残念!(翌朝も山の下部が少し見えただけで、山は見えませんでした)。

 さらに少し歩くと、道の両側にお土産店がたくさん現れてきました。ヒンドゥー教関連の偶像?のようなものもたくさん売っていました。そのお土産店の通りを抜けると、アラクナンダー川に掛けられた橋のたもとに出ました。その対岸が寺院です。この寺院はヴィシュヌ神の化身バドリナートを祀る寺院で、ヒンドゥー教徒の聖地となっているとのことでした。橋を渡って寺院に入るとたくさんの信者がおり、大変込み合っていました。ここでも寺院の礼拝場に入るには、靴を脱いで素足でなければなりません。私はもちろん、寺院や信仰には興味がありませんでしたが、せっかく来たのだからと素足となって寺院の中に入り、礼拝場の周りや中を拝見して、すぐに戻りました。寺院の中(建物の外ですが)には天然温泉があり、信者たちがお湯を掛け合って大騒ぎでした(高温のため湯の中には入れないそうです)。

 帰りにはお土産店でカシュナッツや干しブドウなどを買ってみました。ぶらぶらと歩いて帰り、6時30分にホテルに戻りました。

バドリナート寺院(対岸より) バドリナート寺院(入り口) バドリナート寺院(入り口前テラス)

 夕食(もちろんカレーです)は7時からでしたが、食欲はまだ戻りませんでした。食後すぐに部屋に戻り、お湯で体を洗って温め、9時には寝てしまいました。部屋やベッドは、ガンガリアに比べれば申し分なく、毛布をかぶって(シュラフではありません)すぐに寝入ってしまいました。


6.バドリナートからデリーへ(帰路) : 7月27日(水)から30日(土) 
6.1 バドリナートからルドラプラヤグへ (7月27日(水))

 朝6時前に起きました。疲れもだいぶとれてきたようです。外を見ると、曇り空でした。食事前にニルカンタ峰(6,596m)が見えるかと思って外へ行ってみたのですが、やはり霧に覆われてみることはできませんでした。6時30分に朝食(もちろんカレーです)をとり、7時20分にロビーに集合、すぐに出発しました。来たときはよく分かりませんでしたが、近くにゲートがあり、車がたくさん待っていました。それで出発を急いでいたようです。少し待たされた後、ジョシマート経由で今日の宿泊地ルドラプラヤグへ向かいました。距離にしておよそ160kmですが、アラクナンダ川に沿って、急峻な谷の山腹を通るカーブの多い悪路なので、9時間くらいかかるとのことでした。道路が崩れるなどしていた場合は、予定がたたないとのことでした。こちらとしては、まあどうにかなるんでしょうといった気分です。

 道路は、悪路に加えて、たくさんの車が警笛を鳴らしながる走るので、何となくゆったりとした気分にはなれません。さらには、例の月光仮面のようなお兄さん方のバイクが警笛を鳴らしながら追い越そうとするので、自分が運転しているわけではありませんが、たいへんいらいらしてしまいます。ガンガリアへの登山口であるゴビンダガートを通り過ぎ、9時ころに前に宿泊したジョシマートのホテルに到着しました。そこで休憩をとったあと、再びバスに乗りました。12時頃あるホテルのレストランに止まり、ランチ(もちろんカレーです)をとりました。この近くで、竹篭を編んでいる老人がいるというので、そこへ行っておみやげ用に竹篭を一つ買いました。

 1時に再度バスに乗り、出発。まだまだドライブは続きます。途中、青空トイレでバスが道端に止まったのですが、サル軍団(ヒマラヤモンキー)が行儀よく?道端の石の上に座って、じっと人間を見つめていました。野生の動物らしいものを見たのはこれだけです。案の定というか、途中で道路が崩れていて、補修をしている箇所があり、通行止めとなっていました。こちらとしてはいつ通れるようになるのか分かりません。バスの外に出て、リラックスするしかありませんでした。幸いか?30分くらい待っただけで、通行可能となりました。

アラクナンダ川と道路 山腹を走る道路(左上) 道路沿いに列を成す猿軍団 補修中につき、しばらくお待ちを

 5時に、ルドラプラヤグのホテルに到着しました。空は曇っていたのですが、標高もだいぶ低いためか、そんなに寒くはありませんでした。それで、ホテルのテラスへ出て、手前を流れているアラクナンダ川の風景をスケッチしました。スケッチ後ホテルに戻りましたが、バドリナートのホテルに比べても申し分なく、大変よかったです。すなわち、電気が一晩中使えること、シャワーもOKで、制限はないということでした。夕食はいつものとおりのインド料理(もちろんカレーです)と中華料理ですが、何となくゆったりと食べることができました。やっと一息つけたという気分でした。

ルドラプラヤグのホテル(テラス) アラクナンダ川(ホテルのテラスから) 右の写真風景の絵


6.2 ルドラプラヤグからリシケシへ (7月28日(木))

 6時過ぎに起きました。ゆったりと寝ることができたので、体調は完璧となってきました。今日はリシケシまでで、およそ130kmのドライブですが、道路事情による遅れ等の調整のために、余裕をとっているとのことでした。それで、出発は8時とのことでした。7時に朝食(もちろんカレーです)をとり、8時にバスに乗り込み、出発しました。

 出発時は曇り空でしたが、昼近くからかなりの雨が降り出しました。急な渓谷沿いの道を通るのですが、黄土色の雨水が道路を流れ、車がそこをすれ違ったりすると、思わず大丈夫なのと叫びたくなってしまいました。ドライバーは当然一生懸命?に集中力を働かせて運転しているのでしょうが、日本では考えられないような道路状況なので、心配でたまりませんでした。

 どこまできたのかよく分かりませんでしたが、雨も止み、時々日がさし、暑くなってきました。リシケシに近くなってきたのか、川の幅も広くなってきて(途中で他の川と合流して、インダス川と名前が変わるようです)、流れもゆったりとしてきました。まわりの山々は亜熱帯の森林で覆われているようでした。ほっとした気分になりました。リシケシのホテルは往路のときと同じホテルで、3時半に到着しました。これでも7時間30分のドライブでした。

ホテル前(出発準備) 川霧にかすむガンジス川 ガンジス川とリシケシの町(対岸)

 夕食まで時間があったので、町の中を少し散歩しました。町の中心の十字路では、人とオート・リキシャ、バイク、車で大混雑、それに例の警笛をめったやたらに鳴らしながら割り込みをするので、危なく、またうるさくて仕方がありません。十字路にも信号はなく、警官が交通整理?をしていましたが、人が優先ではないので、渡るのもたいへんです(道幅は7、8mくらいしかないのですが)。その警官が警棒のような棍棒を持っていたのですが、交差点でなかなか動こうとしないオート・リキシャの後ろをその棍棒でがんがんたたくのを見て、ビックリ仰天でした。

 お店はかなり多くありましたが、外国人がはいるようなお店はなく、小さな店が道路わきに軒を並べるようにしてありました。道路わきで露店を開いている店もたくさんあり、そこでおみやげ用にTシャツを買ってみました。140ルピー、約280円と超安値でしたが、東京で着てみると、インド綿のしっかりした縫製とプリントで、今は愛用しています。

 ホテルに戻り、6時30分に夕食をとりました。もちろんカレー中心の料理でしたが、やはりデリーに近づくにつれて、食事内容はよくなってきます。それでも、カレーはやっぱり飽き飽きしていました。


リシケシの町(ウシが休んでいる?) リシケシの町(果物を売る露店)


6.3 リシケシからデリーそして帰国 (7月29日(金)、30日(土))

 いよいよインドのたびの最後の日になりました。デリーの交通事情がよくないため、早めに出発するとのことで(後で分かったのですが、スケジュール表には入っていない、デリーの観光とお土産やへの”連行”を予定していたため、早めに出発となったのだと思います)、5時には起床し、5時45分に朝食をとり、6時30分には出発という、大変あわただしいスケジュールでした。デリーまでは、約240km、およそ8時間のドライブです。出発するときはかなりの雨が降っていましたが、しばらくすると雨は止みました。

 ハリドワールのお祭りが最盛期を迎えており、大渋滞が想定されるということで、バスはラジャジ国立公園の中を抜けるコースを取ったようです。道路の周りはうっそうとした熱帯林で、ゾウも生息しているとのことでした。長い道のりなので、バスの窓から風景を眺めながら、インドの社会や信仰をつらつらと考えていました。左下の写真は、村のお祭りが開かれている会場で、多くの人が出て、にぎわっていました。その右の写真は、ヒンドゥー教の巡礼者が、バスに乗って故郷へ帰るところです。もちろん歩いて帰る人も多いのですが、車やバイクを一部利用している人もいるのでしょうか。

 ランチを食べたところはある町のショッピングセンター内のレストランでした。もちろん、カレーと中華料理でした。これが最後のインド料理です。隣りにマクドナルドの店があり、とてもハンバーグが恋しかったです。右下の写真は、トイレ休憩に立ち寄ったガソリンスタンドの前で遊んでいたインドの元気な子供たちです。カメラを向けたら、皆集まってきて、ポーズをとってはしゃぎまわっていました。

途中のお祭り広場(バスから) バスに乗って帰るヒンズー教巡礼者 ショッピングセンター前 元気なインドの子供たち

 大きな渋滞にあわず、3時にはデリーに到着しました。ここで、インド門と、ガンディー記念博物館を訪れました。インド門は、第一次世界大戦で戦死したインド人兵士の慰霊碑で、1931年に完成したとのことです。高さは42mもあり、見上げるようでした。ガンディーはもちろんインド独立の父ですが、1948年に、独立運動の支持者のビルラー財閥の邸宅で過ごしているときに、邸宅から中庭に造られた寺院に向かう途中で暗殺されたとのことでした。

高さ42mのインド門(慰霊碑) ガンディー記念博物館の内庭 ガンディーが暗殺されたときに歩いた道
 
最後に、インド紅茶のお店に”連行”され、チャイの”サービス”を受けました。でもいわゆる外国観光客向けのお土産店やはここしか紹介されなかったので、高めの値段でしたが、紅茶を少し買いました。そして、ここで成田組と関西組が別れ、それぞれ空港に向かい、日本への帰国となりました。インド空港を21時10分に出発し、成田には予定よりやや早く、翌30日(土)の8時5分に到着しました(関西組は、出発時間も遅く、かつ香港経由となるため、関空到着は12時40分の予定とのことでした)。当初の想定どおり、花の観察登山(ハイキング?)だけでなく、”神と信仰の国”インドの社会に少しですが触れることができ、とても楽しいツアーだったと思います。

 以上で、インド・ガルワール・ヒマラヤの旅行記を終わります。長い間お付き合い頂き、ありがとうございました。

                                                                        2011年10月5日 完



                                                      => Previous Page
                                                       => わんだふる山中湖(Close)