Bon Voyage! HOMEMOVIE REPORT > 1999年10月

「あの娘と自転車に乗って」
アクタン・アブディカリコフ監督、ミルラン・アブディカリコフ、アルビナ・イマスメワ、アディール・アブリカシモフ
★★☆

キルギスタン初の長篇劇映画、評判もよく、いくつも賞をとっている。しかし、しかし、どうしてそんなにほめちゃうの?

少年が自我に目覚めるころ、の定番のお話。淡々と、といえば聞こえはいいが、編集のテンポがゆるくて辛い(これは最近の映画の毒に冒された私が悪いのかもしれない)。映像のキレがない。わかりにくいかもしれないが、観ていてひかれるものがないのだ、いわゆるエキゾチックな風物以外には。最大の問題はテーマも手法も陳腐なうえに、オリジナルな個性のひらめきが感じられないことだ。ストーリーが破綻していてもいい、無茶苦茶な絵でもいい、未完成でいいから突出した何か、メッセージがほしいのだが。

いかにも「初めてだけど、上手に作ったでしょ?」という感じなんだなあ。誤解しないでほしいが、基本的には私はこうした作風はむしろ好きだし、心を入れ替えてアジア映画をもっと観よう、と思っているのである。だけど、評価できないものはできない。

唯一よかったのは日本公開タイトル。期待したのになあ。なお、キルギスタンという国がインドとロシアのはざまであることが如実で、しかも中央アジアでもウズベキスタン、カザフスタンという(キルギスよりは)大きい国にはさまれながらも実は平和な国であることを知っていると、なかなか勉強になるのですねえ。

それにしてもプリントが極度に悪いのはなぜだ?

「ウェイクアップ! ネッド」
カーク・ジョーンズ監督、イアン・バネン、デヴィッド・ケリー
★★★★

資本がどこかは知らないし監督の国籍も知らないが、これはまぎれもなくアイルランド映画である。安易に英国映画に含めないでいただきたい。

いやあ、とにかくパロディがはまっているのと、素直に笑えるってのが素晴らしい。タカラクジが当たってショック死した老人に代わって賞金を受け取ろうとするコメディなのだが、最初から最後まで、私は心で「yes! yes! ye--s!」と叫んでいた。タカラクジ抽選の中継、裸ですっ飛ばすオートバイ、密告するばあさんの電話が通じるのかというサスペンス・・・なかでも調査員を村びと全員でだまして山分けするミーティングの演説のラスト、島を揺るがす雄叫びが心地よい。

そしてなによりアイルランドのトラディショナルをベースにした音楽とギネスと大地と海と、そしてもちろん人。まさに、アイルランドは魂のささやきを聞ける特別の場所なのだ。

「シンプル・プラン」
サム・ライミ監督、ビル・パクストン、ビリー・ボブ・ソーントン、ブリジット・フォンダ
★★★★

なかなか味な映画である。しかも「ファーゴ」と同じくミネソタが舞台。ミネソタってのは、ドジな犯罪者の産地なのだろうか?

で、とにかくビリー・ボブ・ソーントンが白眉。パクストンもブリジット・フォンダも曲者だが、このソーントンにはかなわない。「人生が単純であること」と「人生が単純でないこと」を見事に体現している。

なお、ここでお金を山分けしようとする3人(と1人)の人物像ってのはアメリカのいなかでは普遍的と言っていいくらい、よくいるヒトたち。大学を出たが地元に勤めているウダツの上がらない真面目だけがとりえの男。地道に働いているが、アッパーな暮らしへの憧れを捨てきれないその妻。ちょっと頭が足りない失業中の兄。粗暴な酔っ払いの友人。で、こうした存在にリアリティが感じられないとこの映画はつまらなくなるので注意。でも演出がていねいだからわかりそうなもんだがなあ>ねえ、コガリン。

この人たちが、最初のステレオタイプな印象から、どんどん人間像を変貌させていくところがサスペンスと感動を盛り上げる。「ファーゴ」はシニカルな後味だったが、こちらはひたすら苦く、少し涙が混ざったような。いや、これではわからんか。

「マトリックス」
アンディー・ウォシャウスキーとラリー・ウォシャウスキーによる共同監督、キアヌ・リ ーブス、ローレンス・フィッシュバーン、キャリー=アン・モス、ヒューゴ・ウィービング、グローリア・フォスター、ジョー・パントリアーノ、マーカス・チョン
★★★★☆

きっといろんな文句がありそうだし、映画としての完成度とかストーリーや設定の細部には問題もあるのだが、しかし、あえて、私はこの映画を擁護する側に回りたい。

冒頭、キャリー=アン・モスがジャンプキックして敵を倒すシーンでの360度映像でまいってしまった。複数台のカメラの映像を継ぎ目なくつなぐ技術は知っている。しかし、こんなカタチで技術、お金、人的資源を使った監督はいなかった。

しかも、戦闘がヴァーチャルな世界で行われている設定のため、荒唐無稽なもろもろが許されてしまう。だから、ここで使われているスローモーションはただのスローモーションではない。そして何より大事なのは、こうした映像や技法がテーマと密接に、というより監督(たち)の意図とイメージが必然的にこれらの道具立てを必要としていることが納得できることだ。

私見では「ブレードランナー」に比肩する映画革新のメルクマールだと思う。一部ではキューブリックが死んだ年にこの映画が公開された暗合からか「2001年 宇宙の旅」と比べる人がいるが、さすがにそこまではちょっと言えない。

日本のアニメの影響とか、禅の思想とか、いくつもの痕跡は見てとれるが、重要なのはこの映画が追随者なのではなく、逆にこの映画がこれから多くの追随者を生むであろうことだ。「マトリックス以後」というコトバが、やがて聞かれることになるだろう。



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Text by (C) Takashi Kaneyama 1999