Bon Voyage! HOMEMOVIE REPORT > 1999年7月

「菊次郎の夏」
北野武監督、ビートたけし、 関口雄介、岸本加世子、吉行和子、細川ふみえ、麿赤児、今村ねずみ(ザ・コンボイ)、グレート義太夫、井手らっきょ
★★★

誰も死なないし、女が脱ぐわけでもない。しかしだからといってタケシがお子さまランチを作ったわけではない。とはいえ、全力投球というよりはいつものメンバーでエキジビションマッチをやっているような風情が漂う。

夏休みの子ども向けという営業的側面はもちろんあるのだが、これは「菊次郎の夏」であって「正男の夏」ではない。これは子どもが母に会いに行く物語の枠組みを借りて、初老の定職もプライドもない男が自分を振り返る物語なのだ。もちろん、タケシが安易に「自分探し」や「人間性回復」を描くはずもなく、歳を取った無謀なチンピラが周囲の人間を脅し利用しやっつけやっつけられするわけだが。

哀愁とか追憶とかいうきれいな言葉ではないところで、「一瞬の夏」の輝きを描いてくれればなかなかのものであったが、実体はコテコテのギャグと子どもとおじさんの交流を中心に「芸」をいろいろ見せてくれる映画なのだった。

それにしても、登場人物がほとんど「無職」あるいは「職業不定」だというあたりが私を強烈に刺激したのは時節柄か(オレだけだっつーの)。人は結局いつも自分の天職を探しているのかもしれない。どこにも安定も安全もないのだし。

「八月のクリスマス」
ホ・ジノ監督、ハン・ソッキュ、シム・ウナ、シン・グ、イ・ハンウィ、オ・ジヘ、チョン・ミソン
★★★★☆

恋愛映画の骨格はとっているが、本質は「いかに普通の日常が愛おしいか」という映像詩である。本来ならカットしたくなるような余計な映像が、だんだんと胸に迫ってくる。姉とスイカの種飛ばし。父と鍋を作る。市場で魚や大根や春雨を買う。配達の途中で母校の小学校で子どもたちの歌声を聞く。

主人公は最後に死んじゃうのだが、そのことで修羅場になったりはしない。言い争いもケンカもない。感情が爆発するのは主人公が友人と酔っぱらって警察に保護されているときに突然叫ぶところ(しかし、全然覚えていなかった)と、彼女がいつまでも閉店している主人公の写真店に石を投げるところ(ここでカメラを固定した画面構成はうまい)だけである。

難病映画にありがちなお涙ちょうだいシーンはない。悲恋物語のように泣かせるところもない。でも、涙がにじんでくるのはなぜなんだろう? さりげないユーモアは、大笑いではなくってジンとくる幸せな笑いだ。誰も悪人はいない。みんな、こんなにいい人でいいんだろうか?

しかし、しかし、実に丹念にさりげなくしかも計算し尽くして描かれたディテールは圧倒的なリアリティを持っている。誤解を恐れずに言えば、小津安次郎に近い感性か(ローアングルを使っているという意味ではない)。

なお、本筋の恋愛もあまりに淡くて大人の恋というよりは少年少女の恋なのだが、よくできている。「兵士のおなら」にしろ、遊園地にしろ、彼女のファッションにしろ。

素晴らしい。少なくとも東アジア文化圏ならきっとわかってもらえるストーリーと描写である。叫び、争い、モノを壊し、ひたすらコトバで説明しつくそうとする態度とは正反対に、ささやくように、ゆったりと笑いかけてくる。主人公がいつも会うと笑うのも、哀しげでよい。質問を質問ではぐらかして結局答えないのも、よい。わかる人には、わかる。

「人生は思い出作りだ」と昔言っていた人がいて「この人はなんもわかってないな」と思ったが反論できなかった。今なら、この映画を観よ! で済む。思い出なんてのは、生活の屍骸でしかないのである。


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Text by (C) Takashi Kaneyama 1999