Bon Voyage! HOMEMOVIE REPORT > 2000年7月

「ザ・ハリケーン」

ノーマン・ジュイソン監督、デンゼル・ワシントン、ヴィセラス・レオン・シャノン、デボラ・カーラ・アンガー、リーヴ・シュレイバー、ジョン・ハンナ、ダン・ヘダヤ、デビ・モーガン

★★★★

ボブ・ディランの「This is the story of Hurricane, ...」というサビが頭にこびりついてしまう。

黒人ボクサーが濡れ衣で殺人犯となり、再審で無罪となるまでの実話。知らない人には「ありそうもない」と思われるかもしれないが、悪意ある警察幹部が意図的に証拠をねじ曲げたりでっち上げたりして気に入らない黒人ボクサーを有罪にしちゃうのだ。

あまりにもひどい話だ。しかもボブ・ディランが歌い、公民権運動のなかで「再審で無罪を!」って声が盛り上がった時代でも、結局彼は刑務所から出られなかったのだ。

そして、カナダに引き取られた黒人少年が、ハリケーンの本に感動して手紙を書くところから、新しい物語が回りはじめる。

面白いのは、カナダはアメリカとは違って治安がいいため、ワシントンDCのような危ない街や警察の腐敗に縁遠いことだ。それでも、刑務所のそばに部屋を借りて粘り強く活動して行くさまは印象的だ。

そしてまた、ここがこの映画の弱味なのだが、「なぜ彼らは自分たちの生活を投げ打ってここまでやるのか、やれるのか?」という疑問に納得のいく答えがない。それは、その答えが実は「実際にそうだったから」という、実話ならではのストーリー上の弱点だからだ。

デンゼル・ワシントンらしい、「アメリカの(実際はカナダの、だが)良心」を描くイイコチャン映画ではあるが、なかなかよくできていることは確か。

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「ブラウンズ・レクイエム」

ジェイソン・フリーランド監督、マイケル・ルーカー、ビッグ・ダディ・ウェイン、ジャック・ウォレス、ウィリアム・サッソー、セルマ・ブレア、ハロルド・グールド、ブライオン・ジェイムズ

★★★☆

ジェイムズ・エルロイ原作の、情けない私立探偵の物語。ワリと好みである、こういうオフビートでシニカルな語り口は。

ストーリーはわかりにくくない程度に錯綜し、メキシコに遠征するシークェンスではそれなりのサスペンスもアクションもある。しかし何よりこの映画のテイストを決定しているのは、主人公のキャラクター、なんともいえない冴えない男の匂いである。

こういうしがない男がカウンターでバーボンを飲んでいるのは、実にさまになる。

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「サイダーハウス・ルール」

ラッセ・ハルストレム監督、トビー・マグワイア、シャーリーズ・セロン、デルロイ・リンド、ポール・ラッド、マイケル・ケイン、ジェーン・アレキサンダー、キャシー・ベイカー

★★★★☆

英語で「cider」と言う場合には、炭酸水ではなく林檎で作った発泡酒を指す。フランス語でシードル。夏に飲むとさわやかなのど越しですな。で、サイダーハウスというと、「林檎酒の家」ではなくて、林檎農家が、農繁期に流れ者の労働者を雇い入れる際の宿舎。というわけで、サイダーハウス・ルールは「宿舎規則」ってワケ。この規則がまたアホらしい文面なのである、この映画では。そして、その「ルール」という束縛がいくつものアナロジーの基調低音となっている。

誰もが気づく「妊娠中絶」という問題だけではない。キリスト教のモラルの裏側、さらに孤児院の理事会に見られるような偽善、マイケル・ケイン演じる院長が体現する「違法でもいいことならやる」という過激な理想主義。

ここでは完全な悪人は誰もいない。たとえ、娘と近親相姦していた労働者の頭領にしてもなお。しかし、いくつもの倫理やルールがみんなを縛っている。無垢なまま、孤児院から林檎農家へ降りて来た主人公から見たさまざまな現実。

こうしていくら書いても、全然真実には近づかない。抽象的な言葉が空疎だからこそ、ジョン・アーヴィングは寓話のような小説にメッセージを託したのだし、ハルストレム監督は映画にしたのだから。

ただ、毎夜孤児院で眠る前に繰り返される祈りの文句が、実に美しい。現実には空虚な文言のリフレインにしか思えない、短い祈りが心の中に沈んで宝石のように結晶していく。それを体感するだけでも、この映画を見る価値はあるだろう。

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「オール・アバウト・マイ・マザー」

ペドロ・アルモドバル監督、セシリア・ロス、マリサ・パレデス、ペネロペ・クルス、カンデラ・ペニャ、アントニア・サン・フアン、ロサ・マリア・サルダ

★★★★★

3月にスペインにいたころ、この映画がアカデミーで外国語映画賞を取るかどうかが大きな話題になっていた。いや、取るかどうかではなく、ほぼ確定しているような論調ですらあった。「オリンピックで金メダル確実!」と騒がれる選手のように、アルモドバル監督は戦々兢々としていたようだ。

無事に、前評判通りにオスカーを獲得してめでたし、めでたし、ではあったのだが。

この映画に関しては、もう文句のつけようがない。いや、細かいところではキズがなくもないが、そういう揚げ足取りをさせない力と風格がある。ほとんど、聖なる力と言ってもよい。そう、すべての女性は神であるのかもしれない。

息子を事故で失った臓器移植コーディネーターである母が、その息子の父と会うために、バルセロナへ。そこで、女性に性転換した売春婦、わがままでジャンキーの愛人女性と暮らす老女優、妊娠してしかもエイズと診断された若い尼僧と出会う。こうした、セックスにテーマをとった物語こそがアルモドバルの世界なのだが、この映画では「性」を越えて「生」を真摯にみつめている。その「生、生命」を生み出す性である女性への畏敬の念が、たしかに感じられる。

予告篇でも流れた、女性4人でセックスをネタに晴れ晴れと笑いあうシーンがやはり印象的で、しかも象徴的である。諦念に逃げず、現実に対峙し、笑い飛ばす元気こそ、アルモドバルがいま至った境地なのだろう。

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「ミッション・トゥー・マーズ」

ブライアン・デ・パルマ監督、ゲイリー・シニーズ、ティム・ロビンス、ドン・チードル、コニー・ニールセン、ジェリー・オコーネル

★★★

火星への宇宙飛行士派遣は現実に検討されているプランであり、水分が地下にあると推定されていることから、もししたら生命体が・・という期待もある。

そういう、ある意味「夢よりも科学」の時期に火星探検の映画を作るなら、リアリスティックにシリアスな話にするか、リアリティを無視してハチャメチャにするか。

で、なんとこの映画は超自然というか、ありそうもないストーリーをリアリスティックに描く道をとったらしいのである。しかも、ディテールはともかく根本的発想は過去のSFのアイディアの継ぎ木。

もう少し寓話というか、象徴的にするならともかく。

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「エリン・ブロコビッチ」

スティーブン・ソダーバーグ監督、ジュリア・ロバーツ、アルバート・フィニー、アーロン・エッカート

★★★★

アカデミー賞作品賞に2作品ノミネートされたソダーバーグ監督だが、もうひとつの「トラフィック」とは明らかに作風が違う。ジュリア・ロバーツのために、こういうエンタテインメントも撮れてしまうあたりが「才人」と言われる所以か。

たぶん、ジュリア・ロバーツはオスカーの主演女優賞を取るためにはどうしたらいいか? ということをかなり考えていたんだろう(実際にこの映画で受賞してメチャクチャに喜び、スピーチは時間超過していたが)。

さて、実はこういう単純な映画は好きだったりする。別に思想とか、批判感覚とか、そういうことを考えずに、「エリン・ブロコビッチ」という女性に感情移入させればいい。妙に他のことを考えさせたり、高尚なことをほのめかしたりしないのも、監督の腕なのである。

企業に対する公害裁判で、巨額の賠償請求をする例はアメリカでは数多いが、「懲罰的」に天文学的規模の賠償を課される可能性があること、陪審員による審理であることから、日本とは違って企業側から形勢不利とみると示談に持ち込むことがけっこう多い。そして、この示談における掛け引きが、映画としては格好の主題となるわけだ。

エリン・ブロコビッチがカッコイイのは、敵だろうと味方だろうと、権威を笠に着る連中を叩きのめすところだ。とくに、会議室で問題の水源の水を飲ませるシーンは快哉もの。労働者階級がスーツを着たインテリに相手側の戦場で勝つ、という快感が心地よい。その他のことは・・まあ、いろいろあるのだが私にはどうでもよい。

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「グラディエーター」

リドリー・スコット監督、ラッセル・クロウ、ホアキン・フェニックス、コニー・ニールセン、オリバー・リード、リチャード・ハリス、デレク・ジャコビ、ジャイモン・ハンスゥ

★★★★

非常によくできている。シンプルだが巧みなストーリーも、時代考証も、壮大なセットも、SFXも、人間ドラマも、キャスティングも、ほぼ完璧。

しかし、私がなぜか釈然としないのは、やはり根底に流れている思想が甘く思えるからなのだろう。現代人が見て違和感がない、というかなんの批判意識も感じられないのはなぜか? ということだ。ただの歴史絵巻をこえて、同時代に生きる人間へ何かを訴えてこそ「スパルタカス」などの映画に肩を並べられるだろう。

これは「ベン・ハー」のように、撮影技術と演出力とスター俳優の総力でもって実に素晴らしく、見事に空疎な映画を作ったハリウッドの歴史にはもう1ページを刻むのだろうが。

なお、たぶん私が著しく異物感を感じるのは、古代ローマを理解するのにアメリカ人(というか西欧文明において)は、あまりにも自分の感覚を優先させるからではないかとも思う。それは、日本のビジネス系雑誌が戦国武将を経営者とのアナロジーに見立てる際にも私は感じるのだが、あまりにも稚拙な歴史理解・文化解釈ではないのか?

ついでに言うと、冒頭で息子に殺される老皇帝マルクス・アウレリウス・アントニウスは五賢帝の最後、『自省録』の著者として有名なストア派の哲学者である。この人は治世中には戦争に明け暮れざるを得なかったのだが、その戦陣で本を書いていたのである(映画中にもそういうシーンあり)。

また、ラッセル・クロウは属州イスパニア(いまのスペイン)出身の武将という設定だが、実際に属州出身の皇帝はこの時代に例があり、その他設定はたしかに行き届いている。

あとこれだけ触れておきたい。ホアキン・フェニックス演じるシスター・コンプレックスの若き皇帝のキャラクターは非常に興味深い。この人物がただの悪役でなく、深い傷を負った人間的に陰影のある性格付けに成功していれば、それだけでもひとつ分は評価が上がるのだが。

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Text by (C) Takashi Kaneyama 2000-2001