Bon Voyage! HOMEMOVIE REPORT > 1998年11月

「始皇帝暗殺」
チェン・カイコー監督、コン・リー、チャン・フォンイー、リー・シュエチエン、ワン・チーウェン、リュイ・シャオホ、スン・チョウ
★★★★

ひえ〜い、かっこいい〜。と思ってしまった。どでかいセット、惜しげもなくつぎこまれる人、人、人、衣装にも小物にも建築にも神経の行き届いた美術。これだけの資金とスタッフをまとめ上げる力量だけでもチェン・カイコーはすごい。歴史的考証はよくわからんが、城攻めのはしご車は見たことがある。始皇帝陵墓に埋められる無数の兵馬俑を作るシーンもちらっとあるし、残虐な処刑も史書で読んだような記憶が呼び起こされる。別にフィクションでもいいと思うが、きちんと時代背景を再現しようとしたのは「ラスト・エンペラー」への当てつけかもしれん。なにしろ英語のタイトルは"THE FIRST EMPEROR"だそうだ。

ストーリーの焦点は秦王政、趙姫、荊軻(けいか)の3人に絞られていて、この3人の演技のバトルが見物。脇を固める面々も、個性が際だっていて(わかりやすいとも一面的ともいうが)ストーリーを盛り上げる。このへんはもう手練れですなあ。もう、職人技。それにどこまでも続く大地、迫真の戦闘シーン、駆ける馬。臆せずに映画の世界に没入して悔いない作品でしょう。

ひとりの女を皇帝と殺し屋が奪い合うというよりは、もっと深い哀しみ、あるいは欲望、または生きる誇りみたいなものを感じさせますね。コン・リーの趙姫が単純なヒューマニズムでしか裏打ちされていないのが残念ですが、李雪健も張豊毅もなかなか複雑そうな(実は単純のような気もするが)役柄を見事に演じきっています。よく考えるとシンプルなドラマなのに、この圧倒的な力感、説明をそぎ落とした映像の説得力、すみずみまで完成度の高い美しさで文句を言わせない。

ただ、見終わってから反芻してみればなんか薄っぺらなアウトラインを上手な絵でごまかされたのかもしれない。まあ、うまくだましてくれるのがいい映画なのだろう。

それにしても、ちょっと斬っただけですぐ死ぬのはちいと違和感があるのだが。最後の大立ち回りではのばしまくっているだけに。

「モンタナの風に抱かれて」
ロバート・レッドフォード監督、ロバート・レッドフォード、クリスティン・スコット・トーマス、サム・ニール、ダイアン・ウィースト、スカーレット・ヨハンソン、クリス・クーパー、チェリー・ジョーンズ
★★★☆

いやあ。いい馬だ。私は事故で馬があんなひどい傷を負うのに耐えられなくなりそうだった。傷ついた馬と少女が信頼の絆を取り戻すまでのプロセス自体はどうってことないが、ピルグリム(という馬ね)が心も体も荒れ果ててしまってからモンタナの大自然のなかで生きる力を回復していく「演技」が圧巻。キーストン(レースで足を折ったのに、自分よりも落馬した騎手を気遣って、鼻をすり寄せたあの最期・・・)を知っている人間にとっては泣ける。いやあ、いい映画だ。

以上、馬を描いた映画としての評価でした。以下は、フツーに観た場合。

誰もが思う「マディソン郡の橋」の二番煎じについては、「マディソン郡〜」を観ていないのでパス。今後も観ないだろうし。しかし、ここはモンタナの空、山、丘、川、といった風景と馬と少女とホース・ウィスパラーだけで十分だったと思う。クリスティン・スコット・トーマスもロバート・レッドフォードもサム・ニールも達者な役者ぶりでいいのだが、ここに不倫の純愛は余計だ。ただでさえ長い映画なのに。

これが馬の映画でなかったらは間違いなくひとつは減るな。恋愛映画としても上手なんだけど、いまや「それがどうした?」って設定だしね。しかしながら、やっぱりモンタナというのは都会の対極としてはいいロケーションだ。やっぱり、FUMIKOさん、行くべきですよ、モンタナ。

「トゥルーマン・ショー」
ピーター・ウィアー監督、ジム・キャリー、エド・ハリス、ローラ・リニー、ノア・エメリッヒ、ナターシャ・マケルホーン、ホランド・テイラー、ブライアン・ディレイト
★★★

ジム・キャリーといいい、書き割りのような街並み(たしかに「セット」という設定だし)といい、ひとりの人間の生まれてからの人生を24時間生中継する企画も含めてコミックのノリだ。ここでシチュエーション・コメディをやるのか、文明批判をするのか、人間ドラマを展開するのか、抽象化したメタ・フィクションにするのか、いろいろ考えて全部やってみた、という感じ。

いや、面白いし、感動もするし、メディア批評ももっともだと思うが、なんか消化不良が残る。なんかさあ、人間をひとり30年もだまして、ずーっと見て楽しんでいるという異常さの割には、それを維持してきた言い分というのが不毛なんだな。エド・ハリスは好きだけどさ。幸福な監獄と、危険な自由のどちらを選ぶか? という問いかけの枠組みもちゃちだし。

要するに、セットのスケールは大きいが、根底の発想のスケールが小さいのが不満。結局、トゥルーマンの自立を応援しながらその人生を楽しんだあげく、ポイっと次の番組に移っていく(そして自分を普通で善良だと思っている)視聴者の罪深さがいちばん印象的であった。

「がんばっていきまっしょい」
磯村一路監督、田中麗奈 、清水真実、葵若菜、真野きりな、久積絵夢、中嶋朋子、松尾政寿、森山良子、白竜
★★★★

てっきり最近の高校生活の話だと思っていたら20年前だった。私の高校時代とほとんど重なるではないか。しかし、時代背景はほとんど関係ない。普通の子が女子ボート部をつくってがんばるだけである。劇的な勝利もない(「どべでない」ことをめざすだけ)。根性物語もない(練習はやっているが)。激しい恋もない(ほのかな恋心はある)。難病もない(なにしろ「ぎっくり腰」だし)。

過度の盛り上げを排して、飾り気のない映画づくりに好感。バターや生クリームたっぷりの料理よりもお茶漬けに肉じゃがということか。とにかくやたら叫び、争う派手な言い合いのアメリカ映画に辟易している向きにはおすすめ。こういうおさえた会話と目でコミュニケーションがちゃんと成立するのだ。

しかし、あっさり味でも基本のだしはしっかりしている。テクニックらしいテクニックは見せないが、きちんとつぼを押さえた美術とロケハンと演出と撮影と編集と、とにかくスタッフの高い力量と身の丈にあった展開でレベルの高い仕上がりになっている。とくに瀬戸内海や松山の街並みの映像の魅力的なことよ。

なによりすごいのは、ボート部の5人の少女のオールを漕ぐ姿勢や技術はもちろん、顔つきまでが一人前のボート漕ぎとして成長していくところだ。もちろん、スタントやメイクでいくらでもカバーできるのだろうが、演じている5人の女優(というより仲間か)は、演技と言うより素のままで勝負している。脚本の構成はよく計算されているが、むしろ演じている側が撮影中に獲得していったリアリティが映画の枠を飛び越えていったような気がする。

合宿の夜に浜辺で花火で遊ぶシーンが実によい。あらかじめ失われたこの一瞬の輝き。スローモーションが2箇所で使われているが、これもよく考えられている。プロローグも気が利いている。ラストがあっけないという人もいるだろうが、これでいいと思う。こういう小ぶりでいい映画が、たくさんできてほしいものだ。それにしてもあまりに世界が小さすぎて(松山に限定されているという意味ではない。映画から広がる世界への投げかけの射程だ)、こじんまりまとまりすぎ、という批判もしておこう。

なお、PTA推薦映画という「汚名」を着せられそうだが、それについては「否!」と答えよう。


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Text by (C) Takashi Kaneyama 1998