Bon Voyage! HOME > PRIVATE DIARY > 1999年6月下旬

迷狂私酔の日々


6月21日(月)

大事な書類を提出。やれやれ。

大事な指示を電話。どきどき。

大事な習慣である焼き鳥でチューハイ。ごくごく。

6月22日(火)

大事な仕事を役員にプレゼン。じたばた。

どうでもいいアンケートに答える。2時間もくだくだ。

派手な傘を買う。うきうき。

6月23日(水)

衝撃の告白を継続。誰も心配してくれないのは自業自得か? しかし、こんなこと書いてもナニヲナニヤラ? の謎だろうな。

6月24日(木)

わざわざ有給休暇をとって、大作戦を敢行。詳細は後日。

反動でCDを10枚ほど買う。う〜ん、アホかもしれない。

6月25日(金)

今日で意味不明な日記は終わろうと決意する。まずは、部屋の掃除である(意味不明)。

6月26日(土)

他にもやることあるだろうに、昨日引き取ってきたばかりのPalmPadをPB G3に貼る。茶色と黒と両方買ったのだが、黒も茶も実に渋い。黒だと貼ってることが全然わからないので、茶色にする。けっこう伸びる。調子に乗ると歪みそう。へへへ、この手触りがたまらない。これから汗をかく季節、PBも熱くなる。そのための革パッドなのである。

結局国立競技場に着いたときには第1試合の後半が始まっていた。12ゲートと13ゲートのあいだの中段に席を見つけて楽しむ。ちゃーんと98年代表ユニのレプリカを着ているのである。これとフランス98キャップと折り畳み傘を探して出遅れたのだ(結局、傘は見つからなかった)。

フィリピン対香港は、まだ0-0。後半の45分が過ぎても0-0。引き分けでフィリピンに初の勝ち点1か? と思われたロスタイム、無情にも香港が得点して1-0。泣くな、パランパン(フィリピンの香川@南海みたいなGKね。不思議なアゴヒゲがキッチュ)。

日本対ネパール。日本も若いが、ネパールはもっと若い。ユースどころかジュニアユース世代だ。で、日本も大きくはないが、ネパールはもっと小さい。ボクシングで言えば、ミドル級とモスキート級のようなものだ。

果たして、3分もたたないうちに吉原のゴールが決まってからは、日本のゴールの嵐。前半で6-0。最大の収穫は柳沢の2ゴール。最初の得点はクロスを吉原が頭で折り返して、柳沢がDFともつれるようにして押し込んだ。ヤナギが恥ずかしそうに、ゴール裏のボクたちに向かって小さなガッツポーズ。吉原は、走り込んでゴールを確認して大きなガッツポーズ。「みんなの願い、柳沢のゴール」がついに実現。

アツシがやっと笑った。

それにしても、ゴール裏に待ちかまえるボクたちの目の前での6ゴールはどれもきれいなゴールだった。練習にしても、こんなにうまくいくもんではない。

後半は「わずか」3ゴール。どうも要求水準が高くなってしまって、スタンドはブーイングこそあまりないものの、やや欲求不満気味。攻め込まれる時間帯ではヒステリックに怒る声すらあったが、そらあーた、昔は日本は東アジアでも苦労しとったんやで〜。なんやかんやいいながら、ネパールはシュートがゼロではなかったろうか。この経験を生かして、次はもっと強くなってくるだろうか>ネパール。たぶん、この世代がネパールのサッカー強化の鍵を握っている。

代表ユニのまま、某所と某所で飲む。目立つ、目立つ。ハッハッハッハ。まるでアホだ。

6月27日(日)

またまた郵便局にて、大事なものを2通も受け取る。そのまま局内で開封して、「行っちゃえ!」ということで、行く。あ〜、雨なのに。

ということで、ようやく購入契約の成立した新築マンションの鍵でもって、マイルームに入ってみた。あれ? 言ってなかった? 引っ越しって、そういうことだったのさ。しかし、何もすることはない。「ときどき、空気を入れ換えた方がいい」と言われていたので、窓を開けてはみたが、空気も入るが雨も入る。ああ、当たり前じゃないか。しばらくして雨が吹き込んできたので窓を閉める。なんてアホな。結局、PB G3で1時間ほど遊んで(はっはっは、いつも持ち歩いているのだ)買い物して帰る。

6月28日(月)

会社で「早く帰る」と宣言したら、「サッカー?」とばれていた。そういうことなら、と4時半には退社して千駄ヶ谷へ。さすがにネクタイのままなので、控えめに10ゲート11ゲートのあいだの上段。平日だからか、圧勝の予想からか、26日の半分くらいの人出。それでも、両方のゴール裏は埋まっている。

ネパールは香港に1-2で敗北。しかし、みんなネパールを応援する。そうしたくなるなんか懸命さがある。まあ、高校野球みたいな素朴さ(いまの日本では小学生もこまっしゃくれたプレーをするが)というか。これで香港は勝ち点10。ネパールを抜いて2位。そう、香港ラウンドでは、ネパールはマレーシアも香港も押さえて2位だったのだ。

日本対マレーシア。マレーシアはガチガチのぴったりマーク。2トップはもちろん、小野、中村、本山、酒井にもまとわりつく。まあ、ここで負けるとオリンピックの夢が消滅しちゃうわけだろうし、かつてのマレーシアの栄光の日々を思えば、カンタンには負けられないのだろうが。

とりあえず日本のボール回しの方が上回ってはいるのだが、さすがに細かなパスミスとか、意思の疎通を欠くと奪われる。山下、平瀬の2トップは26日の柳沢、吉原の2トップに比べると動きが数段落ちる。スピードの緩急、DFをつる動き、早いボール離れでプレスを散らす、といったことが出来ていたのは小野だけだ。

結局、26分に中村のPKでようやく先制。つづいてフリーキックから、壁に当たったボールを再度上げて平瀬がゴール。両方とも、マークが追いつかないための露骨なファウルでマレーシアが自滅したかっこう。日本にとっては、組織的に崩したのではなくて個人技でとった点というところが気にかかる。

で、このPKの判定と、平瀬のゴールがオフサイドかどうかという点をめぐってマレーシアが執拗な抗議。これが後味が悪かった。あれでPKを取らなかったら、主審は国際審判の資格を停止されかねないぞ。それどころか、マレーシアが繰り返すバックチャージやボールじゃなくて選手の足を狙うタックルなど、悪質なプレーに警告をせず、副審をこづいた選手を退場にしない(副審はアピールしていたらしい)という点でこの主審は国際レベルでは通用しない。甘い主審と、激しいチャージを繰り返すマレーシアに対して、日本は平然としていたのだが、このへんが場数を踏んで、いろいろ理不尽な目にあってきたおかげか。

3点目は平瀬がつくった真ん中のスペースに本山がドリブルで突っかけて迫力のゴール。しかし、ここでもシュート後に浴びせ倒しをくらって足を痛めてしまった。これだって、得点を認めた上でマレーシアの選手にイエローカードを提示するケースではないのか。

4点目は小野の見事なスルーパスから抜けた山下が冷静にGKの上にシュートを浮かせてゴール。こいつはきれいだったな。

結局、前半で4-0と試合を決めて、後半は安全運転で逃げ切った。ここは、ケガをしない、イエローカードをもらわない、ということの方が重要だ。まあ、スタンドはもっと点を取ってほしいわけだが。でも、4点とも自分がいた方のゴールだったので個人的には満足。ただし、イージーなキックミス、パスミスが目立ったのはいただけない。

帰る道、某所で飲んでいたら、背中を叩かれた。振り返れば、ひさ〜しぶりに会う師匠であった。ということで、本日の試合を振り返る。なんと、柳沢は宿舎を26日の試合後に抜け出したことで今日メンバー登録を抹消されたらしい。う〜ん、そんなことがあったのか。

6月29日(火)

株主総会なんである。もう、直接関係はないのだが、いちおう緊張して迎える。こいつのために、去年はジャマイカ戦をあきらめて帰ってきたのだったなあ。

アメリカンフットボールのワールドカップは、とっくに開幕している。メキシコが滅法強く、ヨーロッパチャンピオンのフィンランドが滅茶苦茶弱い。ああ、生で見たい。さて、日本は日本時間の今朝の試合なのであるが。インターネットだけが頼りなので、結局は会社からチェックした。どうやらスウェーデンに勝ったもののスコアは24-14と予想外の僅差。反則が多くてドライブが続かなかったらしい。そう言えば、審判は誰がやってるのだろう?

今日も早々と退社して買い物。なにかというと、カーテンなのだ。早くカーテンをつけないと、新しいお部屋が直射日光にずーっとさらされてしまうのだ。そういうことに、このあいだの日曜日にやっと気づいたのだった。

東急ハンズの売り場で学習しつつ、ついでにピローカバーとかサンダル(テラス用)とか買ってしまった。2部屋分でカーテンは2万円もしないのだ。ちなみに遮光カーテンである。マンション分譲会社の斡旋したカーテンに比べれば無茶苦茶安い。やっぱり、私の金銭感覚は間違っていないと思う。人間、ラクをしたらいけません。

そのまま新居に行ってカーテンを張った。よしよし。そして、やっと思い出した。私はたしか、ブラインドカーテンを、しかも幅2間のものを持っていたのではなかったか? いつも上に巻き取っているから忘れていたのだが。

ついでに、某所1から及び某所2から新居までの歩行時間を測定。腕時計についているストップウオッチって、こういう時くらい、使わないとね。果たして、2分とか3分とかいう数字なのであった。これは危険だ。甘い誘惑。

6月30日(水)

まったく忘れていたが、日本時間では今日からコパ・アメリカが開幕なのだった。朝刊を読んで気づいて、NHK-BSをつけたら、日本が1-0でペルーをリードしていた。おおっ! で、結局その日、私は会社を休んだのであった。みなさん、すみません!

しかしながら、結局は2-3で敗北。あれだけピンチが連続しては、というかペルーの猛攻についに後半息切れした、という感じ。望月は鼻をやられて負傷退場になるし。まあ、呂比須のヘディングと三浦アツのフリーキックだけだな。守備はメタメタ。なんでゴール前までドリブルされているのに、誰も寄っていかないんだ? 人数はいるんだから、ひとりはアタック、ひとりはパスコースを切り、残りでカットを狙えるんじゃないのか?

休みまで取ったのに負けるし、天気ははっきりしないし、ふて寝する。あ〜あ、やることはたくさんあるのに。

取りあえず、マンション分譲会社に、住民票の送付が遅れることを電話。7月中旬の引っ越しだって、ちゃんと言ってるのに、「7月8日までに転居届を出して新しい住民票の提出を。期日厳守」だって、冗談じゃない。たぶん、よくある部門間の連絡不足だと思うが。さらに、提出書類がどれなのか、表記がまちまちなのだ。電話の応対もアホである。感じは悪くないにせよ、こちらが事情を説明する前に子ども言い聞かせるような調子で言うのは(まあ、訳のわからない客も多いのだろうが)不愉快である。アタマに来たので、いつものていねい快活な調子をかなぐり捨てて、思いっきりビジネスライクかつ専門用語バシバシかつ高飛車(つまり、仕事で要領の悪い外注先に指示するモード)でガンガン言った上で、記録を要請する。こういうことがあると、自己嫌悪になっちゃうのが、心優しい私の悪い癖だ。

次に、インターネットで探したリフォーム会社にフローリング工事の見積もりを依頼する。マンション分譲会社の見積もりが異様に高いのである。しかし、そういう工事会社の選択は、けっこう難しいのだ。結局、得意技のネットの世界で近所のよさげなところにアタリをつけたのだ。ま、勘でしかないが。


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