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迷狂私酔の日々


5月11日(土)

中田もどうやらタイトル獲得。パルマがユヴェントゥスに1−0で勝ち、トリノでのユーヴェ2−1パルマと合わせてアウェイゴールの差でコパ・イタリア優勝、ということである。

ひじき切り干し大根ワカメの雑炊、ソーセージエッグ、小松菜、キムチで朝食。黄金桂のお茶をポットいっぱいに淹れる。

キッチンの電灯をチェック。というか、カバーをはずして触った途端にはずれた。接触云々以前に、よく取り付けられていなかったってことじゃん。

トイレにコーナーを作ってポトスを置く。totoのネット予約。映画のチラシを五十音順に分類してファイル。

totoを買ってから吉祥寺へ。またまたハンギング用の鉢と土を買って帰る。

冷やし中華で夕食。キュウリ、トマト、錦糸卵、ワカメ、切り干し大根、キムチ、ごまなどなどで豪華絢爛・・と自賛する。

夜半、某所で飲み、さらに某所で豚キムチ丼を買って帰ったら4時だった。

5月12日(日)

昨日終わったオークションでテレホンカードを落札。よしよし。さらに、このあいだ落札できなかったVCDと同じものを発見してまたまた入札する。

風呂入って洗濯して朝食。キムチ卵丼に小松菜おひたしなど。お茶を淹れてポットへ。1.5Lで半日分ってとこか。

8日に申し込んだ日本対スウェーデン戦のセカンドチャンスはあえなく落選。

お昼はサンマキムチ丼。ご想像通り、あんまり頭も体も働いていない。

昨日買ったハンギングでキッチン横のベランダにハーブ用の鉢植を。スペアミントとかしそとかイタリアンパセリの種を撒く。

午後、三鷹台まで歩いて井の頭線にて、芝居を見に行く。

夜、某所にてくだを巻く。竜宮城ってのは朝鮮半島にあるのだそうだ。なお、これは私の説でもないし、私の作った虚構でもない。

5月13日(月)

クリーニング屋へ行き、銀行へ行き、天丼を食って本を買って喫茶店でレポート作成。こういう雑事(わずか40分)に、ものすごく達成感を感じること自体、世間のものさしから外れていると思う。最近は「プチ隠居」とか「スローライフ」とか、口当たりのいい形容が出回っているが、なんてことはない、「フーテン」の生活とそれほど変わってはいないのだ(と、思う、たぶん)。

なお、心配していたtoto当選金は9日に振り込まれていた。みずほショック以来、「どんなところでもミスはある」という用心深さが根付いてきたのはよいことである。

ため込んでいるdiary(これですな、この文章)を書くも、すでに3,4時間こもれば書ける、という量ではない。今週のお仕事。

昼食にカキ菜とアスパラガスをニンニク炒めにし、ついでに目玉焼きとベイクドトマトも作ってメインはサンマとキムチ。

さて、なぜかクレジットカード関係の支払いの督促が舞い込む。3月に作ったカードの口座引き落とし処理がまだのため、4月分は手で入金しないといけないらしい。そういうことは、請求明細に書いてないのか!? と、探して見たら・・、たしかにそう書いてあった。しかしまあ、見落とすのも仕方ないと思える記述というかデザインであるが。

インターネットTVガイドに会員登録。調子に乗ってネットスーパーにも会員登録。「ロード・オブ・ザ・リング」のスクリーンセーバーを大量にダウンロード。

bedroomのクローゼットを、折り畳みドアからロールスクリーンに換えるだけで、お部屋のレイアウトが解決するのだが・・。だいたい、そのドアに2度ほど指をはさまれたことがあり、あんまり好きではないのだ。考えてみよう。

夕食には、チキンを焼いて昼食の残りを添える。ちなみに、チキンとは100gで68円の胸肉であり、サンマとは蒲焼きの缶詰である。

夜、ビル・エヴァンスの"Alone"をかけて、濃く淹れたコーヒーを飲み、沈香を焚く。

なお、昨日のtotoは惜しくも4つはずし。ううむ。かなり難しい試合も当てたんだけどなあ。ああ、煩悩は果てしない。で、totoは長いお休みに入る。

5月14日(火)

眠れない。久しぶりに不眠症。しかも、根拠のない不安で胸を締め付けられる。まあ、金がない、って点では根拠のある不安なのだが。

仕方がないので、ベッドそばのメモ帳に落書きする。こういうときってのは、誰でも不安の虫を飼っているとでも思って、飼い慣らすのがよいのだ、きっと。

難渋していたコンラッド『闇の奥』を読了。もともとポーランド人だったコンラッドが船員となり、そして英語作家となる経緯は興味深いが、だからといって原書はこれほど難儀な文体なのか? 翻訳者には悪いが、訳文がときどき異様に意味不明なのはどーしてだ? まあ、かなり古い(私の生まれる前の初版)ことは確かで、いろいろ制約もあったんだろうけど。

ただ、私も寝ながら読んで2度も本を行方不明にした(ベッドの下に落ちていた)んだが。

思いついて、書棚のペーパーバックのなかからポーの"The Fall Of The House Of Usher"を出して読んでみる。

さて、6日ほどたったナスタチウムとバジルだが、いまだに発芽しない。って、まだかな、まだかな、って小さな芽を待つ心境が可愛い(←アホだ)。

昨晩水に漬けておいた大豆をゆでる。お茶を淹れ、CDのセットを換える。大豆をゆでた鍋をそのままバスタオルにくるんで保温し、吉祥寺へ出かける。もちろん、徒歩。

カードの払い込みをして、TowerRecordsへ久しぶりに行く。リストアップしておいたCDを買い、何気なくチラシを見ていたら、アルタンが武蔵野市民文化会館でコンサートをやる! ことを発見。ぴあとかその他のチケット販売には乗らない、武蔵野市の文化事業であるらしい。慌てて電話して、その場で予約。中央線をこえて南口にある武蔵野公会堂の事務窓口でチケット引き換え。おお、よかった。9月1日の渋谷公会堂は「アルタン祭り」なので、アルタン以外にもたくさんアーティストが出るのだが、9月2日の武蔵野市民文化会館はアルタンの単独コンサートである。うしうし。

LOFTや西友を眺めるだけで帰途につく。いや、LOFTでハンドルで回す方式のチーズグレイダーを買ってしまった。スイスのプラスチック製が2600円、日本のステンレス製が1800円、もちろん迷わず安い方を買う。さて、使えるのか?

帰ったら、昨日代金を振り込んだばかりのテレホンカードが届いていた。うひゃひゃひゃ。煮豆は柔らかく仕上がっていて、小分けして冷凍する。ちなみに、この小分けしてある煮豆をわが愛すべき姪は「アイスクリームだよね?」と思い込んでいた。彼女にとって、冷凍庫にある小さなものはすべてアイスクリームであるらしい。

師匠より、久々に着電あり。当然、今晩のノルウェー対日本の件なのだが、放送開始が24時40分とあまりに遅いため、共同応援解説は見送りに。この時点で、日本が苦戦する確率は高まった(私と師匠が一緒に観た日本戦は負けなしなのである、たぶん、ほとんど、いや記憶も記録もはっきりしないんだけど)。

風呂入ってキムチレタス炒飯を食す。

某所へ。新人とお引き合わせいただく。いやあ、国際的になったものである。

【ノルウェー対日本】

私はスールシャールが好きだったので、あの3点目はかっこよかった。この人、童顔なんだけどもう29歳なんですねえ。

2004年の欧州選手権(ポルトガル開催)の予選が今年夏から始まるので、そのためのチーム作りという位置づけのノルウェーが、今年のワールドカップ開催国である日本よりモチヴェーションもコンディションも高いとは、どういうわけか。

いちおう、日本の分析をすれば、まずフラット3の構造的弱点(サイドの守備に難点、中盤でプレスがかからないと機能しない)と日本のディフェンスの弱点(ラインを上げすぎる、守備が単調で読まれやすい、1対1に弱い)を分けて考える必要がある。

フラット3自体は、リスキーではあるが、きちんとやれば悪くない。ただ、きちんとするためには選手の負担が非常に大きい。ジーコが3バックを嫌うのは、役割分担がシンプルでないからだろう。

さて、この試合で日本が失点した時間帯はわずか12分で3失点。これを単に「集中力の欠如」としか見ないようでは未来はない。

1点目は、FKでの2列目からの飛び出しという、典型的なオフサイドトラップ破り。2点目、3点目では、プレス云々以前に、パス回しを読まれてカットされ、マークが甘くなってフリーでシュートされている。これは、まさに日本がやりたい「前線でボールを奪って少ない手数でゴールへ」そのままである。

なぜ、パスが易々と読まれ、奪われるのか? それは、パス回しがパターン化していることと、日本のFWに恐怖感を感じさせるものがないため、守備はバックスに任せてノルウェーの中盤に自分のマークを捨ててでもパスカットに集中する余裕が生まれていることによる。

もともと、ノルウェーは守って守ってカウンター、というチームである。こういうチームはつまらないと思われがちだが(実際に2000年のノルウェーは非常につまらなかった)、実はイタリアだってそうなのだ。少ないチャンスでも得点するために、優秀なアタッカンテが必要なのがイタリアというチームである。

ノルウェーのようなチームにスールシャールのような決定力のある選手がいる場合、対戦相手の攻撃に凄みがなく、しかも運動量が低下すれば、それはまさしく失点を意味する。3点目なんか、小野と稲本はスールシャールを追いかけるのを途中でやめているし。

しかし、これはフィジカルな意味でのコンディション調整の失敗にも見えるので、栄養とかトレーニングとか保温とか、そういうスタッフのケアで解決する問題ではないか、という気もするが。

でもって、試合を見ながら煮豚を作っていたのであった。

5月15日(水)

さました煮豚をカットし、スープは濾して冷蔵庫へ。挽肉とコチュジャンで肉みそを作る。朝食にはもやしの蒸し焼き。

いくつか映画を見に行くプランがあるのだが、いまひとつ気分が乗らない。それはともかく、ネットオークションでVCDを無事落札。今回は念のため、終了時刻20分前からウォッチしていたが競争者は現れなかった。安堵。

ワールドカップのチケット3次販売で予備抽選に通って代金まで払っているのに、ネット上で当選番号リストを見ても私の登録番号がない。こういう数字のリストってのは、たぶんみんな大学の合格発表を連想するんだろうけど、私は高校も大学も、一度も自分の合格発表を見たことがない。だいたい、いくら難関といっても合格(当選)番号が数千から数万にひとつの確率ってのはないと思う。

午後、大根ときゅうりの甘酢和えを作り、にんじんとじゃがいもをゆでる。家のタッパーを総動員して保存食を作っているような気がしてきた。冷蔵庫に入れておいて脂肪が分離して固まった煮豚のスープをさらに濾す。このラードも旨いのだが、涙を呑んで捨てる。

夕食は冷やし中華にキュウリと大根の甘酢和え、キムチ、煮豚のスライス。

5月16日(木)

午前3時に目が覚めたのだが、起きたのは4時半だった。チャンピオンズ・リーグの決勝はハーフタイムだった。ふにふに。

前半で2−1、RMADのリード。対するバイヤー・レヴァークーゼンも前評判に抗するかのように健闘している(らしい)。

それにしても、ハーフライン付近からロベルト・カルロスのロング・スローインを走り出していたラウルがダイレクトでシュートしてゴールした1点目(ちなみにスローインにはオフサイドがない)、ジダンのスーパー・ダイレクト・ボレーの2点目とも凄い。ジダンなんて利き足でもない左足でゴール左隅に叩き込んでいる。

後半、残り10分からやおら盛り上がる。レヴァークーゼンが立て続けにチャンスを迎え、しかもロスタイムは7分! FK、CKにはGKもあがって一度はヘディングが合ったのに地面に叩きつけたボールがバーを越えてしまい、さらにGKカシージャス(セザール負傷で急遽交代)に何度も神懸かり的なセーブをされては万事休す。

思えば、MANUのファーガソンは故国スコットランドでの決勝に出たかったろうなあ。まあ、100周年のRMADはリーガで優勝できず、コパ・レアルも決勝でデポルティボに負けているだけに、この1冠をとっておかないとスペインに帰れまい。

ジダンが嬉しそうに笑っている。ラウルがスタンドを煽っている。カシージャスが泣いている。チャンピオンズ・リーグのタイトルは、いまやあらゆるサッカー選手の夢と言っていい。思えば、マテウスが望んだ最後のタイトルがその手からロスタイムに滑り落ちたのはまだ99年のことだ。

せっかく早起きしたので、まだ芽のでないベランダの鉢に水を遣り(まさか、猫が食べていまいな?)、お茶を淹れ、朝食を摂る。掃除をしてから仕事部屋にアロマポットでみかんの香りを漂わせてメールチェックをする。

・・わずか1時間で疲れて睡魔が襲ってきた。たしかに今朝は4時間睡眠だったので、無理せずに寝た。起きたら午後だった。

そういうわけで、今週少しずつ延々と続けてきたdiaryであるが、ようやく今週分に突入。いやはや。ぜいぜい。やるべきことはたくさんあって、リストもできているんだが。

そういうわけで、6時頃にはたぶんアップロードしていることでしょう。

5月16日(木)(承前)

先日入手したチーズ・グレイダーを使ってライスピザを作る。ハード系のチーズは切るのが面倒なのだが、これだとスイスイ削れる。しかも手入れがラク。ふふふ。サラダにバルサミコでドレッシングして本日の夕食はイタリアン。

今夜も某所でのむ。

5月17日(金)

日比谷まで行って「トンネル」を観る。実に泣けるつくりである。

有楽町近辺に行けば必ず巡回するMUJIとビックピーカンにて、中国茶の量り売りとか、カメラケースを買う。

突然土砂降りになったため、駅構内のMUJIで1000円の傘も買ってしまう。

帰る途中にスーパーに寄り、夕食を作って食い、風呂を沸かして入り、夜食を作っていたら鍋をひっくり返して大変な目にあった。油断していてはいけない。

真夜中にオークションに応札するも、2900円から5000円まであげてもまだ最高値を取れないので断念。非売品CDとはいっても、それ以上出す気はない。さて、結局8250円で落札されていた。おおお。

しかし、セリってのは負けず嫌いのヒトとか、闘争的なヒトは見境なく応札してしまうかも。危なかった。

【日本代表23人発表】

とくにコメントはない。

ただ、「中村俊輔の代わりに中山雅史が」入ったのではない。俊輔は小笠原とMFの最後の枠を争ったのであり(たぶん守備とフィジカルの強さを重視しての小笠原起用と思う)、中山選出はおそらく高原のコンディションがまだベストではない、との判断であろう。

秋田は、私が個人的に予想かつ希望していたものだ。ひとつはパニックにならない落ち着きと、もうひとつはもともとリスクの大きいフラット3において、さらにリスキーな動きをする若手よりはまだよかろう、ということなんだけど。

エメ・ジャッケが「23人の選び方は簡単だ。GKを3人、あとは各ポジションに2人ずつ」と言っていたが、今回の選手選考は完璧にその形である。さらに服部や明神のように複数のポジションをこなせる選手が多いのも特徴だ。

なお、中山の練習時の真剣さと、リラックスするときの雰囲気作りは、長い合宿生活においては非常に貴重な力になると思う。

5月18日(土)

大豆・切り干し大根・ひじきと根菜の雑炊にキムチと煮豚を乗せ、味噌汁とヨーグルトで朝食。最近のモットーは「一汁一菜」なのである。

昨日買った「東方美人」を淹れる。この名前は"Oriental Beauty"として西洋人に好まれた名残らしく、本当は「白毫(香檳)烏龍茶」というらしい。どちらにしろ、私の買うお茶のほとんどは青茶であることが判明した。ふうむ。

iBookにトラブル。起動してすぐや、スリープから回復したときに、数分キータッチを受け付けないときがあり、フリーズしたかと思ってcommand+option+escapeで強制終了をかける事態が頻発。で、そのときに動いているのは「web共有機能拡張」なのである。どっちにしろほとんど使わない機能なのではずすことにした。思い当たるのは、ブックマークが肥大化していて、またもや数千という単位になっていることなのだが。真相は果たして?

キッチンで収納・整理。塩やスパイスを見直し、カトラリー類の棚奥のスペース活用に牛乳の紙パックで応急の収納を自作。ふむふむ。

今夜は井草八幡にて薪能があることは知っていたのだが、たらたらしているうちに時間が過ぎてしまった。

夜、某所にて痛飲。某仙人が、山小屋でヒトのシュラフを強奪した事件の顛末を聞く。寒い夜にヒトの布団や毛布を奪うってのはよく聞くが、シュラフをかっさらうとはさすがである。

さて、なぜか私はものすごく気持ちが悪くなり、自ら強制的に吐く。飲むのも年期が入ると、喉に指を突っ込んで吐くくらいは自在なのだ(←自慢するな)。

それでも3時過ぎまで飲む。さすがに終盤はお茶をもらっていたけど。

某氏を自宅にお泊めする光栄に恵まれる。夜食にマルタイ棒ラーメン。

5月19日(日)

二日酔いの朝、昆布茶と「黄金桂」(という中国茶)を淹れておもてなし。

午前中はモンゴル800の「小さなこいのうた」をコピーして過ごす。単純なコード進行とギター・カッティングなのだが、メロディはなかなか考えられている。いや、考えてないのかもしれないけど。

バジルの小さな小さな芽を発見。ナスタチウムもひとつの種が発芽したのを確認。おお、すごい。何がすごいって、実はこの種は去年買っていながら蒔くタイミングを逸したものなのであった。

今日はオークスだが、馬券は見送る。雌は何かと読みにくいので。いや、他意はありません。

いつまでも酒気が抜けない感じで、外出せずに自重する。

塩サバを焼いて大根おろしを添え、レタスの煮浸しに四川風のソースをかけてその上に目玉焼きとニンニクを揚げたチップをあしらう。これに大豆とひじきの味噌汁、キムチ、ごまと海苔をかけたご飯で夕食。

5月20日(月)

ビデオCD落札の件。先週末に出品者からメールがあり、代金を銀行から振り込み。さらに郵便局で実家の固定資産税を支払い。

スーパーに回り、クリーニングの引き取り。

午後2時過ぎに出かけて吉祥寺まで歩く。「パニック・ルーム」の4時45分からの回の整理券をゲットしておいてから、恒例の巡回。パルコブックセンターとかレコファンとかDAIKとかMUJIとか。

映画を観て歩いて帰ったらまさに日暮れ時で、<戎>にていつものメンバーと路上で飲む。例によって、通りがかる人々を巻き込んで巨大なグループと化し、10時過ぎにはさらにもう1軒に団体ではしご。そこから先はよく知らない。携帯でなかよく写真を撮ったりしたような・・。

でも、やっぱり某カメラマンによる「オランウータンの交尾」の話がいちばん面白かった。ボルネオのオランウータンは40メートルはあろうかという高木の上で、長々と(1時間近く!)交尾するんだそうである。


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