Bon Voyage! HOME > PRIVATE DIARY > 2002年2月上旬

迷狂私酔の日々


2月1日(金)

久しぶりに熟睡。そのせいで金曜初回の映画はあきらめる。朝食にトースト、ソーセージ、目玉焼き。たまには普通に。

山クラゲを戻し、ブロッコリーをゆで、ニラのおひたしを作る。という夕食の準備をした上で別の作業。

J-COMネット加入のため、いまの主力プロバイダであるASAHI-NETの料金プランを変更する予定。それにともない、サイト容量の減量に取り組む。写真を圧縮して数kバイトでも稼ぐのだ。単純作業だが、時間はかかる。

ブロッコリーのパスタ、挽肉ともやしと山クラゲのニンニク蒸し、などで夕食。ニュースを見て某所へ。

「スーパーマンはクリプトン星から来たのに、人間とセックスする。ではなぜ、ウルトラマンは人間とセックスしない(できない)のか?」について、議論を深める。ウルトラマンという種は、あまりに長生きするので生殖はあまり重要でないらしい。そうすると、快楽を得るために肉体的接触もいらないのではないのか? ううむ、深い。

さらに別の某所へ。あとは記憶がない。

2月2日(土)

朝6時過ぎに帰宅したらしい。昼に起きて風呂入って洗濯する。ううむ、酒が抜けない。

夕方、アルコール漬けから復活し、約束にもとづいて、大久保にあるタイ料理<プアンタイ>に男3人で行く。前回は大勢だったので「個室」だったが、今回はカウンター。諸氏においては、推薦する店を大変気に入っていただいて満足である。

しかし、腹ごなしに散歩しても満腹状態のまま。ボーリングするという人々を見送って帰宅する。最近、胃が縮小したかもしれない。このあいだ、減量のために胃の入り口を狭くする手術なんかテレビで観ちゃったしなあ。

2月3日(日)

朝4時に起き、デポルティーボがホームでアラベスに0−1で負けるのを観る。ありゃりゃ。

厳寒のなか、並ぶのを覚悟でMOMA展最終日へ。甘かった。すでに「150分待ち」。だいたい、作品はほとんどニューヨークで観ているのだ。みんな、なんでそんなに並ぶのか? 実は携帯用スツールまで持参していたのだが、あっさりあきらめる。

秋葉原に行こうとして、京浜東北線が快速運転になっているのに気づかず、乗り過ごして田町まで行ってしまう。ああ、アホだ。

三鷹へ。友人のご息女のピアノ発表会。私が紹介したピアノの先生なので、若干の責任も感じる。会場にちょっと遅刻して着いたら、娘はいるのに父母はいなかった。私よりも遅刻したらしい。

久しぶりにピアノの先生ともお会いして久闊を叙す。

2月4日(月)

何はなくてもスーパーボウル。これをこころおきなく生放送で観るために会社をやめた、といってもいいくらいである。

そういうわけで、事前にカレーを作り、お茶を淹れて準備万端。しかし、その前のゴルフが長引いてキックオフ前のセレモニーがだいぶ割愛されてしまった。

ゲームはラムズの驚異的オフェンスをペイトリオッツが食い止める展開。しかもインターセプト2本とファンブルロストをいずれも得点に結びつけられて、なんと第4Qで3−17の劣勢にラムズが追い込まれる。

ラムズが意地でタッチダウン2本を連取して終了直前に同点に追いついたが、ペイトリオッツが楽々と(そう見えた)FG圏内に入って、定石通りFG成功と同時にタイムアップ。

やはり、無理をして追いついたラムズと、戦略通りの展開に持ち込んだペイトリオッツの差が、最後に出た。珍しく最後まで勝利の行方が見えない試合ではあったが。

吉祥寺へ。「オーシャンズ11」を観て、MUJIで買い物して歩いて帰る。

懸案の「携帯ほいほい」でのアドレスのバックアップだが、拡張編集画面では第2番号が表示されるので、もしかしたらデータとしては入っているようだ。やっぱりマニュアル読むか。

夜、思い立って収納関係の移動。bedroomのクローゼットから本棚を出し、キッチンにあった収納タンスをクローゼットへ。しかし、2棹あるのに1棹しか入らない。高さだけ気にして横幅を測っていなかった。ああ、アホだ。

ベッドの向きを90度回転し、本棚と収納ボックスは部屋の中央に固める。いずれは何とかするつもりだけど。

2月5日(火)

映画の予告編のダウンロードしていて徹夜しかける。20MBあると、現状では1時間近くかかる。30MBになると途中でタイムアウトになる場合も多く、もはや時代の趨勢は「最低でも1Mbps」のようだ。

しかし、ADSLのように電話局との距離やデジタル電話回線との干渉が問題になるようなブロードバンドはつなぎでしかないと思うのであった。だって、ウチはもろにその弊害をこうむるんだもん。

散歩して飯食って本屋に寄って喫茶店で今月の映画スケジュールを検討する。

作業の前準備として仕事部屋を暖房したものの、結局仕事をせず。

あ、懸案の「携帯ほいほい」は、試しにプリントアウトしてみれば、ちゃんと第2番号も入っていた。大丈夫じゃん。って、何も見ずにやるからだろーなあ。

夜、某所へ。

2月6日(水)

映画の日なんだが、やや二日酔いのため、11時から始動。ラーメン食ってから中野へ行き「しあわせの場所」。古本屋をいくつか巡る。

いったん帰宅し、夕方に渋谷で本契約の手続き。HANDSのなかを回って6時40分からの映画に行くつもりが、映画館の場所を忘れて彷徨う。ああ、アホだ。ほんまもんのアホだ。

もう帰ろうかと思った6時51分になって発見し、まだ予告編の時間であることを確認して向かうも、窓口の発券トラブルで足止め。結局「発券なし」で入場してやっと「息子の部屋」を観られた。ふうう。

帰りにまた某所へ。

2月7日(木)

昼からJ-COMネットの工事がはいるため、なんだかそわそわ。2時半過ぎから工事。というか、同軸ケーブルでケーブルモデムをつないでテストするだけなのに、なぜか2度も車に戻るという忘れ物の多い人であった。

さて、まずethernetで直接つなぐ。ドメイン名の最初は任意かと思ったら、各局で固定なのであった。作業環境マネージャーで新規設定をつくり、あっけなく開通。

その後、AirMac経由に切り換えて、これもあっけなく開通。ただし、どーも遅い。それはおいといて、メインから非常用に格下げされたISDNルータをリビングに移動し、長く這っていたフォンケーブルとLANケーブルを一部撤去。

電話兼FAXをテストし、配線をしてセットアップ。

いよいよスピード測定したところ、なんと200bps台。(それでもISDNの4倍だが)。何度か繰り返し、ようやく1.3Mbpsを記録する。って、トラック競技じゃないんだから。まあ、様子を見てみよう。いくらベストエフォート型とはいえ、8Mbpsを謳っているからには、半分は出てほしいぞ。

まずはメールアドレスを上限の5個取得。各メールアドレスごとに10MBのサイト容量がもらえるのだ。さらにパスワードを変更し、ルータを使うことも申請しておく(AirMacはサポート外だが、予想通り何の問題もない。ただし、「遅い」とクレームした場合にAirMac経由のせいにされる恐れはあるが)。メールの転送設定をし、メーラーでのアカウントにも新規にサーバ設定を追加。

NTTに電話し、フレッツを解約してデジタル回線は維持。ASAHI-NETで料金プランを変更する。実はさらにもうふたつプロバイダに加入しているので都合4つのプロバイダってことになる。ATTは海外からのローミング用に取ってあり、@niftyは安いので非常用にしているのだが。やっぱり多すぎるか。

セルタ0−2デポルティーボ、バリャドリッド2−1RMADを録画ながら続けて観る。そのあいだ、サイト減量処理をしてアップロード。28MBを24MBにするのが目標。新しい料金プランでは25MBが上限で、それを超えると追加料金が発生するのだ。

2月8日(金)

5時過ぎに起きてしまう。しょうがないので朝食摂って散歩してカプチーノ飲んで本を読んでいたら新宿「カンダハール」の初回に間に合わなくなり、急遽日比谷へ。「耳に残るは君の歌声」を観てビックピーカンでiBookのバッテリ(交換用)と名刺印刷用紙を買い、ソフマップとMUJIを回ってイエナ(老舗の洋書店)へ。

閉店セールをやっていて、すべて7割引。狙っていた羅英辞書とかロマネスク関係はなかったが、フットボールの写真集とケルトデザインとフォントのCD-ROM付きカット集を買う。計3冊でわずか1800円余。

新宿Tower Recordsで旧い歌謡曲を探す。探せばあるのだ。

帰って作業。サイト減量が成功して24.5MBになっていた。iTunesでネットラジオを聞く。いままでは56kbpsの局がやっとだったのに、いまは128kbpsでも160kbpsでも平気。映画の予告編はなんとリアルタイムで再生し、2分ほど観ているあいだにダウンロードは完了。まあ、理論値ではこの4倍は早いのだが、いまのところは快適。

コリン・デクスター『死はわが隣人』読了。

エアロラッテ(という商品名)に最近凝っている。要するに小型バーミックスみたいなミルク泡立て器だが、自宅でカフェラッテのような細かい泡ができるので楽しい。ややコツがあるのも却ってやる気をそそる。深い器に4分の1以下の深さにミルクを入れ、しかも完全にエアロラッテの先を液中に入れてから回転させること。でないと、泡が四方八方に飛んだり縁からこぼれだす。

あっという間に容積が増えるし、かなり固い泡なのでここにコーヒーを注いでもいい。電池駆動なので面倒なコードもなし。スタンド付きで2800円だったが、すでに元を取ったような気になっている。

それはともかく、やっと支払い調書が届いたので領収書を整理・仕分けする。

ツナのパスタ、肉白菜で夕食。

10日のイベントのために、夜を徹してiTunesのプレイリストを編集。20枚ほどのCDから200曲以上をMP3化し、そこから演奏時間を3時間20分程度にスリム化。

さらにカセットから取り込むためにUA-3(アナログオーディオをUSB出力できるインタフェースね。他にもいろいろできるけど)を初めて使う。試行錯誤ののち、付属ソフトの「Sound It!」を見捨て、オンラインソフト4本をダウンロードして試した末、結局「ひるの歌謡曲」というシェアウエアで録音してMP3化に成功。

すごい名前のソフトだが、つまり過去のエアチェック音源をデジタル化するためのツールなのでこういう命名になったらしい。ターゲット・目的・用途がはっきりしているものが最良の製品なのだということを深く実感。企業がよかれと思って作るものより、個人が自分のために作るものの方がはるかに出来がいいのだから。

2月9日(土)

そういうわけで、作業にキリがついたのは午前5時過ぎ。なにしろJ-Waveの6時の目覚ましをいったん止めてから寝たくらいである。

10時ちょうどに目が覚めた。そのまま寝ていたが、オリンピックの開会式をやっていることに気がつき、起きてテレビを見る。スティングとヨー・ヨー・マもよかったが、旗を担ぐ8人が壮観。ツツ大主教(南アフリカ)、ワレサ元大統領(ポーランド)、クストー(フランス)、スピルバーグ(アメリカ)、ジャン=クロード・キリー(フランス)、などなど。船木なんて場違いに見えたぞ。注目の聖火最終ランナーは何度も交代して気を持たせたのち、点火したのは80年に「氷上の奇跡」を演じたアイスホッケーチーム全員だった。無敵のソ連を学生チームUSAが破って金メダル、の面々ですな。あのとき学生だった、ということはほぼ私と同世代である。それにしては老けてるなあ。ヒトのことはいえないか。

2月9日(土)(承前)

本当は、今日にも京都へ入るつもりだったのだ。しかし、、午後作業を再開したらまたiBookがクラッシュした。しょうがないので、再起動後にNorton先生をかけようとCD-ROMから起動・・しない。なんってこった! 起動途中で凍るので、無限ループに陥った。

結局、外付けHDDから起動。心配なのでファイルシンクロでバックアップをとろうとしたが、1時間もかけてから「割り当てメモリが足りません」というアラームが出て中止。数度やり直すも、同じ。たぶん、一挙に数GBもやろうってのが無理なんだろう。

外付けHDDから起動したままでNorton先生をかける。これだけで、3時間はかかるのだ。その間、チキンのイタリア風ソテーとにんじんのパスタで夕食。明日の朝、京都へ行けるのか、ものすごく不安。なにしろ、写真のスキャンがまだ手つかずで、今はもう深夜で、明朝9時台の新幹線に乗らねばならない。

2月10日(日)

すでに徹夜決定のため、3時間仮眠。

写真を吟味する余裕もなく、次々とスキャン。スキャナーを買い換えておいてよかった。流れ作業で1時間あたり20枚を4時間。写真をスキャナーに載せ、自動スキャンして取り込み、ファイル名をつけて軽量化して保存。補正なんかやってるヒマもない。自動スキャンでは水平・垂直を自動補正するので、けっこういい加減に載せてもオッケーのがありがたい。

念のため名刺も増刷し、印刷の時間に旅行の準備。着替えも省略して機材を詰め込む。なにしろ、今日のイベントの「総幹事」に任命されているのであった。さあ、出かけねば。

ampmでお金をおろし、JRで片道だけVISAカードで買い、荻窪駅で乗り換えて来た電車に飛び乗り、東京駅構内を走って最初のひかりに乗った。9時03分発の広島行き。

車内で取り込んだ写真の編集。iPhotoならラクなんだろうなあ。しかし、いまはファイル名でソートするので、ナンバリングシステムでファイル名を書き換えて順番を操作するしかない。しかし、どの写真がいつなのか、なかなかわからないのであった。

12時前に京都駅に着く。現地幹事と合流し、蟹・甘エビおよび5人を出迎えて、いったん会場へ。なんと北陸からおみやげ持参でお店で料理してもらうのだ。

会場にて幹事団打ち合わせ。映像が出ない。音も出ない。ううむ。

と唸ってからオプション企画のランチ会へ。優雅にパスタとワインである。

その後、幹事団は某大学某研究室にて協議。なんとか映像問題は解決。音問題は、iPodに転送してミニスピーカーから別途流すことで解決。

時計台前にてメンバー諸氏と合流したのち、大学ツアーに出発。すっかり変わったり変わらなかったりしている状況を視察し、勝手に意見を述べ合う。

で、いったい何をやっているのかというと、要するに20年ぶりに大学時代の同窓会というか悪友連の飲み会なんだが、ついでにいろいろ企画ができちゃったのだった。

ちなみに私が卒論を締め切り10分前に届けた事務室はもうない。思えば、未製本のまま持っていって「ここで製本していいですか?」と聞けば「あそこにノリもハサミもありますから」と言われて、院生と一緒に悠々と製本して提出したのであった。

そういうわけで、午後6時から来賓やらニューヨークからの祝電やら蟹やら酒やらスライドショーやらで賑わう。しかも私の時計が8時47分で止まっていたため、予定時刻を超過して2次会へ。

2次会は宿泊先の和室で車座の宴会。さっきはあまりに音量が低すぎて何の役にも立たなかった「昔のヒット曲メドレー」をここで再披露。

で、私は「なにも仕事をしていない」ということで、会長指名により次回の幹事に任命されてしまった。ああ、なんで? ちなみに会長は規約により、どんなことがあっても解任されない。ちゃんと規約があるのがすごいが。


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