Bon Voyage! HOME > PRIVATE DIARY > 2000年7月下旬 7月21日(金)
日比谷まで行って「ザ・ハリケーン」を見てから秋葉原へ。340MBのマイクロドライブとマドソンラインの小型ACアダプターを買う。しかし、マイクロドライブは1GBの低消費電力タイプがまもなく発売になるらしい。ま、ためしてみよう。
某所と某所と某所へ。
7月22日(土)
なぜか庭作りの本を買う。南の島をそろそろ絞る。というか、どうせなら行かねばならないところがあったのだ。
Jリーグ、柏対セレッソ大阪。売り出し中の北嶋と西澤に注目するも、今日は明らかに北嶋の方がよかった。というか、北嶋の動きに周囲がシンクロしているのがなかなか。
7月23日(日)
いい天気だ、今日も。
某所で飲んで寝る。
7月24日(月)
夕方から実家へ帰る。姉とその息子(つまり私の甥)が30分前に着いていた。メニューは焼き肉だったが、焼き肉のタレがないと大騒ぎしているので、すき焼きのタレにすりおろしたにんにくと豆板醤とゴマ油を調合して急造してみる。美味絶佳。
7月25日(火)
実家の状況を視察し、97歳の祖母を慰問し、10歳の甥を教育指導して清く正しい夏休みを実践する。
実母に重大発表その1、その2を行うと、もはや完全に舞い上がっていた。
昼に冷麺、夜にはうなぎと帆立の蒸し寿司。しかし、どうしていつも私が作るのであろうか?
7月26日(水)
甥が蛙を採集して持って帰るという。何を食べるのか? と聞かれたので生きた蠅と蚊だ、と教えたら必死で取っていた。生きたまま取るんだ! と頑張っていたので放っておいた。あんなもん、取ってあげなくとも蛙が自分でつかまえるのだが。
そのうち、どうやって持って帰るのかが気になったらしく、いろいろ聞いてくるので、
「しかしだな、この蛙はキミのものなのか? 蛙のものなのか?」
と厳しく問いつめたらシュンとして、結局池に放すことにしたようだ。こうして命の大切さを教え・・・たわけではまったくなく、ただ単に私は蛙がダイキライなのであった。
夕方には東京に帰還。
7月27日(木)
インターネットで航空券の空席問い合わせ。税金その他の支払い。手羽先の煮込みを作る。
夜にはひたすら旅行関係の資料読み込みに没頭。そのまま徹夜。
7月28日(金)
映画に行く・・・はずだったが寝ていた。zzz....
さすがに夏に南の島へ行こうとすると高いわ混んでるわで苦戦。
夕方から四谷へ。小さなおでんやでご相談。さらに某所と某所を巡回。
7月29日(土)
朝刊によればベーシストの川端民生さんが亡くなったそうだ。合掌。私は学生のころネイティヴ・サンのファンで<礫礫>まで聞きにいったものだ。
鹿島対セレッソ大阪。延長でオウンゴール、セレッソが勝つ。やっぱり森島はいいなあ。
7月30日(日)
朝から千駄ヶ谷で待ち合わせをし、15分で着くはずが道を間違えて25分もかかってしまったら、案の定行列ができていた。
ということでMasaco石けんの上陸イベントで石けんと巾着袋と石けん皿を買い、少し仕事の話をして、ボランティアの知り合いにタンタンの絵はがきをあげる。
それから<On Sunday's>の地下でお茶して<Trattoria Sabatini>でランチを食べて紀伊国屋で買い物をして渋谷まで歩いて帰った。わあ、こう書くと由緒正しいデートコースだ。
7月31日(月)
いろいろあったが、結局いつものエアー&シー・サービスに問い合わせてシンガポール航空で30日オープンのデンパサール往復8万円を予約する。もっと安いところもなくはないが、キャンセル待ちでその可能性がどのくらいかが担当者によって認識が違うのでとってもイヤだったのだ。数千円の違いなら早くOKがとれる方がよい。しかも今回は仕事が絡むということもあるし。
というわけで、私は8月20日からバリ島へと旅立つことが決定いたしました。パチパチ。
Tower Recordsへ。ワーナーの「3枚買って1枚もらおう」キャンペーンの申し込み締め切りなのであった。
夕方4時から飲み始める。<戎>、<江戸一>(大塚)、<モイセ>(大久保)、<文華>で終わったのは午前3時過ぎだった・・・と思う。たぶん。
出発まであと20日。
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