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1999年6月
『AV女優』
永沢光雄、文春文庫

昔、就職したての頃、創刊予定の写真雑誌のパンフをもって母校に行ったことがある。旧知の中年女性の事務職員は突然怒りだして
「あなた、こんないかがわしい会社に入っちゃったの!」
と放り出したそこにはヌード写真が大きくレイアウトされていた。

「アホか?」
このヌードは全然扇情的なものではなく、造形的に黒人女性の胸と赤いスリップを対照させた優れたものだった。だから、表紙候補でもあり、写真誌(え〜、「フォーカス」路線ではなく、「写楽」「CAPA」のクオリティが高いヴァージョンと思ってください)の質の高さを例示する写真として選ばれていたのだ。だいたい、他にも報道写真、自然写真、ポートレートもたくさんあるのだから。よくいるんだよね、ヌードに過剰反応するヒステリックな人(たいていは年配の堅物)が。自分の感性で判断できないアホが、さ。

で、この本はそういう意味では「扇情的」「エロ」のアダルトビデオの世界の本なのである。しかし、いかがわしい本でもなければ、正面切ったドキュメンタリーでもない。エロ雑誌用のインタビューを集めたものだが、だからといって切って捨てられない素晴らしいカケラをいくつも持っている。まず、大手の新聞や雑誌が称するインチキな「ジャーナリスティックな視点」とは無縁なのがよい。ここには等身大の女の子がいて、自分の体験や考えを素直に語ってくれている。出生、育ちを悲しいドラマに仕立てることも、おどろおどろしい暴露話にすることもない。しかしまた、ナマの話を素材としてうまく料理する包丁さばきもまた見事である。

「みんな、ほら、ご馳走だよ!」と言って教会の福祉に頼る仲間に振る舞う話は泣ける。義父に毎日犯され、母の元では義父の弟に犯された少女もいる。恋人と暮らすアパートから補導されて保護施設に引き取られて、毎晩バイクのクラクションを聞いて「彼が来てくれている」と涙する子、もいる。

訳知り顔の「識者」なんかよりも、現代日本の実像、本質をこれだけストレートに語ってくれる彼女たちは、やはり「観音さま」か「天使」か、もしかしたら「悪魔」なのかもしれない。

いかがわしい世界にも粋な男が生息することもまた、この本は教えてくれる。そこは人が「墜ちていく」世界ではない。「生きている」世界だ。

『天才数学者たちが挑んだ最大の難問 フェルマーの最終定理が解けるまで
アミール・D.アクゼル、吉永良正=訳、早川書房

生まれて初めて告白するが、小学生のころ、私は数学少年でもあったのである。「算数」少年でも「暗算」少年でもないぞ。父が高校の数学教師だったので、本棚には『フーリエ幾何』『●●函数』とかがたくさんあったのだ。もちろん、そんなもんは理解できなかったが、『お茶の間の数学』『四次元小説集』とかは熱心に読んだのである。

いかに生意気だったかというと、小1か小2の授業で先生が「2から3は引けませんね」と言うのに「だって、温度計にはマイナス1度ってあるよ」と反論して、困らせたらしい。さらに育つと「球面では平行線が交わる」という非ユークリッド幾何学で「平行線はどこまでいっても交わらない」と言う先生を困らせることもできたのだが、さすがにそんなことをしても嫌われるだけだということは学習していたらしい。

何が言いたいかというと、私の密かな夢は「20代までにフェルマーの最終定理を解いてやるんだ!」だったのだ。だから、外電で「フェルマーの定理がついに証明された」というニュースが報じられたことはよく覚えている。

さて、フェルマーの最終定理自体は小学生でも理解可能なのに、その証明は数学界のあらゆる発見や定理を総動員してようやく可能になったもので、とても一般向けにわかりやすく説明できるものではない、ということをこの本は理解させてくれる。フェルマーの最終定理の証明をダシにして数学史を通覧する試みは、一種の入門書になっている。しかし、証明の数学的過程を説明はしていない。そういう意味では私の期待はかなえられなかったが、それでも数学が内包するドラマチックさは堪能できる。誤解しないでほしいが、ドラマというのは数学者の人生のドラマ(ガロアが決闘で死んだとか、●●が若くして自殺したとか)ではなくって、たとえば素数の数列とか、黄金律の比率が生み出す図形の美しさとか、そういうことなんである。

『にせもの美術史 鑑定家はいかにして贋作を見破ったか
トマス・ホーヴィング、雨沢泰=訳、朝日新聞社

お騒がせ館長だったホーヴィングが、自らの体験を加えて書いたにせものをめぐる本。こんなことを実名を上げて書くから変人扱いされるのだ。読む方は楽しいけど。

メトロポリタン美術館の作品を見ると懐かしくなるところが、身びいき。歴史的に、20世紀の前半はアメリカの、後半は日本の成金が美術市場の「カモ」になっているわけで、なかでもメットは「質より量」という傾向がある上に、資料的価値も重視する博物館的性格もあって、玉石混交、なかにはニセモノとわかっていても購入する場合さえある。たとえば「19世紀にルネサンスのニセモノが作られた」という歴史資料というわけだ。

で、ホーヴィングは典型的な粘着質エネルギッシュ性格らしく、古代から現代まで、ニセモノの歴史、背景、技術、鑑定家と偽作者の戦いを飽きさせずにグングン引っ張っていく。しかし、彼にしてはあんまり長くないなあ、と思ったら、訳者が3章分もカットしていたのであった。なんでも有名なメーヘレンの話と冗長な部分を抜いちゃったんだそうだ。ホーヴィングはそういう扱いしかしてもらえないのか。ただのエンタテインメント批評家ってわけね。

にせものとは言っても、ルーベンスとルーベンス工房の違いとか、鑑定の問題にはキチンと触れているわけで、なかでも結局は科学的方法を超えた「心で視る」みたいな境地というものには興味深いものがある。昔、ルーベンス展で、あの脂っこい作品をずっと見続けていると、工房作はどれかっていう当てっこをして全部当てたことがあった(そういうレベルとは全然違うと思うが)。まあ、芸術の価値についても面白い視点を提供してくれる本です。

なお、スペイン語では【V】音は【B】音とまったく同じ発音になるので、「ヴェラスケス」という表記は誤りで「ベラスケス」と書くべきですね。細かいことですが、みんな、よく間違ってます。少なくとも、美術・音楽分野での人名・地名表記では慣用が固定しつつありますので、よく勉強してください。

『6月の軌跡 '98フランスW杯日本代表39人全証言
増島みどり、文藝春秋

あの夏について、その前もそのあともたくさんの本が出た。私もけっこう読んだ方だとは思うが、この本ほど「あの夏」を鮮明に思い出させてくれたものはなかった。もちろん、これはサポーターの目で見たワールドカップではない。記者として同行取材した上で、あらためて選手とスタッフにじっくりインタビューした記録である。決して少なくはない数のインタビューを1冊にまとめたのだから、ひとりひとりのコメントの分量は決して多くない。その短いなかに込められた声の「重さ」を、あるいは「輝き」を、私はしっかりと受け止めたい。

カズと北澤がはずれた時。井原が膝をケガした時。川口がバティに決められたゴール。選手やスタッフによって語られたエピソードの存在感は、圧倒的だ。GKコーチのマリオは練習のためのシュートの蹴りすぎで炎症を起こしてひどく痛んでいたこと。シェフもコックも朝5時に起きて、まったく外に出ずに料理を作りつづけていたこと。栄養士の浦上さんは、決勝トーナメントの分までメニューを準備していたこと。エクィップメントの麻生さんは、天気を見ては選手のためのユニフォームをまったく間違いなく用意していたこと。この、ほとんど飾りのない言葉で綴られた真実は、私を涙させるに十分だった。

もしも、あなたがあの夏を、自分の痛みとともに過ごしたのなら、この本はあのときの熱さを追体験させてくれるだろう。と同時に、言葉の強さと空しさを見せつけるだろう。あの夏を戦った者たちは、言葉でなく、自分の行動で「0勝3敗」という結果への回答を綴ろうとしているのだから。

『暴虐の奔流を止めろ』(上・下)
クライヴ・カッスラー、中山善之=訳、新潮文庫

それにしてもひどい邦題である。このダサさはわざとなのだろうか? しかもネタバレになっているというおまけつき。

さて、内容はいつにもまして最初からアクション全開、スリル満点。例によって昔の事故がプロローグで思わせぶりに再現され、ダーク・ピットは休暇中なのにわざわざ事件に飛び込み(巻き込まれ、ではない)、それが早くも今回の敵との対決だったりするご都合主義。

まるで007の出来の悪いコピーのような気がする。最近のトム・クランシーと同じように、無批判な善と悪の対立があまりに図式的で興を削ぐ。出てくるバイキャラの個性が全然面白くないのも、影や毒がないから。

(と、ここまでは半分読んだ時点で書いているのだが、すでに見切ってしまったのであった)

さて、読みました。例によって、華々しいアクションシーンの連発で終わりました。しかも、仕掛けの予想がついてしまうのが興醒め。いや、いいんですけどね。豪華客船の高貴な最期、宝物の引き揚げ、悪党の巨魁との決闘と過去のカッスラー作品のいいとこ取り。

唯一の救いはアイルランド人船員のイアン・ギャラガー。私が最近アイルランドびいきのせいもあるが、プロローグとエピローグのみ、評価してもいい。

「あなたも、私ぐらいの歳になれば、人生には洒落たヨットやジェット機を持つことよりずっと大切なことがたくさんあるって分かるものです」

このセリフ、いまの私にはぴったりだ。


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