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1999年1月
『邪馬台国はどこですか?』
鯨統一郎、創元推理文庫

創元推理短編賞の選には洩れたが、ぜひ連作を、ということで新人ながら書き下ろし文庫でデビューという珍しい経歴の本。いわゆる歴史ミステリといえば、ジョセフィン・ティの『時の娘』、高木彬光の『思吉成汗(ジンギスカン)の秘密』というところしか思い浮かばない古い人間にとっては、さてさて、いっちょうもんでやるか? と思ったのだが。

ひひひ。はへほへ。そんなんありか? って感じで、けっこう無茶苦茶ながら面白い。「釈迦は悟りを開いていない」「聖徳太子と持統天皇は同一人」「イエス・キリストの代わりにユダが死んだ」などなど、かなりムリな結論を丸め込むのはなかなか。ただし、それにはもちろん、最近の学説が援用されていることも大きい。とくに日本書紀が体制側による都合のいい理屈であること、死海文書が示すユダヤ教社会におけるイエスの集団のあり方など、たしかにそうだ。『魏志倭人伝』を、距離は合っていて方角が違うのだ、とする前提は私もそう思う。

でも、そういう風にまじめにうなづいているうちに、術中にはまっているところが憎らしい。ただ、小説としては潤いもないし、キャラクターも立っていない。狂言回しのバーテンダーに魅力がないし、三谷教授はまったく存在感がない。せっかくの書き下ろしでしかも連作なのだから、脇役の出番をどこかに作るだけでも違うのになあ。

『ソウル』世界の都市の物語
姜在彦、文春文庫

意図としては、ガイドブックではこまぎれの知識や印象による表面的理解でしかないものを、歴史・文化・民族・言語・建築といったいろいろな側面からひとつの都市の姿を照射して総合的に理解しよう、というシリーズなのだろう。で、文藝春秋でしかもこの著者の顔触れということになると、どうも教養課程の巨大講義室での授業みたいな感じがして、伸ばしかけた手を止めてしまったのだが。もしかしたら食わず嫌いだったのかもしれない。単行本では結局このシリーズは一冊も買わなかったのだが、最近になって文庫化された。

ということで、この『ソウル』だが、これがけっこう面白い。とくに、脱線しちゃうところ。史料の引用や、ちいと読みにくい文章のぎくしゃくは歴史家のさがとして、余談とか脇道にわざわざ断って逸れていくのがよい。

朝鮮文化における儒教の影響の深さ、ソウルの風水地理、19世紀以前の韓国をちょっとかじった気になれる。しかし、最大の問題は韓国で生まれ、日本で活動してきた著者にとって、現代の韓国はなかなか見えなくなっているということだ。「最近の韓国ではナニナニ〜らしい」という表現に、20世紀のいびつな日韓関係が影を落としている。

垢すり、焼き肉、ショッピングといったソウルツアーの定番や、歌謡曲・映画・テレビのような大衆文化とは全然関係ないかもしれないが、そうした「いま」の奥底に流れている通奏低音が、少し見えてくるかもしれない。

『アリス・B.トクラスの料理読本』
ガートルード・スタインのパリの食卓
アリス・B.トクラス、高橋雄一郎・金関いな=訳、集英社

ガートルード・スタインの『アリス・B.トクラスの自伝』は、スタインが、パートナーであるトクラスの視点を借りて自分たちの生活と交友を描いた有名な作品だが、こちらは正真正銘のトクラスが書いたエッセイ&レシピの翻訳である。書店で手にとってひと目で気に入ってさっそく読み始めたのだが・・・

装幀も造本も本文の組みも行き届いたデザインで、原著の挿し絵も再現し、関連図版も訳注も豊富。文字も大きいし、よくある料理写真を入れるような愚もおかさず、詳細な地図もついて、非常によくできた本になっている。

ただし、あとがきによれば、三分の一ほどをはしょっている。とくにレシピの部分で、文章が、どうもうまく流れていかないのは「翻訳者が料理を知らな過ぎる」せいだと思う。もちろん、料理の専門家に用語などの教示とか指導は仰いだみたいだし、そういう痕跡はあるが、手順や動作が本当に理解できていないから、文章がいまひとつ明晰に像を結ばない。誤訳ということではないが、一度もサッカーを生で見たことがない人がサッカーの戦術書を翻訳するようなものだ。

さらに、表記が混乱している。スタインとトクラスはふたりともアメリカ生まれのアメリカ人とはいえ、人生のほとんどをフランスで過ごしているわけで、日本語にするならふつう「バーガンディ」は、「ブルゴーニュ」の方がいいだろうし、「青ねぎ」は(たぶん)「ジブレット」だろうし、そうすると分量は日本風に「大さじ」「小さじ」「カップ」と表記されているが、原著ではオンスなのかグラムなのか不安だ。要するに、20世紀初頭のフランス・アメリカ両国における貴重な料理の記録として読もうとしている者にとっては、はなはだ信頼性に欠ける(しかも全訳でない)本だということだ。晶文社から出たクラドックの『シャーロック・ホームズ家の料理読本』は、一種の偽書だが、ちゃんと19世紀の台所の風景を伝えてくれるのに。

実にもったいない。訳注も半分はいらないぞ。注のスペースを削り、組みを変えれば全訳でも400ページ強でできたんじゃないか? 察するに、これはプレゼント用に「かわいい!」と飛びついちゃうガキ向けのきれいな本として作られたんだろうな。版元からいっても。訳者はきっと、スタインの作品も読んで欲しいという希望を持っているだろうが、そういう奇特な読者にとってはこれは子どもだましみたいな翻訳本で、私はAmazon.comで原著を探そうと考えているのであった。

なお、なんとか理解したレシピ自体は、面白い。料理を再現したいとはあまり思わないが。だって、バターもクリームもたっぷりの、昔のまんまなんだもん。

『猟鬼』
ブライアン・フリーマントル、松本剛史=訳、新潮文庫

なんと、新シリーズである。しかも、ロシアの警察官とFBI捜査官のコンビという。実際、第2作もすでに出ている〔未訳)。また、これとは別にFBIの心理プロファイラーのシリーズもついこの間、新潮文庫から出た(もちろん買ったのだが、どうも新潮社からの依頼によるらしい。なんか、いやな予感)。チャーリー・マフィンはどうしてるんだ? こういう場合はAmazon.comで調べるに限るのだが、そんなヒマもなくってさ。

というわけで、アメリカ大使館の女性職員が連続殺人の犠牲になり、それが大物議員の姪だったものだから大騒ぎ。元KGBやらCIAが出てきて、一瞬スパイものっぽくなるあたり、気をもたせます。でも、ちょっとフリーマントルにしてはひねりが効いていない感じ。私は自慢じゃないが犯人を当てちゃったぞ。タイトルの「猟」とか「鬼」とかはどう見ても大仰すぎ。原題は" The Button Man "とそのまんまだ。しかもエルロイをつづけて読んだせいか、髪を切ってボタンを取るだけでは、全然無気味とか恐怖とか感じないんだけど。さらに、犯人逮捕の決め手の証拠がアホ過ぎる。この犯人がそんな間違い、するもんか!

とはいいながら、例によって中年を迎えた人生の憂愁が漂うあたりを味わうべきか。ロシアの刑事は警察仲間の妻と不倫し、特権ゆえの賄賂に心が揺らぐ。FBI捜査官は、妻を同僚に奪われて酒をやめている。このへんはいいとして、回りのワキの人物たちがどうもステレオタイプっぽくて不満。いわゆる「いるいる、こんなタイプ」って役が多い。

カスとは言わないまでも、期待はずれ。読み終わったのが元旦に入ってしまったので、めでたく1999年、幕開けの1冊なんだけどなあ。


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