ガートルード・スタインの『アリス・B.トクラスの自伝』は、スタインが、パートナーであるトクラスの視点を借りて自分たちの生活と交友を描いた有名な作品だが、こちらは正真正銘のトクラスが書いたエッセイ&レシピの翻訳である。書店で手にとってひと目で気に入ってさっそく読み始めたのだが・・・
装幀も造本も本文の組みも行き届いたデザインで、原著の挿し絵も再現し、関連図版も訳注も豊富。文字も大きいし、よくある料理写真を入れるような愚もおかさず、詳細な地図もついて、非常によくできた本になっている。
ただし、あとがきによれば、三分の一ほどをはしょっている。とくにレシピの部分で、文章が、どうもうまく流れていかないのは「翻訳者が料理を知らな過ぎる」せいだと思う。もちろん、料理の専門家に用語などの教示とか指導は仰いだみたいだし、そういう痕跡はあるが、手順や動作が本当に理解できていないから、文章がいまひとつ明晰に像を結ばない。誤訳ということではないが、一度もサッカーを生で見たことがない人がサッカーの戦術書を翻訳するようなものだ。
さらに、表記が混乱している。スタインとトクラスはふたりともアメリカ生まれのアメリカ人とはいえ、人生のほとんどをフランスで過ごしているわけで、日本語にするならふつう「バーガンディ」は、「ブルゴーニュ」の方がいいだろうし、「青ねぎ」は(たぶん)「ジブレット」だろうし、そうすると分量は日本風に「大さじ」「小さじ」「カップ」と表記されているが、原著ではオンスなのかグラムなのか不安だ。要するに、20世紀初頭のフランス・アメリカ両国における貴重な料理の記録として読もうとしている者にとっては、はなはだ信頼性に欠ける(しかも全訳でない)本だということだ。晶文社から出たクラドックの『シャーロック・ホームズ家の料理読本』は、一種の偽書だが、ちゃんと19世紀の台所の風景を伝えてくれるのに。
実にもったいない。訳注も半分はいらないぞ。注のスペースを削り、組みを変えれば全訳でも400ページ強でできたんじゃないか? 察するに、これはプレゼント用に「かわいい!」と飛びついちゃうガキ向けのきれいな本として作られたんだろうな。版元からいっても。訳者はきっと、スタインの作品も読んで欲しいという希望を持っているだろうが、そういう奇特な読者にとってはこれは子どもだましみたいな翻訳本で、私はAmazon.comで原著を探そうと考えているのであった。
なお、なんとか理解したレシピ自体は、面白い。料理を再現したいとはあまり思わないが。だって、バターもクリームもたっぷりの、昔のまんまなんだもん。
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