トマス・H.クックって、ご存じですか? フランク・クレモンズ三部作が有名なんですが。結構渋いです。背景や人物を実に丹念に描いて独特のムードを漂わせます。人生の手応えのうつろさ、だからこそ一層の輝きを放つ一瞬、そして余韻の響きの深い感じといえば、わかってもらえるでしょうか。『だれも知らない女』(丸本聰明=訳、文春文庫)をとりあえず読んでみてください。でも、好き嫌いは分かれるかもしれないなあ。
あんまり謎解きとかトリックとかには深入りせず、むしろ犯罪と捜査をめぐる人間の感情や内面に関心があるようです。ミステリーというよりは、一般小説に近いかもしれません。
さて、この作品は1992年刊行の"Evidence of Blood"の翻訳です。主人公は犯罪ノンフィクション作家キンリー。おぞましい異常殺人を取材してまとめるわけですが、その断片がところどころ出てきます。クック自身もそうしたノンフィクションを手がけているので、断片とはいえ不気味なリアリティがあります。主人公が故郷で急死した親友の保安官の葬儀に帰ると、そこでは彼が追っていた1954年の死体なき少女暴行殺害事件の謎が待っていた。裁判の記録をたどり、証言者を探し、現場に赴いて捜査を続ける。そして、意外な真実が明らかになる。
これは、はまります。上質の法廷ミステリーにある、堅固に見えた事実が少しずつ揺らいでくる過程。錯綜する人間関係のなかに見えてくる感情の嵐。そして、最後に訪れるはずのカタルシスの不在。そう、決して気持ちのよい終わり方ではないのですが、複雑な読後感に襲われます。ミステリーとして、謎解きストーリーを完全に満足させながら、それにとどまらないひとつのテーゼが示されるわけです。
「わかったほうがいい。そう思わないか、キンリー? どれだけ代償を払わなければならないとしてもな?」
その代償とは?
|