Bon Voyage! HOME > BOOK REVIEW > November, 1997

1997年11月
『第三双生児』(上・下)
ケン・フォレット、佐々田雅子=訳、新潮文庫

ケン・フォレットといい、ジェフリー・アーチャーといい、語り口もストーリーもうまいんだけど、結末が予定調和的なのと、登場人物が類型化しがちなのが気にかかります。フォレットはやはり出世作の『針の眼』に尽きるのかもしれません。あとは大作『大聖堂』か。それでも、新作が出るとつい買っちゃうんだな、これが。

遺伝子操作、ペンタゴンの極秘計画、と触れ込みは大げさですが、ストーリーはごく単純。あまりにも優秀なサーチ・ソフトを作ってしまった心理学者がかつての遺伝子操作実験の真相に迫ったために迫害される。彼女はいかにして反撃するか? このジニーという主人公の設定がすごい。父親は泥棒。母親は生活保護から美容師をして育てるが、後年アルツハイマーになってしまう。彼女自身はパンク少女からテニスの奨学金で大学に進学し、心理学の研究で身を立てようとしている。この設定を受け入れるかどうか、ですね、キーは。ストーリーに乗っちゃえばあとは一瀉千里です。ただし、前提としてつねに「善」がア・プリオリに決めつけられています。このへんが深みがない、と批判される素地でしょう。

一応テーマとしては、人格を決定するのは遺伝子か、環境か? という古い問いかけが出てきます。そのために一卵性双生児で違う家庭環境で育てられた例を調べるわけです。でも、テーマとかなんかより、主人公に感情移入して一喜一憂して楽しむのがいいでしょう。このたぐいは飛行機のなかとか、頭をあまり使いたくないシチュエーションに向いています。

『闇をつかむ男』
トマス・H.クック、佐藤和彦=訳、文春文庫

トマス・H.クックって、ご存じですか? フランク・クレモンズ三部作が有名なんですが。結構渋いです。背景や人物を実に丹念に描いて独特のムードを漂わせます。人生の手応えのうつろさ、だからこそ一層の輝きを放つ一瞬、そして余韻の響きの深い感じといえば、わかってもらえるでしょうか。『だれも知らない女』(丸本聰明=訳、文春文庫)をとりあえず読んでみてください。でも、好き嫌いは分かれるかもしれないなあ。

あんまり謎解きとかトリックとかには深入りせず、むしろ犯罪と捜査をめぐる人間の感情や内面に関心があるようです。ミステリーというよりは、一般小説に近いかもしれません。

さて、この作品は1992年刊行の"Evidence of Blood"の翻訳です。主人公は犯罪ノンフィクション作家キンリー。おぞましい異常殺人を取材してまとめるわけですが、その断片がところどころ出てきます。クック自身もそうしたノンフィクションを手がけているので、断片とはいえ不気味なリアリティがあります。主人公が故郷で急死した親友の保安官の葬儀に帰ると、そこでは彼が追っていた1954年の死体なき少女暴行殺害事件の謎が待っていた。裁判の記録をたどり、証言者を探し、現場に赴いて捜査を続ける。そして、意外な真実が明らかになる。

これは、はまります。上質の法廷ミステリーにある、堅固に見えた事実が少しずつ揺らいでくる過程。錯綜する人間関係のなかに見えてくる感情の嵐。そして、最後に訪れるはずのカタルシスの不在。そう、決して気持ちのよい終わり方ではないのですが、複雑な読後感に襲われます。ミステリーとして、謎解きストーリーを完全に満足させながら、それにとどまらないひとつのテーゼが示されるわけです。

「わかったほうがいい。そう思わないか、キンリー? どれだけ代償を払わなければならないとしてもな?」

その代償とは?

『不屈』
ディック・フランシス、菊池光=訳、早川書房

毎年、ジャパンカップの前には、ディック・フランシスの新作の邦訳が出る。「競馬シリーズ」とは銘打たれてはいるが、もはや競馬はストーリーの中心ではない。「不屈」の男の物語、それがディック・フランシスの小説の本質なのだ。

という訳で、今度がなんと35作。第1作『本命』がイギリスで出たのが1962年。ほとんど私の年齢と一緒(少し嘘)。もちろん、私は35作全部持ってます。しかも、邦訳の出た順でなく、執筆順に読んだというのが私の自慢(それが何?)。なかでも『本命』は好きですねえ。処女作に作家の本質があらわれるというのが私の持論で、『本命』もその例にもれない。無類の障害馬アドミラルとの逃避行のシーンは、騎手の出身だけあって見事に馬と人との交流と草の香りを伝えています。そう、フランシスは障害競馬のチャンピオン・ジョッキーだったんです。その前は爆撃機のパイロット。そんな人がミステリーを書いてもさまになる、というよりは、こんなに偉大な作家がかつてはジョッキーだったということに驚くべきか。武豊が山本周五郎になったようなもの(どんなたとえじゃ)。「競馬」とか「ミステリー」に興味がない人も、一刻も早くフランシスの世界をのぞいてみるべきです。まだフランシスを知らないとしたら、人生の損失です。

さて、本作『不屈』というタイトルはそのままフランシスの描く主人公の気質そのもの。もはや謎解きとかサスペンスといったミステリーの枠をこえてフランシスは不屈の人間のストーリーを紡ぎだします。注目の主人公の職業は画家。例によって徹底的にリサーチしたようで、技法解説つき。スコットランドの風物詩にも旅心を誘われます。え? 肝心のストーリーは? それは、カバー折り返しに書いてあります。ちゃんと謎もありますし、競馬シーンも、どきどきの逃避行も、絶体絶命のピンチも、胸のすくような結末も、ちょっとロマンスの香りも、ユーモアも少しあります。何よりも、やっぱりこれはハードボイルドです。最後に、印象的な箇所を引用しましょう。

「........きみは気が付いているかどうか、あの絵は障害騎手の生活のいっさいを告げているのだ。忍耐。勇気。不屈の精神。わかるかね?」
私はぎこちない口調で言った。「気に入っていただいて、嬉しいです」
彼が顎を突き出した。迫りくる不可避な運命への挑戦的な仕草だった。
「あの絵がわしに生きていく力を与えてくれるのだ」


←BACK |↑TOP | NEXT→

(C) Copyright by Takashi Kaneyama 1997