イギリス自治体事情 カーディフ篇その2 白し白木ゆかり
エリーコミニティセンター
<カーディフの社会参加支援(その1)>

〜貧困女性の強い味方「Womenユs Workshop」〜
 午前中駆け足でエリー地区、セントメロー地区、そしてカーディフ中央企業センターへ。3カ所目の訪問先を後にしたときは、思わずほーっと深いため息がもれます。疲れてはいたものの、3カ所それぞれの地域特性を活かした事業展開とサポート体制にはとても興味をおぼえました。例えばカーディフ東部の新興住宅地のセントメロー地区は女性の失業率が高いため、ここの企業センターでは失業中の女性をターゲットにした講座が目立ちます。短期コース中心のエリー地区と違って長期トレーニングコースのみで、一講座終了後に試験を受けてさらに上級のコースに進んでいくシステムが特徴です。カーディフ中央企業センターは、カーディフ大学や短期大学に近く学生が利用者の大半を占めるため、地域住民の活動拠点としての色合いは見られず、就職情報収集や技術習得(短期コースのみ)の場としての性格が強いようです。

 昼食場所はベイエリアのイタリアンレストラン。通常ならカウンティホールに一旦戻って庁舎内の食堂で済ますのですが、予想以上に午前中の訪問が長引き「午後の訪問先の近くで食べよう。」とディビットさんと意見が一致したのでした。食後のエスプレッソを注文しようとした時、タイミング良くディビッドさんの同僚キャロルさん登場。(さっき職場に電話を入れてたのは彼女を呼び出すためだったのか、納得。)午後は彼女と一緒に港湾地区のNPO団体を訪問します。

 多国籍の移民・難民や貧困世帯が集中する港湾地区では、公共部門だけでなくボランタリーセクターによる市民サポートも積極的に行われているそうで、これから訪問する「南グラモーガンWomenユs Workshop」も社会的・経済的に危機的状況にある女性に職業教育のサービスを行うNPO。英語が母国語でない女性も多いため、数学などの基礎教育からコミュニケーションのための基礎英語講座まで幅広い講座を提供しています。

 Clarence通りにあるレンガ造りの瀟洒なビルに到着。玄関横のブザーを押してしばし待ちます。どうやらテレビモニターで来訪者チェックをしている様子。ドアが開き、スタッフのクリス・オコーネルさんが出迎えて下さいました。ここでは難民女性や配偶者等の暴力から逃れてきた女性も多数受け入れているため、玄関はオートロック式で、各教室へも入室専用カードがないと入れないようになっています。

 カーディフ在住の25歳以上の女性で、半年以上失業中もしくは就業準備中の人なら誰でも受講でき、交通費も支給されます。特に以下の場合は受講料無料です。

@ 黒人女性及び少数民族の女性(英語が母国語でない人)への英語学習
A 黒人女性及び少数民族の女性への基本的技術の習得サポート
B 避難民や家庭内暴力を受けている女性
C メンタルヘルスで問題を抱えている女性
 また、施設内の無料託児サービスも利用できるため、幼児・乳幼児を抱えた若いお母さんも安心して受講できます(9人の託児専門スタッフ&1人の給食担当スタッフが常駐)。

 託児ルームを出て3階へ。最初の部屋に入ると、そこは陽光射し込む明るい空間。ここは祈祷のための瞑想室で、各国の文化・宗教への配慮から1年前に配備されたそうです(祈祷前の洗足場もあります)。その他に受講者から強い希望が出ているのが、障害者用エレベーターの設置(古い施設を利用しているため1999年当時は階段のみ)で、国営宝くじチャリティ委員会へ設営資金としての補助金申請中だとか。運営資金については、カーディフカウンティカウンシルの他に欧州社会基金、UK Know-How基金、TSB補助金、Children-in-Needから財政援助を受けています。

 パソコンルームでは、講師からマンツーマンで習っている初級講座の女性や、中〜上級の女性10人近くが受講中。その中で最近基礎教育講座を修了しパソコンを習い始めたソマリアの女性と少しお話させていただきました。「自分に対する自信が持てて嬉しいし、今は新しいことをおぼえていくのがとても楽しい。」と話す彼女の肩を抱き寄せる講師のローラさん。社会的に弱い立場にいる女性達の自立と社会参加を支えるスタッフもすべて女性。彼女たちに心から熱いエールを送ります。

<ミレニアム・スタジアムのバリアフリー設備>

 11月の第一木曜日、この日は夕食もそこそこに、準決勝戦のチケットを手にテッドさんと3人で再び市街地へ。(対戦カードはニュージーランドVS南アフリカ共和国。)万国旗たなびくPark 通りはスタジアムに向かうラグビーファンであふれ熱気むんむん。大会マスコットのレッドドラゴンと記念撮影をする人、肩を組み国歌を高らかに歌い上げるグループ、国旗模様のフェイスペインティングをしてお目当てのチームのユニホームに身を包んだ人たち...と、あたかも優勝決定戦のような盛り上がり。不意に前方が明るくなり見上げると、競技場横のビル屋上でウェールズのシンボル、レッドドラゴンの巨大模型が真っ赤な炎を吹き上げています(道行く子供達はこの光景に大喜び)。

 この年の6月に完成したばかりの全天候型スタジアムは収容人員7万5千人。ワールドカップ後は新年までミレニアム関連のイベント会場になります。4階の指定席は思ったよりグラウンドが間近に見えますが、勾配が少し急で高所恐怖症の私は足が震えるばかり。自分たちの席を確認した後、Tさんと一緒に大会グッズ店へ直行。押し寄せる人波をかき分けて進み、やっとこさ売店に到着したとき、「やあ、君たちも来てたのかい?」と背後から呼びかける明るい声が。声の主はスタジアム設計技術担当のピーターさん。実は3日前に、障害者用設備の調査視察で競技場を訪問したときに応対してくださったのが彼でした。

 英国では雇用・建築物・公共交通機関の利用などにおける障害者への差別撤廃を目的に障害者差別禁止法(Disability Discrimination Act。以下「DDA」)が1995年に制定されていますが、このミレニアム・スタジアムもDDAや障害者国際欧州連合委員会のガイドラインに沿って設計・建設が進められました(何度も設計変更を余儀なくされた苦労話もあったようです)。

 一定数の車椅子用観客席(3階に324席+介助者席206席、4階に28席+24介助者席、6階に28席+24介助者席。5階のゲストルームも利用できます。介助者の入場料は無料。)が設置され、3階席では事前申込みがあれば家族や友人用の席も用意されます。車椅子用の席は各レベル中段の最後列なのですが、前の席よりかなり高く配置されていて視界が妨げられないよう配慮されています。視覚及び聴覚障害者に対してはヘッドフォンまたは電磁ループが無料貸与されます。

 車椅子用観客席の位置は常に障害者用エレベーター(一般用と違って非常時も可動)とトイレ、売店の最短地点。トイレ・売店等の各設備にはそれぞれ大きな表示付きで遠くからでも見つけやすい。売店すべてには障害者専用コーナーがあり、車椅子の人が利用しやすいようにカウンターが一般用より一段低く設計されています。ハーフタイムなど売店が混雑している場合は、ガイドスタッフが注文を受けて席まで届けてくれるサービスも利用できます。

 障害者対応サービス研修を受けているガイドスタッフは、この他にも駐車場での送迎などの障害者の要望に応じたサービスを行っていますが、研修で示される彼らへの留意事項は「障害者の要求以上のサービス提供を避けること」とか。その理由は、「一般的に障害者は常に自立できる存在でありたいと願っており、過度のサービス提供は時に彼らの尊厳を著しく傷つける」から。

 その説明を受けたとき、以前読んだ英国チャリティ団体へのインタビュー記事がふと頭をよぎりました。日本のジャーナリストが「日本は超高齢化社会を迎えようとしているが、今後どう社会整備すればいいか?」との質問をしたところ、その団体の広報官から「あなた方は自分の力で生きられる社会を作りたいのか。それとも人に助けられて生きる社会を作るのか。」と逆に疑問を投げかけられ、返答に窮したという。英国が一貫して目指しているのは、障害者や高齢者が自立し誇りを持って生きられる社会。日本は福祉先進国の北欧諸国や英国を手本にして福祉設備の充実を図ってきましたが、その根底にある福祉の基礎理念は曖昧な部分がまだまだ多いのでは。「自分はどういう存在で在り続けたいか。」この言葉がいつまでも耳の奥で響いていた1日でした。

 さて、準決勝戦は南アフリカ共和国の勝利で幕を閉じ、両チームの健闘を讃えて拍手の嵐。試合の興奮冷めやらず「帰りにパブで一杯やろうか?」とSaint Mary 通りへ向かったのですが、どのパブも空席どころか立つスペースもないほど。仕方なくPenarthに戻り近所のパブで乾杯。これは後日談ですが、土曜日の決勝戦をTV観戦した後、興奮に沸きたつ街の雰囲気を何としても味わいたくなった私たちは、テッドさんの愛娘キャスリーンと3人で中心街に繰り出して「パブ巡り」を敢行することに。 案の定、競技場周辺は人で埋め尽くされてお祭りのよう。混雑による事故防止のため騎馬警察隊ホースガードも出動しています。

 そこに賑やかに現れたマーチングバンドを追いかけていくと、教会前広場に到着、即ミニコンサートが始まります。演奏に合わせて踊る人たちの輪が広がり、あちこちで記念撮影のフラッシュが目に眩しい。私は木曜日に買った赤いニット帽(ウェールズチームロゴの刺繍入り)をかぶっていたせいか「日本から来たコが俺らのチームを応援してくれた!」と何度か記念撮影を求められたり、パブでは奢っていただいたり。(この後、地元っ子お奨めのパブ何軒かへハシゴする羽目に。)地元の人はとにかく気さくで陽気、そして郷土愛・民族意識が人一倍強いとか。その上、飲みっぷりも素晴らしい!明るく元気なキャスリーンも生粋の地元っ子。「教職は私の天職!」と胸を張る彼女は地元の小学校教師。「明日は学校休みよ〜、飲むぞ〜!」と、これまた頼もしい飲みっぷりでした。

<ウェールズの民族意識とウェールズ広域議会創設>

 ウェールズを舞台にした『ウェールズの山
(原題:The English man who went up a hill but came down a mountain)』という映画をご存知ですか?舞台は、第一次大戦当時のセヴァーン渓谷にあるHampton Loade村。Powys県のFfynnon Garw山の標高調査を行うために、イングランドから2人の地形調査員がやって来ます(ヒュー・グラントが人の良い調査員を好演)。測量の結果、標高1000フィート(約305m)に足りず「山」ではなく「丘」として登録されることに。「村の誇りであるこの山を『丘』なんかにさせない!」と村人は一致団結。地形調査員たちをあの手この手で村に引き留めている間に、頂上に土を盛り固めて標高を稼ぐ作戦を試みるのですが、さてその結果は...?(原題にご注目。)

 ストーリーはコメディ仕立てですが、なんとウェールズ南部に伝わる実話です。ウェールズに攻め入ろうとする外敵を過去幾度となく阻んできたこの山を守ることは、村人たちにとって民族の誇りと自分たちのアイデンティティを死守するのと同じこと。連合王国の一つとしてイングランドに併合されようとも、自分たちの言葉と伝統文化を守り抜いたウェールズ人の気概が感じられます。(日本の某映画雑誌では残念なことに、「都会からやってきた地形調査員からの押しつけに奇策で対抗する村人の姿を描いた”トンデモ映画”」といったような「都会人対田舎者」という捉え方で紹介されていたような。)

 ウェールズには先住民ケルト人たちの文化が色濃く残されていますが、古代ケルト語から派生したウェールズ語もその一つ。イングランドに併合されてから18世紀の初め頃まで教会をのぞく公式の場での使用は固く禁じられていましたが、19世紀中頃から自分たちの言葉を守り抜こうとする運動が盛んとなり、1960年代には公的言語として承認され、ウェールズ語教育運動が推進されました。また1970年代にはウェールズ語のテレビ・ラジオ放送が開始され、現在ではウェールズ全体では2割程度の人がバイリンガル、北部では6割を越す人がウェールズ語を日常語としています。カーディフの成人教育センターでも、ウェールズ語は常に人気講座の上位を占めるそうです。

 さて英国の地域自立・地方分権といえば、スコットランドとウェールズへの広域議会の設置を抜きにしては語れません。1997年の総選挙で労働党は、地方分権の推進を選挙公約に掲げ圧倒的勝利を得た後、分権(権限委譲)法案を国会へ提出。同年9月には審議会設立の賛否を問う住民投票が実施され、その結果スコットランド議会(The Scottish Parliament)とウェールズ議会(The National Assembly for Wales)が設置されました。

 ただし、ウェールズ議会にはスコットランドのように域内税率変更権(上下3%内で独自に所得税率を増減できる権利)は付与されていません。住民投票の結果でもスコットランドとウェールズは少し温度差があったようで、スコットランド議会設置が74.3%の賛成票(投票率60.4%)を得たのに対し、ウェールズでは賛成50.3%という僅差(投票率50.1%)。この結果を見ると広域議会設立に対してウェールズとしての積極的な意思表示があったとは言い難く、現状維持を望む声が高かったのか、それとも年々市民の政治離れが進む現状では妥当な数字だったのか?しかしながら、地域への権限委譲によって、地域住民の行政ニーズに的確に対応することと、それにより住民の行政への関心と政治参加を促すこともブレア政権のねらいの一つ。1999年の議会設置から早や2年、できることなら市民の政治参加の気運の高まりを現地で見届けたかったですね。

ウェールズ議会棟

 さて、カーディフ滞在中にウェールズ議会の議場を見せていただけることになり、その年完成したばかりの議会棟へ行って来ました。エントランスホールはガラス張りの吹き抜け構造で「開かれた議会」の明るいイメージそのもの。議会棟内に入ると、まずは厳重なセキュリティチェックを受けます。空港で見かける金属探知ゲートをくぐり、荷物&ボディチェックを受け、ビジター用名札シールとウェールズ議会のリーフレットを受け取りやっと議場へ向かえます、ふぅ。

 閉会時の議場に足を踏み入れ、最前列の議長席から議場全体を見回すと、満場の拍手で幕開けとなった5月12日の第一回総会の様子が目に浮かぶよう。伝統的な造りのカーディフ市議会とは違ってどこもかしこも現代的な内装。すべての議員席にはパソコンが設置され、そこから有権者とEメールでのやりとりができます。総会は一般公開され、TV中継も行われます。あと、英語・ウェールズ語の同時通訳ヘッドホンも全席に。

 この年の5月6日の議員選挙(小選挙区・比例代表並列制)で、60人の議員(小選挙区による選出40議席、比例代表選出20議席)が就任し、そのうち28議席を確保した労働党からウェールズ地域政府首相としてアラン・マイケル氏が選出されました。ところが、帰国後ウェールズ議会のホームページをチェックしたら、2000年の2月には早くも首相交代劇があり、後任には同じく労働党のロードリ・モーガン氏が着任したという記事が。連立政権ではなく少数単独与党の道を選んだ労働党の舵取りは、今後も波乱含みの様相です。                                         

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<イギリス自治体事情/ロンドン、ボーンマス、バーミンガム篇>