イギリス自治体事情 カーディフ篇
白木 ゆかり(福岡市)
カーディフ・ビジターセンター
 ロンドン・パディントン駅からインターシティ特急で約2時間。カーディフ中央駅に降り立ったのは10月31日午後4時ちょうど。「Cardiff」・「Caerdydd」と英語・ウェールズ語併記の駅名表記を目にすると、ウェールズにやってきた感慨が胸に押し寄せます。(以前からケルト文化を今なお残すウェールズに個人的興味を抱いていた私。インターンシップ派遣先がウェールズの首都カーディフに決まった時の感激は今も忘れられません。)この後2週間、カーディフ・カウンティ・カウンシル人事研修担当テッド・ランパート氏のご自宅にホームスティさせていただきながら、研修テーマ関連部署の視察及び調査をしていきます。

<未来への変貌を遂げる港湾都市>

 駅まで出迎えてくださったテッドさんの姿を見ると、ほっとすると同時にこの先の自治体派遣に向けて身の引き締まる思いです。そんな私たち(カーディフ派遣組は山形県のTさんと私の2名)の緊張をほぐすかのように「ちょっと遠回りして湾岸ドライブしよう。」と微笑むテッドさん。

 かつて世界でも有数な石炭の積出し港として栄え、1955年にウェールズの首都となったカーディフ。エネルギー革命後の石炭貿易の衰退により、内陸部の振興地区に活気の中心が移りますが、近年湾岸部の再開発計画が進められ、古い海の街「ビュートタウン」が未来に向けて変貌を遂げようとしています。

 Pierhead 通りを抜け、内港東岸のノルウェー教会横の駐車場に車を止めて少し散歩することに。「『教会』といっても中は違うよ。」と聞かされ、好奇心いっぱいでドアを開けると、なんとコーヒーショップ兼アートシアター!19世紀半ばにノルウェーの船員たちによって建てられたこの教会は、その当時辛い労役に耐えていた北欧の港湾労働者たちの心の拠り所だったのですが、港湾地区の衰退と共にさびれてしまい一時は荒れ放題に。ヤ90年代になってから、教会の荒廃を見かねた有志によって現在の姿に再建されたそうです。駐車場を挟んだ向かい側は、楕円の筒を横倒しにしたような近未来的建物、カーディフ湾ビジターセンター。(「サイバーティックだけど、巨大な”春巻”みたいだろ?」と言うテッドさんに一同爆笑。)ここには再開発後のカーディフの未来図が一目でわかる大型模型やパネルが展示されています。再開発計画には、淡水人造湖開発やマリンレジャー施設・オペラハウス建設も含まれ、21世紀初頭の完成を目指す新生ベイエリアは新たな観光拠点として年間200万人の集客効果が見込まれています。

 テッドさんのご自宅のあるPenarthへ戻る道すがら、石炭貿易で栄えた華やかなりし頃を彷彿させる石炭取引所(現在は保存指定建造物)や赤レンガ造りのピアヘッドビルディングなどのヴィクトリア時代の建物をいくつか見かけました。未来と伝統ある歴史が渾然一体となった街の佇まいが、この街の第一印象として今なお心に焼き付いています。

 あと、通りという通りで見かけたものがもう一つ、それは風にたなびくラグビーワールドカップ’99の歓迎旗。ウェールズではサッカーよりもラグビー人気が高く、カーディフ・アームス・パークは長いこと世界のラグビーファン憧れの殿堂でしたが、全天候型のミレニアム・スタジアムとして再建されることになり、大会直前の99年6月に無事完成。派遣される時期がちょうど大会最後の週にあたっていて感激しまくっていたのですが、着いたその日にテッドさんがチケットを確保してくださり、木曜夜の準決勝戦に行けることに!(これについては後段でレポートします。)

<カーディフの行政構造改革>

 カーディフ・カウンティホール初登庁の朝はくっきり快晴。緊張してはいても食欲は衰えず、しっかり食べ込んで気合いを入れます。Penarthからカウンティホールまでは車で15〜20分程度ですが、少し早めに家を出ます。ゆるやかな坂を下るとすぐに船溜まりが目の前に。そこからさらに右折してPenarth Roadへ。日本なら出勤ラッシュの時間帯でしょうが、ここでは渋滞知らずで快適です。   

 アトランティック埠頭に近づくと、黒いスレート屋根の風変わりな建物が見えてきます。「あれが我らが庁舎、通称'パゴタ’だよ。」そういえばどことなくアジア的な雰囲気漂う建物です。カーディフ湾ウォーターフロント再開発事業の初期に完成したというこの庁舎。まるで歴史と未来が融合し、ダイナミックで国際色豊かなカーディフという都市そのものを具現化しているようです。

 「この庁舎は以前、南グラモーガン・カウンティホールだったんだよ。」見たところ新しめのこの庁舎が、別の自治体の庁舎だった時期がある???首をかしげる私たちに気づいて、テッドさんは笑いながらその理由を説明してくれました。ウェールズは1995年に二層制から一層制へ移行し、それまでの8つのカウンティ(県にあたる)と32のディストリクト(市町村)から、現在の22のカウンティカウンシルへ統合され、より住民の意思を行政に反映させやすくなったとか。日本でも市町村合併や広域行政については現在各自治体レベルで活発に議論(及び実施)されていますが、ここまで思い切った地方再編が数年前に既に実施されていようとは!

 事務総長・総務部長への挨拶と庁舎内見学を終えた後、人事・研修課に戻りコーヒーブレイク。次の予定まで少し時間があったので、テッドさんにカーディフの統計資料のコピーをお願いしたところ、行政構造改革の進捗状況を示す資料までいただきました。追々見せていただこうと思っていた資料だったのでびっくり。実は2ヶ月前、ロンドンでの打ち合わせで派遣先自治体担当者として来られたのが他ならぬテッドさんだったのですが、その時は各自の研修テーマの説明や訪問希望施設の確認などに追われて打合せ時間はあっという間に終了。いただいた資料に目を通す時間もなかったところ、後になってその中からカーディフが今まさに行政構造改革の過渡期にあることを示す文書を見つけ、その場で質問できなかった悔しさをしばらく引きずっていたのでした。

 カーディフは1997年の政府のホワイトペーパー及び翌年の政府勧告を受けて、1999年5月にLord Mayor の表明文とカーディフのグリーンペーパーを発表。前者は包括的な視野に立った、市民へより開かれた行政のあり方や各種サービスの今後の方針・展望について語ったもので、後者はそれらを組み入れた組織内のダイナミックかつ確実な構造変革を謳っています。

 いただいた資料には1999年6月19日と7月22日にそれぞれ出された事務総長の議会説明用の報告書も含まれていて、それによって改革の詳しい内容や協議・調整の経過について知ることができます。従来行政の弊害とされた縦割り構造の排除や、より効率的に行政サービスを行うための行政経営管理の確立、市民の視点に立った行政サービスの見直しを踏まえた構造改革等...と、ここまでならお役所のパンフレットによく見かける「行政のあるべき姿」の謳い文句なのですが、カーディフの行政改革は「過激すぎるのでは?」と思えるほど。

 全部局を解体して従来の部署とは全く異なる19の部署への再編成。さらに13の部長職・51の課長・係長職の廃止!改革後、市民のニーズに沿って分けられた19の部を統率するのは「Head of paid services(前メ事務総長モ)」と6人のコーポレートマネジャーで、役付職員の肩書きも「Chief officer」から「Head of services」へと変わり「市民サービスの提供者」であることを強調する徹底ぶり。

 それにしても、役職廃止対象が年間収入27,000ポンド以上の管理職に限られ95%以上の職員は影響を受けないとはいっても「職員や労働組合のリアクションはどうだったんだろう?」と読み進めながらつい心配になりますが、職員・労働組合との協議及びワークショップは十数回にもわたったそうで、協議の流れや組合側からのコメントは前述の事務総長の報告書の添付書類として開示されています。そして配置転換後、余剰人員となった管理職のうち退職を望まない人は、1〜3ヶ月の告知期間中に申し出ればそのキャリアに適した部署に配置換えされます。

 こうした思い切った人事が可能になる背景の一つに、英国の労働市場の流動性の高さが挙げられます。英国地方自治体の強みの一つといわれているのが「職員の専門性の高さ」ですが、この専門知識・技術と資格を活かして別の自治体の同じ専門分野に再就職したり、また会計士や建築士からの転職組が再度民間企業に戻ったりするケースも多く、自治体職員の定年前退職はそう珍しくないそうです。

<ブレア政権の看板政策ベスト・バリュー> 

 もうひとつ「過激」といえば、テッドさんからいただいた資料の冒頭にこんな脅し文句が。「自治体が住民にとって魅力的な存在になるよう努力しない場合は、代わりに民間企業やボランタリーセクションに行政サービスを担わせる。行政サービスが改善されない自治体は廃止も辞さない。」これは1998年3月に「地方政府の近代化(Modernization)」を迫るブレア首相がカーディフに突きつけた過激なまでに厳しいメッセージ。

 1997年以降、労働党政権が次々と打ち出す自治体改革の中で、最も「効率的で質の高いサービスを提供する地方自治体」という理念を際だたせているのが「ベスト・バリュー政策」。これはコスト削減を追求するあまり質の低下を招いた保守党政権下の「強制競争入札制度」の反省に立ち、行政サービスの提供にあたって全国共通の目標値を設定し、最小限のコストで住民が満足し納得しうる質の高いサービスを目指すものです。

 ベスト・バリュー実施の大まかな流れは、1、現在のサービスの評価、2、サービス向上目標及び達成計画の策定、3、計画達成度の内部・外部監査、4、達成状況に応じた政府の指導・介入、この1〜4の手順の繰り返しですが、特に3の内部及び監査委員会双方の監査がベスト・バリュー政策の重要な柱とされています。また2においても、常に住民の意見を聞きながら具体的な目標を決めることになっていて、保守党政権下で競争原理が重視されたのに対して、「説明責任」と「市民とのパートナーシップ」に比重が置かれているようです。

 カーディフ滞在時は、翌年度から導入されるこの制度に戦々恐々とする職員の声をいろいろと伺いましたが、確かに自治体職員にとってはかなり厳しい制度ではあります。サービスが向上しない場合には自治体廃止までちらつかせるこの制度に対して、「自治体の状況は地域ごとに様々なのに全国的に順位付けされるなんて」と批判的な声も聞かれましたが、中には行政の透明性が増すことで問題解決への道が開けるという前向きの姿勢で受けとめている職員も。仮に目標達成度が低かった場合、その原因が地域の特殊事情によるものなのか、業務執行の効率の悪さに起因するものなのかを住民に具体的に説明しなければならず、そうした問題一つひとつに向き合う過程において何らかの解決方法がきっと見えてくるという考え方には頭が下がる思いでした。

 カーディフでも前段で述べた組織再編後には、ベスト・バリュー対策部門が新設され、そこで全部署の提供する市民サービスの業績評価指標の基準を設定し、各部署への指導が行われることになります。サービス向上を常に迫られる厳しい制度である反面、サービス水準のランク付けにより特に優れた地域は「一級自治体(Beacon Council)」の称号を授かり、地方税率の変更権が認められる等のメリットを受けられるとか。「どこよりも思い切った改革遂行を!」との意気込みを見せるカーディフに、いつの日かこの称号が与えられることを心秘かに願う私でした。

<福祉のニューディール>

 2日目からTさんとは別行程。事前提出しておいた各自の調査研修テーマから視察先が決められ、Tさんは障害者福祉部門へ。私は1週目は主に経済振興部、2週目は地域教育関連施設を訪問するのですが、当初は「できれば訪問先は自分でアレンジしたかった。」と思ったものでした。というのも、今回私が設定したテーマは「社会参加活動としての生涯学習推進における地方自治体の役割」だったので、スケジュール表を見て真っ先に浮かんだのが「なぜ経済振興部へ?」という疑問。しかし1週目の訪問先で、新たな局面を迎えた英国福祉政策を垣間見ることになるのでした。

 経済振興部の会議室で、説明担当者が来られるまでしばし待機。朝イチの会議が長引いているらしく、お待ちする間にコーヒーをいただきすっかりリラックスする私。そこに現れたのが雇用対策担当のディビッド氏。その人懐っこい笑顔にさらに緊張が緩みます。この日は企業センターを幾つか訪問する予定ですが、その前にディビッドさんからカーディフの都市戦略や経済振興について概略説明を受けます。

 カーディフは英国内の他都市と同様に、移民・難民等の流入により国籍・文化的多様性が高く、人口約31万5千人(1996年統計調査結果)内に占める移民の割合は6.6%。そしてその大半が港湾地区に集中していて、そこでは高い失業率・非就学率や住宅問題等の様々な社会問題が生じています。このような地区間の経済格差や、地域が抱える問題の多様性などから、職業訓練や雇用対策事業も画一的ではなく、あくまで地域の特色を活かした事業展開が求められるようです。

 レクチャーを終え、まずはエリー地区の企業センターへ。ここでは施設管理担当の3人の女性職員の方々から説明を受けます。この施設はコミュニティに根ざした活動が基本。地域一体となって町の活性化に取り組んでいて、託児室での子供の世話は自治会・町内会のボランティアが担当しています。再就職のための短期講座はすべて無料で、人気はやはりIT関係。事務室隣のコンピュータールームをガラス越しに覗くと、3〜4人の方がパソコンのグラフィック機能に悪戦苦闘している模様。奥の廊下から一旦事務所の外に出ると、プレハブ建ての作業所で数人の男性がパルプの裁断加工に勤しんでいます。別の小部屋では刺繍工芸品を手がけている高齢の女性2人にもお会いしました。このように施設内のスペースを10前後の企業に格安で貸し出して中小・零細企業を支援しています。

 左奥のコミュニティ・ジョブセンターでは、オンラインでの就職情報提供だけでなく、面接相談、コミュニティメンタルヘルスチームによるカウンセリングと、きめ細かく就職活動をサポートします。ここのスタッフは懇切丁寧でとにかく明るく、特にジョブセンターの男性スタッフは私にまで斡旋してくれそうな勢いです。スタッフの1人から「ニューディール政策って知ってる?この施設はその一環で設立されたんだよ。」と問いかけられて目をぱちくり。恥ずかしながら米国ルーズベルト大統領のニューディール政策しか思い浮かばなかった私。詳しい資料をいただいてやっと納得できました。

 『揺りかごから墓場まで』を看板に掲げた英国福祉制度は、半世紀もの長い伝統を有すかたわら、その間財政支出は膨らみ続け(国家予算の約3分の1)、「依存の文化」と呼ばれる社会土壌を生みだす要因となり、所得扶助を受ける貧困層が倍増して「福祉が自立を妨げがち」という皮肉な結果に。こうした旧来の集権的・画一的な給付型福祉が国民の福祉依存体質を助長していることを厳しく指摘するブレア政権は、福祉対象者を社会に依存させるのではなく、彼らの労働意欲と能力を引き出し社会に参加・貢献していく機会を保証する社会復帰支援事業を進めています。

 公共部門と民間のパートナーシップの下、低所得者層の減少を目指すブレア首相の新しい福祉の取り組みは、1930年代米国の経済政策が「雇用のニューディール」と呼ばれたのに対し、「福祉のニューディール」と名付けられています。若年・長期失業者に対して、ジョブセンターで資格や技術を身につけさせるだけでなく、彼らを雇用する企業または職場内研修を実施する企業に補助金を給付して雇用枠を確保します。即戦力となる質の高い労働力育成のための財政支出は一時的には膨張するでしょうが、低所得者を「貧困の罠」から抜け出させ自立を促すことで長期スパンでの福祉経費削減を図り、さらに国民一人一人の自尊心を高めることにもつながると見られています。「将来自立できるよう援助することが真の救済である」と明言し、給付型福祉国家からの脱却を図ろうとする英国の試み「Welfare to Work(仕事のための福祉)」は国内外からの注目を集めており、ここ数年はその成果が問われる正念場といえるでしょう。

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<イギリス自治体事情/ロンドン、ボーンマス、バーミンガム篇>