イギリス自治体事情 カーディフ篇その3 白し白木ゆかり
Gabalfaコミニティセンターのパソコンルーム
<エリー地区の地域活性化プロジェクト> 

 カーディフでの研修も無事2週目に突入。研修3日目に一挙8カ所訪問した時はさすがに「最終日まで体力もたないかも。」と気弱になりましたが、何とか大過なく乗り切れているのも、ひとえにテッドさんの奥様アンさんの素晴らしい手料理(英国料理の美味しさを再認識!)と、「気晴らしに行こう!」と夜な夜なご近所のパブに連れ出してくれるテッドさんのありがたい心配り、そして「地元の人を英語で笑わせること」に秘かに闘志(?)を燃やす心底明るいTさんのお陰。金曜の夜、2人から感謝を込めてテッドさんご夫妻へワインとフラワーアレンジメントのプレゼント。そしてTさんとは「2週目も頑張ろう!」とギネスで乾杯し気合いを入れ直すのでした。

 さて、2週目の月曜日、コミュニティセンター視察のため再度エリー地区へ向かうことに。「かつてこの地区は難しい問題が山積みだったんだ。」研修2日目、車内でのディビッドさんの言葉が頭をよぎります。エリー地区はある時期青少年の非行や失業等の社会問題が深刻化していたのですが、現在は地域教育プロジェクトの地道な活動が実を結び、こうした難題を克服しつつあるとか。

 エリー地区の高齢者プロジェクト「Healthy, Wealthy and Wise」がスタートしたのは1990年のこと。高い高齢化率・失業率、そして様々な地域問題を抱えたエリー地区をターゲット地区に選定し、そこに居住する50歳以上の高齢者に文字どおり「健康で豊かでかつ賢明」な存在であり続けることと、それを維持する生活環境の整備、さらには地区全体の活性化を図ることを目指して着手されました。プロジェクトリーダーであるカーディフ(当時は南グラモーガン)地域教育課のジョン・ウィンスレッド氏と2人のスタッフで構成されるプロジェクトチームが実働部隊で、その他に運営・事業計画に携わる運営委員会と諮問委員会を設置。運営委員会はさらに3つの小委員会(「Healthy」「Wealthy」「Wise」委員会)に分かれていて、それぞれのテーマに即した事業内容を具体的に詰めていきます。

 プロジェクトチームがまず最初に取りかかったのは、この地区の高齢者の実態調査。興味・関心事にとどまらず、毎日の生活の中で彼らが本当に必要としていることや求めているものを把握した上で、既存の公民館講座との連携を図りながら新規講座を開拓。次にジョン氏が着目したのが、地元の人形劇サークル。サークル活動をさらに発展させ、住民主体の人形劇団を設立。活動を通して高齢者と青年層の交流を図り世代間の理解をより深めた結果、若い世代の高齢者世帯への落書きや蛮行は激減したそうです。今ではこの人形劇が地域文化祭で一番人気だとか。

 ジョン氏にインタビューしている間、パーティションの向こう側では手芸サークルの女性達が作業中でとても賑やか。現在絵画サークルと合同でエリー地区の絵地図づくりを手がけているそうで、絵画サークルのスケッチを下絵にして、教会や学校などの建物を刺繍で彩り、大きな地図上に縫いつけていくというかなり大がかりなもの。そのお隣のコーナーでは工芸サークルがクリスマスに向けてのカード作りに専念されていたり、喫茶コーナーでは女性達が手作りクッキーを持ち寄り井戸端会議に花を咲かせていらっしゃったりと、スペースをフル稼働させてサークル活動に開放しています。それでもここだけでは手狭なので、地域のレジャーセンターに場所を提供してもらってレジャー部門の講座を拡大し、その後飛躍的に参加人数が増えたそうです。

 概してイベントや講座の企画立案で頭を痛めるのが「いかに参加しやすい雰囲気をつくりだすか」。特にターゲットとする高齢者の方は、会場へ足を運ぶ移動手段がなかったり、外出が億劫になりがちだったりで、まず参加していただくまでが大変なのでは?こうした疑問がふと浮かび、高齢者への参加の呼びかけと送迎サービスについてお尋ねしてみました。するとマイクロバスとボランティアによる個別送迎はもちろんのこと、ジョン氏自ら高齢者のお宅に出向いて熱心に参加を呼びかけるという期待以上のお答え。お年寄りの方も「ジョンさんがそこまで言うなら行ってみるか!」と腰を上げられるそうで、やはりこのプロジェクトの成功はジョン氏の暖かく情熱的な人柄に負うところがかなり大きいようです。

 サークル活動の運営においても、地域住民の中からグループリーダーを選んでリーダーシップを発揮してもらい、上からの押しつけでなく、市民の方が自己責任を持った上で積極的に地域に関わっていくというこのプロジェクトの基本姿勢を徐々に定着させていったとのこと。50近くのサークルが間近に迫った地域文化祭の出し物に頭をひねり、通常以上に盛り上がっている時期に訪問できて「キミはラッキーだよ。」とウィンクするジョン氏。できることなら文化祭にも参加して、人形劇上演はもちろん、この町への愛情が縫い込まれた刺繍&絵地図の完成に立ち会いたかった〜。

<カーディフの社会参加支援(その2)>

 第2週火曜日、午前中はいつもと違って施設訪問なし。庁内会議室で、Tさんは障害者差別禁止法について、私はカーディフの地域教育推進体制についてのレクチャーを3時間みっちりと。午後はこれまた珍しく生鮮市場とカーディフ城見学。午後の予定を心の支えに、時折(いや、しょっちゅう)とぎれる集中力と忍耐力を奮い立たせながら、講義のメモ取りに励みます。

 カーディフの港湾地区に移民・難民が集中し、失業及び非就学率の高さから様々な問題が生じていることは先だってお話ししましたが、教育・保健・福祉・経済振興・雇用対策部門が縦割り構造の障壁を越えた協力体制をとり、NGO/NPOや市民ボランティアとのパートナーシップの下、社会的・経済的危機に瀕した市民が経済的に自立できるよう多角的に支援します。前にお話しした雇用対策・福祉・教育部門の連携による「Welfare to Work」や、教育部門と企業訓練協議会による学校中退者への再教育サービス「Youth Access Initiatives」(青少年対象)や「A Fresh Start」(青少年以上の年齢層対象)、保健部門との協力で進められる「幼児と共に学べる環境づくり」等の若い親へのサポート体制、退職した高齢者へのボランティアプログラムなど、様々な社会的背景から生じるそれぞれの必要性を抱えたすべての世代に対して、地域社会に積極的に参加できる機会を提供します。

○「A Fresh Start」もう一度学びの場へ

 1980年代サッチャー政権下、教育現場にも合理化が求められ、教育予算の大幅な削減を背景とした公立校同士の合併が進められた結果、現場教師の負担が増え教育の質が著しく低下。近年学校中退者は増え続け、英国の成人の20%強が読み書き及び数学等の基礎知識を習得できていないと報告されています。このような事態を深刻に受け止めた政府は「2010年までに非識字者・低学力者の数を半分に」とのスローガンを掲げ、成人を対象とした基礎教育推進に力を入れています。

 英国の中等教育は卒業制でなく、国家試験に合格(義務教育終了時のGCSE、高校終了時のGCSでAレベルを取得)すれば中等教育を修了したと見なされるので、独学や学校以外の教育機関で学んだ人もこれらの試験を受け、教育証書を手にすることができます。一旦義務教育を中退した人でも、学校や公立の生涯学習機関で再び学んで上級一般教育証書を取得し、その後大学へ進学する人も少なくないようです。日本よりもやり直しがききやすい教育制度のようですね。

 成人の基礎教育向上を彼らの社会参加の手だてと捉えているカーディフは、各コミュニティセンターでは地域住民を対象とした講座、そして市街地中心部にあるFriaryセンターではカーディフ居住者以外にも広く門戸を開いた講座を開催。貧困及び学業中退等で基礎教育を受ける機会に恵まれなかった人々の学ぶ意欲をサポートします。その中でも特に、学校を中退した若い親たちが子供と一緒に学習できる再教育の場の提供に主眼を置いています。

 訪問した関連施設は、FriaryセンターとGabalfaコミュニティセンター、そして小学校(Viriamu Jones SchoolとGabalfa小学校。地元の既存施設も積極的に活用されています)。Viriamu Jones Schoolでは、若い母親対象の英語講座が開かれていて、Friaryセンターから派遣された講師と8人の女性が車座になって空欄補充問題の答え合わせの真っ最中。傍らのベビーバスケットに眠る赤ちゃんが急に泣き出して、母親が慌てて抱きかかえ教室の外に連れ出す場面も。Gabalfa小学校では、立体手作り絵本コース(短期コースの一つ。絵本の内容も受講生による創作です。)の受講生が、クリスマスらしい「とび出す絵本」の配色・構成について子どもたちと一緒に話し合っていました。

 その日最後の訪問先、Gabalfaコミュニティセンターに到着したのは午後4時半すぎ。昼間の講座はすべて終了していたので、誰もいなくなったパソコンルームや託児室を見学。ちょうど講堂を見せていただいていた時、「あのぉ、日本の方ですか?」と呼びかける日本人女性が入口に。ご主人の海外赴任の関係でカーディフ滞在歴3年になる彼女は、「今日、日本人が何かの視察で来るらしいよ。会ってみたら?」とサークル仲間から聞いて、私が来るまでお待ちいただいた様子(恐縮です!)。久しぶりに日本の方とお話しできてこちらこそ二重三重の感激でした。彼女の子どもさんもGabalfa小学校に通学中で、土曜日だけウェールズ日本人補習校で国語や日本の歴史を学ばせ、できるだけ日本文化に触れる機会を与えていらっしゃるとか。(先週土曜日は参観日で、たまたま補習授業の視察に来ていた私を遠くから見かけたそう。偶然の再会!)最近このセンターで開かれる母親たちの情報交換の場「モーニングドロップ」に参加し始めたところ、地元の情報収集にも非常に役立つ集まりの中で同年代の母親仲間も次第に増え、日本を恋しく想いつつもこの町がだんだん離れがたい存在になってきたそうです。

 貧しさからかつて学業を断念し、いま再び学べる喜びを噛みしめる人、人生の仕切り直しに挑む人、子どもと共に一つひとつ学んでいく楽しさを知った人、地域の中で疎外感をずっと感じていた転勤族の人。あらゆる世代・様々な境遇の方々が学び集い交流する、地域の最も身近な場所であるコミュニティセンターは、ここに集う人たちにとってふれあいの場であり、かつ人生の飛躍台でもあるようです。

○多民族社会における学習支援態勢

 風邪には極力気をつけていたのに、冷え込みの厳しくなった2週目半ば、喉の痛みと熱に泣かされます。「身体が暖まるわよ。」とキャスリーンが作ってくれたポテトリーキスープ。「Tを庁舎に送ってまた戻ってくるから、それまで少し休んでなさい。」というテッドさんの優しい心配り。心までしっかり暖まります(感涙)。 

 ということで水曜日はPenarthから訪問先のParade センターへ直行。クラシカルな石造りの建物に気圧されてか、正面玄関に続く階段を昇りながら少し緊張気味の自分に気づきます。ここは英語以外の言語を母国語とする人たちが通う公立の英語学校。(1999年当時)80カ国からの生徒を受け入れていて、クラスは13レベルまで。各自の英語力に合わせたコースが選べ、どの時点で修了するのも自由。例えば読解・作文には優れていても聞き取り・会話力がついてこない人は、読み書きクラスと会話クラスを別々に受講できます。
 各教室や託児室を見学した後スタッフルームに戻り、生徒へのサポート体制についてお話を伺います。講師数は35人。全員が教員資格以外にカウンセラーとしての資格を持ち、さらに異文化圏で暮らす人々の状況を理解した上でのきめ細かい配慮が求められるそう。ここは各国からの難民も受け入れていて、英語習得に限らず、彼らが生活していく上で困難な状況を克服できるようサポートする役割も果たしているため、講師陣には一定水準以上の高いレベルを保つことが要求されます。

 ソマリアからの難民で聴覚障害を持つ方々も多く受け入れているそうですが、彼らには手話のできる通訳を介してイギリス手話と英語を教えていきます。その他に、保健局との協力体制の下、妊娠している女性に通訳を派遣する支援サービスも行っていて、病院での通訳や外国人用の母子手帳の作成、処方箋や出産までの必要なプロセスについての説明など、異国の地で出産を迎える女性の不安をしっかり取り除いてくれます。さらに妊娠期間中外出できない彼女たちのために家庭教師派遣サービスも。

 多国籍のコミュニティグループや各国の学校(中国人学校やベンガル人学校等)とも連携していて、例えばここでの学習活動やネットワークがきっかけで、ヒンドゥセンターやフィリピンダンスクラブ、ベンガルコーラスクラブなどのグループ設立につながったケースも多いそう。成人教育情報誌などで生徒募集や各種サービスの広報を行う一方で、英語を全く理解できない人のためにこれらのネットワークを通じて口コミで伝達。また、彼らが地域にとけ込めるよう地元コミュニティとの交流も盛んだそうです。

 インタビューしながらも圧倒されるのが講師の方々の熱意と明るさ。講師間の話し合いもクラスのレベルごとに活発に行われ、各生徒の学習レベルの進み具合や彼らにどんな学習方法が適しているかについて徹底的に話し合い、新しい教育法についても積極的に導入しているとのこと。特に全くの初歩レベルの外国人向け英語については、どの教科書会社も取り扱っていないため、センター独自の教材(テキスト&テープ)を作成して一般向けに販売も行っています。

 さて、Parade センターをはじめとする各生涯学習施設でこれまで視察してきたのが、成人対象の基礎教育講座。では、英語が第一言語ではない子どもたちへのサポートは?この疑問に答えてくれるのが、木曜日に訪問した「English as an Additional Language Association」。ここではカーディフ内の約50,000校を対象に、エスニックの生徒数及び彼らの英語力に関する調査を行い、その結果に応じて(5段階評価のレベル1の生徒に)授業をサポートする通訳派遣などの教育支援を行っています。1998年調査ではエスニックの生徒数は5,729人、カーディフ全人口の約12.0%にあたります(国籍内訳は1位がパキスタン、2位がバングラデシュ、3位がインド)。さらに必要に応じて異なる社会的背景を持つ子供たちを個別に支援します。


○コリアンプロジェクト(1997年11月開始)

  不況による韓国企業の撤退後も、カーディフ北部(高級住宅が建ち並ぶ中産階級の住宅地区)に居住する元韓国企業社員の家族に対する福祉サービスは、概して滞りがち。例えば移民世帯が集中する港湾地域には、韓国人学校等が設立されたり各種サービスが受けやすくなっていますが、北部ではその地域特性から韓国人学校は設立されていません。そのため、英語力の低い韓国人生徒が通う学校に通訳を派遣して、彼らの学力低下防止に努めています。 

○Black Caribbean Achievement プロジェクト(1998年9月開始)

 カリブ系市民は英語が母国語なのですが、貧困のため両親も読み書きができない世帯がほとんどで、英語を十分に習得できていない子供は実は多いのです。しかし、一般的には「母国語が英語」ということから従来教育的サポートを受けられず、教師の人種的偏見から来る無理解も十分な教育機会を与えられなかった一因でした。そこで、学校長の協力を得てホームワーククラブ(放課後の補習クラス)の設立にこぎつけ、レベル3の子供の学力向上をサポートします。レベル2の子供に対しては、20人前後のグループに講師が派遣され、授業の遅れを取り戻し学力アップを図ります。

○バイリンガルブックプロジェクト

 カーディフの学校では、1クラスに3〜4カ国からの移民の子供がいることは珍し  くないため、すべての外国語に対応した高額なバイリンガルブック(英語と母国語で書かれた学習教材)を購入することは予算的に難しく、また少数言語用に作られた教材も従来ありませんでした。そこで母国語調査結果に基づき、子どもたちや親の協力を得ながら、独自のバイリンガルブック用の7つの物語を作り、それぞれの言語へ翻訳。完成した本は26の学校に寄贈され、大変な好評を得ているとのこと。

<さよならカーディフ>

 研修最終日の金曜日、ウェールズ議会棟の視察を終えた後、迎賓館「マンションハウス」に招待されました。そこには副知事だけでなく、この2週間訪問先でお話を伺ったすべての方々が来られていて、Tさんともども感激するやら驚くやら。食事の準備が整うまでの時間、応接間で食前酒をいただきながら全員と握手。2週間を振り返っての感想を感謝の言葉に添えます。

マンションハウス(人物はテッドさん他)

 今回「生涯学習」という広範な分野からあえて「社会参加のための学習」というテーマに絞ったのは、「自己達成のための学習」を越えた「習得した知識・技術をまわりに還元し、地域コミュニティでそれぞれの特質を活かし生かしあう学びの場」について、当時いろいろと模索していたからでした。また「チャリティ大国」英国のボランタリー団体の積極的な活動を可能にする支援体制がどんなものか見極めたかった気持ちも理由の一つでした。カーディフで見聞きした体験は、私が抱いていた予想をはるかに超えるもので、社会参加支援や地域に根ざしたコミュニティ教育、移民・少数民族への福祉・教育支援など、すべての世代に対するきめ細かいサービス事業が展開されていて、民族的多様性など社会的状況は日本とは異なるものの参考にすべき点が多く、とても有意義な体験をさせていただきました。最終日に皆さんと再びお会いできて本当に良かった。

 別れの朝、テッドさんご夫妻とリビングで記念撮影。昨晩遅くの帰宅で疲労困憊のキャスリーンも熱いシャワーで目を覚まし、玄関口に走り降りてきて「また会お〜ね!」と長い長いハグ。泣きそうになる私を「笑って笑って!」と励ますテッドさんとTさん。Tさんに「ちゃんと奥さんにラブスプーン買って帰るのよ、いいわね?」とウィンクするアンさん。ここPenarthで過ごした2週間を生涯忘れないでしょう。

 駅に向かう途中、カーディフ中央街の有名なクラフトセンターに立ち寄り、アンさんお奨めのラブスプーンを探します。これは美しい細工が施された一刀彫の木製スプーンで、ウェールズのおみやげとして最も有名なものだとか。その昔ケルト人が恋いする女性に気持ちを伝えるために、心を込めてスプーンを彫り相手に送ったとのことで、文様にはそれぞれの意味が託されています。例えば、車輪は「愛する人のために働く意志」、錨は「安定」、鎖は「忠誠心」、ハートはもちろん「愛情」、鐘は「結婚」、コロコロと動くボールは「子どもの数」を表すそうです。ちなみに文様が複雑な方がそれだけ相手への愛情が深いとされています。Tさんと私がどんな文様のスプーンを買ったかはお互い秘密のままでした。

 駅のホームに続く階段を昇りきると、ゆっくり話す間もなく列車が到着。ここでいきなりハプニング発生!2人のスーツケースを運び込むために車内に乗り込んだテッドさんの背後で、非情にもドアの閉まる音が。窓の外の駅員に事情を説明してドアを開けてもらうよう頼んでも、「申し訳ないが開かない。」とつれないお答え。テッドさんは仕方なく次の駅ニューポートまで同行することに。突然の出来事に半分出かかった涙も引っ込んでしまいました。でもおかげで湿っぽい別れにならず、笑って(笑いすぎたかも。)固い握手で再会を誓い合いました。Hwyl Caerdydd. Byddan ni’n dod 'nol yn y dyfo-dol!(さよならカーディフ。またいつの日か!)                                         

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<イギリス自治体事情/ロンドン、ボーンマス、バーミンガム篇>