イギリス自治体事情 ロンドン、ボーンマス、バーミンガム篇
白木 ゆかり(福岡市)
カウンティ・ホール
 99年9月から3ヶ月間(財)自治体国際化協会主催の研修に参加し、英国の地方自治体やその関連施設を訪問する機会に恵まれました。滞在したのは、行財政研修でロンドン、ボーンマス、バーミンガムの3都市、2週間のインターンシップ研修でカーディフの合計4都市。

 この時期の英国は、各自治体の組織構造改革やスコットランド・ウェールズへの広域議会の設置、8つの広域行政区域への地域開発公社設立に見られる地域連携への動きなど、大いなる変革のまっただ中。英国と日本は規模においても中央集権が強いという点でも似ていて、近年の分権政策の展開や行政改革推進など先進事例として大いに学ぶべきものがあり、今後の動向に目が離せません。

ロンドン編

 英国到着日から移動日を含めて5日間ロンドンに滞在。そのうち正味3日間、トラファルガー広場近くの自治体国際化協会ロンドン事務所でオリエンテーションと英国地方自治制度についての講義(ここまでは日本語、ほっ。)を受け、最終日のインターンシップ研修の受入先自治体担当者との打合せでロンドンでの日程は終了。研修前半は8名の研修生と行動を共にしますが、後半の自治体派遣では事前提出していたそれぞれの研修テーマに即した別々の自治体へ。この打合せの時にしっかりと自分のテーマや視察したい施設について事細かく説明していないと、希望どおりの視察先・内容にならずに、後で泣く羽目に(自分で派遣自治体や視察先をすべて選べないのがとても残念)。

研修者たち

講義を受ける研修者たち

<大ロンドン市の復活>

 派遣先の担当者との打ち合わせが無事終了。解散後、研修生数名で建設中の大観覧車BA London Eyeを見に、テムズ川南岸(国会議事堂・ビッグベン対岸)へ。(この時はまだ観覧車は横倒し状態でした。)観覧車横の広場の夕陽の射すオープンカフェでとりあえず乾杯。広場奥の建物は水族館と多目的フロアとして使用されていますが、もともとは旧大ロンドン市庁舎カウンティホール(現所有者は日本の某不動産会社とのこと。今もそうでしょうか?)。

 サッチャー政権下で旧大ロンドン市(Greater London City。以下「GLC」という。)の廃止及びカウンティホールの売却が決定され、それ以降のロンドン市域は、32のバラ(borough=基礎的自治体)とシティ(ロンドン金融街の中心)による狭域行政事務以外の全市的・包括的課題については中央政府が担当するという状況が最近まで続いていました。

 「地方自治の母国」として知られている英国ですが、実際は中央政府が地方自治体に対して強大な権限を持っています。サッチャー政権下では地方自治体の歳出削減のため、公共部門の民営化が進められ、またGLCと6つの大都市議会廃止により大都市圏を一層制にすることで中央政府による直轄機能がさらに拡大されました。

 大ロンドン市(Greater London Authority。以下「GLA」。)の復活を公約していたブレア首相率いる労働党政権により98年5月に住民投票が実施された結果、賛成多数でGLA創設が承認され、同年12月国会に提出された法案が女王の裁可を得られたのが99年11月11日。ロンドン滞在時にはこの結果がまだわかっていなかったのですが、ロンドン市街は2000年5月の市長選挙と同年7月のGLA発足という大きな転換期を迎えるべく、さらに活気づいているようでした。

 市長選挙というと日本では当然のものとして実施されていますが、もともとイギリスの地方自治体では首長の公選は実施されていません。現行の制度では市議会の議長(多数党派から選出)が市の代表とされ、議会が行政執行責任を負うかたわら、自らその執行を監視する役目を果たしています。英国史上初の直接公選によるロンドン市長選は、自治体改革推進をめざすブレア政権にとっては改革の突破口であり、他都市への首長公選制導入の試金石でもあったのです。しかし皆さんご存じのとおり、5月の市長選では無党派のケン・リビングストン氏が圧勝。(労働党の推薦を受けたフランク・ドブソン氏はあえなく3位。)

 ブレア政権にとっては発足以来の大打撃でしたが、経済開発や交通、観光等の課題に対して広域的かつ総合的取り組みが求められる大都市ロンドンに直接公選の市長制度が導入されたことについては、各方面からその成果に大きな期待が寄せられています。

ボーンマス編へ続く>