牧場の丘から夕日を見てきました 
─ 瀬棚フォルケホイスコーレ訪問記

 

清水 満(福岡県宗像市)

 7月23日から3日間瀬棚フォルケホイスコーレに滞在してきました。これはもともとは先に案内したようにスタディツアーで募集したのですが、日程が長かったのか、旅行費用が高かったのか、参加者がなくて、私一人が見学という形で行ってきました。

 せっかく行くので、札幌に会員の方が2人おられることもあり、彼らに連絡して、瀬棚で北海道の会員の集いをやろうということになり、栗原夫妻と山崎さん親子、それに山崎さんの友人の三浦さん親子の6人が一泊二日で参加して下さいました。

 瀬棚フォルケホイスコーレでは朝6時からの搾乳、夕方の搾乳、畑の草取り労作などなど、労働の日々でした(なまっている体にはきつかった)。その後、函館近辺のトラピスト修道院にも寄りましたので、まさに今夏の北海道への旅は「労働と祈りの日々」でしたね。俗塵が洗い流されます(根が詩人の私としては下界の「酒とバラと女の日々」が好きなんですけど)。最後は大沼公園という名所に寄り、自転車で森と湖の道をゆったりと走ってきました。ここもその美しさといったら最高で、初めての北海道旅行でしたが、何かいいとこ取りばかりの旅でした。

 

 暖かいもてなしの「牧場の家」 

 さて、瀬棚フォルケホイスコーレでの3日間では、いろいろと働いたり、お話ししたりと充実した日々でした。

 瀬棚では「牧場の家」にお世話になりました。ここは山岸夫妻が住んでいるところで、瀬棚フォルケホイスコーレに訪ねてくる客のゲストハウスを兼ねています。ペンションみたいなこぢんまりとした瀟洒な作りで、山岸夫妻の手厚いもてなしがいたく心にしみました。山岸さんは、長男の健さんがここに一年学び、その後スタッフの一員となったので、職を辞して神戸から移り住みました。

 山岸さんはYMCA関係の幼稚園長、福祉施設などでの勤務など教育福祉分野で働いてこられたので、穏和な人柄、人の話の聞き上手であられ、ゲストはみな快い滞在ができます。学生の親たちが訪ねたときも、ここが滞在の場所となり、親子関係の悩み苦しみの聞き役だということです。学生もフォルケホイスコーレで疲れたらここにきて休み、山岸さんと話すことでほっとして癒されて帰るとのこと。いわば瀬棚での保健室の役目ももっているようです。

 聞き上手な山岸さんですが、今回は私が来るというのでいろいろと質問を用意され、かなり密度の濃い話ができました。24日の午前には協会会員のみなさんを瀬棚町観光につれていって下さり、いろいろ町の案内をして下さいました。

 隆子さんの手料理もおいしく、カラッとした人柄から来る飾り気のない会話も楽しいものでした。ほんとにここはすばらしい場所で、もっと長くいたかった程です。みなさんもぜひ一度寄ってみて下さい。瀬棚フォルケホイスコーレに来るのではなく、ここだけに来て絵を描いたり付近を散策したりするリピーターも多く、ペンション代わりの利用もできます。

 協会会員の方も何人もここを訪ねて山岸ファンになっています。夫妻との話で何人も共通の知人の名前が出てきました。

 住所:049-48 北海道瀬棚郡瀬棚町共和933-6

 Tel/Fax. 01378-7-2656 牧場の家  山岸 武久

 

 協会会員との交流の夕べ

 今回は23日夜は山岸さんの牧場の家で、協会の会員だけの交流会をまずしました。

 札幌から、会員の栗原扶美子さんとその夫、会員の山崎直子さんとその友人の三浦さん、そして山崎さんと三浦さんの子どもそれぞれ男の子一人づつの計6人が参加しました。私のもってきたスライドをみなで見て後はいろいろと話をしました。

 栗原夫妻は今、余市教育福祉村の活動をやっています。余市教育福祉村は、「北海道自由ヶ丘学園をつくる会」の有志と余市町の教育と福祉を通じて地域づくりを館会える人々によって設立されました。余市町に約45,500平方メートル(14,000坪)の農地をもち、そこで農業などをして、交流しています。

 現在、お二人はブルーベリー畑を中心にやって、なんとかブルーベリーの食文化が日本に根付かないかを模索しています。栗原さんの夫の克明さんは、去年までNTT職員でしたが、出向などで疲れ、人生最後はもっと意義あること、好きなことをしたいということで3月で辞めました。現在、自称ブルーベリー農家ということです。

 栗原さん、山崎さん、三浦さんとは初めてお会いしたのですが、協会を通じているせいでしょうか、初めて逢っても旧知の人に会った感じで、すぐに親しめました。みんなで炎天下、大豆畑の草取りをしましたが、気持ちのいい汗をかくことができました。山崎さんと三浦さんがパンづくりをしている間、私と栗原扶美子さんが牛の世話をしましたが、お客にこれ(牛糞のかたづけ)はさせられないというスタッフの方の言葉にもかかわらず、栗原さんは牛糞のかたづけも喜んでし、何事も楽しく明るく取り組まれる方で、一緒に仕事をしているのが楽しく感じられました。

 「丘の上は夕日がきれいですよ」という河村さんの言葉に甘えて、先に上がって、牧場の丘から栗原さんと一緒に日本海の夕日を見てきました。

草とりのあとみんなでおやつを食べる

 

 開拓の苦労

 24日は、協会の会員のみなさんは草取りや搾乳、パンづくりなどした後、河村夫妻の開拓の苦労話などを河村さんの自宅である「赤い家」の素敵なペチカの前で聞きました。水も電気も道もない中を開拓し、住まいも自力で築き上げてきました。夏はいいですが、厳寒の北海道を思えば、冬の苦労はいかばかりかとしのばれます。とくに、水を得たり、運ぶ苦労がたいへんだったとか。横穴をを掘って、その壁にしみ出す水をとったりまでしたそうです。

 夜に牛が逃げ出して、近くの水田を荒らし、頭を下げて回った話、家も牛舎もみな一から手作りで、小学校改築に伴う廃材もらいなど、とにかくまぁすごい苦労話でした。とてもまねできない。現在の瀟洒なホイスコーレの建物(住まいを兼ねる)を見ると無の原野からここまできたその努力にはただただ敬服するしかありません。

 

 瀬棚FHSの一日

 瀬棚では、朝6時に搾乳をして、8時朝食、その後、9時半から午前のプログラムをします。とくにこれといって何かをすると決めているわけではありません。私がいった時は、一人の学生が自分のことを話して、その後話しが続けばするし、続かなければそれで終わりという感じでした。

 12時に昼食をして、1時半から午後のプログラムです。だいたい労作(草刈り、畑仕事、大工など)が週2回、体育が一回、自由時間(今釜という町まで車が出る)一回、その他という感じです。

 4時から夕食準備をして、6時に夕食、8時から夜のプログラムです。手話、ノルウェー語、英語、ハンドベルなどが主なものです。

 4時には夕方の搾乳があり、それにも出る者は出ます。

 行事と呼ばれるものが多く入り、瀬棚海上保安署の巡視船に乗ったり、消防署を見学したり、ハイキングやサイクリング、海水浴、カヌー教室などいろいろあります。瀬棚の地元の施設と人材を使うという方針で、地元への密着というねらいがあります。

 見てわかるように、酪農をのぞけば、あまり系統だった内容ではないので、今年から「システムスタディ」の名で、水なら水、リサイクルならリサイクル、牛の一生など、一定のテーマにそって系統立てて深く学ぶ科目を設けました。これが週一回から二回あります。

  

 瀬棚FHSの運営

 25日は、午前は河村さんのお話を聞きました。去年はとてもまとまりがあり、一昨年は、元気がよすぎて夜中に暴れたりしたそうですが、今年は今一つ瀬棚に求めるものが違うとかで、11人来た中で、すでに5人が家に戻ったそうです。学生は年によっていろいろなバリエーションがあるとのことです。まぁ十数人程度のグループですから、どんな人が来るかその構成で全然雰囲気が変わるということは当然のことだと思います。活動的な人が多ければ自然と活気が出てくるし、物静かな人がたまたま多ければ、自然とおとなしい雰囲気になるでしょう。

 スタッフの賃金は5万円で、その他退職金、保険料、年金の積み立て、および家族手当、アメリカから来ているアンソニーさんには帰省の支度金補助などをしているとのこと。少ない賃金ですが、自給でかなりまかなえますので、何とかなっているそうです。

 その日の午後は、体育の時間ですが、私がイドラット・フォルスクやその他の表現ゲームなどを教え、みなでして楽しみました。夜は塾生、スタッフにもってきたスライドを「森の家」で見せ、デンマークの学校を紹介しました。

 他にもスタッフの方々といろいろ話したのですが、現在、瀬棚フォルケホイスコーレが大きな転機を迎えつつあるのは事実のようです。彼らから率直に悩みや問題点を聞いてきました。まるでホイスコーレについて少しはわかる私の訪問を待っていたようで、私の外部からの意見も参考に、自分たちの方向を模索していこうという気持ちが感じられました。

sapporo's member

札幌市の会員のみなさんと

 瀬棚FHSの直面する課題

 今回の滞在で河村さんをはじめとしたみなさんと直接話してみて感じたことは、これまでの瀬棚の方法論とここへ来る者たちのニーズが少し合わなくなってきているということでしょうか。それはたまたま今年だけのことかもしれませんし、あるいは時代的なことかもしれません。どちらかはわかりませんが、部外者の無責任な印象だけで報告したいと思います(これは瀬棚フォルケホイスコーレの見解ではありませんので、そのことをご承知おき下さい)。

 もともと河村さんは牧場を始めたときから、「問題」児とされる若者を迎え、家族の一員として扱ってきました。十数年に渡るこうした準備期間を経て、ついに8年前ホイスコーレを開いたのです。非行や不登校など、何かしらの世間で「問題」とされるものを抱えた若者たちは、厳しい酪農の仕事を手伝い、河村家の暖かい家族愛に囲まれることで、少しづつモチベーションを取り戻していきました。

 ですから、瀬棚フォルケホイスコーレの方法論の大きなものは、酪農と家庭寮という二つなのです。

 家庭寮というのは、塾生が夫婦の寝室以外は自由にその家を使ってよく、家族の一員のように暮らすことで、家庭の愛情や兄弟の関係などを知っていくことをねらいとしたものです。現実にこうした関係に恵まれなかった者も来ますから、その意義は絶大です。今回も、父親とうまくいっていないと聞いた25歳の女性は、河村さんを「とうちゃん」と呼び、実の娘のように振る舞っていました。これにはスタッフのたいへんな努力が必要になります。とても仕事と割り切ってはいられません。ですが、そのことによって本当の触れあいが可能にもなります。

 酪農は河村さんのアイデンティティーです。彼にはいうなれば「酪農の哲学」があるように思えます。蝦夷松などを切り倒し、荒れ地を自分の手で耕し、牧草を育て、刈り、サイロに積み上げるという労働、自分の手で手応えを感じつつ身体の奥ふかくに自然の神髄を経験していく過程、あるいは思索深い牛との交流など、こうした経験がその人をつくっていく、変えていくという思いをもっておられます。河村さんが北海道新聞に書いた随筆を読むとそのことはわかるでしょう。それはある種、修道院の哲学にも似た清澄なものです。こういうものがまるでない私など、憧れるとともに、その場にいあわせれば、身が引き締まる思いがします。

 しかし、現代社会のゆとりのなさは、ここへ来る若者たちに労働、酪農を通してこうした深い思索をさせないようです。疲れ切った彼らは、とにかく休みたい、傷ついた心を癒したい、静かな瀬棚でじっくりと自分を見つめ、またスタッフにおのれの思いを聞いてほしいという気持ちで来るそうです。

 何かをし、みなで作り上げていく「学校」という形態と、静かに傷を癒し、自分を見つめ、スタッフと対話するという「居場所」アジールの矛盾とでもいうのでしょうか。それはけっして「矛盾」ではないと部外者が自分の信念を口でいうのは簡単ですが、実際の経験をもつ瀬棚はいま、この二つがうまくすり合わなくなってきたのは事実のようなのです。現代社会のつくりだす若者、あるいは彼らの生きる場所そのものの変化なのでしょうか。

 不登校問題にかかわった人なら、そもそも「学校」という形態そのものが問題なのだから「学校」であることを止めればいいじゃないかという意見もあることでしょう。でも、河村さんは青春の頃学んだ農業学校(フォルケホイスコーレの姉妹校)やフォルケホイスコーレのあの精神性、独自性を忘れることができないのです。

 若者をあずかってともに生きて、いよいよフォルケホイスコーレを始めようとしたとき、河村さんはノルウェーのルンナイム・ホイスコーレに留学して見聞を深めてきました。ここは過半数が身体障害者、精神障害者で彼らがともに健常者と学び暮らす学校、フォルケホイスコーレです。たしかに混乱もあるし、四六時中介護をしなければならなくなる健常者の反発もある、でも、時が経つにつれてうまく運び出し、何ともいえない暖かい雰囲気がそこにあったと河村さんはいいます。おそらくこの共生のイメージが瀬棚を始めたときに根底にあったのでしょう。ですから「フォルケホイスコーレ」でなければならないのです。

 また、学校ならもう少し学校に徹して、酪農の仕事も切り離すか、縮小するという意見も可能です。しかし、酪農は精神的、そして何よりも経済的に瀬棚のバックボーンですから、それもなかなか困難です。

 ともあれ、瀬棚は今、すべて順風満帆ではなく、さまざまな問題をはらんで一歩一歩進みつつあります。それは先達者ゆえの苦しみであり、実際に物事を進めていく者たちのぶつかる具体的な問題であるでしょう。しかし、それだけに後に続く者にとっては、いろいろ参考になり、その経験に学ぶことができるのです。そして瀬棚FHSは一歩一歩着実に進みつつあります。

 スタッフもおしなべて、これだけの人材が瀬棚フォルケホイスコーレの名と理念にひかれて、集まって来るのですから、その懐の広さは特筆ものでしょう。これだけのスタッフのみなさんがいて、瀬棚フォルケホイスコーレが成り立っていると実感できたのが今回の一番の収穫でしょうか。

 みなさんに多く学ばせていただいたことを心から感謝したいと思います。

参考:河村正人「新しい学校の試み─瀬棚フォルケホイスコーレ」
後藤詩子「大きく広がる樹となるために - 瀬棚フォルケホイスコーレでの6年間をふり返って」

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