大きく広がる樹となるために
 ■■■瀬棚フォルケホイスコーレでの6年間をふり返って

後藤 詩子

6年間の瀬棚フォルケホイスコーレでの働きに終止符を打ちました。何か悟りを得て、確実な次のステップに目覚めたわけではありません。瀬棚フォルケホイスコーレという植木鉢の中で思う存分根を伸ばし、成長することを許されてきましたが、はたとこの植木鉢をこのまま住み家にするのは狭すぎることに気がついたのでした。根こそぎ掘り起こして、ただいま実家で仮植え充電中です。

  瀬棚の自然は申し分ないほど恵まれています。水、空気のうまさ。空、植物の色の美しさ。山、海の幸の豊かさ。その反面、自然の厳しさも容赦なく教えられます。その中で、おのずと自然への畏怖の念は培われていきました。

 見学のつもりで初めて瀬棚フォルケホイスコーレを訪れたにもかかわらず、未経験者の私が、2日目には牛のえさやりをすべてまかされ、奮闘したのも懐かしい思い出です。この6年間ほぼ毎朝夕、牛舎仕事をさせて頂いたことは、私の血と肉になっています。私にとって牛が、そしてそれに関わるすべての環境が生きた教師であり、教室でした。いかなる時でも、つぶらな瞳で答えてくれた牛たちとの語らいが何より楽しみでした。どんな草が好物なのか教えてくれましたし、人の心をよく見抜いていました。

 近隣農家の人と自然に向ける眼差しは私の心をとらえました。乾草を収穫するために天気を読む目、牛の体調を観察する目、肥料をまく時期を読む目....。すべて身体で覚えた勘で、一瞬一瞬賭けをするかのように身を任せていく姿は神業とさえ感じます。彼らの働きの延長にスーパーに並ぶ牛乳や野菜があるのです。彼らのおかげで、見えない人の働きに心を止める目が養われていきました

 私の視点をさらに深く広げたのは塾生たちでした。24時間、365日一緒に生活をしていれば、ごまかしが効きません。最近になって、私の全人格が試されていたのだなと気がつきました。塾生の多くが言葉で整理しきれない感情を身体の中にため込んでいます。そういう彼らに自分はどう答えるのか絶えず考えてきました。自分の中に埋め込まれてきた物差しは木端微塵です。飾りを取り尽くしたむき出しの人間と人間のぶつかりの中から、人は本当の価値が何であるのかを知っていくのだと思いました。

 瀬棚フォルケホイスコーレにいたときは、無我夢中で毎日を送ってきたので、足元しか見えなかったのですが、離れてみると瀬棚フォルケホイスコーレが歩んできた足跡が見渡せます。試行錯誤だらけの日々。穴に入りたいほど恥ずかしい思い出もたくさんありますが、パイオニアならではの勲章だと思います。

 これからも愚直な性格のゆえに開拓を楽しみ、真の森の姿を探し求めていくことでしょう。

参考:
,新しい学校の試み─
瀬棚フォルケホイスコーレ
河村正人(瀬棚フォルケホイスコーレ校長)
2,牧場の丘から夕日を見てきました ─ 瀬棚フォルケホイスコーレ訪問記 清水 満