大地にしっかりと根を張る大樹の下に集う人々
協会の各地の会合の報告

 

白木ゆかり(福岡市)

関東の会(2003年1月)

 ここ数年、各地のホイスコーレの集いに参加するのがすっかり楽しみとなった私。去年の神戸の集いへの参加申込メールを送ってしばらく後、清水さんから「各地の集いを制覇した方の視点を活かして何か書いてください。」とのお言葉をいただきましたが、「制覇」だなんて、そ、そんな、とんでもない、おこがましい。たかだか1日2日おじゃましてお世話を受けただけの者としては、それぞれの会合の特徴とかについて自信もって語れそうにもないので、参加して初めてわかる雰囲気のようなものをお世話役の方々への感謝の気持ちとともにお伝えできればと思っています。清水さんがその都度報告された内容と若干重複する箇所もでてくると思いますが、どうかご了承ください。

○関東(府中市)
 2年前の1月、初めて関東の集いに参加しました。関東での集まりはもう99年から数えてもう5回目(2003年当時)とのことで、その交流活動の活発さに驚きと羨望を覚えます。内容は皆さんご存知のように、武義和さんの小国ホイスコーレ実践報告、パトリシア・ヘインズさんの米国でのホイスコーレ運動の広がりについての報告、高石友江さんのオープンスペース「ほうぼく舎」での活動報告...と多岐にわたる内容の濃いものでした(内容については、過去の報告と重複しますのでここでは割愛します)。

 場所は美味しいフェア・トレードコーヒーで評判の高いカフェ・スロー。実はその当時、協会の行事ごとにすっかり足が遠のいていた私は、久しぶりの参加であることと、九州以外のホイスコーレ初参加ということで、カフェ・スローのドアを開ける直前まで心臓ばくばくでしたが、コーヒーカップ片手に和やかな雰囲気のもとに進行される茶話会に、緊張で凍りついた身体が足もとから溶けていくようでした。参加者の中には、協会のホームページを見て当日初参加した方もおられ、誰でも気軽に入れるそのオープンな雰囲気にも驚かされたものです。

 協会ホイスコーレの集いに参加した方といつも口にするのは、「初対面同士なのに、どうしてここまで深い内容の話を語り合えるのかしら?」との驚きと感動をまじえた言葉。ここ関東での会合でも、その言葉をどの方とも何度でも噛みしめていました。

 これまで歩んで来られた道程がそれぞれ違い、多岐にわたる職能と熱い思いを抱えた方々を結びつける「人の縁」を強く意識した「ローカルでグローバルな集い」。またぜひいつか参加させていただければと思います。ここで書きもらしてはいけないのが、お仕事が多忙を極めながらも駆けつけてくださりパトリシアさんの通訳を務めていただいた大沢さん(いつもながらよどみない訳出ぶり、素晴らしいの一言です)、集いの後の懇親会まで全体的にお世話いただいた吉濱さん、友枝さんの存在です。そして関東の会員の皆さま、カフェ・スローのスタッフの方々、本当にお世話になりました。

○東北(秋田)
 東北での初めてのホイスコーレ。わらび座俳優の近藤さんご夫妻のコーディネイトにより、秋田のたざわこ芸術村、乳頭温泉郷、角館の武家屋敷、そして近藤さん宅「田沢湖ホイスコーレ愛彌詩(えみし)の館」と、ご案内いただいた場所も内容も盛りだくさんの集いでした。この東北の集いにあえてテーマをつけるとしたら「地域文化の継承」でしょうか。地元の伝統文化を守り、先祖を尊び、家族・地域を慈しむ、そんな方々との有形・無形の出会いが秋田にはありました。

 最初の出会いは、近藤さんのご近所での「ささら舞い」の練習風景見学で。「ささら舞い」は無病息災祈願と各地区の獅子踊りが合わさって伝わったものだそうで、お盆行事の一つとして地区ごとに踊り継がれています。獅子装束を身にまとい、正面に抱えた和太鼓を叩きながら複雑な足さばきと腰の動きをこなしていく地区の方々。複雑な踊りとお囃子との掛け合いを覚える点でも、重いお面をつけて長時間踊り続ける体力を要する点でも、まさに驚異的に素晴らしい踊りでした(「お面」よりも「かぶりもの」と表現する方がよいかも。それほどずっしり重く大きなものです。)。

 次の出会いはわらび座のパフォーマンスの中にありました。心待ちにしていたわらび劇場での「男鹿の於仁丸」観劇。わらび座俳優の方々の日本古来の低い腰位置を活かした力強い踊り、独特の発声と謡い、そしてナマハゲ伝説を基にした感動的なストーリー。私たち観客も、いつまでも尽きないスタンディングオベーションで出演者の方々の熱演に応えます。(その夜、宿泊先の公民館で見せていただいた近藤さんご夫妻の力漲るソーラン節にも、参加者はただもう見ほれるばかり。)

 観劇の熱気冷めやらぬうちに、お訪ねしたのが芸術村敷地内の民族芸術研究所。そこでは地域ごとに口伝えで伝承される民謡の記録保存活動について、研究員の方からお話をうかがいました。高齢化や過疎等で忘れ去られ埋もれかけた地区の民謡を掘りおこす目的で、地元の高齢者を訪ね歩き、思い出して謡っていただき記録する。そんな根気を要する地道で価値ある活動を続けておられる研究員の方々の熱意と努力に、ただただ感動し頭が下がる思いでした。

 最終日は、抱返り渓谷ハイキング組と、西馬音内(にしもない)地区で公開される「端縫い(はぬい)」の着物見学組に分かれ、私は後者に参加しました。「端縫い」とは絹の着物を縫いあわせた配色・模様あわせの美しい衣裳で、祖母から母へ、娘から孫へと、ほぐされ縫い直されながら受け継がれていくそうです。西馬音内盆踊りを際立たせるのが、「端縫い」の着物と踊り手の優美な手先・足運び。お盆が近づくと、町内の集会所で年配の方が下の世代にみっちり踊りを教え込み、ご先祖様により美しい踊りを奉納できるようと本番に臨みます。この西馬音内盆踊りは年々有名になり、最近はともすれば「夏祭り・観光行事」のイメージを持たれていますが、踊りを捧げることでご先祖様をお送りする「送り盆の伝統行事」であることを強く意識させてくれるものでした。(そういえば幼い頃、年内にご不幸があった家々を回り、お座敷の祭壇にお辞儀をしてから大人に混じって庭先で輪になり踊っていた、そんな記憶が思い出されます。)

 最後の最後まで出会いが用意されていた旅でした。これもお世話いただいた近藤さんご夫妻のおかげです。近藤さんはじめわらび座の皆さま、参加者の方々、東北の会員の皆さま、ありがとうございました。

田沢湖ホイスコーレ愛彌詩(えみし)の館

田沢湖ホイスコーレのフォトアルバム

○北海道(札幌市)
 去年の6月、手元に届いた分厚い会報(第25号)。特集記事「大地と農と学校そしてグルントヴィ」の、ページ数に負けない内容の濃さに時間を忘れて読みふけり、特に巻頭の牧野さんの「『農民芸術学校』構想」についての記事では、ホイスコーレの原点に触れた気がしました。同封の「会員連絡」の札幌談話会の案内記事が目に留まり、「牧野さんと瀬棚ホイスコーレの河村さんのお話、さらにお二人のバイオリン・チェロのアンサンブルを聴けるとあっては、これは行かねば!」と、清水さんに速攻で申し込みました。

 北海道では近年珍しく暑い夏らしく、汗ばむ額をハンカチで拭き拭きたどり着いたのが「北海道クリスチャンセンター」。最初に牧野さんから、有機農園「えこふぁーむ」開設と北海道農民管弦楽団の旗揚げ、そして農民芸術学校開校への道のりについてお話しいただきました。お話の途中で「農民芸術概論」を提唱した宮沢賢治について触れられたところでは、「労働とかけ離れた自称『芸術』ではなく、祈りの具現としての労働から生まれる、虚飾のない『真の芸術』こそが『農民芸術学校』が目指すものです。」と熱く語る牧野さんの姿に、宮沢賢治がだぶって見えた気がしました。

 続いて河村さんからは、瀬棚ホイスコーレを始める以前の開墾の苦労話を聞かせていただきました。飲料水確保のための井戸掘削のくだりでは、なかなか水源にたどり着けず絶望的な状況に何度も立ち会われたはずなのに、河村さんの穏やかな語り口からは悲壮感どころか、いかなる暗闇の中でも希望を捨てず光を追い求められた気高いフロンティア精神が感じられ、気がつくと目に涙をためたままお話に聞き入っていました。

 1階喫茶室でのティータイムを挟んで、待ちに待ったミニコンサート。牧野さんと河村さんのバイオリン・チェロのやわらかい調べ。そしてお二人の音色に寄り添うような河村さんの娘さんのピアノ演奏。素敵な音楽と暖かい雰囲気に気持ちがすっかりほぐれたのか、その後の参加者からの感想発表では、活発な意見・熱い思いを滔々と語り、時間を気にしつつもまだ話し足りないと惜しむ方続出でした。最後にお世話役の村山さんへ感謝を込めて全員で拍手を送り、和やかに閉会となりました。

 私にとっては、今回の札幌行きは「土を愛し大地に生きる、現代の『宮沢賢治』」を訪ねる旅となりました。牧野さん、河村さんをはじめ、会合に参加された北海道大学の方々、三愛塾運動に携わる方々...忘れえぬ出会いばかりです。宮沢賢治の目指したものとホイスコーレの関連性については、会報第25号の「デンマークでの『Image of Asia』参加報告」の中で清水さんからご説明いただいてますが、グルントヴィと宮沢賢治の共通点の多さには驚かされ、深いところで共感を寄せています。

 個人的な話になってしまい恐縮ですが、福岡市近郊の農業地区で生まれた私は、隣近所の助け合いの輪がまだまだ息づく土地柄で、(幼い頃は決して意識しないままでしたが)自然そのものとそれらがもたらす大いなる収穫に感謝する日々を送り、まわりの方たちから生かされ活かし合う喜びを感じながらもそれを特別なことと思わずに育ちました。農村地区での暮らしには、「芸術」とか「文化」として位置づけるには気恥ずかしくなるほど、ごく身近なところに自然や労働への感謝の祈りが存在します。収穫を祝う祭りや土着の神々に捧げる「お神楽」、労働の中から紡ぎだされる田植え唄(田植機が普及した現在では耳にすることは稀ですが、私が生まれたばかりの頃はそれこそ親戚縁者を動員して稲の植え付けをし、リズムよく作業を進めるため実際唄っていたそうです)、祖先の魂を慰める盆踊り...などなど。

 札幌談話会には初参加のはずなのになぜか懐かしく感じられたのは、何もないところから自ら運命を切り開いてこられた方々の、大地と農を愛する同じ心に触れたからでしょうか。北海道の会員の皆さま、そして裏方に徹してお世話いただいた村山さん(途中で気分が悪くなられた方に付き添っての病院搬送等で、おそらく内容をほとんど聞けないままだったのでは。この会合が成功裡に終わることができたのも村山さんのおかげです。)、お会いできたことに感謝し、いつの日かの再会を楽しみにしています。

○関西(神戸市)
 清水さんの「ウィーンに出かけていくことを思えば神戸は近いし、フェルメールのあの絵は二度と来ませんよ。」というお言葉についそそられて、札幌に行ったばかりなのにまたもや参加したのが神戸での集いでした。第1部では絵画理論・美術史まで網羅する豊富な知識に裏付けられた郡山さんの奥深い解説を受けながらのオランダ絵画展鑑賞、第2部の冒頭では壁貼りの英字新聞や各自持ち寄った雑貨・小物を配置したディスプレイを題材にして参加者それぞれが自由に表現するインスタレーションと、久々に五感と想像力を大いに刺激されるひとときでした。

 特に集団で行うインスタレーションでは、他の方の表現方法や解釈からインスピレーションを受け、次の人、その次の人へとパフォーマンスを鮮やかなパスワークで繋げていくという、表現の広がりの醍醐味を味あわせていただきました(特に印象的だったのが身体全体でのびやかに、そしてたおやかに表現されていた山下未奈子さん。同性ながら思わずほ?っと見とれちゃいました!)。

 協会HPや会報でその存在を知り、以前からずっと気になっていた「わくわく子ども学校」。専任教育スタッフの藤田さんから、「大阪に新しい学校を創る会」設立から開校までの苦労話、そして現在に至るまでのお話を伺い、授業で実際使用している子どもたち手作りの教材とかも見せていただきました。「ホームページをぜひご覧ください」と熱く語る藤田さん。納得、同感です。この学校のおもしろさは言葉ではとても伝えきれそうにありません!HPで公開されている時間割を見るだけで、学校に遊びに行きたくなります(わくわく野外活動クラブも楽しそうですね、子ども時代にぜひ入りたかった?)。日本の公教育が失っている「Education」の真の意味が改めて問い直される「親と市民が一緒になって創っていく学校」。これからも陰ながら応援させていただきます。

 「芸術鑑賞」から「表現する楽しみ」、「創造力を育む自ら創る教育」、「子どもの芸術教育」等々、ホイスコーレの多様性をそのまま詰めこんだような関西の集いに参加して、真っ白なキャンパスに向きあうようなわくわく感を刺激されつつ、子どもの教育をどう創っていくか大人としての責任をしっかり見据え、皆で考えていくという密度の濃い時間を過ごすことができました。関西の会員の皆さま、「オランダ美術の解説役」「インスタレーションでの表現者」「『こどもと芸術教育』のプレゼンター」そして会の締めには「懇親会幹事」まで八面六臂の活躍で支えてくださった郡山さん、楽しいひとときをありがとうございました。

神戸の会でのインスタレーションの模様

○九州
さて、我らが九州での集いなのですが、残念ながら私自身が熊本や鹿児島でのホイスコーレに一度も参加したことがないことと、身近すぎてイメージが逆につかめないこともありコメントしにくいのです。まったくお恥ずかしい限り。ただ、清水さんが九州の集いの雰囲気を「とにかく豪快!」と表現されるように、確かに九州人の気質がそこここに現れているように思えます。
飲み明かし語りつくす、体力と胆力(?)勝負の宗像・春日の宿泊型ホイスコーレ。眠くなった方はそれぞれ部屋に戻りますが、ひとことでは語りつくせぬ思いを抱えた有志の方々は残り、膝つきあわせながらの熱い対話が深夜まで交わされます。

 AWEセミナーを兼ねた唐津ホイスコーレでは、講演やテーマ別ワークショップの他に、ミニコンサートあり、合気道・座禅講座あり、名護屋城見学、唐津焼体験、渓流滝登り体験、カヤック・ヨット試乗体験あり...と九州人同士なら合点のいく手放しのホスピタリティ。(唐津でももちろん、部屋ごとの談話は深夜まで続きます。)

 そういえば、この豪快さはどこか別のところで体験したような...。記憶をたどると、96年のAWEのインターナショナル・セミナーに参加した時に、デンマークのゲァレウでは翌早朝にハンガリーへ向かわなきゃいけないのに、セミナーの前半終了を惜しむ方々とともにグラスを傾けながら深夜まで話し込み、オーストリア国境の町ショプロンではセミナーを締めくくるパーティで、民族音楽のアンサンブルを間に挟みながら深夜まで踊りまくるという凄まじさ。でも決して根気勝負とかでなく、とにかく楽しすぎてダンスを止められないのです。曲が終わるたびにオケの方々に全員でアンコールを呼びかけ、気がつけば12時をとっくに過ぎていたという感じでしょうか。う?ん、どうも九州の集いもそれに匹敵する、いや上回るものがあるかも。

○ふりかえって
 今回清水さんから、これまで参加したホイスコーレをこうして振りかえる機会をいただきましたが、やはり書き進めるうちに驚かされるのが、どれ一つとして同じ内容のない地域の独自性と、ホイスコーレ運動の展開の多様性です。96年のAWEセミナーへの参加を通して、デンマークで生まれたホイスコーレ運動が、世界各国で異なる文化・歴史を背景に独自の展開を見せながらもグルントヴィが提唱した理念はしっかり根づいていることを興味深く感じてはいましたが、なにぶん協会に参加して間もなかったため、実感として理解できていたわけではありません。翌年のAWE評議会への参加と各支部からの活動報告を仰せつかった時に大いに頭を悩ませたのも、一つに絞りきれない活動の多様性と、自分の参加経験の乏しさでした。日本でのホイスコーレ運動の経緯をたどりながら「各地会員の方々と実際にお会いしてもいない私が、清水さんの著書や会報での報告をもとにレポートを書き起こすなんて、それこそとんでもないこっちゃ?。」と悩みつつ書き進めていた当時が思い出されます。

 そういえば以前、清水さんが協会の活動を「屋根のない学校」と表現されていて、言い得て妙だと感心することしきりでしたが、各地のホイスコーレを体験させていただいた今、協会の集いを言葉でなくイメージで表現しようとすると、決まって心に浮かんでくるのは「大地にしっかりと根を張り、青空に向かって伸びやかに枝葉を茂らせ、揺るぎなくそこに在る大樹の下に集う人々」の情景です。木陰に集い憩う人、生きた言葉で思い思いに語らう人、樹の下でふと立ちどまりこれまで歩いてきた道を振りかえる人、寒風から幹を守り大地と根っこを育む人、そこでの出会いからそれぞれの生きざまを胸に刻み、次の行動への原動力に変えたいと願う人、思いっきり遊んで笑いあう子どもたち、そんな子らを見守る暖かいまなざし...。

 おそらくこのイメージは、日々暮らす中で問題を枝葉の部分でとらえずに、根の張り方や土壌の豊饒さ等、物事のあり方を根本から考えようとする協会の理念や会員の方々の姿勢から想起されるものなのでしょう。(それに比べて昨今は、問題が起きると短絡的・表面的な方法でやり過ごそうとする事象が何と多いことでしょうか。木の手入れで例えると、葉の色が落ちてくるとその原因を知ろうともせずにあわてて変色した部分を切り捨てたり、極端な場合、人工的に緑色に塗りこめて表面的な調和を無理に求めたりするような。)ではまたいつか、この大樹の下で皆さまとお会いできますように。これからもよろしくお願いします。

参考:白木ゆかりさんの他の記事や報告

  1. 知るための教育から共生のための教育へ
  2. イギリス自治体事情 ロンドン、ボーンマス、バーミンガム篇
  3. イギリス自治体事情 カーディフ篇