鬼怒川(絹川)

シルクロード

鎌倉時代、結城氏が治めていた現在の栃木県結城市や小山市は結城つむぎの産地であった。江戸時代には製品は鬼怒川を帆掛け船で下り、利根川にはいって関宿城まで遡り、江 戸川を下った。したがって鬼怒川はもともと絹川 (silk river) と書かれていた。このルートは立派にシルクロードといえる。

TVでこの川下りの放映をみたが水辺のたたずまいは江戸時代と大して変わらず大変魅力的にみえた。テームズ河をボートで遡 上した時の記憶がよみがえった。

英国には沢山の運河が発達し、産業革命を支え、いまでも運河は大切に保 存されている。この絹川、利根川、江戸川ルートは江戸時代の河川運輸の成果として誇っていい。

ボートによる鬼怒川下りを調べたが、上流の鬼怒川温泉近くならともかく、下流にはそのようなサービスはない。そこで一日で歩ける日帰りコースを考 えてみた。結城市からは70km以上あり無理だ。関東鉄道常総線を利用して途中まで行きそこから歩けばよい。秋葉原からつくばエクスプレスで守谷にゆき、 そこで関東鉄道常総線に乗り換え、三妻駅まででゆく。筑波山はここからそう遠くない。あのガマの油売りの口上が聞こえてくるかもしれない。

花見を兼ねて2014年4月5日(土)に決行。交通機関は秋葉原8:20集合、8:30発→つくばエクスプレス快速・つくば行→9:02守谷9:11→関東鉄道常総線→9:21水海道(みつかいどう)9:23→関東鉄道常総線・下館行→9:32三妻駅(みつま)とした。

参加者は和田、榎本、小粥、青木。

当日懸案の天気も回復したのはいいが、提案者が1時間勘違いして集合場所に遅れた。30分余裕を見たので30分遅れとなった。秋葉原でつくばエクスプレス のホームを探すと大深度地下にあった。かなり金がかかった施設である。方向感覚は失われるが、ホームは南北方向に「ありスタートすると御徒町に向かってはしる。そのまま南千住駅までは全て地下を走る。南千住駅の先からJR常磐線と東京メトロ日比谷線に 挟まれる形で地上に出る。隅田川を渡り、3階にホームがある北千住駅に着く。ここからは高架で筑波に向かう。守谷で関東鉄道常総線に乗り換える。たった一 両のディゼルカーである。水海道で鈍行 に乗り換える。

三妻駅は無人駅である。ストリートビューでみたとおりである。鬼怒川沿いにまず東岸を南下する。土手道は自動車が走っていて危険のため、のどかな田舎道を南下する。美妻橋で西岸にわたる。かっての塩の道である絹川は滔滔と流れ、品格がある。



美妻橋から鬼怒川の下流方向を望む

そのまま自然が残る土手道を南下。川床には柳が芽吹いている。ゆたかな農園風景が続く。珍しく麦作が見られた。土手道には菜の花がさきみだれている。この 菜の花をそのまま口に含むと、恰好なサラダとなり美味だ。

美妻橋を渡ってすぐ右手はかっての茨城県結城郡大花羽村のあったところだ。 作家で僧侶の 今東光氏は、菊池寛ら「既成文壇の権威」と対立し、袂を別った。妻フミ子の嫉妬と極端な独占欲により、文学関係 者との交際を妨害され、左翼運動の中での軋轢が決定打となって次第に文壇に距離を置くようになった。そして妻の実家があったこの鬼怒川の辺に書院を建て独居していた。

土手道を少し下ると右手は常総市の大輪というのどかなところだ。ここに古刹の元三大師安楽寺(がんざんだいし)がある。今東光氏はこの安楽寺の住 職、弓削俊澄僧正の知遇を得て、非常勤私設秘書になった。そして後出家するに至る。そして瀬戸内寂聴さんの師僧 となり、「寂聴」という法名の生みの親ともなった。

土手の補強工事したところもある。桜の林の前でお結びの軽食をとる。水海道道路橋を横断し、南下 を継続。しだれ桜のある豊岡町の安養寺の小さな御堂前で記念撮影。しかし、なにも写っていない。

6.7km歩いたところで当初の鬼怒川沿いのルートを放棄し、花見に切り替えた。豊水橋を渡って東岸にある水海道に向かう。豊水橋からは筑波山がよく見えた。おなかも中腹のため、予定していた割烹料理屋はパスして更に6km歩いて小貝川(こかいがわ)の「福岡堤の桜並木」の花見をしようと歩き出した。

線路を渡り、川を渡ってすぐ右折と考えていたら、意外に早く桜並木に出あう。後でこれは間違いと分かるのだが、桜の木の下のお休みどころで小休止。疲れが取れたところで桜並木を歩くと意外に早く並木が切れてしまう。実は小貝川と思ったものは八間堀川であった。

振り出しに戻って初志貫徹しようと歩き出す。ようやく小貝川に達するが、下流にも桜並木があるので紛らわしい。小貝川を渡る。意外に大きな川だ。小貝川の 東岸を上流に向かって歩く。土手道は自動車道路になっているので、河床に降りる。ここから筑波山が菜の花の向うに見える。土手の東側は福岡堤で取水した用水の水位が高いため土手の漏水があり水溜りができている。漏水に加えて昨日の豪雨で河床には水があふ れ、鯉がアスファルト道の上でバシャバシャやっている。夏なら水に入って掴み取りたいことだろう。



小貝川と筑波山

河床をかなり遡ったところでようやく「福岡堤の桜並木」に到着。人気スポットらしく、すごい人出だ。小貝川と、その東側に平行して流れる福岡堤から取水した農業用水路の間の 土手に植えられた桜並木は長さ1.8km、約550本もの桜(ソメイヨシノ)が並び、千鳥ヶ淵と同じ風景を醸している。



福岡堤の桜並木

福岡堰は元和年間の新田開発に伴い、1625年(寛永2年)に関東郡 代伊奈忠治により、灌漑用水として建設されたという。かなりの水位差があり大規模な工事だったようだ。

地元で取れたてのトマトを口に入れて小休止。本日の総距離16km程度。足も棒になったので午后4: 00発の無料バスでつくばエキスプレスに向かう。着いた駅は「みらい平駅」であった。線路は地下になっており、モスクワの地下鉄のような過剰仕様である。秋葉原駅の地下ホームもそうだが、 どうしてこうなるのかと調べると秘密があった。

つくばエクスプレスは1991年のバブル景気の真っ最中に企画され、沿線自治体と民間企 業が出資する第三セクター方式で設立された。資本金1,850億円というJRに次ぐ巨額の資本金を誇り、無利子運営している。経営陣は天下り役人である。 この持参金のおかげで2005年運転開始後の2010年から黒字転換した。

みらい平駅か らエクスプレスを利用して秋葉原まで帰った。秋葉原の「かこいや」で今日の反省会を行う。眼下にかの有名なAKB48の劇場が見える。京浜東北と山手線の線路の下にあるのだ。とにかく秋葉原は全く違った街になった。



秋葉原ガード下のAKB48のCafe & Shop

酒を飲みながら、同行のW氏から昨夜のNHKが水素エネルギーがテークオフするというニュースを放映していたと聞く。NHKはお上の宣伝機関のよう なものだから、そうだろう。安倍首相がこれに飛びついて原発再稼働だけではなく、新技術開発もしているのだと胸を張ったそうである。だが天然ガスを水素転 換するときに膨大な二酸化炭素が発生する。後輩たちが開発した水素の安価な輸送法であるケミカルハライド法は転換効率が低く、地球規模でみれば水素燃料自 動車は天然ガス車より二酸化炭素は増えてしまうのだ。安倍首相はこんなことも知らず、官僚の宣伝にのって舞い上がっている構図のようだ。

さて話は戻るが伊勢崎めいせんも絹織物だが、こちらは利根川、江戸川経由で江戸に運ばれたかは定かでない。伊勢崎の機屋だった石原氏に 聞いてみよう。

結 城から利根川までのシルクロード展開

February 26, 2014

Rev. April 3, 2017


2015/9/10 この鬼怒川が50年ぶりの集中豪雨で美妻橋の上流6km、石下大橋の下流1.5kmで決壊した。

September 10, 2015


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