ハーレー・ダビッドソンと共に

グリーンウッド氏にハーレーダビッドソンがインプリントされたいきさつはデニスホッパー監督、ピーターフォンダ主演、 ジャックニコルソン助演の1969年の米映画 「イージーライダー」 である。

イージーライダーのイラスト

エンディングテーマとして書き下ろされたバラード・オブ・イージーライダーはロジャー・マッキンが歌う

The river flows

It flows to the sea

Where ever that river goes

That's where I want to be -----

グリーンウッド氏はソニーエンタテイメントのDVDで時々この映画を楽しむ。

その後、ロスアンゼルスからオレンジカウンティーに行くルート5でフォルクスワーゲン・ビートルの空冷エンジンを乗せた エイプハンガー・フォワードコントロールのトライクルをみつけた。足を前に投げ出しソックリ返ったスタイルで豪快に飛ばすジーンズのおじさんにしびれたも のである。ここでエイプハンガーとフォワードコントロールが反復学習された。

1994年10月、FXSTC1995年型取得 グリーンウッド氏は1965年取得の運転免許は自動二輪 もOKであることを再発見し、ハーレーダビッドソンを購入。売ってもらうため、教習所で自動二輪の事前練習をした。ピーターフォンダ騎乗のロングフォーク のチョッパーに近い大きなレーキ角を持ち、フォワードコントロールの漆黒のソフテイルカスタム(FXSTC)1995年型を選択。ショベルヘッドやパン・ ヘッドはすでになく、エボリューション1,340ccエンジンである。

1,340ccという数字はピストン内径4インチ(約100mm)、ストローク4インチに由来する。ストローク4インチはロングストローク・エンジンであ る。潤滑油の温度が上がり粘度が下がると、ピストン速度が20m/s付近で油膜切れが生じ、ピストンとシリンダー内面は焼きついてしまう。従ってロングス トロークエンジンは回転数を上げられない。このためシリンダー容積当たりの出力は低いし重量は増える。ちなみに3,600rpmでのピストン速度は 12m/s、6,000rpmで20m/sとなり 、オシャカになるのである。 しかしこのクラシックな設計思想と45度のV字型に配置した2シリンダーが独特の排気音と振動を生むのである。 前進5段のため時速80kmではエンジンはまだアイドリング状態である。これが快適な高速走行ができるゆえんである。

日本のエンジンはエンジン容積の比例する重量税を節約するために50mm位のショートストロークにして回転数を2倍にしている。こうすればシリンダー容積 当たりの出力を2倍にできるわけだ。従って750cc(ホンダのナナハン)エンジンとハーレーのエンジンの馬力はほぼ同じである。日本車のデメリットはト ルク不足となり、オートクラッチでないとエンストして扱いにくい。ハーレーの場合は当然マニュアルシフトだが、2速からでも発進可能である。

1995年7月22日茅ヶ崎の押川氏と箱根にそばを食いにゆく。2回目の時、外輪山で バッテリーが上がってしまってそこに置いてきたこともある。

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湘南バイパスSAで

遠出のための皮バック、ネーキッドのためのエキストラクロームを付ける。エギゾースト・ノイズを改善するためにマフラー をスリップフィットマフラー・テーパードに交換するが、うるさいだけなので、元にもどす。

1995年9月グリーンウッド氏、日経産業新聞のMyウイークエンド欄に紹介される。 記者にバイクの効用として、A10神経系が刺激されて、脳内麻薬様物質のβ-エンドルフィンが分泌される話をしたところ。群馬ロー タリークラブの石原氏が電話をかけてきた。

日経産業新聞のMyウイークエンド

同じく、日経産業新聞の縁で米国をハーレーで2回横断した東京の内田氏と知り合う。1996年5月の2回目の横断の支援 をした縁で、内田氏、グリーンウッド氏宅をご訪問。支援といっても、北京から当時のスターリングラードまで80%徒歩で歩いたという在日英国人をサポート 車のドライバーとして紹介したというささやかなもの。

1996年5月、石原氏を隊長とし、飯塚、澤田、大須賀氏らロータリークラブの各チャプターのハーレー オーナー諸氏、押川氏、グリーンウッド氏からなる石原隊ができる。

1996年、HOG加入時マイレージ登録ゼロ走行距離は8,038km。

1996年11月、念願のエイプハンガーとまではいかないが、ハイハンドル(バックホーン)、ストレート ライザーに改造。

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改造後

1997年8月29日第4級アマ無線技士免状取得。 1997年10月9日、145MHz 10W 移動無線局開設。コールサイン 7M4GQX。

ケンウッドの無線機

1997年8月小型風防を装備 ストレートライザーをオリジナルに戻す。

1998年6月10日、グリーンウッド氏、ルブリヤーナでハーレーダビッド ソンに出会う。

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奇遇に喜ぶグリーンウッド氏

1998年8月、16,000km走行時点でタイヤ、バッテリー、プラグ、チェーンケースガスケット交換。フロントホイール・スポー クリム内面の錆びによるパンクの可能性の警告あり。外見ではわからず。フロントフォーク用皮製ツールバッグ装着。

2000年元旦、HD取得後5年、走行距離は21,366km。10月、石原隊はルート66と米国西海岸をツーリングする。

2001年夏、走行距離は24,951km。HOGより10,000マイルバッジ取得。

2002年2月、HD取得後7年、ニュージーランドツーリング中、走行距離は 30,000kmを越える。

2004年7月、走行距離35,800kmで前輪のタイヤは坊主になり、交換。新車購入10年で2回目の 交換だが、35,800kmで2本は丁寧に乗った証拠とメカニックにコメントをもらう。

2005年10月31日四国ツーリング後のオドメーターは40,525km。

2007年5月11日東北ツーリング後のオドメーターは43,251km

2007年10月7日後輪のブレーキ・パッド交換 車検、潤滑油・フィルター全交換。オドメーターは43,268km

交換した後輪のブレーキ・パッド

HOGに20,000マイルバッジ申請 し、受領後、もう次の目標まで走ることはあるまいとHOGを脱会。12年間のメンバーであった。

HOGバッジ

HOGワッペン

2007年10月29日、肋骨骨折のために延び延びになっていた6度目の車検とバッテリーの2度目の交換のためにバイクを馬入川の近くの ユーメディアに運び、待つ間、馬入川沿いのボート施設などを見学。

2008年9月11日バイク用GPS 2008年の米国のルート66パート2のためにGarmin社製GPSmap60CSx を購入しテストした。バイク用、セーリング用、登山用に共用するがヨーロッパドライブにも使うことも考えてのことである。このため1/25,000の日本 詳細道路地図シティナビゲーター(1Gb)、10m間隔の等高線の入った日本地形図TOPO 10m(2Gb)、日本航海参考図(256k)、CityNavigator North America(2Gb)を同時購入。MetroGuide Europeは来年の実施前に購入する予定である。

Garmin社製GPSmap60CSx (バイク装 着時

ヘルメット、夏用のポリエステル・メッシュのジャンパー、バイクブーツを収納するラッパ型ジーンズも新調して試用し、問題ないことを確認。冬用の革ジャン は娘のお下がりをすでに12年間使っている。

高野辰之記念にて 碓井さん撮影

ウィンカー用のコンピュータの寿命がつきかかっているのかフラッシュ間隔がせわしくなってきた。来年の車検までもつかどうか?

2008年11月中旬、石原隊のミーティングに向け隊長より過去12年間の記録を整理しろとの命を受け整理したところA4にして200枚の ハードコピーとなった。

2009年10月9日、オドメーターは46,687km。7 度目の車検をユーメディアで受ける。ほとんど乗っていないので。検査だけ。

2011年10月16日、エンジン分解修理、バッテリー、ウィンカーモ ジュー ル、アクセルグリップ、サビのでたバックミラー交換 オドメーターは46,705km。8 度目の車検は近くのブルー・グルーブに依頼。エンジンシリンダー下部のガスケットよりの潤滑油漏れが大 きいため、シリンダーを外してのガスケット交換、シリンダーヘッド・クリーニング、バルブすり合わせ、潤滑油、ブレーキ油交換。


シリンダー取り外し (ブルー・グルーブ提供)

ヘッド・クリーニング

2012年9月、ルート66 シカゴから オクラホマ・シティー レンタルバイク利用

2013年4月16日、キャブレータ分解修理  1年半ぶりに、バッテリーをチャージし、エンジンをかけてみたが、チョークを引いたままにしないとエンジンが止まる。原因として、@ガソリンの重質分が キャブレターのノズルを詰まらせた、Aガソリンの軽質分が気化して失われた。Bスパークプラグが汚れた。Cバッテリー充電不足が考えられる。

BC はすぐチェックできた。Aはまずタンクの古いのガソリンを抜き、廃油として引き取ってもらい、新しいハイオクを5リッター購入したが変化なし。したがって @ということになった。手持ちのキャブクリーナーを使ってみたが、改善しない。やむを得ず、エンジン・オーバーホールしてもらった近くのバイク屋さん Blue Grooveに キャブレターの分解掃除依頼。店主一人でワゴン車に動かないバイクを載せてレッカー。キャブを分解すると、ガソリンがキャブの中で気化濃縮し、バクテリア で分解されてガム状になりノズルを詰まらせていた。アメリカで排気ガス規制の厳しいころの発売なのでノズル径はちいさかったそうだが、いまのスペアパーツ は少し大きなノズル径のものだそうだ。このため暖機のためのチョークを引く時間が短縮されるという。



旧ノズル 2φx9mm(穴径0.5mm)

また、急加速ようにイン ジェクションポンプのダイヤフラムも15年の酷使で劣化していたので新品に交換したという。

2013年5月1日、無線機ケーブル修理 昨年米国に持参したアマ無線機の接続コード断線のために聞くことはできるが話すことができない。 PTTスイッチが入らない。どのケーブルがいけないのかケーブルをもんでみたところ三協特殊無線製KETELヘッドセット用ケーブルACM- 150Kenwood用マイクゲインコントロール無しが断線していると判断。自分でACM-150のPTTスイッチに接続するケーブルの絶縁被覆をはがしてみたがどこで断線しているかわからなくなっ た。ACM-150をだめにしてしまったので藤沢の湘南FMまで出かけた。店には在庫がなく、メーカー直 送で8日に到着。早速テストして作動確認したところ。ACM-150は正常でPTTスイッチ接続ケーブルのメス型DINプラグとケーブル接続部内心細線が 破断していることがわかった。ハンダ鏝で修理。ところがヘッドセットで音が出ない。調べたところヘッドセットに連なるDIN6ピンコネクターの差し違いであった。これを直すと完了。



メス型DINプラグとケーブル

くわえてバッテリから供給されるDC電源がダメと分かる。ヒューズは切れていない。シート取り外しで調べるとバイク のバッテリーには接続されていない。数年前にそう改造してケーブルだけ残したのがいけなかった。全て撤去。今後はリチャージャブル単三電池のみとする。 ACM-150をだめにしてしまったのも古いテスターの内臓電池がパンクして使えなくなったのが原因。分解修理試みるも腐食が激しく断念。それでも電圧計 や電流計としてはつかえるかも。

2013年5月12日、タンクアッパーホース交換 出発前日に満タン にしたが、満タンにした途端(18liter)ガソリンが派手に漏れてエンジンにかかる。左右両方にあるタンクを連結するゴムホースから漏れたと判断し、 ガスを1リッター抜くともれは止まる。そのまま修理工場に直行し、メーターダッシュ着脱して上部ホースを交換。ホースは劣化して割目が入っていた。エンジ ン分解修理したとき古いホースを使って組み立てたためだろう。下部ホースからは漏れていないがいずれダメになるかもしれない。次の車検の時交換するべきだ ろう。

2015年10月14日断舎利  寄る年波に勝てず、過去2年間バイクに乗らないまま過ぎて、また車検の時期が来た。ついに手放すことを決意。バッテリーは時々充電していたが、エンジンは回さなかったためセルモー ターがカチッというだけで 回らない。20年前、200万円(買い足したアクセサリー含め300万円)で購入したバイクの中古市場化価格は50万円。車検と修理代金10万円を割り引いて40万円で売れた。現金取引だ。総走行距離 47,103km。風防に塗って固化したワックスを純正の除去剤を使って苦労して除去した。



ガレージで待機する最後の姿

ハーレー・ダビッドソンがなくなってガレージが使いやすくなった。ガレージノ天井から吊ってあるミラーディンギーを降ろし、中古の50ccバイクで江の島マリーナに牽引して余生を過ごすか思案中。2016年の2月に海岸の擁壁が完成したら日坂交差点から出やすくなるかも。



こうしてハーレーダビッドソンを卒業したのだが、友人がハーレーのエボリューション・エンジン搭載の英国製の「三輪モーガン」はどうかという。日本で 330万円。遊びにはよいが、いまだに渋滞の鎌倉では何の役にも立たない。車検とったり面倒だし、我がジープを処分しないと置くところもない。結局、ジー プに忠誠を誓うということになるのだろう。

June 5, 1998

Rev. January 24, 2016


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