逗子

長柄桜山古墳群

グリーンウッド夫妻は2006年4月9日、逗子市にある長柄桜山古墳群を訪問した。テレビで紹介されて身近に古墳があることを知ったため、訪れたのであ る。ちょうど堺市にある仁徳天皇陵のように海上から見える丘の上に建造されたという説明が気に入ったためである。 仁徳天皇陵も1992年に堺で開催された化学工学会の折に訪問したし、森将軍 塚とか南向塚などいままで住んだ場所の近くにあった古 墳は訪問している。

日曜日で江ノ電が混雑するのは予測されたが、折からの花見の季節で好天も重なり超混雑であった。鎌倉で乗り換えJR逗子駅下車。逗子の市街地の南側に横た わる長柄桜山の登山口の一つ六代御前之墓に徒歩で向かう。田越橋を渡って山の麓にある六代御前之墓に到達。大きなケヤキの木が墓石を覆っていた。

グー グル地図

六代御前は平維盛の嫡男で平家滅亡のとき捕らえられたが、江ノ島の弁財天を勧進した文覚上人の助命嘆願で助けられ、文覚の弟子に なった。しかし頼朝が亡くなると再び捕らえられ、ここ田越川にて斬られると説明文にある。

長柄桜山古墳群全体図

丘を登り、徳富蘆花記念公園に は向かわず、逗子市の配水池を迂回して登り続けるとやがて目指す長柄桜山古墳群の第2号墳にたどり着く。1999年携帯電話の中継基地建設工事のため森林 の伐採が行われた際発見されたという。まえまえからここは古墳だと思っていた葉山市在住の考古学愛好家東家洋之助さんが工事中に埴輪の破片を見つけたこと がキッカケであったという。工事は中止された。第1号墳が前方後円墳ならと考古学研究者の田村良照氏が500m西のピークも古墳だろうと指摘し、第2号墳 とされたという。

第2号墳の前方部の頂部に展望台が設置されていたので登ってみると逗子湾と大崎ごしに七里ヶ浜と江ノ島方面を望むことができた。江ノ島の向こうには大磯の 裏の高麗山(こまやま)がかすかに見える。無論、富士山も丹沢山も見えるはずだが春霞みのなかに溶け込んで いる。

第2号墳 前方部の展望台より逗子湾と大崎ごしに七里ヶ浜と江ノ島方面を望む 200mm相当ズーム

第2号墳から七里ガ浜が見えるならグリーンウッド事務所のテラスからも第2号墳が見えるはずと後に双眼鏡でみると大崎と二子山(標高207m)の中間 に長柄桜山(標高125m)が見えた。本HPトップページの写真(下掲)を見れば大崎の上に二子山が写っているが、 その手前にある長柄桜山は二子山に溶け込んで判別できない。

グリーンウッド事務所から大崎、長柄桜山とその後方の二子山を望む 100mm相当ズーム

この地点で7,200mジャンプしたらどう見えるか3Dアニメ化したものをみれば長柄桜山が大崎と二子山の間に見える。今では森林に飲み込まれてしまって いるが築造当時は葺石(ふきいし)が輝いてみえたことだろう。

7,200mジャンプの3Dアニメ

第2号墳は第1号墳とともに神奈川県内に現存する最大級の規模を誇るということだ。4世紀中頃の築造という。標高100mの丘陵頂部に位置し、墳長 88m、後円部径54m、高さ7.3m、前方部幅45m、高さ8.7mと説明にある。

第2号墳でおにぎりの昼食とする。大島桜がきれいに花をつけている。大島桜の葉は桜餅の葉に最適だという。第2号墳を後にし、第1号墳に向かい丘陵の峰沿 いに東方に向かう。途中葉山の三ヶ岡山が南方に見渡せるところがある。

第2号墳 後円部

葉山市の三ヶ岡山方面を望む

第1号墳は標高125mの丘陵頂部に位置し、墳長90m、後円部径51m、高さ7.2m、前方部幅31.5m、高さ5.06mと説明にある。後円部頂上か らは東京湾と房総半島が見える。

長柄桜山にも戦後、杉が植林された。とくに第1号墳の周りは杉林だらけになっているが、かろうじて第1号墳、第2号墳はぎりぎりのところ植林を免れてい る。古墳の記憶を失っていたにも関わらず当時の植林者はなにか感じたのだろうか。広葉樹林に覆われたままで陽が差し込み気持ちがよい。

一旦葉桜団地に出たのち配水池手前から谷沿いの小道を下ってJR逗子駅に帰る。心地よい約3時間の散策であった。

この2つの古墳は記紀には記載がない。これはどういうことだろうか?長柄桜山古墳群はある日突然造営が開始され、そして2基の古墳が造られた以降、後が全 く続かなかったということになる。九州王朝とどういう関係があったのだろう?

April 15, 2006

Rev. December 1, 2017


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