ウィーン

2005年インスブルックからウィーン経由ダルマチアに旅したとき、空から見たウィーンは穏やか な 起伏のある平原の中を蛇行しながらゆったりと流れるドナウ 河にそって発達した街と見えた。

ここからハンガリーに至る大平原に産する穀物がハプスブルグ家の力の源泉だったのだろうか。またこの河はローマ時代、北方 蛮族を食い止める防波堤でもあった と塩野七生の「ローマ人の物 語XI 終わりの始まり」で読んだ。いまでも河の南側、すなわちローマ側にウィーンの中心部があるのはその影響なのだろうか?

ドナウ河はウィーンの上流ではバッハウ渓谷を流れているというTV番組を観た。北岸の斜面は日当たりの良いブドウ畑である。ウィーンの下流のハンガリー国 境 にはノイジードル湖(Neusiedler See)があり、渡り鳥のサンクチュアリーとなっている。

しかし、私はウィーンの街には足を踏み入れたことはなかった。ただ娘の撮影した写真を 観ただけである。2015年になってこの街で開催される原子力リスク国際会議(NURIS2015)に出席することになった。開催日の丁度1月前の決定 で、急遽、オーストリア航空の往復便と ホテルを予約して最低限は確保した。パスポートも有るし、後は小遣いのユーロを用意するだけだ。ホテルまではバックパッカースタイルで移動するつもりだっ たがノートパソコンが3kgと重く、持込み手荷物の重量制限にひっかかるため、背広などは貨物室に入れざるを得なかった。会議にも使 え、街歩きもできる黒皮のウォーキングシューズを新調した。

今回は航空機、ホテル予約、切符購入、チェックイン、ボーディングパス印刷などすべてインターネット経由で行った。藤沢からのバスもインターネット予約。

昭文社のWien案内本を購入して計画コース・プランをした。

観光は1日だけなのでハプスブルグ家の遺産だけでなく、塩野七生のローマ帝国の残渣も見てこようかと。ドイツ系は必ずローマの遺跡を自慢する。自分達だっ て野蛮人ではなかったと証明したいのだろう。


第一日、4月14日(火曜日)

前夜激しい雨が降ったので、急遽、布製のスーツケースをABS樹脂製のスーツケースに変える。鍵がゆくへ不明で、ようやく見つける。ポスターもプラスチッ ク製の筒に入れる。

鎌倉高校前駅5:30発⇒着5:46藤沢駅

藤沢駅北口6:30発⇒(京成高速バス 成田行き)⇒着8:55成田第一ターミナル9番乗り場

今回、料金が3,000円と安いということで高速バスを使った。平塚から高速道路に乗る。予定通り走った。成田空港のイミグレーション・オフィサーがプ リンターで印刷したA4のEメール上に印刷されたボーディング・パスをみて、「これだけですか?」と不審そうに聞く。私も「初めてなので」というと苦笑 い。しかしボーディング・ゲートの機械は問題なく、私のしわくちゃになったボーディング・パスを読み取っていた。成田は一昨年はJALのラウンジでしか使 えなかった無料無線LANがどこでもつかえるようになっていた。

成田11:20発⇒(OS52)⇒着16:20ウィーン国際空港

機中では2013年の「ゼ ロ・グラビティー」を見た、たまたま北海道の西を北上中で昨夜からの低気圧の乱気流にはいったため、映画をみているだけで宇宙酔いになりそうだっ た。そのほかにも日本未公開の「モンスター上司2」と評判の「バードマン」をみた。コンサート「Jessie J-Aliveat the O2」と「Tony Bennett & Lady Gaga 'Cheek To Cheek' Grammy Awards 2015」も楽しむ。

ウィーン着陸時には沢山の風車を見る。以前にはなかったが急にふえたようだ。ウィーン空港も無料無線LANが用意されていた。

NURIS実行委員会のお勧めのウィーン国際空港からのアクセスは

Busterminal Air Port Wuenna⇒(Busline 1183 to Wien Donauzentrum)⇒Wien Donaumarina

Donaumarina⇒(U2 to Karlsplatz)⇒Schottering

Schottering⇒(U4)⇒Spittelau

Spittelau⇒(U6)⇒Nufdorfer Str.

だったが、空港のバス案内にBusline 1183 がみつからないのでCATを使うことにした。ところが各駅停車QBBの切符カウンターで購入したため片道2.2EURO+地下鉄、バス、路面電車1週間パ ス 16.2Euroを買ってしまった。たまたまホームに入っていたCATに乗ると、車掌は2.2EUROのQBB切符ではCATに乗れない。片道 12Euro のCAT切符を買えと言う。この片道12Euroは高価なLで大学の先生達はバスを使えといっていたと分かる。

途中、まだ新しいリファイナリーやエチレンプラント、ポリエチレン・プラントが見えた。

Busterminal Air Port Wienna⇒(CAT)⇒Wien Mitte

Wien Mitteから地下鉄のLandstraseまでは決行歩かされる。

Landstrase⇒(U3)⇒Westbahnhof⇒(U6)⇒Nufdorfer Str.

U6は殆ど高架をはしっている。旅行者にメトロの入り口はどこかと聞かれたのもむべなるかな。

Nufdorfer Str.→(徒歩)→Hotel Ibis Styles Wien City

地下鉄のU6 号線の駅近くのNURIS2015提携 ホテルHotel Ibis Styles Wien Cityに旅装を解く。(International Hotel No. 531) シャワーを浴び、近くの中華レストラン「王園」で夕食を取る。Hotel Ibis Styles Wien Cityは全館禁煙ホテルのため玄関にスモーカーがたむろしている。96 チャンネル視聴可能な 40 インチ薄型 TV 。朝食と無線LAN無料、紅茶、コーヒー、飲料水もロビーで 24 時間無料。窓ガラスは二重のためそのの騒音は聞こえない。ローラースクリーンを降ろせば外の光も完全にシャット。というモダンさ。空調は部屋ごとに三菱の 室内機がついている。室外機は見えないから多分屋上に共用の圧縮機とコンデンサーがあって、フロンが巡回しているのだろう。最もローコストな設計だ。

路面電車の 37/38 号線の停留所がホテルの前にあり、ここからショッテントーア駅までダニューブ河の河岸段丘の縁を行く。ショッテントーア駅から徒歩でホーフブルク宮殿のミ ヒャ エル門、オペラ劇場、主要な店舗がある歴史地区シュテファン大聖堂を1.5時間散策し、ショッテントーア駅から路面電車38で帰った。

ミヒャエル門前にローマ時代の遺跡を見る。



ホーフブルク宮殿ミヒャエル門



第二日、4月15日(水曜日)

朝シェーンブルン宮殿の庭園は6:30には開門というので6:00起床。朝食をとって7:00ホテル出発。

Hotel Ibis Styles Wien City→(徒歩)→Nufdorfer Str.

Nufdorfer Str.⇒(U6)⇒Legenfeldg.⇒(U4)⇒シェーンブルン駅

シェーンブルン駅→(徒歩)→シェーンブルン宮殿

<シェーンブルン宮殿>

ハプスブルグ家夏の離宮。「会議は踊る」で有名なウィーン会議はここで開催されたという。

U4はかってのドナウ河の支流ウィーン川の川底に敷設された開渠式の地下鉄である。 シェーンブルン駅から正面門までかなり距離がある。使用人たちの住居にそってかなり歩くことになる。

宮殿は北面している。折からの朝日を浴びて輝く宮殿正面を撮影。



シェーンブルン宮殿


宮殿を大きく左に迂回して庭園に入る。庭園はウィーン川の南岸の丘陵に向かって展開している。宮殿の2階のテラスから丘の上の戦勝記念碑のグロリエッテと その直下のネプチューンの噴水を望遠で撮影。



グロリエッテとその直下のネプチューンの噴水


グロリエッテまで登り、ローマの廃墟跡経由駅に戻る途中、リスを見る。あまり人を怖がらない。



リス


シェーンブルン駅⇒(U4)⇒カールスプラッツ駅



カールスプラッツ駅

<ベルベデーレ宮殿>

下宮はオイゲン公の館。

カールスプラッツ駅→(徒歩)→カールス教会→(レン通り 徒歩)→ベルベデーレ宮殿

ベルベデーレ宮殿を探して歩く途中、ホーホシュトラール泉と言う物を見る。すべてロシア文字だからソ連がベルリンに残したような戦勝記念碑のようなもの か。地図には明示されていない。



ベルベデーレ宮殿下宮



ベルベデーレ宮殿上宮

帰りはトラムに乗り、楽友協会ホールに向かう。シュバルツベルク通りのHotel Inperial前で下車。やけに高級感のあるホテルだ。

<楽友協会ホール>

ウィーンフィルのニューイヤー・コンサートが演奏される1969年完成の黄金のホール。音響効果抜群と言われる。ちなみ に、ウィーン国立バレエ団のダンサーのバレーは ウィーン1区(Fürstengasse 1 1090   Wien)にあるリヒテンシュタイン庭園宮殿(Palais Liechtenstein)で撮影されるという。

楽友協会ホールの向うにはカールス教会が見える。



楽友協会ホール

楽友協会ホールからかっての城壁を撤去した後に整備したという並木道オバーンリンクをウィーン国立歌劇場に向かう。

<ウィーン国立歌劇場>

1869年完成のこけら落としに、モツアルトのドン・ジョバンニで幕が切って落とされた。

ブリストル・ホテルが歌劇場の隣。



ウィーン国立歌劇場


ウィーン国立歌劇場からオバーンリンクを王宮に向かって歩く。ゲーテの銅像があるところから新王宮の裏手の庭にはいる。そこには熱帯蝶類博物館があった。



新宮殿の裏 右に
熱帯蝶類博物館

<王宮>

マリアテレジアの娘婿、アルベルトが収集した品物を展示したアルベルティーナそ美術館の前を通って、昨夜の ホーフブルク宮殿ミヒャエル門にゆく。馬車が沢山集まっている。昨夜みた 旧王宮のミヒャエル門前のローマ遺跡を再び見る。

ハプスブルグ家歴代の王宮ホーフブルグ宮殿。新王宮と旧宮殿がつながっている。ホーフブルク王宮ミヒャエル門はいってすぐ左にスペイン式馬術学校がある。 ウィーンフィルの伴奏でスペイン式馬術が披露されていたがパス。

新王宮に庭にでる。先ほど見たビルの表だ。



新王宮


新王宮から徒歩でマリアテレジアの銅像前に行く。像の左手には美術史美術館、右手には自然史博物館がある。ここからU3でステファン大聖堂に向かう。U3 の地下にローマの遺跡が現状で保存されていた。

<ステファン大聖堂>

ユネスコの世界遺産。ハプスブルク家の歴代君主の墓所であるほか、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトとその妻ウェーバー・コンスタンツェの結婚式 と葬儀が行われた聖堂としても知られている。



ステファン大聖堂  2010年4月撮影by Yoko

上の写真撮影後、5年で修理は中央部に移っていた。

この周辺には馬車が多い。まだ11:00だが腹がへったので、大聖堂を少しすぎて運河にむかってあるいたローテントウム通りのNORDSEEという店でニ シンの酢漬のサンドを摂る。Euro2.49だ。

<ホーアーマルクト広場>



ホーアーマルクト広場


ローマ帝国の軍事基地ヴィンドポナの遺跡が残されているというが、どこかわからなかった。

<アンカー時計>

ホーアーマルクト広場にある「 からくり時計」



アンカー時計


そのまま真っ直ぐあるいてドナウ運河に向かう。橋の上から上流を望むと、我がホテル近くのスピッテラウのゴミ焼却場のぴかぴかに化粧した煙突が見える。係 留されている舟はレストランとなっている。



ドナウ運河


ドナウ河を見ようとU1のネストロプラッツ駅を探す。どうもユダヤ人街に入ったらしく、独特な黒い帽子を着用した親子や青年を見かける。U1のド ナウインゼル駅で下車するといきなり、新ドナウ河の真ん中で出る。遠くに空港に発着する旅客機や風車が見える。下流に見える橋はプラーター橋。ここで ウィーンとドナウの関係はロンドンとテームズ河の関係とはまったく別物だということが分かる。ここでは川は水はけがよければそれで良しという感じ。一駅分 歩いて橋を戻り、 フォルガルテンシュトラーセ駅前でハムサンドをとる。



ドナウ川

フォルガルテンシュトラーセ駅⇒(U1)⇒プラーターシュテルン駅⇒(U2)⇒ショッテリンク駅

<ドナウ運河水門監視場>

この水門は水位差をさかのぼる舟ようではなく、流量調節が目的である頃が分かる。



ドナウ運河水門監視場


ショッテリンク駅からショッテリンクを証券取引所まで歩き、その角を左折してヴィップリンガー通りをホーアーマルクト広場に向かう。途中、ティーファー・ グラーペンと立体交差する。多分、昔はティーファー・グラーペンには川が流れていたのだろう。疲れたのとトイレが必要なので、フェルバーガッセとの交差点 にあるカフェでコーヒータイム。

一旦ステファン大聖堂に出てからグラーベン通りのレオポルドの泉とペスト記念碑を通り、突き当りを左折してコール・マルクト通りに入り、再び ホーフブルク宮殿ミヒャエル門に向かう。



レオポルドの泉とペスト記念碑

ミヒャエル門から入り、旧王宮西口からでてフォルクス庭園に入る。そこから国会議事堂、市庁舎、ブルク劇場、ウィーン大学と歩き、38番トラムで Hotel Ibis Styles Wien Cityに返る。7時間歩いたことになる。



国会議事堂

どこの教会かと思っていたところが、市庁舎であった。



市庁舎


ブルク劇場は市庁舎の正面にある。



ブルク劇場


路面電車38でホテルに帰り、本ブログを書く。

夕食はU6のガードをくぐったヴェーリンガー・ギュルテルに面したバー・レストランのBlau*Sternでとった。ビール込みでEuro13.8。

第三日
、4月16日(木曜日)

Hotel Ibis Styles Wien City→(徒歩30分)→Wilhelm-Exner-Haus

いよいよ今回の旅の目的であるNURIS2015の会場に向かう。会場はベートーベンゆかりのハリゲンシュタットの近くで、ホテルから歩いて行ったが高級 住宅地でとても快適なところだ。ベトナムの領事館もあった。

NURIS 2015

Wilhelm-Exner-Haus→(徒歩30分)→Hotel Ibis Styles Wien City

主催者の歓迎夕食会には参加せず、王園で野菜料理の夕食をとり明日の準備をした。

第四日、4月17日(金曜日)

Hotel Ibis Styles Wien City→(徒歩30分)→Wilhelm-Exner-Haus

NURIS 2015

Wilhelm-Exner-Haus→(徒歩30分)→Hotel Ibis Styles Wien City

皆と分かれて、雨の中ホテルに返る。ヴェーリンガー・ギュルテルに面したバー・レストランのBlau*Sternでとった。ビール込みで Euro15.3。レストランで肉と野菜の夕食をとる。

第五日、4月18日(土曜日)

Hotel Ibis Styles Wien City→(徒歩)→Nufdorfer Str.

Nufdorfer Str.⇒(U6)⇒Spittelau

Spittelauのホームからガラス細工の装飾を施した巨大なゴミ焼却場が見える。

Spittelau⇒(U4)⇒Landstrase

U4はドナウ運河の河岸に敷設されているため、時々運河が車窓から見える。

Wien Mitte⇒(CAT)⇒ Busterminal Air Port Wienna

CATが故障して一時バス代替輸送に切り替わったが、すぐに直り、1時間遅れでCATが使えた。

空港ビルからウィーン市街地を遠望するとウィーンはアルプスがその高みを失い低い丘陵地帯になったその東のシッポに抱かれていた。空港と市街地の 中間地点には風車が林立している。チェックインまで時間があったのでお土産探しとバッテリーが続く限り、本報告書作成に費やした。

ウィーン国際空港13:20発⇒(OS51)

ホテルでチェックインしてもボーディング・カードを印刷できない。CATの発車駅ではパスポートを読み取れなかった。結局空港で行う。出てきたボーディン グカードは自宅で印刷したものよりちゃちいものであったが、貨物室手荷物のローディングにも搭乗にも有効に機能した。

機中ではTVで一部観た「ミッドナイト・イン・パリ」とディズニー・アニメ「ベイマックス」、もう一 つのアニメ「怪盗グルーのミニオン危機一発」 (Despicable Me 2)を観た。「博士と彼女のセオリー」(Theory of Everything)は途中でやめた。

空港での2時間の待ち時間に本旅行記を書いたので目がつかれた。そこで音楽を聴 いて目を休ませながら専ら音楽を聞きながら眠っていたのだが聞き覚えの歌声が聞こえてきた。身長180センチの細身のあまり色っぽくない タイラー・スイフトというシンガーソングライターだそれでマイケル・ジャクソンに次ぐ売り上げとか。UTubeさがしてみたらたら、なんと御隣のテラスハ ウスのテーマ音楽につかわれているWe Are Never Ever Getting Back Togetherも 彼女の曲だと判明した。Shake It OffもFENでよく聞くがショショショウジョジの真似したのではないかと。

今回のNURIS2015の会議場に大型犬を連れて出入りしていたグ リーンピース インターナショナルのエネルギー・キャンペイナという子はスイフトと同じような感じの子で、同じようなよく通る声でよくしゃべる。6月から 日本に常駐して脱原発のネジを巻くのだと意気込んでいたがどうなることか。


第六日、4月19日(日曜日)

⇒着07:30成田


感じた彼我の差

さて、帰国してつらつら思うに、イギリスのように海洋国でもないし、フランスのように陸軍国でもなく、ローマ時代は北の蛮族を抑える軍団の 駐屯地であったに過ぎないにも関わらず、ウィーンが近世史をオーストリー帝国の首都として君臨できたのはなぜかと言えば、婚姻政策、すなわち女の魅力で ヨーロッパ史を生き抜いたということなのだろう。そしてこの政策が平和をもたらす以上人々は王家を支持したのだろう。その魅力は今もウィーンの魅力に一致 して人々が魅せられてやってくる。

ウィーンでは市営の電車の加速度が強く、エスカレータの速度が速く、乗車、下車においては自分の近くのドアのボタンを押さなければいけないなど、とまどっ た。しかし帰国すると日本のエスカレータが遅く、とまっているように感ずるのは不思議。そしてなにより貨物室手荷物を運ぶベルトコンベアはその節毎にセン サーをつけて前 につまっているときは完全に停止して待つため、荷物がでてくるのに時間がかかる。

今回はエコノミーでも最低料金のredtocket/Vをオンラインで買ったが、座席は早いもの順に自由に選べる。従って主翼中央の通路側という 一番安全な 場所を確保できた。ただ食事が良くないから、追加料金を支払っておいた。離陸直後にスチュワーデスがやってきて追加の料理は今にしますか、すぐにしますか と聞く。待ち時間にパソコンにかじりついていたので空腹だったのですぐにというとビジネスクラスの料理が特別にサービスされてご機嫌だった。

日本の税関は免税にもかかわらず、いまだに生年月日と住所を書かせている。ウィーンから帰るとかってのソ連のように見える。どうせパスポートに書いてある のだからわざわざ、いじわるに書かせるのは日本の官憲の権力誇示の悪い癖。それより歩いている人を観察するほうが第六巻で悪者をみつけられるとおもうのだ が。

成田エキスプレスの切符は最近の外国人ラッシで外国人旅行客が列を作っているため、分かりにくい自動販売機で切符を買ったが、2時後発車の切符がでてき た。ゲートを通過してから気が付いたため、その確認のゴム印をしてもらうためにまた外国人旅行客の列に並ばねばならず、1時間空費した。JRは官僚体質で 客が増えても窓口増設などしないから次回からはJRは完全に捨て去り、これからはバスにすることを決意。料金だって半分で済む。

私もウィーンでは外国人であった。切符を自動販売機で買うのは最も難しい。第一、ドイツ語の地名が出てこない。そこで人間がいるところで切符を買う。観光 業で食っているウィーン市当局はそこらへんがよくわかっている。空港で若い女の子がいるアイルランド風のQCCブースでウィークリーフリーパスを買えばタ クシーを除く路面電車、バス、地下鉄は乗り放題。駅は完全に無人で切符切りも居ない。無駄な人件費は浪費しないのだ。

成田エキスプレスに相当するのはCATだが。QCCを買っただけで幸せにになり、何も知らないまま、改札口に人がいないのでとりあえずこれに乗ってしまっ ても中 でチャーミングな女性車掌が切符を売ってくれる。ところがJRはだれも使わない自動切符販売機は沢山投資したが、人がいる窓口は2つだけ。日本人の私で すら自動販売機の設計が悪いから、2時間も先の切符を押し売りされる。こんなわけで外国人は2人しかいない窓口に殺到する。外国からの観光客はパニックに なって列があれば、とりあ えずなんでも並ぶという悪循環。なにがおもてなしだ?この国は末端でなにが起こっているかも気が付かないアホが運転しているようだ。そのうちに事故を起こ すことまちがいない。



その他

旅行保険会社契約のキャッシレス提携病院(土日祝休)Tumulare Corp. カールスプラッツ駅近く 0676-957-6868(日本語)

今回、会議はサボって下記美術館めぐりをもくろんだが、自分でしゃべらなけっればならなくなりそれも不可となった。

<ベルベデーレ宮殿>

オイゲン公の夏の離宮。上宮殿と下宮殿に分かれている。グスタフ・クリムトやシーレの絵は上宮殿に展示されている。南側の池越しにみる上宮は壮麗な景観。

グスタフ・クリムトのダナエ

<美術史美術館>

2008年に上野の都美術館にやってきたフェルメールの「絵画芸術」。一時、ヒトラーが所有していたという。



絵画芸術 wiki

ティントレットの「スザンナの水浴」



ティントレットの「スザンナの水浴」 wiki

March 18, 2015

Rev. May 23, 2015


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