能登半島・若狭湾周遊ドライブ

第4日

兼六園、金沢城 、永平寺

2006年4月26日(水曜日) 金沢にはビジネス、親戚の結婚式出席、バイクツーリングなどで何回も訪問しているが市内観光をしたことがない。車をホテルの駐車場に置いたまま、隣接する 兼六園に足を運ぶ。 園内にはかなりの水量の水が流れている。この庭園の三方は急に下がっている。従って水は湯涌温泉のある尾根伝いに人工的に造られた導水路を造って兼六園 に流れ込むにちがいない。江戸の玉川上水と同じ原理なのだろう。

兼六園 霞ヶ池の徽軫(こと じ)灯籠

兼六園と金沢城の間は人工的に掘を掘削して橋を渡してある。金沢城の用水にも兼六園と同じ仕掛けがあるにちがいない。橋 を渡っては入るのが石川門だ 。かって場内にあった金沢大学は引っ越して、城の一部が復原されている。そのまま大手門方向に歩き、森八と泉鏡花生誕の地の前を通って浅野川大橋を渡りひ がし茶屋街に向かう。浅野川岸の家並みも古風で風情がある。

金沢城

東茶屋街はかっての花町だが現在も家並みが保存されている。修学旅行の生徒達が大勢見学しているのは奇妙な感じだ。

東茶屋街

徒歩で取って返し、金沢城と兼六園の間の堀の底を歩いて金沢21世紀美術館(Museum Serial No.225)に向かう。こ の巨大な堀は自然の尾根を掘削したもので土木機械のなかった当時としては大工事であったろうと察する。金沢21世紀美術館 を訪問したのはLeandro Erlich のThe Swimming Pool を見るためであった。

Leandro Erlich のThe Swimming Pool

金沢21世紀美術館を出て香林坊に向かう右手に旧制四高の赤レンガの建物が残っている。現在は石川近代文学館になってい る。香林坊 で昼食とする。

香林坊の街角にある金沢城と兼六園の立体ブロンズモデルが金沢城と兼六園の全体像を把握するのに適切だろう。我々が宿泊したウエルシティ金沢は兼六園の右 手にある豪勢な円形の建造物である。ちょうど男の子の左足の指し示す方角にある。中央に石川門前の堀が切り込まれてある。東茶屋街 は女の子の左手の下にある。

香林坊にある金沢城と兼六園の立体ブロンズモデル

金沢からは白峯村経由で勝山市にでて平泉寺・白山神社を訪れたのち、永平寺経由福井市に向かう計画をたてていた。しかし金沢市内観光に半日を費やしたの で、山岳走行する時間的余裕はなくなってしまった。やむを得ず北陸道で永平寺だけを訪問した。宿に向かう小雨のなか福井城址がチラと見えたが、そのまま通過。

2019年になり、永平寺の南の一乗谷に朝倉氏の拠点があったことを知る。信長に焼き討ちにされて、この拠点は壊滅し、住民は今の福井市に移住を強いられ たという。ここは山間とはいえ足羽川経由で川船で三国港に繋がっており北前船で産品を全国に売りさばいて冨を築いたという。

北陸道からは白銀の白山がどこからでも見える。白山をご神体とする白山神社がこのかいわいに沢山あるのが理解できる。

白峯村は高橋治の「風の盆恋歌」にでてくるので一度訪ねてみたいと思っていた のである。平泉寺・白山神社は司馬遼太郎の「越前の諸道」にその歴史が永平寺の歴史とともに詳しく描か れていたからである。白峯村はいずれ白山登山の折に訪れることもあろう。

永平寺 仏殿

永平寺はたしかに大伽藍を擁する現在も活気ある寺である。傘下の曹洞宗の寺の次世代をになう若い雲水が大勢修行してい る。大庫院(だいくいん)一階の食事を作る典座寮(てんぞりょう)の 入口には韋駄尊天の像と大すりこぎがあった。1749年再建の山門は最古の建物だそうでなかなかいい。

吉祥閣の廊下で京都烏丸通りの香老舗”松栄堂”から伽羅、沈香、白檀、練香がいかなるものか興味を持って最小 単位の4点セットを買う。高級和装をした女性がもっている臭いだ。伽羅などは重量当たりの単価が金より高価だと実感する。白洲正子がその自伝で彼女の母がお香に 熱中してゆくのを危険な兆候と危機感を持っていたことを告白しているがその通りだろう。香木にこってしまったら茶道具や骨董趣味以上の金がかかるという。

福井市の"ウエルシティ福井"には午後3時に着いてしまったので午睡をとり、連日のドライブの疲れを回復させた。(Hotel Serial No.343

今回の旅は焼き物は対象外であったが金沢の九谷焼の窯は金沢の南西20kmにある能美市にある。

能登半島・若狭湾に戻る

April 29, 2006

Rev. February 3, 2019


トッ プページへ