信州

虫倉山・独鈷山

2008年11月11-13日、wakwak山歩会は鬼無里・小川・中條の3村にまたがる虫倉山(1,378m)と塩田平と鹿教湯(かけゆ)温泉の間に聳える独鈷山(とっこさん1,266m)の2つの里山に登った。

虫倉山からは雄大な後立山連峰(北アルプス)の展望も楽しみ。独鈷山では鹿教湯温泉と霊泉寺温泉を楽しんだ。 独鈷山の名は弘法大師がフォーク様の独鈷杵(とこしょ)という仏具を山頂に埋めたという伝説から名づけられたという。
 

第1日目

開成町駅に集合。マーの車で出発。長野道を豊科ICで下りかっての「塩の道」、糸魚川街道を北上する。これはやがて千国街道(ちくにかいどう)となって日本海に達するのだ。栂池高原近くの沓掛にはいまでも塩を運んだ牛方と牛が一緒に一夜を過ごした、牛方宿が1軒だけ残っている。

仁科氏の拠点だった大町をバイパスしたため、善光寺と大町を結ぶ大町街道に入り損ねた。そこで更に北上し、青木湖を過ぎて白馬神城で右折、白馬美麻線経由で大町街道に戻った。

小川村役場から左折して信濃信州新線を鬼無里(きなさ)に向かって登った。緩やかな傾斜で南面する気持ちのよいところだ。アルプス展望広場から 山里の西方に展開する白銀の後立山連峰を見る。爺ヶ岳の「種まき爺さん」、鹿島槍ヶ岳の「ツル」と「獅子」、白馬岳の「代かき馬」などの雪形は初雪では見れない。

後ろを振り返り、東方を望むと虫倉山がそびえている。虫倉山の南面が小川村と中条村だ。中条村の東は七二会(なにあい)村でマーさんの父君の出身地だ。ここには山姥伝説が伝わる。長野ではこの界隈を西山と呼ぶ。比較的緩斜面のため太古より人々が耕して定住した。豊かで寒村という雰囲気はない。米作も一部可能だが、畑作のため、麦粉を使う「おやき」料理が発達した。

アルプス展望広場からの白銀の後立山連峰(北アルプス)

信濃信州新線を鬼無里に向かって更に登ると信濃三十三ヶ所霊場の結願所33高山寺(こうざんじ)の三重の塔があった。坂上田村麿が観音堂を創建。1195年源頼朝が移転再建し、この三重の塔を創建した。更に信濃信州新線を登ると32番西照寺がある。無住である。

三重の塔

西照寺

虫倉山の南面の等高線にそってつけられた狭い小川長野線に入って東進する。拡幅工事で全面交通止め部分を迂回したが、すれ違いも出来ない狭い道だ。31番廣福寺下で小川長野線に戻り、清水の集落から明日の登山口不動滝駐車場まで登る。虫倉山の南面は絶壁がそびえ、どこを登るのかといぶかる。31番廣福寺も訪問しようとしたが、徒歩1.5kmとのことであきらめた。

小川長野線にもどり、標識にしたがい御山里、姥久保、横道の集落を抜け、日没直前にようやく本日の宿泊地「やきもち家」(Hotel Serial No.443)に到着する。日が落ちたらリヤカーがやっと通過できる狭い山道を運転することは困難だったろう。ここでもルート66のために購入したハンドヘルドGPSが役立った。

「やきもち家」は中条村経営だ。建物は村の所有だが運営は民間にゆだねられている。茅葺の古民家をロビーにし、囲炉裏にはつねに薪がくすぶっている。 この灰に埋めて焼く「おやき」が名物。鉱泉は24時間使える。

やきもち家

「やきもち家」の囲炉裏

茅葺の葺き替えには400万円かかるそうである。経営は赤字だろう 。後日調べると中条村は公債比率22.5%で借金自治体ではワースト100番目とのこと。スキー場に過剰投資した野沢温泉村とどっこいどっこいだ。しかし信濃三十三ヶ所霊場の巡礼を企画したとき、この宿泊設備の存在はありがたかった。24時間風呂はすばらしい設備だ。露天風呂の放熱を補償するために間歇的にボイラーが自動着火される。そうすると燃焼によって発生する気柱振動が寝室のサッシを共鳴させる。気柱振動の周波数をずらせばサッシを共鳴させることはないのだがなどと考え出すと気になってなかなか安眠できなかった。

 

第2日目

8:10に宿を出発。車で不動滝登山口に移動する。昨日より広い道を探したが、結局昨日の道しかないことが分かり、GPSの航跡に従う。

8:45登山開始。登山口の標高は990mだから山頂との標高差は388mである。不動滝は虫倉山の南面にそそり立つ岸壁を割るかたちで存在する。この不動滝の脇を通り、しばらく沢にそって登る。標高1100m地点で左側の尾根の斜面をジグザグに登り、高福寺から尾根伝いにつけられた登山道に合流する。あとはしばらく尾根を登ると東屋がある。標高は1357mで山頂とほぼ同じ高さだ。ここからの北アルプスは一段と見事だ。

蓮華岳、針ノ木岳、ズバリ岳は一塊に見え、手前の蓮華岳が高く見えるが実際には中央の針ノ木岳(2,821m)の方が高い。鹿島槍ヶ岳は未踏だ。今後も登ることはないだろう。コンチャンは若き頃、南峰に登ったという。

蓮華岳、針ノ木岳、ズバリ岳

鹿島槍ヶ岳

白馬鑓ヶ岳、杓子岳、白馬岳は雪がより一層深い。大出原は特に真っ白だ。白馬岳の右手の小蓮華山(2,769m)は新潟県の最高峰だとマーはいう。

白馬鑓ヶ岳、杓子岳、白馬岳

幾つかのピークと痩せ尾根を伝わって10:35虫倉山の山頂に到る。後立山連峰は雲に覆われてよくみえない。眼下に登山口のある清水の部落が見える。その向こうの谷は大町街道が通る十尻川が作った谷だ。小川村の役場も視野に入っている。十尻川はやがて信濃川の上流の犀川にそそぐ。高福寺からの登山道は清水部落の背後の尾根につけられている。

清水の部落

目を南方はるかに転ずれば十尻川と犀川が作る谷の向こうに聖山(ひじりやま1,447mがでんと居座っている。美ヶ原はその向こうの霞のなかだ。聖山の東には姥捨山(冠着山1,252m)が、西には一段低く霊松寺山(1,128m)、鷹狩山(1158m)、南鷹狩山(1,147m)が連なって見える。 丁度大町の東に当たる。そして犀川は聖山と霊松寺山、鷹狩山、南鷹狩山の間の谷を流れているのだ。

虫倉山頂より南方中央に聖山と姥捨山を望む

目を北方に転ずれば、目の前に鬼女伝説のある荒倉山(砂鉢山1,432m)が見える。飯綱山や戸隠山は雲の中だ。戸隠山のはずれの一夜山はかろうじて雲の下に見える。

方に荒倉山を望む

東屋までもどって昼食をとる。下山時には再度膝痛に悩まされる。12:45登山口着。大町街道に下り、虫倉山全景を撮影。

大町街道より虫倉山を望む

稲荷山の更科八幡 宮(武水別神社)、戸倉温泉、塩田平、平井寺トンネル経由、本日の宿泊地 鹿教湯温泉鹿月荘(Hotel Serial No.444)に向かう。途中、宮沢登山口を視察。鹿月荘のトイレは自動的に便器の蓋が開き、水も自動的に流してくれるすぐれものだ。ただG線上のアリアを何度も聴かされると少々食傷気味になる。

第3日目

宮沢口林道駐車場の標高は720mだから山頂との標高差は546mである。御屋敷沢を登りつめ、最後の急斜面を登ったがあまりの急斜面で1,100mを過ぎた地点で登る気力が失せた。昨日のように膝の腱が痛くなったら下りに難儀するだろうと考えたのも理由の一つ。仲間と別れて滑落しないように気を引き締めて一歩一歩下った。登った標高差は380mだが、ゆっくり下ったため、膝の腱は痛くはならなかった。

独鈷山 右から2つ目の一番低く見えるピークが最高峰

山頂に立った2人の話によると、登山道は引き返した辺りが最高斜度で次第に斜度はゆるくなり、あとは楽であったという。山頂からが360度のパノラマをほしいままにし、小諸方面と槍、穂高が良く見えたという。

下山後は霊泉寺温泉の共同風呂に200円で入浴してから関越道で帰った。

November 15, 2008

Rev. January 4, 2009


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