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950

モナ・リザの謎

2005/03/27

日本ではモナ・リザと呼ぶが、西洋ではジョコンダとよんでいる。当時25才だったジョコンド夫人の肖像画としては老けて見える。

ダ・ビンチが描いたジョコンド夫人の肖像画は2枚あるという伝説があり、この説を利用して「ダ・ビンチ・コード」というベストセラーのミステリーが書かれた。 ニース版モナリザというのがあるがこれは弟子達の模写という。

ロンドンのアイルワースに住む美術専門家によって発見されたといわれるアイルワース版モナ・リザも専門家は模写としているがこの絵のジョコンド夫人は若くてジョコンド夫人リザらしく見える。

ではレオナルド・ダ・ビンチが死ぬまで持っていたルーブル版は誰を描いたかというなぞが生じる。

その一つの説がマグダラのマリアを描いたのだという。マグダラのマリアは元娼婦であったが、キリストの教えに帰依した女性とされる。しかし、彼女がキリストの子を身ごもったという説があり、これはローマンカソリックにとっては不都合なため、ダ・ビンチはモナ・リザを公表できず、この絵を終生もっていた。この絵はルイ王朝時代は「ヴェールを着た娼婦」というタイトルを持っていたということだ。

ルネッサンス人であったダ・ビンチはローマンカソリックにとっては不都合なキリストとマグダラのマリアの人間らしい生き様に共感をもっていた人である。

ダビンチ・コードというベストセラーミステリーには種本となった「レンヌ=ル=シャトーの謎ーイエスの血脈と聖杯伝説」に記載された沢山のミステリーが採用されているが全てフィクションであることを認識しておいたほうがよい。

死海文書を解読してマグダラのマリアトとキリストが結婚し、二男一女をもうけ後離婚という「イエスの生涯新説」が1992年に「イエスのミステリー」という本になって出版されている。

マグダラのマリアが「最後の晩餐」に キリストの右隣に描かれているという説もあり、説得力がある。だたユダヤの当時の風習では晩餐は床で摂ったというので「最後の晩餐」のテーブルはダ・ビンチの無知のためか。

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関連情報:ハプスブルグ家バーチャル・ギャラリー


真実はどうか?

ルネッサンスの画家ヴァザーリが「美術家列伝」に モナ・リザはフィレンツェの商人フランチェスコ・デル・ジョコンドの二番目の夫人リザ・ゲラルディーニがモデルと書いた。 しかしこの本は半世紀後に書かれたので疑問を呈する美術史家が多かった。しかし2008年、ドイツのハイデルベルグ大付属図書館に所蔵されていたキケロの「縁者・友人宛書簡集」 に当初の所有者アゴスティーノ・ヴェスプッチによる「当代のアペレス、レオナルド・ダ・ヴィンチがリザ・デル・ジョコンドの肖像を制作中1503年10月」というラテン語の書き込みが発見され、ジョコンダ夫人と確定した。

朝日

Rev. May 20, 2008


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