読書録

シリアル番号 975

書名

印欧語の故郷を探る

著者

風間喜代三

出版社

岩波書店

ジャンル

言語

発行日

1993/2/22第1刷
1993/4/5第2刷

購入日

1994/12/28

評価

岩波新書

昔、買った本であるが読書録に未登録の本を3冊みつけたもののうちのひとつ。

ページをめくってみたが読んだ記憶はない。買っただけで積んでおいたようだ。

そもそもインドのサンスクリットとギリシア・ラテン語との共通点を初めて指摘したのはイギリスのインド学者のW・ジョーンズである。

印欧語の故郷問題はナチのプロパガンダに利用されて評判の悪いテーマである。本書も学問が政治的に利用されてゆく様が克明に解説されている。

戦前はアジア説→悪名高いヨーロッパ説(ゲルマン説)→東南ヨーロッパ説(黒海・カスピ海北部)→アナトリア説→メソポタミア周辺説→戦後は近東説と変遷している。

ナチのプロパガンダに利用された説はヨーロッパ説である。ブナと鮭が証拠とされた。馬とのつながりがないので弱い。

東南ヨーロッパ説(黒海・カスピ海北部)にたつものは。2000年に読んだジャレッド・ダイアモンドの「銃・病原菌・鋼鉄」と2007年には1926年に書かれたオウエン・バーフィールドの「英語のなかの歴史」である。ジャレッド・ダイアモンドは ウクライナ地方でインド・ヨーロッパ言語を話していた人々の居住区が西方に広がったとしていた。そして背景には軍事的要素としての馬の存在が欠かせないとしていた。オウエン・バーフィールはインド・ヨーロッパ祖語を話した民族は石器時代に東ヨーロッパから中央アジアに広がる大平原のドニエプル河(現ウクライナ)の岸辺に遊牧民として出現した。エジプト文明、カルデア文明、ミノア文明などの前アーリア文明の母系的な社会よりダイナミックな父系的社会であったようだ。これらのアーリア人の移住者は、征服する侵入者として来ようと、平和な入植者として来ようと、押しかけたその地での土着の文化を吸収するより、抹殺する傾向があったらしいとしている。

著者は東南ヨーロッパ説(黒海・カスピ海北部)が最も可能性があるとしている。理由は車輪と馬である。ヨーロッパへの拡散は2,500年前まで継続した温暖な気候が寒冷化したことにその理由があるだろうとしている。

時代としては言語学上は2,500年前までしかさかのぼれないが、考古学上は4000年前までさかのぼれる。

さて農耕は中東に起源を持ち、印欧語を話す人々が東南ヨーロッパ説からヨーロッパに移住したという考えは可能かというとマイケル・クックの「世界文明の一万年の歴史」によればミトコンドリアDNAとY染色体分析により明確に否定されるという。現在のヨーロッパ人は旧石器時代から現在のところに住んでいたのだ。


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