読書録

シリアル番号 800

書名

ドラヴィダの世界 インド入門II

著者

辛島昇編

出版社

東京大学出版会

ジャンル

文化論

発行日

1994/3/11初版

購入日

2006/10/21

評価

元サルボダヤ・アシュラム農業学校長を勤めた島田輝男氏が推奨した辛島昇著「インド入門」を鎌倉図書館に頼んだだら代わりにこの本を県立図書館より取り寄せてくれた。

「インド入門」は辛島昇教授が1977年に書いたものであるが、氏の東大退官記念として氏が編者となって32名のインド研究者が集まって書いた本がインド入門IIである。

ドラヴィダの世界としたのはインドはヨーロッパに連なるサンスクリット代表されるアーリア系言語グループだけを考えるとインド理解を誤る。中央アジアのからやってきたドラヴィダ系言語グループが亜大陸で邂逅し、互いに影響を与えあって共存してきた、その長い相克の歴史を知らなければならないという認識があったためであるという。深層のインドはドラヴィダ系言語グループに由来するというわけである。両者は英語と日本語ほどの異質な言語となるはずであったが、実際には相互に影響しあって融合している。

歴史的にみるとインド亜大陸には東南アジアにつらなるオーストロ・アジア語が全体に広がり、北部では孤立語とされるシナ・チベット語も話されていた。紀元前3,500年ころ北西のアフガニスタンから膠着語であるドラヴィダ語を話す人が入り込んで交じり合って共存するようになる。屈折語であるインド・アーリア語の話し手の進出は、紀元前1,500年ころとされ、同じ頃ドラヴィダ語を話す人々が南方に移動を始める。 こうしてインド語はピジン・クレオール語化してゆくのである。

孤立語はシナ・チベット語族で、中国語、チベット語、ビルマ語、ベトナム語、ラオス語、クメール語、タイ語、サモア語、英語

膠着語は日本語、朝鮮語、満州語、モンゴル語、トルコ語、フィンランド語、ハンガリー語、タミル語を含むドラヴィダ語。

屈折語はラテン語・ギリシア語などのヨーロッパ言語、アラビア語、インド・アーリア語

タミル語はドラヴィダ系言語グループを代表する。大野晉の「日本語の起源」によれば日本語とタミル語の類似性がたかいため日本の稲作は南インドから伝来したという説を採っている。大野晉理論は信じがたいところがあったが、 ドラヴィダ系言語グループが中央アジアからやってきたようなので共通項の膠着語で理解できる。

さてなぜ古代インドの静謐・内省的・瞑想的な仏教がインドではすたれ、混沌と喧騒と大寺院に象徴されるヒンズー教になってしまったのだろうか?

紀元前13世紀、アーリア人がインド進入開始し、先住民族のドラヴィーダ族支配の過程でバラモン教が形成される。この頃メソポタミアのヒッタイト帝国が滅亡

紀元前10世紀 、アーリア人とドラヴィダ人の混血が始まり、宗教の融合が始まる。バラモン教の経典リグ・ヴェーダ時代には大寺院は無くマントラを唱えながら神々に供物をくべる儀式を行う自力的性格のつよいものであった。

紀元前5世紀になると輪廻からの脱却によって究極の自由と幸せを目指す宗教運動が生じた。これがウパニシャッドの思想家、仏陀、ジナ(ジャイナ教)達である。彼らがとった方法は関心を外界から内面に向け、恒常的で変わることなき原理ブラフマンまたは生命の源を自己の内奥に認識することであった。

紀元前4-2世紀、存在の最高原理たるブラフマンが民間人にも理解できるシバやヴィシュヌスといった目に見える神に姿を変えてゆくのである。リグ・ヴェーダに出てくる強力な破壊神であるルドラ の別名がシヴァであった。ルドラはモンスーンの神格化であり、破壊をもたらすと共に、雨によって植物を育てるという二面性をもっている。

紀元前1世紀、有神論的傾向のなかでヴィシュヌスの化身クリシュナが登場して神を崇拝し、神にバクティ(’信愛’すなわち神に対する恋愛感情にも似た熱烈な信仰)を捧げることに人間の最高の幸せを見出すヒンズー教時代に入るのである。

シヴァの妻はパールヴァティーで、その間の子供がガネーシャ(歓喜天)である。 軍神スカンダ(韋駄天)もまたパールヴァティーとの間の子供である。 韋駄天は日本にも渡来してきているがこれは仏教というより、ヒンズー教時代の影響の強い神が混ざっているということだろうか?

紀元初頭頃、インド南部の移住したドラヴィダ人が抽象的・理性的な傾向を持つサンスクリット文化に生身の人間の生活を具体的に描写し、人間同士の関わり、とりわけ男女の心の機微を抒情的に詠いあげる独自の文学に特徴つけられる要素を与えるのである。彼らが古くから信仰したものは偏在する純粋精神や天上の神々といったものではなく、ある特定の山や川に住み着いて人間に幸せを与え、あるいは災いをもたらす人間社会に身近な土地神たちであった。

ヒンドゥー教のシヴァの寺院では、神体としてシヴァリンガがシンボルとして安置されており、それが礼拝の対象になっている。シヴァリンガは、リンガとヨーニの二つの部分からなり、内側が受け皿状の円形または方形のテーブルの横に油が流れ出る腕が付いているヨーニの中心部に、リンガと呼ばれる先の丸い円柱が立っている。ヨーニは女性器の、リンガは男性器の象徴であり、性交した状態を示す。ただし、我々は性交しているシヴァを女性器の内側から見ている形になっている。これは、シヴァ神が女性と性交をして現われたのがこの世界で、それが我々の住んでいる世界という意味になっている。この様な生殖器崇拝は、本来のサンスクリット文化にはなく、ドラヴィダ族の影響だろうといわれている。紀元6世紀のグプタ期にはリンガの奉献者の個人名にイーシュヴァラという語を付すようになった。

isvaraは自在という意味をもっていてAvalokitesvaraとすれば仏教の観自在すなわち観音となる。観音とリンガがここでつながっている。

Rev. November 6, 2006


1786年、東インド会社のウィリアム・ジョーンズがサンスクリット語はヨーロッパ諸語と祖先を同じにするものだという説を発表してから言語は民族移動によってインダス文明後 にもたらされたとされてきた。しかし掘晄(あきら) は考古学とDNA分析からインダス文明もアーリア人のものでもっと古い時代に民族移動があったとする仮説を提案。

Rev. May 5, 2008


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