読書録

シリアル番号 807

書名

歴史の研究

著者

アーノルド・トインビー

出版社

中央公論社

ジャンル

歴史

発行日

1967/6/20初版
1970/4/4第5版

購入日

2006/11/3

評価

原題:A Study of History by Arnold J. Toynbee

蝋山政道編集の世界の名著シリーズ61

鎌倉図書館蔵

オスヴァルト・シュペングラーの「西洋の没落」を手にとって以来本書を読みたいと思うようになった。飯島生先生のお話しをうかがったてますますその意を強くした。というわけで取り寄せて読み始めたのである。

蝋山政道氏の解説はウザッタイのでパス。冒頭から引きこまれて読んだ。 教科書的に時系列にくどくど書いてなく、大づかみに整理してくれるのでスッと頭に入る。さすが名著だ。

早速キリスト単性論信者なる未知の言葉がでてくる。ネストリウス派とグノーシス派との関係はなどと疑問がわきあがってくる。

紀元前2143-2079年ころ現在のイラクの地でウルのシュメル王朝のウル=エングルによって樹立され、紀元前1754-1690年ころアモル王朝のハンムラビによって再興されたシュメル・アッカド帝国があった。この帝国の崩壊とともにアーリア人の民族移動が始まったのである。紀元前1375年ころからインドにアーリア人が進入したのは多分このためである。西のほうではヒッタイトとバビロンが後継 文明となった。そのヒッタイトも紀元前1200年には滅亡。

ヴェーダの宗教がオリンポスの神々崇拝と同じように、民族移動の期間中に蛮族の間で発生した形跡を示し、衰退期の社会の内部プロレタリアートによって動乱時代の間に創造された宗教の特色を何一つ備えていない。

トインビーは文明の発生は創造力によるとしている。そして創造力は必要を母とし、強情を父として発揮されるのである。親文明を持たない五つの文明は変化する自然からの挑戦Challengeに対する応戦Responseによって創造力が発揮されたためとする。

文明の交替について「以前に存在した文明の内的プロレタリアートが、創造力を失った支配的少数者Dominant Minorityから離反して、新たな文明が出現する」という表現を頻繁に使う。 この場合、親社会との関係から生じる人間環境の挑戦に応戦するという型になる。

文明の衰退が外部勢力の攻撃にあるとするエドワード・ギボンの「ローマ帝国衰亡史」の見解には氏は反対の立場をとる。ローマに勝利した教会と蛮族は外部勢力ではなく、支配的少数者から精神的に離れていたヘレニック社会の内的プロレタリアートであったとする。 成長期にある文明は外的プロレタリアートに遭遇Encounterし、その挑戦を受けても、創造力を発揮して応戦するのでその文明はむしろ高まるとする。

ローマ帝国はヘレニック文明の解体がずいぶん進んだことを示す巨大な徴候であり、ヘレニック社会は自殺者で、その自殺の瞬間は紀元前431年のペロポンネス戦争であったとする。アントニウスは死にゆく自殺者の病状悪化を遅らせたにすぎないとする。教会と蛮族はドドメを刺したにすぎない。

このあたりの論の展開は中西輝政の「なぜ国家は衰亡するのか」にトインビーの説として紹介されている。また鎌倉プロバスクラブ の副会長萩原定秀氏より聞いたトインビーの文明が滅びる6つの兆候にも整理されていた通りである。

さて成長は創造的個人Creative Individualと創造的少数者Creative Minorityによってなし遂げられるが彼らとてなんらかな方法で仲間をともに前進させないかぎり、かれらは何もできない。指導者の任務はその仲間についてこさせることにある。その唯一の手段は原始的でかつ普遍的なミメシスの能力を利用することである。このミメシスは一種の社会的訓練である。オルフェウスの竪琴のこの世のものならぬ霊妙な調べを聞こえない鈍い耳にも、訓練係り下士官の号令ならよく聞こえる。

訓練係り下士官の号令の例示として遊牧民の技術を定着社会に適合させたオトマン帝国の成功がある。奴隷を訓練して彼らの人間家畜の間に秩序を保つ仕事を助ける人間補助者にしていたのだ。モロッコでも類似のことが真似されていたようでジャイルズ・ミルトンの「奴隷になったイギリス人の物語」にイギリス人奴隷も記録としてでてくる。

自然は有機体の機能の90%は自動的に最小のエネルギー消費で行われるようになっている。人間社会もおなじで多数者は少数者の先導に機械的に従うように仕込まれている。このような人間の社会的関係におけるミメシスの能力に破局の危機がひそんでいる。ミメシスの弱点はそれが外からの示唆に対する機械的な反応であり、従って、行われる行為が、行為者の自発的意思によってはけっして行われなかったような行為である、という点にある。慣習などがこの機械的反応の例である。

慣習の殻が破られると創造的人格が現れ、成長する社会が発生するが失敗の危険もます。失敗には積極・消極両面あるが、消極失敗の最たるものは指導者自身が、追従者にかけた催眠術にかかることである。兵卒の従順さが、士官の自発性喪失という不幸な代価を支払うことになる。これが文明の停滞期の原因となる。指導者が指導する能力を失うと、彼らの権力保有は濫用になり兵卒は反抗し、士官は力ずくで秩序を回復しようとする。これは積極的失敗である。これは衰退した文明の解体である。

被指導者の指導者からの離反は、社会全体のアンサンブルを構成する部分相互間の調和の喪失とみなしてよい。部分からなりたついかなる全体においても、部分相互間の調和が失われれば、その代償として、全体が自己決定の能力を失う。この自己決定能力の喪失こそ、衰退の究極の判定基準である。自己決定の能力の増大が成長の基準であるという認識の裏返しである。「プロジェクトのカオス現象」も同根であろう。

社会を構成する諸制度のあいだの不調和の一つの源は、既存の制度が新しい社会的な力(新しい環境、能力、技術、感情、思想)を処理できないためである。イエスがこれをうまく表現しているいわく

”だれも真新しい布ぎれで、古い着物につぎあてはしない。そのつぎきれは着物を引き破り、そして、破れがもっとひどくなるから。だれも新しいぶどう酒を古い皮袋に入れはしない。もしそんなことをしたら、その皮は張り裂け、酒は流れ出るし、皮袋もむだになる。だから、新しいぶどう酒は新しい皮袋にいれるべきである。そうすれば両方とも長もちがするであろう”

家庭ではこの問題は簡単に解決できるが社会では惰性があり簡単にはこのミスマッチは解決されずに残る。そして革命などを待たねばならないことも生じるのである。

ここまで読んで蝋山政道氏の前文を拾い読みするとこの本は抄訳であることを知る。どうりでコンパクトにまとまっている。理論だけで実例がすくないのはそのためらしい。トインビーは第一次大戦の始まった直後の1915年に英国外務省の情報部に入ってトルコ関係の任務についたとある。イラク建国の母ガートルート・ベルがカイロのアラブ局でT・E・ロレンスと一緒にアラブ部族に関する情報収集をしたころである。

この本を書く動機は第一次大戦の勃発と古代ギリシアの内乱すなわちツキュディデスが描いたペロポンネス戦争と第一次大戦が酷似していたためであるという。トインビーが現代のツキュディデスといわれる由縁である という。

過去14年間、塩野七生女史の「ローマ人の物語」の第1巻から第14巻までを愛読してきたが、塩野七生女史はトインビーには言及していなかったように思う。言及したら、14年間がんばる活力がうまれなかったかもしれないなと思う。

人間を社会の一部分でしかないと扱えば、神の崇拝に返えて共同社会の崇拝をすることになり、「レヴィアタン」の崇拝にほかならないことになる。ナショナリズムやコミュニズムが持っているくささである。人間の不得意なのは、彼自身の内部にある人間的自然および他の同胞の内部の人間的自然を処理することである。

永年経営者として苦労してきた友人、和田(弘)が引退後、学習院の大学院生となり「組織論」で博士号を取得しようとしている。ゲーム理論で論じようとしているという。最近の流行にそっていて面白い試みだと思う。トインビーの理論は組織論を含む。ゲーム理論だけで説明できるのだろうか?興味あるところだ。

ジャレッド・ダイアモンドの「文明崩壊」も環境からの脅威があろうと「問題への社会の対応 」がうまくゆけば文明の崩壊は防げるという観点はトインビーと同じ。

歴史の名著としてはイブン・ハルドゥーンの「歴史序説」(岩波文庫)もお奨め。

Rev. December 7, 2006


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