山種・根津美術館

2010年2月10日、グリーンウッド夫妻は山種美術館と根津美術館を訪れた。恵比寿駅から歩き始めた。まず山種美術館にゆく。山種証券の創業者故山崎種二 氏が長年にわたって蒐集した日本画を展示している。もとは千代田区の旧フェアモント・ホテル近くにあったが、広尾に移転して新装開館されたものである。収集者の目が肥えていたため優れたものが多い。

グリーンウッド氏が気に入ったものは横山大観の水墨画、燕山の巻(17m)と楚水の巻(14m)であった。近代化されるまえの北京と湖南省の風景が丁寧に描かれている。興味深くみた。

山種美術館近くのCafe Papasで昼食。

Cafe Papas

根津美術館に向かって歩く。右手のアパートのベランダにブルキナファソ大使館(Ambassade du Burkina Faso)という看板がでている。そんな国あったっけ?旧国名はオートボルタ(上ボルタ)。西アフリカにあるフランス植民地だった小国である。

六本木通りを横断し、狭い路地を真っ直ぐ行くと屋根に青銅の男女の裸体を屋根に配した豪邸の前を通る。南青山六丁目界隈だ。何者が住んでいるのだろうか?

南青山の豪邸

狭い階段を登れば美術館入り口の脇にでられそうなのでGoogleのGPSに従いどこまでも路地をまっすぐ行く。正解であった。

根津美術館は 東武鉄道の社長などを務めた根津嘉一郎氏が蒐集した日本・東洋の古美術品コレクションを保存し、展示するためにつくられた。

独身時代の1965年頃、ここで催された茶会に招待されて庭園にある多数の茶室は知っていた。しかし美術館は今回が初めてである。

 

新館は現代日本を代表する建築家隈研吾氏の設計によるもので2009年10に開館した。一番印象に残ったものは前13ー12世紀、殷時代の3個の青銅容器「饕餮文方盉」というものであった。インカのものと似た 神の顔を造形した異様なデザインの青銅器であった。中国文明4,000年のすごさを実感させる。

庭園越し左手に東京ミッドタウン、右手にロッポンギヒルズの森タワーが見える。

庭園を散策する。45年前の記憶にある茶室群もすべてそのままである。手入れさえ怠らなければこれらはかなく見えるものも意外に持ちこたえるものだと実感。ちょうど咲き始めた梅が渋い。

根津の庭園

表参道に向かって散策を再開。CartierやPRADAの奇抜なビルをみながら表参道駅を越えて歩く。週日だというのに若者が歩道にあふれている。

PRADA

隈研吾氏の設計によるLOEWEビルの木製のファサードを見物。 ここに木部を使うためにスプリンクラーを用意するなど認可取得の苦労話を隈研吾氏から聞いたことがある。横にある倒壊寸前のような家屋とのコントラストも絶妙。

ルイ・ビトンのLOEWE

新装なった同潤会青山アパートをみるが何の感性も感ぜられないビルでがっかり。明治神宮前駅から地下鉄で渋谷に出る。本日は結局恵比寿駅から明治神宮前駅まで道路の幅に関係なく、真っ直ぐ1本道を歩いたことになる。横浜で ベトナム料理の夕食。

February 11, 2010


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