大井町富士見塚ハイキングコース

2005年11月26日、グリーンウッド夫妻は秋の里山を散策した。東名自動車道の大井・松田ICにその名を与えた神奈川県西部の大井町が整備したハイキングコースである。

緑色ルート

秦野町の南にある渋沢丘陵の南側に位置し、2003年春に渋沢丘陵を散策した時から気になっていた所だ。1993年に散策した曽我梅林は大井町の南側の山続きだ。

10:40、JR御殿場線上大井駅下車。御殿場線に並行して連なる河岸段丘のような多分断層に起因すると見られる細長い丘(相互台)を越えて直線状の谷間に入る。この丘の北に高度成長期に第一生命保険会社が本社ビルとして建てた高層ビルやホテルのような寮の建物が今もある。この細長い谷底には上山田、中屋敷、下山田の集落がひっそりとたたずんでいる。桃源郷に入ったようだ。谷底を流れる菊川にかかる排橋を渡って下山田の集落を抜け、土地の人に道を教わりながら了義寺に向かう。手入れの行き届いた野菜畑やミカン畑、柿の木が心地よい。振り返ると相互台の向こうに富士山、手前に矢倉岳、箱根の金時山明神ヶ岳が見える。

下山田の野菜畑

下山田のミカン畑

下山田の柿

了義寺には裏からアプローチした。丘の上から見る了義寺前の棚田が美しい。了義寺はなかなか立派なお寺だ。1367年に足柄地頭和田宗時が飛龍山了義寺と号し、鎌倉長寿寺から古先印元を招いて開山した寺という。雪舟派の秋山桂月(女性)が描いたという竜虎、竹林図などのみごとな墨画があるという。

丁字ヶ原農村公園に向かって尾根道を登る。途中のミカン畑でひだまりのなか、おにぎりの昼食とする。丁字ヶ原農村公園はこの丘陵の頂上にあるが、横目に見て通過。少し下って東名自動車道の上にかかる矢頭橋を渡る。大井松田乗馬クラブが橋の袂にある。対岸の柳という地名のある丘のミカン畑の中を登ると気持ちのよい丘の上の畑に 出る。道しるべにしたがって丘の上の道をゆくと行く手のスリバチ状の窪地に篠窪という集落が見えてくる。急坂を下り地福寺の前に出る。

了義寺裏から俯瞰する下山田の棚田

柳の丘の上の畑

三嶋神社・富士見塚間の路傍のサザンカ

寺前の道を左折して松田の方向に向かうと三嶋神社という古いお宮がある。お宮の回りは伐採されたことのないというシイの自然林が残されていて鳥居の左横の巨木は樹齢800年という。倒木となって下を通過する車をつぶさないように鉄のフレームが道路を覆っている。ゆるい坂を登ってゆくと路傍にはサザンカが真っ盛りであった。

丘を登りきるとそこに本ハイキングコースの名前の元になっている富士見塚があった。説明板に「往古の東路は足柄山を越えて、餘綾の北端を経て秦野善波峠を過ぎ、相模川、玉川を渡り江戸に通じていた。この街道を矢倉沢往還と言った。富士見塚はこの矢倉沢往還の一里塚であったと思われる。篠窪字榎の木の側にある。源の頼朝が富士の巻狩をしたときに榎の木に馬をとめて富士の眺めを鑑賞したという」とあった。 たしかにここから富士はよく見える。

足柄峠を越えた旅人は富士見塚に登り、篠窪に下り、三嶋神社の前を通って渋沢に抜け善波峠へと 歩いたのだろう。大規模な土木工事が可能な現在では小田急線が通っているように川音川の谷を通ってできる限り平坦なコースを採用するが、徒歩の昔は丘陵地帯を越えて行くほうが歩きやすく、かつ気分も良かったのだろうと思う。

富士見塚からは矢倉沢往還の跡をたどり松田駅までゆるい下り坂の気分の良い散策であった。 途中ミカンを収穫している一家にミカン倉の屋根についている換気筒は何のためか聞いたところ、翌年の3月まで貯蔵するためには必要だったが、最近は収穫後、即出荷するようになったのでもう不要の長物とのことであった。合計4時間の散策であった。

November 27, 2005

Rev. August 27, 2006


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