富士川街道

身延山久遠寺

日帰りドライブ

花見も終わった4月20日富士川街道沿いにある身延山久遠寺に日帰りのドライブにでかけた。

1990年代の10年間、リセッションに伴う給与カットをしのぐため自家用車を持たなかった。気晴らしにニッサンマーチをレンタルして甲府から富士川街道を南下したことがある。マーチの貧弱なシートがよくなかったのか、腰痛になって酷い思いをしたことがある。富士川は大きな石がゴロゴロして荒れた川という印象が残っただけであった。

今回なぜ、そこに出かける気になったかというと、シートの良いジープがあることと2008年3月の鎌倉の本覚寺で1274年に佐渡流罪を解かれ、鎌倉に戻った日蓮上人 が、鎌倉の夷堂に滞在して布教を再開したが、依然として鎌倉幕府が無関心なため、甲斐国の身延山に入って久遠寺を建立し、本核的に日蓮宗の布教を行ったということを知ったからである。かって富士川街道を南下したとき、日蓮宗の総本山の身延山があることは知っていたが、時間がないため立ち寄らなかったのである。

今回は東海道を清水ICまで下り、そこから富士川街道(みのぶ道、ルート52)を遡ることにした。東海道を御殿場ICを越えて下るのは2000年の伊勢巡礼ドライブ以後8年ぶりだ。第二東名もかなり出来上がっている。久しぶりの富士川SAで新しくできたスターバックスの店でカフェラテをすすりながら、富士川の河口デルタを眺める。このデルタ地帯は土砂が積み重なって自然の土手を作り、富士の裾野が駿河湾に消える地点よりかなり標高が高い。東方中央に愛鷹山塊が横たわり、左手の富士山は雲の中だ。右手遠く沼津アルプスと伊豆半島が見える。

富士川SAから見下ろす富士川 中央遠方は愛鷹山塊

富士川にそって糸魚川ー静岡構造線が南北に通り、西側の地層は1億年以上古く、太平洋プレートが運んできた様々な堆積物が陸に押しつけられた付加体から成立している。 これが造山運動で隆起して3,000m級の南アルプスとなった。東側は6,000万年前に一旦陥没して6,000mも深く海底に沈 み巨大な地溝帯(ナウマン博士がフォッサマグナと命名)を形成した。この溝が土砂で埋まった後に再隆起した地層で新しく、山も1,000mしかない。富士山や八ヶ岳はこのフォッサマグナの底にある断層の割れ目を通ってマグマが上昇して噴火して形成された。南アルプスを雨水が削 って土砂を富士川に流し込み、その河口に大きなデルタを作ったのである。この膨大な土砂は駿河湾の海底のトレンチを流れ下り、フィリピンプレートが作る海溝の底を埋め、いずれは再 び付加体になるというサイクルをくりかえしているという。

フォッサマグナ

ルート52は清水付近では富士川の一つ西を走る谷底を遡り、万沢トンネルを抜けて富士川沿いにでる。緩やかなカーブを描く道でバイカーには人気があるようだ。いくつかのグループを見かけた。 身延町相叉の「そば処 菊寿美」で石臼挽き自家製粉の手打ちそばの昼食とする。なかなかの人気で売り切れ閉店となった。(Restaurant Serial No.324

身延山入口で総門をくぐり、門前町に入る。日本三大門の一つといわれる立派な三門の前を通って奥へとすすみ、突き当たりの久遠寺の有料駐車場に車を停める。

久遠寺の三門

裏側から登って大本堂、祖師堂、仏殿、客殿と見学した。大本堂の前で五重の塔が復原工事中であった。樹齢400年の枝垂れ桜は散っていたが、広い境内には遅咲きの枝垂れ桜が咲き誇っていた。菩提梯という急な石段を上から覗いて大本堂に上がり加山又造の天井画墨竜を鑑賞。

久遠寺の大本堂と祖師堂、樹齢400年の枝垂れ桜

そのあとは身延山ロープウェイで身延山山頂(1,183m)に登る。山頂の北側展望台からの眺望がよく、左側に七面山(1,989m) 右に富士見山(1,639m)そしてその右に甲府盆地が見える。中央の谷底に南アルプスの水を集めて流れる早川がある。説明板には糸魚川ー静岡構造線はこの早川渓谷に沿っているとある。富士見山の後には北岳(3,192m)、間ノ岳(3,189m)、農鳥岳(3,026m)が見えるはずであるが雲の中だった。 その左に塩見岳(3,047m)、悪沢岳(3,141m)も頭を出しているはずだ。

身延山 山頂にはカタクリの花が咲いていた。

カタクリ

身延山山頂から北側の眺望 左が七面山 中央が早川の流れる谷 右が富士見山

南側展望台からは富士川が天子山塊と安倍山系の間を蛇行しながら駿河湾に向かって流れ下る様が見えた。富士川の西にある安倍山系の谷には「みのぶ道」が通っている。 そして門前町も見える。

身延山山頂南側から蛇行しながら谷間を流れ下る富士川を望む

あのタフな日蓮も老齢になって気が弱くなり、弟子とこの身延山にのぼり、常陸の国の故郷と亡き両親をしのんだという。奥之院思親閣には日蓮お手植えのスギという巨木が4本ある。日蓮は病を得て、常陸の国に下る途中、武蔵の国で亡くなった。その場所が池上本門寺だという。

身延山久遠寺の後、富士川クラフトパークに立ち寄り、早川を早川中学手前まで遡ってUターンした。 万沢越渡で給油したがリッター121円であった。ガソリン暫定税切れで30円も安くなった。家を出て帰るまで約12時間のドライブであった。

April 24, 2008

Rev. June 24, 2008


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