越後三山

平ヶ岳*

wakwak山歩会は2009年7月19-20日、梅雨の合間をねらって平ヶ岳(2,139m)の山頂に立った。すぐ直前に低気圧が次々に日本海を東進し、停滞する梅雨前線を刺激して北陸から北海道にかけて荒れた天気が続いた。これに巻き込まれてトムラウシでは8名の死者を出している。

2007年にもwakwak山歩会は費用を抑えるために旅行会社の羅臼、斜里、雌阿寒連続登山企画に申し込んだことがある 。しかし、この種の企画は強行軍でついてゆけないだろうと断念したことがある。自主判断を無視される危険も犯したくなかったからだが、今回の遭難を見て、日本ではこのような烏合の衆を束ねるリーダーシップ が発揮される文化ないため、危険であるということを再確認したようなものだ。低体温症で死んだ人はフリース系は着ていたがゴアテックスなどの防水機能が優れるカッパを持参せず、薄手のウィンドブレーカー程度のものしかフリースの上に着用していなかったとされる。リーダーシップとはメンバーの装備にも目を配って出発しないという判断をすることが求められるのである。

と、えらそうなことを書き連ねたが、今回の平ヶ岳登山も自主判断が出来ないという点では同じだ。平ヶ岳は越後国と上野国の国境にあるリーチの深い山である。山頂に山小屋はない。自由にアクセスできる鷹巣登山口からは距離がありすぎて70才を過ぎたものにはきつくて到底日帰りはできない。テントなど担いで行くほど体力もない。そこで登場するのが皇太子ルートの採用である。

雨池橋から平ヶ岳までの皇太子ルート(朱色)

銀山平の伝之助小屋が、奥只見湖の雨池橋から一般車通行止めの中ノ岐林道をマイクロバスで林道終点の駐車場まで1.5時間かけて送り届け、全員下山までそこで待ってくれるというサービスをしている。これを皇太子が利用したので皇太子ルートと呼ばれているらしい。百名山をめざす中高年にとってはこれしかないというルートである。雨であったら登山は断念するつもりででかけたが、幸いに翌朝は晴れ上がってお日様もでるという幸運に恵まれた。

第一日

8:00橋本駅集合。マーの車で、圏央道、関越道経由、小出ICで降り、銀山平に向かう。小出奥只見線のトンネル入り口の少し手前を走行中、タイヤが「夏の思い出」という曲を演奏する。

夏が来れば 思い出す
   遥かな尾瀬 遠い空・・・

アスファルト道路に切ったスリップ止めの刻み幅を変えて音程を変えているようだ。

伝之助小屋に早めに着いてしまったので露天風呂に入る。(Hotel Serial No.460)途中から猛烈な雨が降り始める。風も強い。これでは山は無理だと昼寝をする。17:30の夕食までの時間は持参の日本酒を一杯。

第二日

03:20起床、4:00まだ暗い中を出発。小雨が残っているためレインコートのズボンをはき、スパッツとザックカバー装着してバスに乗る。クマよけのスプレーもベルトに着ける。雨池橋までの奥只見湖沿いの15kmを30分かけてすすむ。中ノ岐林道をゆくマイクロバスは路面が荒れているため猛烈に揺れる。14kmの林道に1時間かかる。途中空が白みはじめる。5:30駐車場着。 標高1,280m

雨が上がったため、レインコートの上着はしまい、シャツだけとする。渡渉点のはしごを渡り、五葉尾根にとりつく。途中インコートのズボンも脱ぐ。急坂をどこまでも登り、シラビソの樹林帯を抜けると笹原 と木道となる。玉子石分岐には標柱があり、ここから平ヶ岳が眼前に横たわっているのがみえる。雲も切れ青空がでている。右手が玉子石のあるピーク。左手は玉子石前山だ。

玉子石分岐から平ヶ岳を望む 手前見右手のピークに玉子石がある

玉子石からの眺望は一級品。近景に玉子石、中景に池塘、そして遠景に巻機山である。ここで昼食とする。

玉子石 雲の中に巻機山  マーさん撮影

玉子石分岐から玉子石前山を越えて池の岳に向かう。周りはワタスゲ、ヤマトキソウなどのお花畑だ。キャンプサイトといわれるあたりの雪渓を渡り、木道を下ってツカ廊下を登りなおすと平ヶ岳山頂だ。10:30着だからコースタイムとほぼ同じ速度だ。じつは頂上はほとんど平らのため 、どこが山頂かわからず、通り過ぎて引き返した。大きな団体が到着したので記念撮影してすぐ下山だ。

平ヶ岳山頂にて

至仏山を探したが、分からず、帰ってカシミールで確認した。見えていたはずであるがあるいは雲がかかっていたのかもしれない。袈裟丸山すら見えたはずである。いずれにせよカメラには収めてない。帰路、燧ヶ岳(ひうちがたけ)が雲から姿を現した瞬間撮影できた。その左手には田代山と帝釈山が一体となって見える。2007年6月の帝釈山登山時に平ヶ岳を視認している。まだ白い姿である。燧ヶ岳の右手には男体山とさらに右端に日光白根の尖った姿が見える。

左端に田代山と帝釈山、中央に燧ヶ岳、右手に男体山、右端に日光白根山

玉子石に向かう途中、越後駒 ヶ岳と中ノ岳、そして八海山が姿を現した。荒沢岳は雲の中である。

左から八海山、中ノ岳、越後駒ヶ岳

帰路、シラビソの球果を見つける。露のように輝くのはマツヤニだという。

シラビソの球果

宿が手配したバスへの帰着希望時間13:00に30分遅れて13:30に帰着。運転手が心配して迎えに来てくれる。グリーンウッド氏が膝が痛くならないように派手にズボンをずりさげて膝にサポーターを装着しているのを目撃した相客が運転手に報告したためらしい。「膝が痛むのか」と聞かれる。そんなことはない。精一杯歩いているだけなのだ。

これでも昼食時間分だけ昭文社地図のコースタイムより早く歩いたことになる。宿の希望帰着時間が早すぎるのだ。靴とスパッツについた泥を洗って乗車。運転手は宿に 衛星無線?で無事帰還を報告して出発。

中ノ岐林道経由のマイクロバスでの帰路は梅雨を集めて急流逆巻く中ノ岐川と周辺の岩盤を流れ落ちるいく筋もの滝の雄大な景観に圧倒された。この谷はさすが僻地、植林もなく一切が原始の姿である。

小出IC近くの湯之谷薬師温泉センター(Hotspring Serial No.152)で汗を流す。ここで越後駒ヶ岳登山時に汗をながしたことがあるので9年ぶりである。高速道路は1,000円のため大渋滞。しかし午前様になることなく ぎりぎりにタクシーで自宅帰着。

July 23, 2009

Rev. August 5, 2010


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