南アルプス

寸又三山の沢口山

wakwak山歩会は2006年4月3-4日、南アルプス の南端にある寸又(すまた)三山の一つ、沢口山(1,425m)に登った。寸又三山は寸又峡を囲む朝日岳 (1,826m)、前黒法師岳(1,943m)と沢口山(1,425m)である。此処に入るには間ノ岳を 水源とする大井川岸を走る大井川鉄道を利用する。丁度花の季節である大井川鉄道で花を愛で、寸又峡(すまたきょう)温 泉に一泊して、三山のうち一番低い沢口山に登ろうというゆったりした計画である。


第一日

三々五々東海道線、新幹線など使って静岡駅10:36発の電車に集合。金谷下車で大井川鉄道に乗り換える。バスも含め往復フリー切符4,800円だ。花の 季節はSLは満席のため、電車にのる。ゆったりと大井川鉄道沿線の桜を愛でる。大井川は川幅が四万十川の何倍もある巨大な川で蛇行も激しい。前日の嵐のた め 、川の水は濁っていたがいつもは四万十川のようにきれいなようだ。沿線は川根茶の産地で茶畑が続き、豊かな村落が沿線に連なる。川霧が上手い茶を作る秘訣 のようだ。紅葉も川スジが映えるのと同じ理屈なのだろう。

大井川鉄道沿線の桜と大井川

千頭(せんず)で下車。けっこう大きな町だ。ここから大井川の本流の大井 川ダムや井川ダムへは井川線というアプト式列車がでている。しかし寸又峡温泉へはウサギ辻峠を越えるバスに乗るのだ。寸又峡が厳しいV字渓谷のため、ダム 建設用に蛇行する川に沿ってつけられた道はメンテナンスが大変なのだろう。桑野山トンネルを過ぎたところで事前録音したバスガイドの声で「大きく蛇行した 渓谷が360度曲がって互いに接するところの川の落差が25mあったので大井川初の水力発電所は英国の機材をつかってこここに建設された」と説明があっ た。

井川線の奥泉駅を過ぎてからバスは左折してウサギ辻峠に向かって急坂を登る。ちょうど大井川ダムを直下に見下ろす狭い道路で一時停車をして運転手が説明し てくれる。ウサギ辻峠を越えると道は反転し、眼前に朝日岳と沢口山が狭い寸又峡の対岸に見える。道は急坂を下って朝日岳の一尾根に穿たれたトンネルに吸い 込まれている。その先が寸又峡温泉のようだ。

寸又峡温泉は上流から温泉を引いて戦後に開発されたのだそうだ。民宿の「深山」はバス停の前にあった。(Hotel Serial No.345)ザックを置いて翌日の沢口山登山口確認かたがた大間川にかかる飛竜橋まで足慣らしをする。大間川は寸又川の支流で大間ダムがある。 大間ダムも飛竜橋も沢口山の尾根の一つ、日向尾根に穿った天子トンネルの向こう側にある。飛竜橋は国有林の林業用のトロッコ用のつり橋だったが、今ではト ラス橋になり、林道が通じている。前黒法師岳の登山口はこの飛竜橋を渡ったところにある。朝日岳の登山者は大間ダムの下流のつり橋を渡らねばならない。き つそうだ。沢口山を選んでよかったと思う。

大間川流域では前日の嵐の名残りの強風が吹き荒れていた。大間ダムにはチンダル現象で湖水の水は青く見えるとの説明版があるが前夜来の雨のため水は濁って いた。ニュージーランド南島のテカポ湖のエメラルドグ リーンの色も多分同じ現象なのだろうか?

大間川にかかる飛竜橋

大間ダムの湖面上にかけられたつり橋を渡って宿に帰る。 宿で一風呂あびる。美女の湯といわれるだけあって、アルカリ性でぬるぬるし、かすかに硫黄のにおいがする。循環しているがフレッシューフィード量が多く、 常に湯があふれていて殆ど掛け流し状態であるのがうれしい。夕食までの間、マーが運び込んだ樽酒と小田原で仕入れたクサヤをつまみにして酒盛りをする。夕 食後7:00には携帯のタイマーを4:30にセットして寝てしまった。


第二日

今日は沢口山登山である。総距離7.21km、累積登り960m、累積下り975m。

4:30起床、5:00朝食。わざわざ4時起きで新しく炊いてくれたご飯でおいしい。5:40出発。日向尾根の稜線にでるまで急斜面の杉林の中を約1時間 ジグザグに登る。 稜線に出るとまだ昨日の風が少し残っているのでレインコートの上着を羽織る。なだらかな登りで一息つく。大間川側の斜面は急で雑木林の床には落ち葉さえ 残っていない。

温泉街を見下ろせるTVアンテナを過ぎ、二重山稜になっている木馬(きんま)の 段に到達する。小泉武栄著「山 の自然学」に書いてあるように断層が走っているのだろうか? 下りのルートとしている猿並尾根が次第に近づいてくる。登りに取り付いた日向尾根といい、下りにたどった猿並平にせよこの山は二重山稜になっているところ が多い。

山頂近くの二重山稜の窪地には水が溜まり、「鹿のヌタ場」と呼ばれている。この池の岸辺に直径が2mを越えるミズナラの巨木が立っている。このようなミズ ナラの巨木はみたことがない。窪地のため、風によるダメージを免れることができたようだ。ヌタ場または 「ぬたば」は沼田場と書き、イノシシやシカなどの動物が、体表に付いているダニなどの寄生虫を落とすために泥を浴びる水溜りのことだという。

鹿のヌタ場の大ミズナラ

山頂には富士山に向かってレーダー反射板が設置されていた。そして北方は樹木を伐採して視野を確保してくれている。朝日岳と大無間山の左側の上に上河内 岳、赤石岳、 茶臼岳、聖岳(ひじりだけ)、仁田岳、兎岳、イザルヶ岳、光岳(てかりだ け)と思しき銀嶺が顔をだしているのを遠望できた。快晴、無風で雲一つない。 これをデジカメで少しズームして撮影。

山口山山頂よりズーム 右から上河内岳、赤石岳、聖岳、茶臼岳、仁田岳、兎岳、イザルヶ岳、光岳

カシミール3Dを使って山口山山頂上2mの高さから100mm望遠でみた3D図は下図のようになる。 マーの300mmズームレンズを通すと聖岳を画面いっぱいに撮影できる。

山口山山頂上2mの高さから100mmレンズで撮影した3D図

300mmレンズでみた右から赤石岳、茶臼岳、聖岳、仁田岳  マー撮影

北東方向に富士山も見えるが霞みがかかっている。富士山の手前の十枚山の更に手前の勘行峰の西側のなだらかなな斜面には草原のようなものがみえる。マーは 双眼鏡でみてゴルフ場のようだというが、1,449mの高度であるから牧場かもしれない。井川湖を見下ろす気持ちのよいところかもしれない。静岡から富士 見峠で道が通じているようだからいずれドライブしてみよう。

標高540mの寸又温泉を5:40出発し、9:20には標高1,420mの山頂に立っていた。ここで1時間昼食と眺望をたのしむ。朝4時に炊いてくれたご 飯のオムスビは大変美味だった。10:20山頂発、12:40に温泉に到着。休憩を入れて登坂速度240m/hで標準。下山速度は378m/hで早いほう であった。

猿並尾根は広い。道に迷わないように赤テープの目印を必死になってさがして歩く。猿並尾根下部の東斜面は杉の植林がしてあって鹿よけの網で囲んである。こ のような急斜面では伐採もその後の養生も容易ではあるまい。国有林 を管理する営林署は工夫もせず建設資材生産という戦後の方針を堅持するつもりのようだ。広葉樹林でパルプ生産をしたほうがコスト的 にも現実的だと思うのだが。

民宿の「深山」に帰って風呂を浴び、缶ビールを飲む。 宿の80才になる女将に1968年2月、金のトラブルで旧清水市内で暴力団員2人をライフルで射殺し、宿泊客らを人質に立てこもった金嬉老が立てこもった 旅館はどれか問うたところ直ぐ隣の「ふじみ旅館」とのことであった。それから38年が経過したのだ。

14:25のバスで千頭駅に向かうと、SLの出発に間に合う。旧国鉄のC11-312号であった。ちなみにJR新橋駅前の広場に置いてあるのはC11 292号である。C11は水タンクをボイラーの両側に、石炭を運転席の後ろにある格納庫に載せているいわゆるタンク車である。 水と石炭搭載のテンダー車が不要のため、後ろ向きに走っても視界がさえぎられない。ということでターンテーブルを使って方向転換をしないでも客車を後ろ向 きで引っ張って走ることができる。こういう情報は鉄道ファンの友人の加畑君から教えてもらった。動輪の数はA、B、Cと次第に増えるが、Eまであったとい う。

桜の名所、家山駅からは大勢の観光客が乗り込んで7両編成の客車は満席となった。客車もJRのビンテージ物を使っている。大井川鉄道も石炭をやめて大井川 流域に産する広葉樹林で生産するマキをSLで炊けばより環境に優しい鉄道ということになり、教育効果もあり、人気が上がると思うのだが。

大井川鉄道のSL C11-312

SL列車の客車内

大井川とSLは1978年の「男はつらいよ 噂の寅次郎」のラストシーンにでてくる。

金谷から藤沢まで鈍行で帰る。

April 11, 2006

Rev. November 21, 2017


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