能登半島・若狭湾周遊ドライブ

第5日

伊根の舟屋、天橋立、成相寺

2006年4月27日(木曜日)福井ICより北陸道で敦賀ICまで高速走行した。高橋治の「風の盆恋歌」に描かれた 杉津を通過する。敦賀半島に抱かれた敦賀湾は静かで美しい。

司馬遼太郎が街道をゆくシリーズ4「郡上・白川街道 堺・紀州街道ほ か」で敦賀は北前船の港として栄えたと書いているがこの深い湾の静謐さを見れば理解できる。敦賀からは一般道で小浜西ICに向かう。

敦賀半島は原発が多いところだ、敦賀原発、美浜原発、高速増殖炉のもんじゅと軒並みで話題の多いところだ。 敦賀原発はこともあろうに活断層に接して建設されている。神戸地震で見直された最新の耐震設計指針下で補強工事なしで運転継続できるのか。もんじゅはサー モウェルの震動による疲労破壊でナトリウムが漏れ、運転停止してもう10年になるがまだ動かない。核燃料が古くなってアメリシウムが増え、臨界に達しない ため交換が必要になるという。

道路から見える山の松は殆ど枯れている。中国から飛来する酸性雨が原因なのか?

うって変わって勢浜から見た小浜湾(おばまわん)は無垢の自然が残っていて美しい。

小浜湾

小浜西ICより舞鶴若狭自動車道に入り、綾部Jctより京都縦貫自動車道を宮津・天橋立ICまで高速走行して時間をかせ ぐ。ほとんど山の中の走行である。

有名な大江山(千丈ヶ嶽 833m)の脇をトンネルで通過する。この大江山は

大江山いく野の道の遠ければまだふみも見ず天の橋立 (金 葉集、小式部内侍)

の歌にでてくるものかと思ったが、Wikipediaによれば加佐郡大江町の大江山とする記述が多くみられるが、この歌の場合、現、京都市西京区の 大枝山とのことだ。 だが生野は兵庫県にあるし第27番書生山からの巡礼路上に生野、大江山、天橋立が並んでいるのでWikipediaが正しいのかどうか?

細川ガラシャが暮し たことのある宮津城のある宮津から阿蘇海を迂回して与謝野町を通過して天橋立の根元を通過、丹後半島の宮津湾、若狭湾沿いに伊根に向かって北上する。

日置ではウィークエンドのリゾートマンションが林立していた。日置から北西に9km程入った山間の味土野(みどの)と いうところは明智光秀の謀反の直後、細川忠興が謀反人の娘となった妻ガラシャをかくまったところという。

亀島という半島と青島に抱かれた伊根港の水面は鏡のように静かであった。もうFRP製になって不要になったのではあるが、伝統的な木造小型漁船を雨から守 る舟屋が今も水内際にぎっしり並んでいる。その後ろには狭い道があり、みちを挟んで住居用の母屋が建てられている。

伊根町平田でただ一軒みつかった”なぎさ鮨”で昼食。(Restaurant Serial No.277) ここでこの地方独特の”へしこ”の鮨をいただく。”へしこ”は塩漬けしたサバを糠漬けにし、約1年間漬け込んだものという。これは一旦味わったらそのうま さはクサヤとともに忘れられない。

伊根の舟屋

伊根からとってかえし、天橋立の根元で天橋立の本体を視察する。内海の阿蘇海側はさりげなく護岸して固めてある。波がな いので問題ないらしい。外海に面している宮津湾側は砂浜になっている。松が枯れて空き地になったところには苗木が植えてあった。

西国33ヶ所札所の一つ第28番成相寺(なりあいじ)に向かって鼓ヶ岳(569m)に車で登る。山 頂で山菜獲りの地元に人にこの地域の説明をしてもらう。天橋立の宮津湾側の砂浜は常にトラックで新しい砂を補給しなければならないという。宮津湾側が淡水 のために松が枯れないのかとおもったが両方とも海水だという。

鼓ヶ岳の山頂から俯瞰した天橋立

成相寺は704年に真応上人が開いたという。寺の名の由来は以下のとおり。

一人の僧が雪深い山の草庵に篭って修行中、深雪のため、食料もつき、餓死寸前となった。本尊に「今日一日を生きる食物をお恵みください」と祈ったところ堂 の外に狼に襲われた、猪(鹿)が倒れているではないか。猪(鹿)の左右の腿をそいで鍋にいれてにて食べて一命をとりとめた。雪も融けたとき本尊の左右の腿 が切り取られ、鍋の中には木屑が散っていた。僧は観音様が身代わりになって助けてくれたことを悟り、木屑を拾って腿につけると元の通りになったという。こ れにより成合(相)という名をつけたという。

鼓ヶ岳の山頂から天橋立を俯瞰すると真応上人は天橋立を歩いてこの山に登るグランドデザインを描いたのだろうと白洲正子 が「西国巡礼」で指 摘していることが理解できる。雪舟が”天の橋立図”で天橋立と鼓ヶ岳を描いている。これは 宮津湾をはさんで鼓ヶ岳の対岸にある栗田半島の獅子(ちし)上 空1,000mから俯瞰したことになるという。 当時はヘリもなかったのでむろん画家のイマジネーションで描いたものだ。鼓ヶ岳の山頂からは大江山や白山がみるらしいが大江山は雲の中、そして白山は春霞 の彼方に消えている。鼓ヶ岳は全山成相寺の所有だそうで、道路も私道として整備しているようだ。無論この山に車で入るのも有料、私道を走るバスも寺の経営 で経済的基盤は磐石のようである。鼓ヶ岳の山頂近くの杉林が台風で倒木となったそうで伐採し、広葉樹を植林していた。

阿蘇海に面した宮津市に日本冶金の大江山工場があり、戦前1942年から戦中にかけ、大江山鉱山で採掘されたNi品位0.4-0.7%の鉱石 からクルップレン法のロータリーキルンでフェロニッケル粒を生産していた。戦中には欧米の捕虜を使役していたという。戦後はこの工場を使い続けたいとニューカレドニア、インドネシア、フィリピンからガーニエライトというNi品位2-2.5%の酸化鉱を輸入してロータリーキルンで還元した後、電気炉で溶融製錬してフェロニッケルの生産を継続しているとい う。神通川のような汚染はないという。ただ廃鉱石を阿蘇海の埋め立てにつかっていたが、このままでは 阿蘇海が埋まってしまい天橋立がなくなってしまうのでこれ以上の埋め立てはが禁止するという。宮津湾に鉱石船1隻が停泊していた。ここから鉱石をバージに 積み替えて天橋立の宮津側の切れ目から阿蘇海に引き込んで工場に荷揚げしているのだそうである。

西国第28番成相寺

時間がなくなったので舞鶴市と西国第29番の松尾寺は パスして津・天橋立ICより小浜西ICまで自動車道を逆にたどって三方(みかた)五湖に向かう。夕方6: 00に閉鎖するという三方五湖レインボーラインをぎりぎりでドライブできた。三方五湖とは見方湖、菅湖、水月湖、久々子湖、日向湖のことである。このうち 水月湖はその湖底に沈殿した過去5万年に渡る層状の土砂堆積物(年縞)に含まれる有機物中14Cの量が計測できるため、14C を使う年代測定の基準にされている。安田喜憲の「一万年前」にくわしい。秋田県の一ノ潟湖の年縞も使えるとのこと。

三方五湖レインボーラインより三方五湖の水月湖を俯瞰

夕暮れ時、敦賀市"ウエルサンピア敦賀"着(Hotel Serial No.344

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April 30, 2006

Rev. June 16, 2014


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